第一話『Sea of calm』
龍が築き上げた文明、精霊の宿る大自然。
十一の属性に構成された世界、ドラゴンエンパイア。
ようやくやるべきことが定まり、いつ挑むのかも決まった。
そして〈tutelary〉に接触する方法も、以前のようにアスモデウスにベルゼブブの所まで連れていってもらえばいい。
シルヴィアがレーティングを一つ作成するのに徹夜で三日、次にレーティングを作成するには一週間体を休め、聖力を回復させる必要がある。
レーティングがエネルギー回路に馴染むまで一週間、ドラゴンエンパイアでレーティングを施し、四大チームと同じステージに立てるのは六人のうち二人。
海里華と梓乃が始めにレーティングを施し、残る一週間でシルヴィアの技術を学んだ遥香がシルヴィアと同時に二つのレーティングを作成する。
そしてドラゴンエンパイアから人間界へ帰還するまでに、漓斗と遥香の二人がレーティングを施し、人間界で一週間。
後は遥香が焔と黒音のレーティングを作成し、施す。
全員が四大チームと並ぶのは、夏休みの一ヶ月前を予定している。
「ねえ漓斗ちゃん、手合わせしようよ!」
「えぇ、梓乃さんの強さはチート級だから嫌ですぅ」
「今戦いたくて戦いたくて、すっごく疼いてるのっ」
「じゃあフィディと戦うか?」
「いいのっ? あれ、何で黒音君は戦わないの?」
「魔力回路を鎮める練習してんだよ。俺この中で一番喧嘩っ早いから」
何故かその場で座禅を組み、悟りを開きそうな黒音。
梓乃は同じ六芒星で雷属性ドラゴン、フィディと対峙し、ヴァジュラを構えた。
「ねえねえ黒音君、そんな辛気臭いことしないでさ、私と戦わない? ほら、私達って戦力の都合上後回しにされたじゃない? 暇で暇で仕方がないわ」
「いや遠慮しとくわ。お前と戦っても多分俺勝てねえぜ?」
「どうしたのよ、その自信のなさは? シルヴィア師匠や梓乃の力にビビっちゃったの?」
「いいや、今の精神状態じゃ勝てないって話だ」
それはつまり、あの黒騎士ともあろう男が……。
「緊張してるの? もうすぐ〈tutelary〉と戦うからって」
「悪いか? 今のままじゃあの時みたいな接戦は期待出来ない。俺がイートカバーを終えて仮想空間から帰ってきたら、まあ考えとくよ」
「しょうがないわねえ。そうだ漓斗、貴女は?」
「いいですけどぉ、今のあなたじゃ遊びにもなりませんよぉ?」
蒼獅子ラヴェーリオルを除けば、焔自身の戦闘力は以前の梓乃や漓斗とそう変わらない。
つまりイートカバーした漓斗が相手では、到底勝ち目がないのだ。
「そんなのやってみなきゃ分かんないわよ!」
「……私が仮想空間で新たに六つの魔術を習得したとしてもですかぁ?」
「へ、六つ? あの短時間の間に、六つですって?」
「どれもこれも一級品ですけどぉ、どうしますぅ?」
冥府の門をくぐる覚悟はあるか、と漓斗は無機質な殺気を焔にぶつけた。
この場にいる三人、シルヴィアと梓乃と漓斗から放たれる、強者独特のオーラ。
その中で唯一、同じステージに立っていながら力を発揮しきっていない者が一人。
「レーティングの構成はDNAみたいなもの……たった一つでも間違えれば、また最初からやり直しよ」
「ん……分かった、細心の注意を払う」
本来ならば六人の中でずば抜けて強いはずの遥香が、何故かリミットブレイカーの黒音とタッグを組んでシルヴィアと戦った時、いまいち決定打に欠けていた。
動きも少し鈍っているようにも見えたし、死神の無尽蔵な魔力が尽きたと言った。
「なーんか、気になるわね」
「多分ですけどぉ、もう進んでるんですよぉ」
「……まさか、嘘でしょ? いくらなんでも、だとすればさっきの戦闘力は……」
