57話 帰郷3
物盗りらしき野郎に追い回されたり、返り討ちにしたりしながら歩き続けること四日。レティシアはようやく三階層の真ん中から上の下くらいの町に辿り着いた。こちらでは区域についての線引きは明確にされていないので、家屋や通りを行き交う人々を見て、上か下かの判断している。
(もうちょっと進みたいけど、今日は機嫌が悪そうだからな……)
レティシアは空を見上げて小さく唸る。今日は陽が昇ってから五刻ほどしか経っていないが、既に陽はだいぶ傾いていて、あと二刻もせずに夜になるだろう。夜になれば今の穏やかな景色は一変し、相当物騒な絵面になる。場合によっては屋内だって巻き込まれる可能性もある。だからどんなに先を急いでいても、日が落ちる前に宿に籠らねばならないのだ。よって宿探しをする時間を考えても、動けてもあと半時刻くらいだと判断する。
(宿の前に買い物しとかなきゃ)
買い込んでいた食糧と蜂蜜酒が尽きてしまったことを思い出し、レティシアは先を進みながら店を探す。
宿の一階には市井と同じく酒場があるので食事ならそこでできなくはないが、いかんせんレティシアは訳ありの身。もしもそこで食べている時に女だと気づかれて、敵に情報を売られてしまえば、リーズの比ではないくらいの騒動になる。だから食糧を買い込んで部屋で食べているのだ。
そうして店というには少々品揃えの寂しい露店を見つけた時だった。突如感じた視線に、脳内で警告音が鳴り響く。凶賊か物盗りかはわからないが、宿までつけられては堪らない。レティシアは買い物を諦め、何食わぬ顔で、けれど通行人の合間を縫うようにして歩く。
(……つけられてるな)
先ほどの視線の人物だろう。確実にレティシアを追ってきている。しかも気配を殺しているので、凶賊である可能性が高い。敵に目を付けられないよう、細心の注意を払っていたつもりだったが、勘づかれてしまったようだ。
(あーもう! 宿も探さなきゃいけないってのに!)
これは一刻も早く撒かなければ。とはいえ第五区は無秩序に町を広げていったために道が入り組んでおり、路地に入ったが最後、迷子になって追い込まれるのが目に見えている。
さてどうするかと、歩きながら周囲に耳を澄ませていれば、微かに水の音が聞こえてきた。それも絶え間なく流れているようだ。
(もしかしたら水路か?)
三階層の真ん中くらいになれば、水路が整備されている。もしも水の音が予想通り水路だとすると、現在地からそんな遠くない場所にあるはずだ。水路沿いに進めば迷うことはないし、最悪、水路に飛び込めば逃げ切れるだろう。
レティシアは追跡者に不審がられないよう、挙動に気をつけながら家屋の角を曲がる。
路地に入るなり、レティシアは歩を早めた。敵と距離を取りたいのもあるが、道が入り組んでいるだろうという予測とは裏腹に、現在地が高台だったために、どこにどう道が繋がっているのかが把握できたからだ。それは水路が探しやすいのと同時に、敵からも探されやすいということ。これでは撒くことは不可能に近いだろう。
レティシアは眼下を見渡し、はるか下を流れる水路を確認すると、転がるように階段を駆け下りた。
いつの間にか追跡者が一気に距離を詰めてきていたのだ。こうなったら水路に飛び込む以外、逃げ道はない。だが走り出したのは追跡者も同じだったらしい。足音がすぐそばから聞こえてくる。
「待て!」
「!!」
左腕を掴まれ、後ろへ引っ張られる。その瞬間、レティシアは片足で踏ん張りながら、その足を支点にくるりと後ろを振り返りつつ、その勢いを利用して敵の顎下めがけて右の拳をぶちこんだ。
「ーーっ!!」
拳に強い衝撃が走る。レティシアの繰り出した一発は、腕で防御されてしまったのだ。
(拳がダメなら足!)
レティシアは即座に男の脛を蹴り、腕を掴む手の力が緩んだ隙をついてその手を振りほどくと、再び走り出した。
レティシアが女は非力だという固定概念を利用して戦っているのは、男と真っ向勝負しても敵わないとわかっているからだ。そして固定概念が使えなかった以上は逃げるしかない。
そして短い追いかけっこの末、レティシアは躊躇うことなく水路へと飛び込んだ。
一瞬で服が鎧のように重くなる。けれどレティシアの体が水路の底に沈むことはなかった。むしろ体が上に引っ張られるような強い力を感じる。
なぜだとレティシアは薄目を開けて後ろを向き、そして驚愕した。背に斜めに掛けていた荷が掴まれていたのだ。
(しまっ……っ!)
驚いた拍子に水を飲んでしまい、そのまま水の中で息を吐き出した。その間にも体は水面へと浮上していく。
「……まったく、君は思い切りが良すぎるな」
「?!」
水から顔を出したレティシアは、声の人物に思わず目を見張った。そこにいたのは、他人の空似でなければ、あるいは生き別れた双子でなければ、ヴァスバード侯爵だったからだ。
あっけなく土手に引き上げられたレティシアは、四つん這いのままゲホゲホと咽る。
「怪我はないか?」
「触んな!」
背に手を当てられた瞬間、レティシアは反射的にその手を跳ね除けた。男なんかに気安く触られたくない。そうしてひとしきり咽た後、呼吸を整えつつ濡れた服を絞り始めた。さすがにこのままでは風邪を引く。
(なんでこの男がここにいんだよ!)
心の中で悪態を吐いた。例えリーズからこちらに来たとしても、余所者がこんな複雑な土地ですんなりレティシアを見つけ出せる訳がない。ということはつまりーー。
「これを」
ヴァスバード侯爵がタオルを差し出してきた。拭けということなのだろう。レティシアは礼も言わずにタオルをひったくると、顔や腕、髪を拭いた。それでもまだ水が滴り落ちてくる。
「私が取っている宿へ行こう」
レティシアの肩に上着が掛けられ、ついでに先ほどまでヴァスバード侯爵が被っていた帽子が被せられる。隣から感じる有無を言わせぬ圧に、ここは一旦従ったフリをして隙をみて逃げるべきだと判断する。
(国営軍中央部隊の大将とは言え、しょせんは男。いくらでもチャンスは作れるだろう)
レティシアは帽子を深く被り直すと、大将に連れられて無言で歩き出した。




