第二話『lost side』
放課後、深影達三人を見送った後、愛梨は晩ご飯の支度をしながらずっと深影の童話を胸に抱いていた。
鍋がことこと音を立てている静かな厨房で、頭の中では悪い結果ばかりが浮かんでくる。
「……あ……優ちゃん、やっぱりだよ……」
「どうしよ、コロナ……何て励ませばいい……?」
厨房の入り口からひょこっと顔を出して愛梨を覗く二人。
今白夜の豪邸にいるのは愛梨にコロナと優の三人だけ。
コロナは気づかれないように愛梨の背中に近づき、深呼吸をした後に飛びかかった。
「やあっ!」
「ひゃっ……!? こ、コロナちゃん?」
「いつもの愛梨さんなら気づいてるはずなのに……後ろに立たれても気づかなかった……」
「優ちゃんも……えへへ、ごめんね。深影さん達に留守を預けられてるのに、こんな様子じゃ二人のこと守ってあげられないね」
調理室の端においてあったパイプ椅子を引っ張り出すと、愛梨はそこに二人を座らせた。
二人は愛梨がいれてくれたオレンジジュースを飲みながら、愛梨の後ろ姿を眺める。
自分達はあんなに小さくて弱々しい、自分達とそんなに歳の変わらない女の子にチームの土台を任せていたのだ。
そう考えるだけで、二人の胸中はひどく酸っぱくなった。
「はい、残り物だけど食べる?」
「うん、食べる!」
「ありがと、愛梨さん……♪」
愛梨が出してくれたのは、以前食べて少し残ったロールケーキだ。
二人は互いにフォークで切り分けたロールケーキを互いに食べさせ合い、台の下で手を繋いでいる。
「ねえ愛梨ちゃん、愛梨ちゃんは何で契約者になったの?」
「うーんとね、優ちゃんは堕天使と人間のハーフでしょ?」
「うん、パパが人間でママが堕天使……」
「私はハーフって言うより、九割がた別物なの」
「えっとぉ、どう言うことなの?」
「優ちゃんが人間と堕天使の半分を受け継いだハーフなら、私はカンナの九割と人間の一割を受け継いだ、人の姿をしたドラゴンってこと」
雷神カンナカムイととあるお姫様の間に生まれた、人の姿をした雷神。
それが東雲 愛梨、アイヌラックルと言う存在だ。
「じゃあ愛梨ちゃんは魔王なの?」
「確かに、人と六種族の間に生まれた存在は大体魔王だけど、優ちゃんは魔王じゃないでしょ? それと同じだよ」
ただ人と六種族が交わって魔王が産まれるなら、魔王が極めて希少な存在だとは言われない。
それに加え愛梨はカンナカムイの方が血が濃い。
それこそ人の姿をしていることがおかしいくらいに。
「でもでも、愛梨ちゃんがカンナちゃんの子供なのと愛梨ちゃんが契約した理由はどんな関係があるの?」
「コロナ、分からない……? 愛梨さんは、自ら望んで契約したわけじゃないってこと……」
「あ、そっか……カンナちゃんの子供として産まれたから、元から契約者なんだ……」
「でもね、願いはあるんだよ。皆みたいな大したことじゃないけど、普通の女の子として生きたいって願い」
「大した願いだよ。知ってる? ヒーローは多くの人を守るよりも、たった一人の恋人を守ることの方が難しいんだよ」
「それと同じ……強い人を倒すことは特訓すれば敵うけど、自分の日常を守ることは一生のことだから、難しい……」
二人の言葉に、やけに力がこもっている気がする。
多くの人を守るなんて、少数を犠牲にすれば簡単に叶う。