遥香にしては違和感を覚えるほどの中途半端な戦闘力、滅多に起こすことがないはずの魔力切れ。
もしそれがなるべくしてなっているのならば、遥香はもはや化け物と言う言葉では片付けられないほどに化けている。
「遥香さんだけは敵に回したくないですねぇ」
「何個施してるのかしら……私の予想だと二つくらいだけど」
「私の予想だとぉ、その倍だと思いますよぉ。死神を甘く見すぎだと思いますぅ」
まだ同じまでとはいかなくとも、それに近い数は施しているはずだ。
半分かそれ以上、もしかすればもう同じかもしれない。
「海里華、貴女もうかうかしてらんないかもよ……」
今まで互角くらいと思っていた遥香は、もう別の次元にいる。
ただでさえ死神は最強、その力を驚異的な才能が限界以上に引き出せば完全な無敵状態だ。
「今頃漓斗さんとシルヴィアさんが戦ってるのかな?」
「アイツはそんなことしないわよ。多分〈tutelary〉と戦うまで自分の手を隠してるはず……」
「人を驚かせることが好きな人だもんね」
光るタイルに全方位を囲まれた球体の檻、ここで海里華とアクアスが戦うことになる。
梓乃とフィルの戦いならば人とドラゴンなので大いに苦戦させられたことは予想出来るが、海里華の相手はちっちゃい子供だ。
白いワンピースを着た無邪気な少女、少しデコピンすればもがいて地面をのたうち回りそうだ。
「さて……無駄話はここまでにしよっか」
(空気が変わった……? まさか、ね……)
まさかアクアスまで黒音のアズみたいに変身するなどと言うことがあるわけ──
「……さあ、始めよう。最近影が薄いんだから、本気出さなきゃね」
「マジで変身した……!?」
初めて見たかもしれない、女神としてのアクアスを。
エメラルドブルーの鱗に包まれた下半身に、蒼い羽衣。
木製のハープを抱え、アクアスは水の槍を構えた。
「面白いじゃない。私の思いの力、見せてやろうじゃないの」
「私にだって思いはある。行くよエリちゃん」
神機の持ち込みも、使い魔にも頼れない。
海里華も同じく水の槍を展開し、体勢を低く構えた。
「黒音を守ってあげるには力がいる……私はもう負けられないの」
静寂の刹那、海里華が先にしかけた。
アクアスは素早く対応し、水の槍を投げて海里華の進路を塞いだが、海里華は左右をジグザグに進み、同じく投げられた水の槍に自分の槍をぶつける。
水属性同士の戦いは武器をぶつけたりする戦闘ではなく、水で形成した武器や高圧の水流を飛ばし合う、言わば領域の奪い合い。
それが女神同士ともなれば、それはストラテジーゲームのように戦略を競う戦いとなる。
(水属性の戦いは契約者の腕っぷしが三割、戦略の構築が七割を占める。腕っぷしはあっちの方が数倍上だけど、戦略の方はどうかしらね)
アクアスの性格はよく理解している。
今の攻撃力を見る限り、警戒すべきは唐突に放たれる強大な一撃だ。
通常の攻撃力が脅威でない場合、絶対と言っていいほど一撃必殺を秘めているものだ。
「ねえエリちゃん、パートナーのことをよく知ってるのは、エリちゃんだけじゃないよ?」
「っ……しくじっ──」
背後に回り込んだ海里華を迎撃するのは、水流のレーザー。
一番警戒していた一撃必殺を、アクアスは初手で切ってきた。
海里華は咄嗟に自分の体を水蒸気に変化させる。
自陣を飛び出す前に、あらかじめ水蒸気を放って退路を用意しておいたのだ。
水蒸気を経由して瞬間移動し、きわどい所でアクアスのレーザーをかわす。
「流石はエリちゃんだね。あれをかわすなんて」
(忘れてたわ、ここは仮想空間……聖力の上限はなく、思いの力がすべて……つまり一撃必殺の攻撃は一撃に終わらない……!)
