剥がされた王様
辰海が火の玉をオリに投げつけてきたことで、戦いの火蓋は切られた。オリはそれを横に跳んで躱すと、一息に地面を蹴り辰海に近づく。石剣を振りかぶろうとした瞬間、辰海の手が伸ばされた。
「あ、」
オリが後ろに跳んで、それを躱すと、辰海は残念そうに声を漏らした。
辰海の能力で一番厄介だとオリが思っているものは、以前オリが浴びた、手足の力を抜き取られたあれだった。
何が条件であの能力を使われるか分からなかった。以前は接近し、目を合わせ、手を触れたあとにオリは分かりやすく弱体化させられた。
しかし今回、近付いてもあの能力は発生しなかった。そして、彼から手を伸ばしてきたということは、やはり、身体的な接触が必要なのだろう。
(逆に言えば、触れられなければあれは起こらない……)
オリの攻撃手段は近付いて殴るくらいしかないため、正直、相性は悪い。
しかし、ここは屋内だ。石はないが、投げるものもいくつかある。
「えい!」
「うわ! 行儀悪いなあ……」
その辺にあった壺を投げつけた。辰海はそれを、視線もやらず避ける。
オリは少し違和感を抱いた。
(……続けてみるか)
壺を投げ、箱を投げ、椅子を投げた。辰海はどれも、当然のように避け、最後にはオリに火の玉を打ってきた。
オリもそれを難なく避ける。避けながら、思う。
こいつ、弱いな、と。
オリは、最後に箱を投げると、それを追うように走り、辰海の後ろに回り込んだ。そして、そこにあった壺を彼に投げつける。
「ぎゃん!?」
「あ」
スライムが入っていた壺だったらしい。壁に叩きつけられ、スライムの悲鳴が上がる。床にでろんと広がり、どうやら気絶したらしい。後で謝ろう。
それに問題は、そこではない。辰海が、後ろからの攻撃に目もやらず避けたことだった。
オリは一度、攻撃の手を止めた。
オリだったらそんな相手、絶対警戒して攻撃の手を止める。しかし辰海は躊躇なく火の玉をいくつも放ってきた。
「うお」
一つだけ石の剣の風圧でかき消すと、その方向に転がって避けた。
最初は、彼の視界が異様に広いのかと思っていた。背後からの攻撃に目もやらず躱すなんて、それ以外ないと思った。
しかし、
(見えてる……未来? それとも心の中?)
オリは試しに、逃げ回りながら、辰海を心の中で罵った。それから、オリの知る最悪の暴力の記憶――仲間であってミオごと自分の右腕を叩き切られたときの記憶を強く思い出した。辰海は自分に起こる暴力を、何よりも憎んでいたようだから。
しかし、反応はない。
オリはまた辰海の死角から、ポケットにいれていた小石を鋭く投げつけた。辰海はそれを難なく躱す。
「さっきから手癖悪いね」
「よく言われる!」
思い切り近付いて、石剣を振りかぶった。辰海はそれがかすめる程度に下がって躱す。オリは追撃せず、一度後ろに下がった。
推定、未来が見えている。だとしたら、強くはないが、面倒だ。
どうしたらいい?
「ねえ、心とか読めてる? それとも、未来とか見えてる?」
「どうかな。どう思う?」
「使いこなせたら便利だろうな、と思うよ」
「何が言いたい?」
苛立ったような顔と声だった。煽られ耐性がないらしい。
オリだって別に嫌味を言ったつもりではなかった。お前使いこなせてないな、という意味ではなく、いいなと思っただけだったのだが。
本当に、心が読めているのではないらしい。
オリは笑った。
「未来が見えているだけなら、やりようなんていくらでもある」
「なにが、」
オリは正面から辰海に迫った。下がろうにも、彼の背後には壁がある。未来が見えていようが、できることは限られる。左右に飛ぶか、迎え撃つか。
辰海は火の玉を出した。正確には、出そうとした。オリは石剣で、伸ばされていた辰海の手を上に弾いた。
――未来が見えているだけの敵の対処方法なんて簡単だ。未来が見えていても追いつけないくらい、早く動けばいい。
「っ……」
辰巳の喉から悲鳴が上がりかける。逃げようとした彼の足を引っ掛け、転ばせる――のは失敗したので、石の剣でその腹を突いた。
おえ、とえずき蹲ろうとする、その顔に膝を叩きつけた。それからは石の剣で逃げ場もないくらい滅多打ちにした。
「待って、やめて、」
「お前はそう言った奴らに慈悲を与えたのか?」
殴る度に悲鳴が上がる。弱いものイジメをしているみたいだった。実際にそうだった。辰海は弱かった。動きも遅く、能力が優れていても本体が弱い。戦闘経験もないから、全くもって戦い慣れてもいない。どうしようもない。
なにより、自分を強いと思っている。そんな奴ほど弱い相手はいない。