失った数よりも守った数の方が多ければ、それが例え四十九人を犠牲にして五十一人を救ったとしても、多くを救ったと認められるのだから。
感情を殺してどれだけ力を求めた所で、勝ち取れるのはいつも勝利と孤独だけ。
弱ければすべてを奪われていくのに、強ければすべてを失っていく。
結局奪われるか自らなくすかの差だ。
「愛梨ちゃんはたった一人の犠牲を出すことなく、私達だけでなく挑んでくる契約者も守ってる」
「愛梨さんは力だけじゃなく、心で人を惹き付ける……力だけに依存しないで日常を守ってる……」
「「だから自分達に出来ないことをやってるんだよ」」
二人は声を揃えて、口元にロールケーキのクリームをつけて子供っぽく。
でも愛梨が進んできた契約者の道からは考えられない、想像を絶する死線をくぐってきた二人の重たい言葉が、愛梨の心を強く揺さぶった。
「ありがとう、二人とも……私の方が子供だったみたい。もうちょっと肩の力を抜かなきゃね」
「愛梨ちゃんはそれでいいんだよ!」
「しんどくないよう気楽にね……♪」
後ろで鍋が吹き零れていることも知らず、三人はオレンジジュースを片手にガールズトークを繰り広げた。
「そうだ、今度六人でお出かけしよっか」
「今の深影ちゃんなら付き合ってくれそうだしね」
「でもモノクロさんをあのままの格好で外に出すの……?」
「あー……でもモノクロちゃんがローブ脱いでるとこは見たことないよね」
「もしかして……流石にお風呂の時は脱いでるはず……」
「確かにいつもいい匂いしてる。ラベンダーかな……どうしよう、モノクロさんのことすごく気になってきた……」
いつの間にか深影達の心配は吹き飛び、愛梨の胸にかかっていた霧は綺麗さっぱり晴れた。
だが代わりにモノクロへの好奇心が募って仕方ない。
「ねえ二人とも、モノクロちゃんの地下室、見に行ってみない?」
「コロナ、人の部屋に勝手に入るのはダメ……白夜さんも詮索しちゃダメって……」
「あうぅ……胸がモヤモヤするよぉ……」
一番お喋りなコロナが沈んだことで、ようやく愛梨が鍋の吹き零れに気づいた。
「あ、鍋がっ……優ちゃん、お片付けを手伝ってくれる?」
「うん、分かった……」
「あーあ、これじゃあコロナちゃんが隠れてモノクロさんの地下室に行っても止められないなぁ」
「へ、あ……」
「……見るだけで、触っちゃダメだよ」
「愛梨ちゃん……! うん、すぐ戻ってくるね」
調理室を飛び出したコロナの後ろ姿を眺め、優は少し呆れたように、
「よかったの……? もしバレたらモノクロさんが怒らなくても、白夜さんに……」
「モノクロさんが出かけてることを忘れてご飯だからとモノクロさんを呼びに行きました。……じゃ少し都合がよすぎるかな?」
「愛梨さん……実は自分が知りたいだけなんじゃ……」
「いざとなれば二人は守ってあげるからね。お咎めも三人なら大丈夫だよ」
だが何故寄りによって注意深い優ではなく、聖力を押し殺すみたいな気を回せないコロナに行かせたのか。
もしコロナの聖力がほんの少しでも残っていれば、その時点でバレると言うのに。
「どうせなら愛梨さんが行ってコロナに教えてあげた方が……」
「自分の目で見た方が納得出来るから。それに地下室の周辺には扉が多いし、間違えて入っちゃったって言えば納得してくれるよ」
「愛梨さんがそう言うなら……」
