16話 災難1
街の中央に位置する大きな広場には出店が並び、たくさんの人々でにぎわっている。売られているのはこの地域では取れない魚の塩漬けや干物、酒、珍しい生地など様々な商品だ。
(値段はこんなものか)
レティシアは商品を見ながら、商品を確認する。こうして自分の足で歩き、目で見ると、馬車からでは決してわからない、この街の姿が見えてくる。
「それにしても、すごい人ね」
「領地内でも一番大きな市場ですからね。礼拝の日と重なると、もっと混雑しますよ」
舞踏会という品評会も終わったレティシアは、侍女とともに領地の中心街に繰り出していた。社交界と違って、市井ではレティシアの名前どころか存在も知られていないので、庶民の服を着て頭巾で髪の毛を隠していれば誰も気付かない。だからこうして堂々と出歩けるというわけだ。
侍女や使用人には単なる息抜きのように思われているが、これの本当の目的は情報収集だ。人の集まるところに情報は集まる。領主の耳にまでは入らないだろう市井の情報、地図には載っていない道の有無や、庶民の生活や環境、そして巡回兵のルートなどの情報を仕入れるのだ。
あらかじめ地域の情報を知っておけば、不穏な動きをいち早く察知できるし、何かあった時でもスムーズに逃亡できる。今のレティシアの立場ではそんなことをする必要はないが、習慣として身についてしまっているので、一通りやらねば気が済まないのでやっている。
こうしてお忍びのように広場を一周すると、今度はその周辺だ。周辺の建物の前にも店が出ていて、広場ほどではないが、人々が買い物をしている。やはりこの街は豊だなと思いながら、広場から少し離れた建物を通り過ぎたとき、地図にはなかっただろう空間に気づく。
「ここは抜け道?」
レティシアは首を傾げる。道というには道幅が少々狭く、石畳が非常に不格好だ。もしかしたら後から住民が作ったのかも知れない。
「だいぶ向こうまで続いているみたいですね」
「あの先にあるのは、星堂の塔かしら?」
「そのようですね。大通りから行くと遠回りになるので、もしかしたら住民が作ったのかも知れませんね」
「それなら星堂に行ってみましょう。住民の誰かに会ってもこの格好ならバレないでしょうし」
道がどこまで続くのか、本当に星堂に続いているのか確かめるため、礼拝を理由にしてみれば、侍女は了承してくれる。
二人並んで通るには狭く、一人なら余裕をもって歩ける道を侍女を先頭に歩く。舗装の仕方が変わったりと手作り感満載の道を、レティシアは頭の中に叩き込んだ地図に書き足していく。
(この道は危険視する必要はないか)
道の端の、家の裏側に当たる部分には、箒やバケツなどが置いてあるし、上を見れば洗濯物が干してある。裏道というよりも、この辺りに住む人々の生活道路のようだ。人通りがないのは、市場をやっているからだろう。
そんなことを思いながら見ていれば、微かに鼻を突く臭いがした。この生臭さは市場が近いせいなのか。しかし生肉なんか売るだろうか。レティシアは周囲を見渡して周囲を探す。歩を進めるうちに侍女も気づいたようで、顔を顰めて鼻を押さえた。
「なんでしょう、このニオ……」
角を曲がった直後、突然、侍女が声にならぬ悲鳴をあげて立ち止まった。その後ろにいたレティシアも、それを見つけ、目を細めた。
歩いていた道からは死角になる場所。そこに腹を切られて内臓を引きずり出された、野犬の死骸があった。ただでさえ凄惨な状況だというのに、死骸の周りに不気味な模様が描かれているせいで、さらに異様な絵面になっていた。
吐き気に襲われている侍女の背中を摩りながら、レティシアはそれを観察する。赤黒いのは血だろう。これはいわゆる猟奇的な人間の仕業だと思われた。
(犬の血……じゃあなさそうだな)
量から考えると、恐らく別の動物を殺して溜めた血を使ったのだろう。そうまでしてこんな現場を作るなんて、いい趣味の持ち主だと思いながら死骸を見ていれば、ふと気づく。