完全に見誤っていた、海里華がアクアスのことをよく理解していると言うことは、アクアスも海里華のことをよく理解していると言うことだ。
互いが互いのことを知りすぎているこの勝負、どうしようも決着がつきそうにない。
「どうすりゃいいのよ……」
「波が消えたね。どうする?」
「どうもこうも、飽きるまで戦うしかないでしょ」
この空間から出る為には、どうしようがイートカバーするしかない。
その方法はアクアスと戦って勝つしかないのだ。
(戦略で勝負がつかない以上、腕っぷしで競うしかない。そうなれば私の圧倒的不利……でも勝敗を決する為にはそれしかない)
「エリちゃんの考えてること、分かるよ。直接対決だよね」
「なら、どうする?」
「是非もなし……エリちゃんが望むなら」
二人が思わず吹き出した次の瞬間、仮想空間の中心で莫大な水流が爆発した。
二人の槍がぶつかる衝撃が津波となって、仮想空間を押しては返す。
仮想空間の下半分を埋め尽くす巨大な水溜まりの上で、二人は笑いながら槍を投げ合った。
その状況だけを見れば殺戮者同士の戦いにしか見えないが、二人は互いに通じ合っている。
これからを左右する大切な儀式だと言うのに、何故か楽しくなってきた。
こうやって全力でぶつかったことは、今までほとんどなかったからだ。
「なんか、キャッチボールみたいね」
「まあこれは貫通するけどね」
そしていつの間にか、再び領域の奪い合いに戻っていた。
使っているのは水の槍だけだったが、次第に広範囲のレーザーや瞬間移動などの技も織り混ぜた本格的な戦いへと変わっていく。
互いの気力と精神力が底を尽きるまで、ただひたすらに水をぶつけ合う。
「勝ちたいッ……こんなんじゃ、守ってやれないッ……!」
ほんの少し、本当に微かだが、僅かに戦況が傾きだした。
海里華の手数が増え、徐々にアクアスが防衛に回り始めた。
海里華の思いの力が、アクアスとの実力差を少しずつ埋めてきている。
ここぞとばかりに、海里華はありったけの槍を展開した。
「流石はエリちゃん……でもね、大きな実力差がある以上、エリちゃんには大きなハンディがある……だから私が本気を出せば……」
海里華が限界まで水の槍を作り終えた頃には、海里華の全方位を無数の槍が囲っていた。
針ネズミのように密集した槍の中で、海里華は初めてアクアスの恐ろしさと言うものを実感した。
「東雲さん、このプリント運んどいてくれる?」
「分かりました、先生の机の上でよろしいでしょうか?」
「ええ、いつもありがとね」
昼休み、先生から手渡された大量のプリントを両手に抱え、愛梨は職員室へと向かう。
誰も手伝うよとは言ってくれないし、ただ感心して見ているだけ。
だが愛梨は一度もそのことに不満を持ったことはなかった。
「ふう、これでよし……」
「お前、ほんと変わってるな」
職員室を出ると、壁にもたれ掛かった一人の男子生徒が声をかけてきた。
制服の中に黒いパーカーを来ていて、首には十字架のネックレス、耳には黒い羽の形をしたピアスをしている。
金髪の混じった髪と鋭い目つきは、まさに不良のそれと言う風貌だ。
「唐突ですね……夢姫 姫沙羅君」
「へー、別のクラスなのに俺の名前知ってんだ」
「三年生の名前は大体覚えてます。それにあなたの名前は印象的だったので、よく覚えてますよ」
「流石優等生ちゃん、俺みたいな奴の名前も覚えてくれてるのな」
軽く口角を上げ、目の端を細める仕草に、不意にドキッとしてしまい、愛梨は何かしら気をそらそうと、目についたものを指摘した。
「金髪……校則違反ですよ」
「ん、これ生まれつきだから。先天性なの」
「あ、す、すみません……」