珍しく愛梨が後押ししてくれたおかげで、コロナは息を潜めて地下室に入り込む。
優が心配していることも、よく分かっている。
「痕跡を残すな、だよね……流石の私も聖力を殺すくらい出来るよ……」
コロナは自ら炎を出す代わりに、手燭にマッチで火をつけ、その灯りを頼りに地下室を進んだ。
「広すぎるよもう……あれ、この部屋だけ日本語の看板がある……」
方角も時間も曖昧な薄暗い地下室で、コロナは日本語の看板がかけられた扉を見つけた。
その部屋の扉だけ他の扉よりも新しいように綺麗で、他の部屋から感じる魔術の独特な気配を感じない。
この部屋では魔術の研究などは行っていないようだ。
「自室なのかな……鍵はないみたいだけど……お邪魔しまーす……」
管理人がいないのに、コロナは何故か抜き足差し足で入室した。
「へ……なにここ……」
まるでそこだけ切り取られているような、別の空間。
コンクリートで囲まれた他の部屋の壁とは違い、壁には可愛らしい薄いピンクの壁紙が貼られている。
魔術に関連するもの以外のほとんどは刑務所の設備みたいな空間だったのに、この部屋にはふかふかのベッドや天井にはろうそくのシャンデリアまで飾られていた。
「もしかしてモノクロさんの他にも誰かいるのかな……まさか使い魔の部屋、とか……?」
だがモノクロが使い魔を使っている所は見たことがないし、戦いの時は大体神機の銃を使っていた。
そもそも使い魔の為だけにこんな部屋を作るとは思えない。
「愛梨ちゃんには触っちゃダメって言われてたけど、クローゼットを見るくらいはいいよね……そう、女の子としてローブの替えがあるかを確認するだけっ」
細心の注意を払いながら、指先でゆっくりとクローゼットを開いていく。
そこには左半分に黒いローブがかけられており、右半分は黒いフリルスカートが中心のコーディネートセットがかけられていた。
「ふえぇ、モノクロちゃんってこんな服着てたんだ……ゴスロリってやつなのかな……ある意味似合ってるけど。あれ……写真……?」
ハンガーにかけられたローブの下に、写真立てがあるのを見つけたコロナ。
写真には黒髪の少年少女が笑って写っていた。
左の少女は恐らくモノクロだろうが、顎が落ちて塞がらないくらい整った顔立ちをしている。
「うそ、モノクロちゃんってこんな美少女だったの……? まるでお人形さんだよ……この男の子は誰だろ……双子かな」
モノクロの隣に並び、肩を組んでピースしている活発そうな少年。
モノクロとまったく同じ顔をしていて、こちらもとてつもない美形だ。
ここまで似ていると言うことは一卵性だろうが、そうだとしたら性別は同じのはず。
性別の違う一卵性は、極めて珍しい。
「にしても美男美女だなぁ……あっ、やばっ……」
写真に見とれていたせいで、胸のペンダントが写真立てに当たって倒れてしまった。
コロナはペンダントを服の内側に仕舞うと、倒れてしまった写真立てを丁寧に戻し──
「あ、写真立ての後ろに何か……ひっ……!?」
女の子の部屋にしては、不自然なものがおかれていた。
写真立てに隠されるようにおかれていたのは、錆び鉄臭い血が染み付いた布切れ。
随分昔のものなのか、血のついた部分は黒に近い。
「ま、まさか……モノクロちゃん……自分の兄弟を……」
だが自らの手で殺したのならば、その写真を大切に飾っておくだろうか?