気のせいかも知れないが、死骸の上に引きずり出された内臓が、見覚えのある形を描いているように見えた。それに不気味な紋様も、よくよく見れば、見知った特別な文字に見えなくもない。
(いや、まさか。だいたいこれじゃ何の効力もないのに)
そう、これでは何の意味もなさない。だからただの偶然だと思おうとしたのだが、頭の中で警戒音がガンガンと鳴り響く。
「動けるかしら? 早くここから移動した方がいいわ」
レティシアの問いに、侍女は小さく頷く。レティシアはショックを受けている侍女を支えながら、来た道をゆっくりと戻り始める。去り際にもう一度、死骸を目に焼き付けて。
(侍女には悪いことをしたな)
邸に戻ったレティシアは、一人部屋で反省していた。普通の娘の感性なら寝込んでしまうだろう。臭いを感じた時点で引き返すべきだった。
(ただ、そのおかげでアレを発見できたわけだけど)
先ほど見た、あの現場。あれは間違いなく、あっちの人間の仕業だった。死骸の腸は、適当に置かれているようでいて、けれどたしかにあの文字を描いていた。
レティシアはベッド横の引き出しにある宝石箱を出すと、中に収まっている三つの宝物ーー手の平ほどの小さな箱と細工のあるバングル、年代物っぽいペーパーナイフーーのうち、ペーパーナイフを手に取った。
◆◆◆
「今覚えとくものはここまでだ。他にもあるが、それはその時になったら教える」
あの人に保護されたレティシアは宣言通り、色々なことを教わっていた。その中の一つに、家に伝わる特殊な道具の使い方があった。その特殊な道具は幾つかあって、使用方法や使う用途の説明された後、実物を使った練習もした。
「これは万が一の時に使うものだ」
「ごしんようのナイフ!!」
レティシアは目を輝かせ、違うと否定されて、しょげた。手渡されたそれは確かに剣の形をしているが、錆びてるせいなのか、手に押し付けても全く切れないし、紙すら切れなかった。
「まあ、お前の身を守るためのものではある。ただこれは単なる危険ではなく、災厄が起きた時に使うものだ」
「さいあく?」
「使い方は一度だけ教えるが、絶対誰にも見せるな、教えるな。わかったな?」
レティシアに脅しに近い念押しをしながら、あの人はその使い方について教えてくれた。
◆◆◆
その時のナイフがこれであり、その使う時に描く文字の一つが、あの死骸と腸が描いていた形と同じだったのだ。腸を引きずり出しただけではあの形にはならないから、偶然の一致ではなかろう。
(だけど死骸を使って描く意味ってなんだ? それにあの紋様もだ)
描くだけ、その形にするだけでは何の効力もないのに、なぜあれを描いたのだろう。あの文字を知っているということは無知ではないだろうにと、レティシアはナイフを見つめる。鈍く光る刃を指先に押し付けるが、全く切れる気配がない。
「……これ、本当になんなのかしら」
ペーパーナイフの形をしているが、渡された最初から紙すら切れないのだ。それによくよく考えれば、これは非常に不思議なものだった。他の道具は口頭説明だけでなく、実際に使う練習もしたのだが、なぜかこれだけは練習なしだったのだから。
(こっそり試してみたら、もんのすごく怒られたし)
レティシアはあの時のことを思い出す。魔が差した末の行動ではなく、幼いレティシアが『災厄』を『自分にとって最悪な出来事』だと勘違いしていたこと。そして偶然にも芋の皮剥き中に指先を切って、文字を描くのに必要な血もあり、ちょうどいいと思って行動したのだ。
(しかも怒られたわりに、何も起こらなかったし)
刃の腹に教わった文字を血で描いたものの、期待とは裏腹に、相変わらず紙すら切れないままだった。何か間違っていたのか考えているうちに、あの人にバレてしまったのだ。ちなみにこっぴどく叱られたうえ、その日は晩御飯抜きだった。懐かしい思い出だ。
(……みんなどうしているんだろう)
レティシアはもう二度と会えない、遠い場所にいる家族に思いを馳せた。