「別に、よく言われるし」
つかみどころのない性格をしている姫沙羅に、愛梨の胸中が変にかき乱される。
姫沙羅の目がどうしても胸を締め付けてならない。
「そ、それより、私が変わってるって……」
「ああ、人に用事押し付けられて、はいはい請け負ってさ、しんどくねえの?」
「私は人の役に立つことが好きなんです。だからしんどいとか辛いとか思ったことはないです」
「ふーん……やっぱお前もそっち系か……不快になるようなこと聞いて悪かったな。じゃな」
「あ、ちょっと……もう、何なんですかあの人……」
勝手に変なことを聞いておいて、最後は興味なさそうにしてどこかに行ってしまうし。
愛梨は自分の意思とは関係なく跳ねる胸を誤魔化すように、先生から渡されたプリントを胸に押し付けた。
『愛梨、心拍数が上がっている。あの少年に恋でもしたのか?』
「なっ、そ、そんなわけありませんっ!」
カンナカムイに容赦なく指摘され、愛梨はたちまち顔を真っ赤に染める。
しかしここは廊下のど真ん中、一気に生徒達の注目を浴び、違う意味で顔が赤くなった。
(あんな何考えてるか分からない人なんて、私が好きになるはずありません)
『だが深影だって何を考えているか分からないのに、お前は好意を寄せているだろう』
(だ、だから違いますっ! 私はただ、心配になるだけです。深影さんは何でも一人でやろうとするし、何でも一人で背負おうとしますから、心配になるんです。だから姫沙羅君のことも……)
『深影や先ほどの少年のことを思考する度、心拍数が上がっているぞ』
(ひ、人のバイタルを許可なく読み取らないでくださいっ!)
『ふむ、愛梨はミステリアスな男がタイプか……』
(あーもう、それでいいですよもう……はあ……)
何を言っても無駄だと悟った愛梨は、項垂れながら教室へ戻った。
「お、あいりん戻ってきたね」
「お待たせしてすみません、それじゃあ食べましょうか」
「ねえあいりん、さっき隣のクラスの夢姫に絡まれてたよね。大丈夫だった?」
「はい、少し話しかけられただけですから」
寄せた机にお弁当箱を並べ、友達と食べる風景。
そんなこととはかけ離れ、誰からも好かれることなく一人屋上で菓子パンをかじる姫沙羅。
姫沙羅の隣には以前学校に迷い込んだ一匹の黒猫がいた。
えらく自分になつく為、こうして屋上で飼っている。
「猫っていいよな……面倒くせえこと考えなくていいし」
「にゃぅ」
喉をごろごろと鳴らしながら頭を擦り付ける猫。
それは猫が姫沙羅を"私のものだニャ"と主張している証だ。
「食べるか?」
「にゃぁ♪」
姫沙羅に差し出された菓子パンを夢中で食べる黒猫。
姫沙羅はそれを横で見守りながら、ふいに愛梨のことが脳裏をよぎった。
「……アイツもやっぱ……同じなのか……」
反吐が出るほど見続けてきた偽善者の一人、そう思うと急に嫌悪感がわいてきた。
それと同時に、少し残念でもある。
「まあ他人事だし、好きに偽善者ぶって愛想振り撒いてりゃいいさ……」
お前はもしかしたら違うかもしれない、そう思って話しかけてみたが結局同じだった。
期待をした自分が悪いと割り切り、姫沙羅は再び黒猫を撫で始めた。
「ちょっとお邪魔するね。愛梨ちゃんいる?」
「あ、白夜さん、どうしたんですか?」
愛梨が友達とお弁当を食べていると、高等部の貴公子こと白夜が教室を訪ねてきた。
お腹を押さえながら近づいてきたことで、ようやく白夜が教室まで来た理由が分かった。
「す、すみません! お弁当を渡すのを忘れてました……」
「ううん、ごめんねお邪魔しちゃって。いつもありがと」
恐らく貰えば中等部の男子達の恨みを一身に買ってしまうであろう、愛梨の手作り弁当。