もし何かしらの事故が原因で兄弟を亡くしたのならば、血のついた布切れも大事に飾られた写真立てにも納得がいく。
「ダメ……これ以上は、見てられない……っ」
世の中には見ない方がいいものも存在している。
コロナは自分の意思とは関係なく溢れてくる涙を袖で拭い、必死に地下室から抜け出した。
「あ、この気配……コロナ、戻ってきた……」
「みたいだね、ものとか壊してなければいいけど……」
「た、だいま……ひくっ……こわ、かった……っ」
「な、コロナ……? どうしたの、何が……」
何故か泣きながら帰って来たコロナを、優はその小さな体で受け止めて抱き締める。
モノクロは深影とともに出かけている為、叱られたと言うわけでもないはずだ。
「どうしたのコロナちゃん、何があったの?」
「モノクロちゃんの、自室みたいなの見つけたけど……お兄ちゃんか弟ちゃんの、血がついた布があって……っ」
「血がついた布……? それで、こんなに泣いてるの?」
「もし、モノクロちゃんが自分の手でやっちゃったのなら、これからどう接していいのか、分かんなくてっ……」
「……それだけじゃない……コロナがそんなことで泣くわけがない……僕達だって……」
形容しがたいこの悲しさは、あの場に行って実際に体験しなければ分からない。
「多分、白夜さんはこうなることを分かってて詮索はするなって言ったんだよ。だからこれからは、モノクロさんが自分から話してくれるまで、無理に聞いたり調べたりするのはやめよう?」
「うん……もう詮索はしない……誓うよ」
「愛梨さん……もしかして……」
「さあ、少し早いけど三人で夕飯食べちゃおっか」
「「うん!」」
優はこの時、何故愛梨が誰よりも白夜に信頼され、魔王にチームの要とまで言われたのか、少し分かったような気がした。
「はッ……はッ……危な、かった……仮想空間じゃなきゃ、確実に死んでたわね……」
「エリちゃんが越えるべき壁はまだまだこんなものじゃない。私のこと、甘く見ないでよ」
開始から一時間とちょっと、すでに仮想空間の七割が浸水していた。
精神が折れない限り、思いの力は際限なく燃える。
無尽蔵に放たれる水流の槍が崩れて雨となり、それが地面に降り注ぐ。
「アンタを甘くなんて見てないわよ。ただ、甘く見てたのは自分。自分の力を過信してた……ちょっと本気出すわよ」
海里華は胸に下げられた白い勾玉の首飾りを握り締め、何度も深呼吸を繰り返す。
これは強敵との戦いでペースを乱された時や、平常心を失った時にやる海里華のルーティンだ。
「すー……はー……完全なる者は不完全なる者に能わず……弱さを知れ……」
(とうとうエリちゃんがルーティンを使った……黒音さんとの決闘ですら使わなかった、あの自己暗示を……)
「海の音色を聞きなさい……」
自分が真に追い詰められなければほとんど効果を発揮しない、海里華のスイッチのようなもの。
黒音との決闘では、黒音がリミットブレイクするまでは海里華の圧倒的優勢だったので使うことはなかった。
「……行くわよアクアス……」
海里華が腕を横に振るや否や、とてつもない数の槍が一瞬にしてアクアスの眼前に迫った。
海里華のルーティンは一種のリミットブレイク。
自己暗示をかけて一時的に精神的なリミッターを外すものだ。
「流石だよエリちゃん……でもまだ私の方が……」
アクアスはさながら指揮者のように水流を操り、いとも簡単に海里華の上を越えていく。
だがそれで怯む海里華ではない。
「一度に作れる槍の量は頑張って三十本前後……でもそれは片手での話……それが倍になったら、どうかしらね……?」
アクアスの楽譜を嘲笑うかのように崩していく、海里華の独創的な音響。
とことん定石を守って最善の手を打ち続けるアクアスに対して、海里華はその時その時の状況に合わせ、悪手でも躊躇うことなく選ぶ。
その大胆さが逆にアクアスのリズムを崩し、海里華のペースへと引き寄せた。