オリは蹲る辰海の耳元で囁いた。
「殺した奴らの命乞いに耳を傾けたことはある?」
「何を……」
「傷つけた奴らの悲鳴に耳を傾けたことは? 助けを求める声に応えたことは?」
あるはずもない。オリは今まで見てきたなかで、この暴君は、弱者を踏みにじることしかしてこなかった。
のろのろと伸びてきた辰海の手を、オリは思い切り踏みつけ、そのまま踏みにじった。哀れにも悲鳴が上がる。
「手加減はしている。私はあなたの骨一つ折ってない。それでこれだもんなあ……」
オリは顔にかかって鬱陶しかった髪を払った。
それから考えた。ここには、辰海を縛り付けるためのロープも何もない。そもそも縛り付けても、辰海なら燃やしてしまえるだろう。
つまりこのまま、彼の戦意を挫くしかない。
オリが考えている間、辰海はのろのろとその身を起こそうとていた。まだオリに歯向かう気力があるのだ。
「身から出た錆だ。反省しろよ」
オリは微笑んで、得物を握る手に力を込め、そして、振りかぶった。
オリは、辰海の戦意を挫いた。彼は頭を抱え、めそめそと惨めったらしく泣いている。
「よくやったわねえ」
「見たかったです……」
妖精は呆れ顔。スライムは落ち込んでいる。本当にいい趣味をしたスライムだ。
「本当に暴力一本勝負で黙らせたの? 力技過ぎない?」
「あのねえ、ただぼこぼこにしたわけじゃないよ。私のことなんだと思ってんの?」
「じゃあなんでこの雑魚野郎はめそめそ泣いてるわけ?」
信用ないなあ、とオリは溜息をついた。
「彼のやることなすこと、全部を徹底的に打ち破っただけだよ。炎も、未来予知も、がむしゃらに殴りかかってきたのも、全部打ち破った。それだけだよ」
一つ一つ、丁寧に潰した。あなたは私に敵わないと、丁寧に教え込んだ。それだけだ。
殺す覚悟もしていたが、辰海が弱く、かつ戦意も喪失してくれたので、運良くそうせずに済んでいた。オリから辰海に対して、殺すほどの恨みがなかったというのもある。
はあ、と今度は妖精が溜息をついた。
「ぼこぼこにはしなかったワケ?」
「まあ多少は殴ったね」
オリはあっけらかんと伝えた。苦痛なく戦意を挫けるわけがない。
「こういうのってフツー、なんかいい感じに交流してなんかいい感じに反省させるんじゃないの?」
「そうはいっても、私と彼の間には何もないし。私がそうする義理もないし。……それに、彼には十分すぎる待遇だと思うよ。彼が殺した死人達はもう、反省もできないっていうのに」
「マアどーでもいいけど……どーすんのよ、コレ」
オリは首を傾げた。
「住民たちに委ねてみようか」
オリは仲間たちに頼み、住民たちを集めさせ、その眼前に辰海を蹴り出した。
「暴君は私が打ち倒した。あなた達には、彼を自由にする権利がある。さあ、どうする?」
突然の降って湧いた出来事に、さすがの木偶人形のような住民たちでさえざわめきを隠せなかった。ひそひそ、こそこそ、と彼らは何事か相談しあっている。
それはずいぶんと長く続いた。彼らは、何かを決めるということをしない。だから、それも永遠に続くようだった。
しかし、やがて終わりは訪れた。
「あの、何もしません」
「え?」
声を上げ、顔を上げたのは、辰海だった。
「我々は、彼に、何もしません」
そして、集まった住民たちは、その言葉通り、ただ辰海を見ていた。
辰海はしばらく、降って湧いたような許しに、茫然としていた。やがて、感極まったようにその場に頭を付いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
声を震わせ、彼は謝った。泣きじゃくりながら、何度も何度も取り返しがつかないことをしたと謝った。住民が一人去り、二人去り。やがて誰もいなくなっても、彼は泣きながら謝っていた。
それを眺めていたオリ達は知っていた。ここの住民たちが、寛大な精神で辰海を許しわけではない、ということを。
ただ、彼らは何も選べないだけだった。仲間を殺されても「分からない」と言っていた、そのとおり、今も何をすれば分からなかっただけなのだろう、と。
そして、消極的に、何もしないことにしたのだ。
しかしわざわざそんなことを口にはしない。辰海が泣き止むまで、ただその場でじっと待っていた。
「(支配するだけで交流なんてしなかったから、あなたはそんなことも知らない……)」
泣きじゃくる辰海を見下ろしながら、オリは小声で妖精に囁く。
「いい感じの交流ってこういうこと?」
「あんたがそー思うならそーなんじゃないの?」
妖精は投げやりにそう答えて肩を竦めた。オリも竦めた。




