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【完結】10年愛した夫に『隠し子』がいたと知った夜、私は夫の実兄の種を宿した  作者: 恋せよ恋
狂いゆく歯車

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第15話 暴かれた夜這い

 夜のロイド侯爵家本邸は、しんと静まり返っていた。

 月明かりすら遮る厚い雲が垂れ込める中、一つの影が、本邸の裏口から音もなく抜け出した。

 

 ウィリアムは上着のフードを深く被り、周囲を見回しながら、足早に庭園の隅にある離れへと向かっていく。

 普段から堂々と別邸に通っているくせに、夜になると急に後ろ暗さが勝つらしい。男女の密会を疑われるのを恐れるかのように、コソコソと這い回るその姿は、どこまでも滑稽で、哀れだった。


 パトリシアの懐妊を知ってからというもの、ウィリアムの夜間の離れへの滞在はさらに頻度を増していた。本邸では冷たく無視され、実兄のオリビエからも身の程を弁えろと叱責される。そのすべてのストレスと寂しさを埋めてくれるのは、あのぬるま湯のように甘い、バレリーの身体だけだった。


「これで全て上手くいっているんだ。パトリシアには俺たちの子供がいて、僕は離れで可哀想な家族を守っている。何も悪いことなんてしていないんだ」


 自分に都合のいい言い訳を胸の中で呟きながら、ウィリアムは離れの扉に手をかけた。


 ――カチャリ。


 鍵が開く小さな音が、静まり返った夜の空気に妙に大きく響いた。

 ウィリアムが安堵の息を漏らし、真っ直ぐにバレリーの寝室へと向かった。シリルは、侍女と共に別室で眠っている。いつも通り、寝台へと近づき眠っているバレリーを抱きしめて髪に口付けた――。


 その直後、突然、ドアが開いた。


「――随分と、夜風が心地よい時間のお出かけですね、ウィリアム様」


 入り口付近から放たれた、硬く冷え切った声。

 ウィリアムは心臓が飛び出るかと思うほど激しく跳ね上がり、バネのような動きで飛び起きた。


 そこには、松明を手にした老執事の姿があった。


 その背後には、数人の屈強な使用人の男衆たちが、まるで行列を成すようにしてウィリアムを包囲している。松明の赤黒い炎に照らされた使用人たちの目は、人間を見るものではなかった。ただただ、汚物を見るような、底冷えするほどの軽蔑に満ちている。


「な、あ……! これ、は……! 違うんだ、僕はただ、夜の散歩を……!」


「散歩、でございますか。着替えもせず寝巻きのまま、愛人の離れの鍵を開けておいででしたが」


「ち、違う! バレリーの様子が心配で、少しだけ……!」


 言い訳を重ねれば重ねるほど、使用人たちの軽蔑の念は深まっていく。



 老執事は何も言わず、ただ懐から取り出した手帳に、淡々とペンを走らせた。


『○月○日、午前二時十五分。ウィリアム様、本邸を抜け出し、離れのバレリー氏の寝室へ不法に侵入しようとする現場を現行犯にて押さえる。同行の使用人四名、全員が目撃』


「記録いたしました。……ウィリアム様、本邸へお戻りください。パトリシア様がお待ちです」


 ウィリアムは血の気を失い、硬直したまま使用人たちに挟まれるようにして本邸へと連行された。離れの窓からは、物音に気づいたバレリーが、恐怖に顔を歪めてガタガタと震えながらこちらを見つめていたが、彼女には夫を助ける力などどこにもなかった。



 本邸の執務室。

 夜にもかかわらず、妊娠中のパトリシアは完璧に身なりを整え、机に向かっていた。


 彼女の脇には、これまでに積み上げられた、かなりの厚みを持つ紙の束――「ウィリアムの不貞に関する報告書」が置かれている。


 ウィリアムが部屋に引きずり込まれると、パトリシアはゆっくりとペンを置き、緑の瞳を彼に向けた。その瞳には、怒りも、悲しみすらもなかった。ただ、害虫の数を数えるかのような、徹底的なまでの無関心があるだけだ。



「パ、パトリシア! 誤解なんだ! 僕はただ――」


「言い訳は結構です、ウィリアム様」


 パトリシアは、新しく提出された今夜の目撃証言の紙を、既存の束の一番上にそっと重ねた。


「貴方がバレリーをこの家に連れ込んできてから、今夜でちょうど四十二回目。そのうち、貴方が夜に本邸を抜け出して彼女の寝室へ通った回数は、今夜を含めて二十八回。すべて日時、滞在時間、目撃した使用人の署名付きで、ここに記録が揃っています」


「な……っ! ずっと、知っていたのか……!? 夜に通っていたことも!?」


 ウィリアムの顔から、一気に血の気が引いていく。


「当然でしょう。我が家の使用人たちを侮らないでいただきたいわ。貴方がどれほど隠れて動いているつもりでも、この屋敷のすべては私の耳に入ります」


 パトリシアは、これまでずっと知っていた。彼が自分を「最愛」と呼び、子供ができたと無邪気に喜んでいるその裏で、毎夜のようにバレリーの身体を貪っていたことを。

 知っていて、あえて止めなかったのだ。


「なぜ、今になって……! 知っていたなら、どうして今まで何も言わなかったんだ!」


「決定的な証拠が欲しかったからですわ。言い逃れのできない、決定的な証拠がね」


 パトリシアは冷酷に、けれどどこか哀れむように書類を叩いた。


「これまでは、貴方が『ただの話し相手になっていた』と言い逃れをする余地がありました。ですが、今夜貴方は離れの鍵を開け、彼女の寝室へ自ら忍び込もうとした現場を、複数の使用人が押さえた。これで、貴方の『夜這い』は言い逃れのできない客観的事実、つまり離縁・除籍の正当性を裏付ける証拠として完成したのです」


 これで、親族会議に出せる完璧な書類が整った。


 ウィリアムをロイド侯爵家から一切の財産を持たせずに叩き出し、さらに彼の実家であるラヴァル伯爵家にも除籍と慰謝料を請求するための、悪魔の証明書。


「パトリシア……君は、僕をハメたのか……?」


 ウィリアムはガタガタと震える声で呟いた。


「ハメた? 心外ですね。私はただ、貴方の行動をありのままに記録させただけです。自ら罠に飛び込み、首を絞め続けたのは、他ならぬ貴方自身ですよ、ウィリアム様」


 パトリシアは、毛布の上からそっと自分のお腹に手を当てた。


 この男は、自分を愛していると言いながら夜這いを繰り返し、自分が父親になれると信じ込んでいる。けれどそのお腹の内にいるのは、彼を精神的に破滅させるための、実兄オリビエとの背徳の結晶だ。


「もう下がりなさい。明朝、ラヴァル伯爵家へ、この報告書の写しを送付いたします」


「パトリシア……っ!」


 ウィリアムの絶望的な叫びが執務室に響く。


 完璧な女侯爵の冷徹な包囲網が、ついに裏切り者の婿養子の逃げ道を、完全に塞ごうとしていた。



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