「まだまだ、不完全は成長するから不完全なのよっ!」
一度に展開出来る槍の数が、回数を重ねるごとに四十本、五十本と増えていく。
遂にアクアスは防御以外の行動を許されなくなった。
「っ……すごい、エリちゃんっ……本当に、私の本気を……!」
しかしアクアスもまだ自分の全力を出し切っていない。
圧しては圧されての攻防が、二人の精神力を大きく蝕んでいった。
自分を見失いそうになるこの極限状態で、海里華は初めてイートカバーの片鱗に触れた。
時折展開する槍の威力が爆発的に上がったり、防ぎ切れなかったアクアスの槍を驚異的な反射神経でかわすことが出来た。
今こそ不完全なこの感覚が、イートカバーの入り口だ。
「だんだん力が増してきたね、純粋な力が」
「みたいね、自分が自分じゃないみたい……」
「その感覚を忘れないで、その曖昧な力を自在に使えるようになった時、エリちゃんはイートカバーを経験する」
それは自分の手で掴みとった可能性。
常識的な理解を超越した、化け物の入り口。
「とっくに覚悟は出来てんのよ……再開するわよ!」
遥香には及ばずとも、海里華も一応天才肌だ。
それこそ力の使い方を間違えれば、強力なチームを一人で壊滅させてしまうほどに。
何度か感覚を経験し、自覚することが出来れば身につけることは容易。
現に海里華はイートカバーの感覚を自覚してからは、アクアスと互角以上の戦いを繰り広げている。
思いの力の強さがこの空間の支配権を意味すると最初から知っていたおかげで、海里華はどの感情で、どのタイミングでそれを高めれば一番効率的なのかもマスターしていた。
「遥香はもっと早くこれを身につけたはず……負けられないのよ、アイツの一番の理解者として……!」
(ふふっ……気づいてないみたいだけど、エリちゃんってば黒音さんのことを考える度に一番力が高まってるよ)
すでに一度に展開出来る槍の数は片手で八十を越え、両手で展開した場合は数えるのがバカらしくなってくる数に及んだ。
やがて海里華の耳には水流の音が音楽のように聞こえ、その音に従って槍を投げてみる。
その瞬間、アクアスが大きく後退したのだ。
(なるほど……私は海の女神、水の声に従えばこうもあっさり思い通りになるのね)
「ようやく気づいたんだね、身を任せてこそ水の流れだよ」
ただ勝つだけならば、ただ戦略で上回り一撃与えればいいだけならば。
こんなにも多くの槍を展開する必要などない。
たった一発、胸や頭にでも直撃させれば、海里華の勝ちだ。
水属性の女神に戦略で上回ることは、即ち完全勝利を意味するのだから。
「うわ、極端だね……いち、にー……たった三本?」
「必要ないのよ、水の声に任せれば攻撃は当たらないし、大体の攻撃は当てられる」
「でもその能力が備わってるのはエリちゃんだけじゃないよ?」
「結局支配力の勝負ってわけね。でも……それなら尚更私の勝ちよ」
思いの強さが支配力に繋がるならば、海里華が負ける道理はない。
仲間を守りたいと言う気持ちは誰よりも強い自信がある。
いやもっと単純明快だ。
ただ誰にも負けたくない、自分が一番だと胸を張りたい。
簡潔にただ一言、唯我独尊だ。
「これで決める……貫け!!」
「まだまだ甘い……穿て!!」
同時に放たれた水の槍は二人の中心で衝突し、僅かにアクアスの槍が海里華の槍よりも火力が大きかった。
勝利を確信したアクアス、しかし突如その頭上にバケツがひっくり返されたような水が降ってきた。
「っ……え、何でっ……」
「私の勝ちね、アクアス」
海里華はオーバースローで槍を投げていた。
それも利き手ではない右手でだ。
つまり本命は左手で空中に高く投げた方、一発の槍に全身全霊を注ぐと言う先入観に囚われたアクアスの敗けだ。
「アンタの槍が私の槍とぶつかった時、私の槍が押し負けた時点で気づくべきだったわね。単純な出力ならすでに私の方が上だと言うことは知ってるはずよ」