しかし相手があの白夜なので、男子達は何も言うことが出来ない。
生徒会長で権力がある以前に、女子に絶大な人気のある白夜にちょっとでも変なことをすれば男子達のスクールライフすら危うくなってくるのだ。
「ね、ねえねえ愛梨ちゃん、いつも紅嶺会長にお弁当渡してるけどさ、もしかしてそーゆー関係なの?」
「いえ、違います。ただ家が近所と言うだけです。簡単に言えば幼馴染みのような感じですね」
魔王直属の精鋭部隊長である白夜の秘書だからとは口が裂けても言えない。
「幼馴染みかあ、もしかしたら紅嶺会長はあいりんのこと好きかもよ?」
「それはないです。あの人は女性に興味ないですから」
「えッ……ま、まさか、ホ──」
「違います、恋愛に興味がないってことです」
確かに自分から深影さんに絡みにいく様子は何度か見たことはあるが、流石にそんなことはない、はずだ。
お弁当箱を片付けながら、愛梨は白夜の言葉を思い出していた。
初めて会った頃のことだ、あの人はとても悲しそうな目をしていた。
「失礼なことを聞くようですけど、白夜さんは何で契約者になられたんですか?」
「うーん、何て答えたらいいかな。僕には大切な妹がいるんだけどね、その子は命を狙われてるんだ」
「だからその妹さんを守る為に?」
「うん、でも妹は僕のことをとても恨んでるんだよね」
あの人は常に妹さんのことばかりで、恋愛など眼中にもないような方だ。
一途に誰かを想い、その人の為に命を捧げるような方だったから、私も従い仕えると決めた。
「じゃあまさか……夢姫のことが好きとかっ?」
「なっ……!? 何であなた達までそんなこと言うんですか!」
「ほら、愛梨は何考えてるか分からないような男子とかついついかまっちゃうでしょ? だからそう思うのよ」
「その反応だと満更でもないみたいだね♪」
私はただ心配なだけで、恋愛感情など……。
しかし反論した所で、納得してくれるような人達じゃない。
愛梨は机に突っ伏してため息を吐いた。
「私ってそんなに乙女チックだったかな……」
生まれた時から親もおらず、生きる為だけに契約者の力を使ってきたような自分が恋なんて。
友達とは上辺だけの付き合いで、チームメート以外にはほとんど心を開いたこともない。
「お、紅嶺、今日も愛妻弁当か?」
「羨ましいなぁ、愛梨ちゃんの手作り弁当なんてよ」
「愛梨ちゃんは愛妻じゃないよ、ただ家が近いだけ」
妻と言えば毎朝起こしてくれたり、ご飯を作ってくれたりしている所を見ると、確かに通い妻っぽい。
契約者としても極めて優秀だし、人間性も優れている。
妻にするならばこれ以上ない逸材だが、今の自分には恋や愛に現を抜かしているほど時間がない。
「おい紅嶺、お前にお客さんが来てるぞ」
「え、僕にですか? 深影君、は絶対ないとして……コロナちゃんと優ちゃん……? いや、そもそも僕の通ってる学校がどこか知らないはず……」
先生に招かれるがまま、白夜はそのお客さんとやらの所へと向かう。
連れてこられたのは靴箱の前、そこには一人の女性がいた。
年齢は白夜と同じくらいで、穏やかそうな雰囲気をしている。
白のカーディガンを中心とした洋服に身を包んだ女性は、白夜を見つけるや否やデートの待ち合わせをしていたかのように嬉々とした表情で近づいてきた。
「あなたが紅嶺 白夜さん、よね?」
「え、ええ、そう言う貴女は?」
「アイゼルネ・コイシュハイトと申します、エイスとお呼びください。何も知らせず会いに来てしまってごめんなさいね。連絡先を知らなかったので……」
「いえ、それは構いませんが……僕にどのようなご用で?」
連絡先を知らないで、どうして通っている学校を知っている?
