第3話:戦力外通告
宣告は、あっけないほど静かに、そして決定的に下された。
入部から一週間。駆は毎日、死に物狂いで食い下がろうとした。しかし、結果は同じだった。霞ヶ浦沿いの直線に出た瞬間に一ノ瀬たちが引き上げる爆発的なペースに置いていかれ、一人きりで風に押し潰される。
日に日に遠ざかる集団の背中。そして部室に戻った時の、先輩たちの冷ややかな目。
「新堂、ちょっといいか」
放課後の部活前、駆は顧問の教師とキャプテンに呼び出され、人気のない教官室の奥へと連れて行かれた。夕方が差し込む狭い部屋には、重苦しい空気が満ちていた。
「単刀直入に言う。新堂、明日から部活には来なくていい。退部届を書いてくれ」
顧問が差し出した一枚の白い紙。そこに印刷された『退部届』の文字を見た瞬間、駆の思考は真っ白になった。
「え……っ、あ、あの! 練習なら、もっと頑張ります! 毎日居残ってペダルを漕ぎますから、だから――」
「頑張るとか、そういう精神論の話をしてるんじゃないんだ」
キャプテンが、苛立ちを隠さない声で遮った。
「お前が遅すぎるせいで、全体の練習メニューが半分も消化できない。トラックをやらせるにもスプリント力がない。インターハイ予選はすぐそこなんだ。一ノ瀬たち有望な一年の足を引っ張る余裕は、このチームにはない」
「でも、俺だって……!」
「それに、お前のその自転車だ」
顧問が眼鏡の奥の目を細め、窓の外の駐輪場にある、駆のネイビーのクロモリバイクを指さした。
「我が校の自転車部は、安全性の観点から、競技用カーボン、あるいはアルミフレームでの参戦を基本としている。君の乗っている重いスチールフレームは、最新の集団走行の加減速に対応できない。一歩間違えれば、集団落車の引き金になる。これは部員の『命』に関わる問題なんだよ」
安全。命。足手まとい。
突きつけられる言葉のすべてが正論で、すべてが圧倒的な壁だった。
嫌がらせではない。彼らはただ、勝つために、そして怪我をしないために、駆という「明らかな欠陥部品」を排除しようとしているだけなのだ。
「新堂くん、まだいたんだ」
教官室を出て、放心状態のまま部室の前を通りかかった時、ジャージに着替え終えた一ノ瀬とすれ違った。一ノ瀬は駆の手に握られた退部届に目を留めると、小さく肩をすくめた。
「やっぱりそうなったんだね。まぁ、妥当だと思うよ。ロードレースってさ、才能と環境が全てなんだ。お小遣いを貯めて買った安物の鉄屑で、僕らみたいな中学から何百万もかけて遠征してきた奴らに勝てるわけないじゃん。ここは君の来る場所じゃなかったんだよ。じゃ、お疲れ様」
一ノ瀬は一度も振り返ることなく、カーボンバイクの軽い乾いたラチェット音を響かせながら、夕暮れのグラウンドへと走っていった。
胸の奥が、ありえないほど熱く、そして冷たく痛んだ。
バイトで手のひらをマメだらけにして、腰を痛めて、ようやく手に入れた自分の自転車が「鉄屑」呼ばわりされた。何より悔しかったのは、それに一言も言い返せないほど、自分が弱く、惨めで、圧倒的に遅かったという事実だ。
駆は退部届をポケットに押し込み、逃げるようにして学校を飛び出した。
気がつくと、駆はネイビーのクロモリバイクに跨り、がむしゃらにペダルを踏み込んでいた。
行き先なんてない。ただ、胸の中のドロドロとした悔しさと絶望を、運動エネルギーに変えて吐き出したかった。
ごう、と、霞ヶ浦の冷たい湖風が正面から吹き付けてくる。
「くそっ……! くそおぉぉっ!」
涙で視界が歪む。ギヤを無理やり重くし、ハンドルを引きつけ、ちぎれそうになる太ももでペダルを激しく踏みつける。
重い。やっぱりこの自転車は重い。風が、巨大な壁のようになって駆の身体を押し戻そうとする。一ノ瀬の言う通り、これはただの鉄屑なのかもしれない。
だが、駆の心の中の火は、まだ消えていなかった。
「誰が……誰が辞めるかよ……!」
部活はクビになった。機材もない。仲間もいない。
それでも、深夜のテレビ画面で観た、あの地響きのような集団の爆音と、風を引き裂いて走るルーラーの姿が、どうしても頭から離れないのだ。
肺が破れるのではないかというほどの荒い呼吸。太ももの筋肉が熱を帯び、ちぎれそうになる。
駆は、向かい風の吹き荒れる霞ヶ浦のストレートを、ただ一人、狂ったような形相でペダルを回し続けた。時速は三十キロメートル、三十五キロメートル。素人としては異様なほどの執念だけで、重戦車のようなクロモリバイクを前へ、前へと進めていく。
その時、駆の後ろから、信じられないほどの速度で接近してくる一台の影があった。
その影は、風を切る重厚な音を響かせながら、狂ったようにペダルを回す駆の真横に、ピタリと並んだ。