「あちゃあ……まさか本家が負けちゃうなんてね……流石だよ、言うことなし。エリちゃんは正真正銘私を越えたよ」
「じゃあ、やっとイートカバー達成ね!」
「うん、じゃあ食べよっか。互いの体を」
まるでようやく始まったと言わんばかりにけろっとした笑顔で、アクアスは自分の姿をいつもの少女に戻した。
「……へ? わ、私が勝てば、イートカバーは達成するんじゃないの?」
「何言ってるの? さっきの戦いはあくまでエリちゃんのポテンシャルが私と釣り合う為の準備運動。イートカバーは今始まるんだよ」
「ね、ねえ、食べるって、実際にはどうするの?」
「ここは仮想空間だから、ほんとに食べるんだよ。あれ、この空間に入った時点でその情報は頭にインプットされてるはずなんだけどな……」
自分がそうだったように、海里華もそうだろうと。
確かに戦いに夢中で気づいていなかったが、イートカバーする方法はしっかりと頭の中に入っていた。
まるで最初から知っていたかのように。
「実際には吸い出すって感覚が正しいのかな……精神なんて形のないものだし」
「仮想空間だから肉体にダメージはなく、精神力のみをぶつけて戦う……つまり、食べて補うのは、肉体じゃなくて精神……!?」
「そうだよ、じゃなきゃわざわざ仮想空間なんかにしないよ。なんて、全部仮想空間に入って知ったことだけど」
「なに、それ……こ、怖すぎる……漓斗ならまだ分からなくもないけど、梓乃はよくこれを乗り越えたわね……」
一つ間違えれば、どちらかの精神が崩壊しかねない。
互いに互いの精神を吸って吸われた分を補う。
口にすることは簡単だが、実際にやるとなるととてつもない恐怖感だ。
「大丈夫だよ、誤って必要以上吸い出さないようにセーブされるようになってるから、思いっきり吸っても途中で途切れるよ」
「えっと、二つの魂は一つの体に留めておけない為、同時に吸う、と……わ、分かった、ここまで来たんだから、覚悟は決めるわよ」
魂を吸い出す場所はどこでもいいらしいが、一番早く済む場所は首の周辺。
同時に吸い出すのが条件の為、肩が一番やりやすい。
二人は同時に互いの肩に歯を突き立て、息を合わせて噛みついた。
ぶちっと言う音を立てて互いの歯が肩に食い込み、二人の胸にとてつもない痛みが伴った。
自分が自分でなくなると言う恐怖、自分と言う存在が違うもので上書きされると言う恐怖。
だが自然とパートナーの魂を受けとると、何とも言えない安心感が二人の胸を包み込んだ。
「アクアスが……流れ込んでくる……」
「エリちゃん……とっても暖かい……」
二人は心と契約で繋がっている、そんな生易しいものではない。
実際に切っても切れない、運命共同体となったのだ。
心でも、契約でも、魂でも、命でも、運命でも、二人は深く強く繋がっている。
「これで私が死ねばアンタまで死ぬことになるわね」
「生き残ったとしても魂の半分がなくなるんだら、死んでるのと同じだよね」
「「ま、絶対に死なないんだけどね!」」
今まで以上に、今までとは比べ物にならないくらいに一つのなった二人は、ようやく仮想空間から解き放たれた。
「……そろそろ私の番ね。ウリエル」
『はい、マスター。……噂をすれば、ですね』
焔とウリエルの二人が、何やら打ち合わせをしたかのように空へと大きく飛び上がった。
次の瞬間、球体の魔方陣から莫大な量の海水が押し寄せてきた。
漓斗は気を利かせてシルヴィアと遥香の回りだけに地面の壁を展開し、一切の浸水がないように魔術で固める。
しかし自分の方には手が回らなかったようで、避けるのが間に合わずに大量の塩水を飲む破目となった。
「わふっ!? 規模がでかすぎ──ごぼっ、ごぼぼっ……」
梓乃は咄嗟に回避行動をとったが、尋常ではない規模だった為に避けきれず、えらく遠い所まで押し流される。