愛梨ちゃん達が誰かに教えるなんてことはない。
「少し込み入った話なので、すみませんが……」
「ああはい、じゃあ紅嶺、後は任せたぞ」
先生が外れた後、エイスと名乗る女性に手を引かれて白夜は学校を後にした。
「あの、込み入った話とは?」
「あらかじめ明かしておきますが、私は契約者です」
「でしょうね、でなければ僕を訪ねてくる人なんていません」
「勿論、あなたの実力は知っていますし、戦いに来たわけじゃないんです」
何を考えているか分からない、最初から自分が契約者だと明かすと言うことは、戦意がないのは事実だろうが。
とにかくまったく以て目的が読めない。
「では僕にどのようなお話を?」
「あなたのチームに不知火 深影と言う方がいますよね。その方に会いたいんです」
「深影君に……? 申し訳ないですけど、素性の分からない人を会わせるなんて、チームリーダーとして認められません」
「はい、重々承知です。無理にとは言いません。なので伝言を頼めないでしょうか?」
「それくらいならいいですよ。何と伝えるんですか?」
「クロイツ・コイシュハイト、とお伝えください。貴重なお時間を割いていただいて、ありがとうございました」
「クロイツ・コイシュハイト、ですね。分かりました。ではお気を付けて」
随分物腰が柔らかく、清楚な女性だった。
本当に契約者なのかと疑ってしまうほどに。
だが白夜はエイスがとてつもなく深い闇を抱えているように見えて、胸騒ぎを禁じ得なかった。
「……ああ、深影君、よかった無事だね」
『何だお前か、俺が無事だと? 逆に聞くが、俺が誰かに襲われて負傷すると思うか?』
「それならいいんだ。今さっき、僕の所に契約者が一人訪ねてきてね、君に用件があったらしくて、伝言を頼まれた」
『俺に? 知っての通り俺に知り合いなどいない。ましてやお前達以外に契約者の知り合いなど……』
「クロイツ・コイシュハイトと、そう伝えてほしいってね」
白夜が伝言を口にした瞬間、魔方陣から深影の声が消え失せた。
そして代わりに、深影の呼吸が乱れているのが伝わってきた。
『バカな……何故、そのタイトルを……』
「タイトル? 何なんだい、そのクロイツ・コイシュハイトと言うのは?」
『俺が愛梨と一緒に読んでいるあの童話、あの童話のタイトルがクロイツ・コイシュハイトだ……』
あの童話はすべてがスペイン語で記述されている。
だがそのタイトルだけは、何故かドイツ語にしていた。
本来ならば『クルス・ビルヘン』となっているはずなのに。
『それに加え、以前お前がサタンの手に渡ったと言っていた神機ティソーナを収めている鞘にも同じくクロイツ・コイシュハイトと彫られている……』
「君の読む童話のタイトルとお姉さんの遺品を収める鞘……何の関連もないとは思えないな」
『何故だ……何故姉貴のことをそっとしておいてくれない……静かに眠らせてやってくれッ……』
初めて聞いたかもしれない、深影の震えた声を。
いつもの凛々しさや覇気などは一切感じられず、聞こえてくる声音は無力に嘆く一人の男だった。
「……今回は僕の所まで契約者がやって来た。愛梨ちゃん達に害がないとは言い切れないし、流石に看過出来ないな」
『分かっている……今回ばかりは仕方ない。ただし愛梨達には言うな。契約者が一人くらいならば俺一人でも対処出来るが、死神のサタンまで絡んでいるならばアイツらの力では危険だ』
「ならせめてモノクロちゃんに協力してもらおう。あの子の力なら十二分に戦力になる」
「どう言うことですか、それ……私じゃ、無力だと……?」
はっとして白夜が振り返ると、そこには肩を震わせて歯を食いしばる愛梨の姿があった。
白夜の反応をつけていたのだろう。
愛梨は魔方陣越しの深影へと声を荒げた。
「どうしてですかっ!? 私だって深影さんの仲間なのにっ!!」
『違う、お前達のことを思っての判断だ。傷つく汚れ仕事は俺や白夜に任せておけばいい。人一人殺したことがないようなお前達には無理だ』
「確かに誰かを手にかけたことはありませんけど……白夜さんに協力してもらうのも分かります、けど……どうしてモノクロさんには頼るのに、私達には頼ってくれないんですかッ……」
『愛梨、これは魔王を守護するチーム戦じゃなく、殺るか殺られるかの殺し合いだ。俺はお前達のことを案じて……』
「深影さんの分からず屋っ!! 中途半端な優しさなんていりません! 捨て駒にされてもいい……だから私も──」
『いい加減にしろッ!!』
魔方陣の向こう側から、大きなものが倒れたような音がした。
その瞬間、愛梨の胸は痛いくらいに締め付けられ、鼻の奥が一気に熱くなった。
それは突然怒鳴られたからではない、それが自分のことを思って叱ったのだと分かっていたからだ。
『別に、お前やコロナ達のことを信じていないわけじゃない。モノクロだけをひいきしてるわけでもない。知っているか? 戦争で一番辛い立ち位置は、戦っている兵士よりも、兵士を待つ家族の方だ。俺はお前のことを信頼しているからこそ、お前に留守を預けている。俺や白夜がいない間にコロナ達を守れるのはお前だけだ。お前は賢いから、分かるだろう?』
俺もお前を信頼する、だからお前も俺を信頼してくれ。
祈るように連ねられた暖かい言葉に、愛梨は唇を噛んで頷いた。
「分かり、ました……私が二人を守ります。皆さんが帰って来た時にちゃんとおかえりなさいって言えるように、三人で待ってます」
『それでいい。帰ったら一緒に本を読もう。この言葉は俺と愛梨の信頼の証だ』
「はい、帰ったら一緒に本を読みましょう!」
『深影ちゃん、急に大声出さないでよ。ソファから落ちちゃったじゃん!』
『コロナ、お尻痛そう……それ以前に深影さんの格好いいセリフが台無し……』
『だ、誰が格好いいセリフだ! あ、足手まといだからついてくるなと言うだけだ!』
魔方陣を通してコロナと優の声が聞こえる。
愛梨は二人の声を聞いた瞬間、目尻の涙もぶっ飛んで笑いが込み上げてきた。
「僕にも立場があるし、行動するのは放課後からでいいかな?」
『構わん。まず姉の墓に行ってティソーナとコラーダの有無を確認する。恐らくは持ち出されているだろうが、あくまでも確認だ。学校が終わったら広間に戻ってこい』
「分かったよ、じゃあ人目もあるから切るね」
魔方陣の通信が切れ、白夜は頭を抱えて呆れたような笑みを浮かべた。
「まったく、不器用なんだから。さあ教室に戻ろっか」
「そうですね。白夜さんも気を付けてくださいね」
「白夜さんも、か。やっぱり深影君が一番なんだね」
「な、違います! もう、白夜さんまで……」
白夜との通信を切った後、深影はアンドラスを引き連れて地下へと向かった。
〈tutelary〉の集合場所は白夜の豪邸だが、その地下にはモノクロ専用の地下室が用意されている。
モノクロ以外は滅多に出入りすることはないが、今回ばかりは緊急事態だ。
「モノクロ、いるか?」
埃臭いコンクリートの地下室で、深影の声が反響する。
だがモノクロからの返答はなかった。
地下室が広すぎる為、モノクロに声が届いてないのかもしれない。
何せモノクロに与えられているのは豪邸の地下にある空間すべてだ。
「いないのか……? だがアイツが私用で外出している所など見たことがない。あったとしてもベルゼブブに呼ばれた時くらいだ……」
『あら……? 向こうの方から水の音が聞こえる……多分向こうじゃない……?』
アンドラスが指す方向に意識を集中させると、微かに魔力の反応を感じとることが出来た。
間違いなくこの先にモノクロがいる。
「モノクロ、いるか? ……入るぞ?」
何度か声をかけてノックした後、深影はゆっくりと扉を開く。
やはり何の反応もなかった。
もしかしたら魔術の研究をしていて、何か問題が起きてそのままどこかに行ったのかもしれない。
「ん……? 何だこれは……歌……?」
薄暗い部屋の奥から、何やら歌のような声が聞こえる。
声の主はモノクロのようだ。