黒音は海水に押し流されそうになりながらも精神統一をやめることはなく、結局海水が過ぎ去ってからもその場で座禅を組んでいた。
「あら、ごめんなさい。まだ力のセーブに慣れてなくて……」
『皆、怪我はない?』
「……怪我はないですしぃ、お二人も守れましたけどぉ、喉が痛いくらいしょっぱいですぅ」
「私なんかこんなとこまで押し流されたよーっ!」
「私とウリエルは無事よ。でも黒音君が……」
それぞれが流されたり防御したりされたりしてる中で、一人押し流されることなく座禅を組み続けているバカが一人。
むしろ海水を浴びて緊張が吹き飛んだらしく、ピンピンしているようにも見える。
「ごめんなさいね、ほんとは噴水みたいに空に打ち出すつもりだったんだけど、力加減を間違えちゃって……」
「いや、おかげで海里華がどれだけ強くなったか分かったよ。さあ、次は焔だな」
「待ってたわ、ようやく私の番ね」
『行きましょう、マスター』
シルヴィアはほんの少しの間レーティングの作成を片手でこなし、もう片方の手で仮想空間の魔術を発動した。
こう言う頭がおかしいレベルの技術を見せつけられると、梓乃にいいように圧されていてもシルヴィアが天才だと言うことがよく分かる。
「Are You Ready?」
「certainly,Master」
簡潔な一言を交わした二人は、揃って仮想空間の入り口に手を重ねた。
初期スペックは黒音とまったくの互角、実力的にはリミットブレイクを会得して帰ってくる可能性も十分。
遥香に並んでとてつもない才能を持つ焔が、とうとうイートカバーの門をくぐろうとしていた。
「……行ったな。次は俺とアズだな」
『うん、正直気は進まないけどね』
「何だ、そんなに怖かったのか?」
『そりゃそうだよ、自分で自分の記憶を塗り潰していく感覚って言えば伝わるかな?』
「ああ、確かにそりゃ怖いな……これ以上塗り潰されたらもうマジで何も残らねえ……」
『それくらい怖い感覚だってこと。仮想空間でほんとによかったって思うよ』
六人の中で唯一イートカバーをした経験のある黒音。
記憶を失った時にリセットされたらしいが、アズの記憶はそのまま残っている。
黒音には例えてもらわなければ想像することすら難しいが、アズは実際に感覚が蘇ってくるらしい。
「大丈夫だ、仮想空間なら体にダメージはねえし、安心しろ」
『あのね、体にダメージはなくても、精神にはダメージあるんだよ? だから一応言っとくけど、仮想空間で死ねば現実世界では意識が戻ってこない可能性だってある』
「へ、じゃあ今まで梓乃達がどっちも無事で帰ってこれたのって結構レアってことなのか?」
「大丈夫、そんなことは皆理解してるし、仮想空間だって分かっててもパートナーを手にかけるなんてこと誰にも出来ない」
レーティングを組みながら、シルヴィアが不確定ながらに安全性を保証してくれた。
確かにあのウリエルが、例え仮想空間だったとしても焔を手にかけるわけがない。
「海里華、焔が帰ってきたら教えてくれ」
「ここで寝るの? 膝貸してあげましょうか?」
「ああ、少しでもリラックスしたいから頼む」
「じゃあ私もお昼寝する!」
梓乃を抱き枕に、海里華の膝を借りて堂々と昼寝を始める黒音。
勿論気を抜いて油断しているわけではなく、リラックスして体に入った力を抜こうとしているのだが。
「あれってぇ、いわゆるハーレムですよねぇ」
「チームリーダーの特権だね、わふふっ♪」
「何か、急にコイツの将来が心配になってきた……」
目を閉じて数秒、規則正しい寝息が聞こえてきた。
リラックスする為と言うのは分かっているが、いくらなんでも早すぎると思う。
「別に昼寝する必要ないんじゃないの……?」
「何かむしろ気を引き締めなきゃなんないと思うなぁ」
……なんて黒音の頬をつついているが、二人は確かに黒音の体が震えていることに気づいていた。