「詠唱系の魔術か……? えらく非効率な魔術を研究しているな……」
魔術には大きく分けて二つのタイプがある。
一つ目は魔術の文字やマークを組み合わせた魔方陣。
二つ目は魔術の文字を声に出して唱える呪文。
声に出して唱える呪文は発動まで時間もかかり、記憶する手間もある為、非効率だからと使われることはなくなった。
対して魔方陣はあらかじめ組んでおけば、エネルギーを注ぐだけですぐに発動出来る。
詠唱系はどれも安いコストで大きな魔術を発動出来るが、時間と手間がかかる為に実戦には向かない。
「ふう……ベルゼ、タオルをとって……」
「モノクロ、いたか」
「へ──きゃっ……!?」
ようやくモノクロの声が聞こえたことで、深影は声の方へ歩み出るが、明らかにモノクロとは別の声が聞こえた。
「誰だ、モノクロの他に誰かいるのか……?」
「っ……深影……!?」
「おいモノクロ、お前の他に誰かいるのか? 薄暗くてよく見えん」
「こ、来ないで……っ」
あまりにも弱々しい声で、モノクロらしき少女が返答してきた。
あのモノクロに限って誰かにやられることはないだろうが、万が一人質にでもとられていたら──
「おいモノクロ、そこにいるんだな? 無事なんだろうな?」
『深影、乙女の入浴中に入ってくるとは。度胸があるな』
「ベルゼブブか? おい、どういうことだ? モノクロは無事なのか?」
『無事じゃない。お前のせいでな』
ベルゼブブが魔力を灯りに変換し、薄暗い部屋を照らす。
ベルゼブブの灯りに照らされたのは、一瞬女神がそこにいるのかと錯覚してしまうほど美しい少女だった。
実際に女神と比べることがおこがましく感じてしまうほど、少女は美しかった。
染み一つない純白の柔肌は水滴を弾き、薄暗い部屋の中で自ら光を放つように輝く。
少女の体に張り付いた長い黒髪は、さながら少女の体を締め付ける薔薇の蔦のように。
僅かに部屋を照らす灯りを反射する潤んだ瞳は透き通った漆黒で、絶え間なく広がる無限の宇宙のように煌めいていた。
恥じらって自分の肩を抱く少女は、消え入るようなか細い声で、
「み……見ないで……っ」
「な、ぁっ……す、すまんっ」
少女の裸体に見とれていたことが恥ずかしい。
性的な昂りよりも、ただ純粋に美しいと言う感想だけが頭を埋め尽くしていた。
モノクロが少女だと言うことは知っていたが、ローブに包み隠されていた体がまさかここまでか弱いものだとは。
深影は必死に平常心を取り繕い、
「ほ、本当に悪かった……」
「大丈夫……少し、驚いただけ……貴方がここに訪ねてくるなんて……また冥界に行きたいの……?」
「いや、お前の戦力を貸してほしい」
深影の背後で、華奢な少女がバスタオルにくるまっている。
この気まずい空気に流されないよう、必死に頭で素数を数える深影。
ベルゼブブとアンドラスが一緒にいることが幸いだ。
「私の戦力……? 冥界へのパスとしてではなく……私の力が必要と言うこと……?」
「その通りだ。この件にはサタンが関わっていた。愛梨達の戦闘力ではサタンには届かない。無論俺や白夜も単体ではただではすまない。だから白夜と俺、お前の三人で挑みたい」
「……分かった……私も久しぶりに……強い奴と戦いたかったから……」
モノクロの声には、明らかに危険な気配が含まれていた。
まるで殺人鬼のように"慣れた"殺気が、深影の背中に押し寄せる。
「リベリオン……トリーズン……」
モノクロがその名を呼ぶと、どこからともなく二丁の拳銃が現れた。
黒いローブに身を隠し、黒髪の少女は再び自らを魔女へと姿を変える。
「……黒羽……」
「なに、今何と?」
「黒羽……それが私の名前……皆といる時はいつも通りモノクロと呼んで……」
「黒羽、か……分かった。では黒羽、よろしく頼む」
契約者の捜索は白夜の都合に合わせて放課後。
最初に調べる場所は、深影の姉が眠る墓だ。
これ以上姉の眠りを妨げることは、何人たりとも許さない。
深影は爪が食い込むほど拳を握り締め、モノクロの地下室を後にした。




