9話 触手、初めての異常者
(す、すっぽんぽんだぁー!)
レイラ・エンシャンティア。
突如虚空から現れ、そう名乗った女はヒメが驚愕を叫ぶ通り、一糸纏わぬ姿をまるで見よと言わんばかりに佇んでいる。
金髪碧眼。エンシャンティアという姓。
画廊の壁に飾られた肖像と同じ特徴を持った彼女は自分のことを「お姫様」であると言った。
ニョロは今持ち得る情報から彼女をまさしく姫なのだろう、と理解したが、一方人間とはその身分を着飾ることで周囲に知らしめる者共、という認識を持っていたことも事実。
――常軌を逸した人間だ。
彼女を人間という枠に囚われない異常生物と判断し、臨戦態勢を継続することに決めた。
だが、その意図が全く分からない。
何らかの魔法的作用で自己を隠蔽していたことから侵入者たるニョロを警戒していたことは明らか。
しかし無防備に寝ていたニョロを傍観し、その上目覚めて城から去ろうとしたタイミングで姿を表し接触。
その脈絡の無いように思える一連の行動は異常者ゆえの奇行か、はたまた企みを抱えているのか。
「そう警戒しないでちょうだい。私は貴方に危害を加えるつもりはないの。ほら、武器も持ってないし、貴方よりちょっとお姉さんな、優しくて可愛いお姫様よ」
(優しくて可愛い!すごーい!)
レイラはその場でくるりと回って裸体を晒すと、子供を宥めるようにニョロに微笑みかける。
「まず目的を教えてくれ。お前の意図を理解できない間は警戒せざるを得ない」
ニョロは尻尾を構えたまま、無表情を微笑みにぶつける。
「目的、なんて一つしかないわ。他人の家で眠っちゃってる泥だらけの女の子が心配だったの」
レイラは穏やかな笑みを僅かにも損なわず、さも当然のことのように答える。
「ならば透明になる必要はないだろう」
「それは貴方が侵入者だから念の為よ。だって私、見ての通り可憐な少女よ?」
「それなら自分で出向かずとも、手下を使えばいいはずだ。少なくとも単身で俺と接触する道理は無い。にも関わらず、お前は未知の危険である俺に接触した。そこに意図が無いわけがない。改めて聞く。お前の目的はなんだ?」
ニョロの問いにしばし考え込んだ後、レイラは身体を翻して室内を漫遊しながら話し始めた。
「この城に忍び込むなんて無茶をした子に興味があった、というのが当初の目的。でも、いざ足跡を辿って来てみれば、貴方が眠っていた。だっておかしいでしょ? 王城に侵入なんてよっぽどの理由が無い限り考えもしないようなことなのに、こんな埃臭い部屋でただ眠りたかった、なんてことはあり得ない。私は貴方がここに来た理由はきっと他にあると考えて、しばらく見定めることにした。実際、貴方はすぐに目を覚ました。でも、貴方はすぐに動かないばかりか、一人で喋り始めた。まるで誰かがそこにいるかのようにね?」
(ドキり!)
レイラは立ち止まり、ニョロの反応を確認するかのように一瞥すると、再び語り始める。
「『アイリスの記憶を見た』『お前はアイリスだ』『全ての記憶を取り戻すまで付き合う』。そう貴方は言っていたわ。私には貴方がお喋りする相手の声は聞こえなかったけれど、貴方が何をしに王城へ来たのか、大体の察しはついた。ここからは私の推察だから違っていたら申し訳無いのだけれど、貴方の頭の中にはもう一人の人格がいて、その人格は記憶を失っている。その記憶を取り戻す手がかりを求め、ここへ来た」
レイラはそこまで話すと「どうかしら?」と笑顔を見せる。
未だレイラの腹の内を図りかねるニョロは、肯定も否定もせず。
するとレイラは小さく頷いて、
「そして貴方はアイリス――かつての姫であるアイリス・エンシャンティアの肖像画に触れ、彼女の記憶を垣間見た。しかし、貴方の中のもう一人はそれだけで自分がアイリスであると確信できず、全ての記憶を取り戻すことを望んだ」
(すごーい!レイラちゃんはすごい賢いお姫様なんだね!)
レイラの推理は全くもって正しい。
ヒメの声が聞こえないというのにも関わらず、ニョロの状況と意図を詳らかにして見せたのだ。
ここまで出会った人間の中でも、群を抜いて有能と見える。
更に、レイラはこの城の姫であり、アイリスについても何か知っていそうな口ぶり。
――この女は間違いなく、アイリスの記憶を紐解く為に必要だ。
ニョロはレイラの抜群の聡明さに大きな価値を見出すが、
(おっぱい丸出しだけど!)
裸のまま弁舌を振るう様子はやはり何かが欠落しているように思えてならない。
やはり理解を超えた異常者だ、と信頼を置けずにいた。
「して、そこまで考えたお前が俺に接触した理由はなんだ?」
ニョロの問いに、レイラは待ってましたとばかりに目を輝かせると、ニョロに駆け寄り悪戯に笑う。
「それ、私も手伝うわ!」
「は?」
思いがけない発案にきょとんとしたニョロ。
すると、レイラはそんなことなど意にも介さないというように、雄弁に、早口に、それはもう恍惚とした表情で語り始めた。
「最初に言ったでしょ?私面白いことと謎が大好きなの!だって考えてみてちょうだい? 突然現れた桃色しっぽの女の子!そして中にはもう一人の人格!更にはそのもう一人が、三百年以上前に行方をくらました謎の姫アイリス……かもしれない!まぁなんて!なんて謎に満ちているのかしら!? こんなのあらゆる謎を解き明かす美少女姫探偵であるこの私、レイラ・エンシャンティアが見逃すはずが!見逃せるはずが!ないじゃない!!」
まさに絶頂の最中にあるかのように悶え語るレイラ。
そんな彼女がニョロに与えたのは、生まれて初めての恐怖であった。
本能のまま怒りを剥き出しにする獣であれば、それは生きる為の術であるのだと理解し、警戒はすれど恐怖を覚えることは無い。しかし、今目の前で弾ける情動は、獣のようにその肉体と感情を露わにしながらも、その正体は理性ある人間なのだ。
それも優れた知性と高い身分の、最も獣とかけ離れた類いであるはずの人間なのだ。
ニョロにはそれが、自分の窺い知ることの出来ていた世界の理を破壊する化け物のように見えた。
ニョロは華奢な身体を震わせ、股を通した尻尾に抱きつきながら、揺れる眸で自称姫探偵を見上げる。
その様はようやくにして人間らしさ、少女らしさを少女の身体に宿したようだった。
「ううう」
(怖いの?大丈夫?よーしよし。大丈夫大丈夫)
ニョロは知らない感情と強張る身体に呻き声をあげ、さらにはヒメに慰められる始末。
しかしその原因たるレイラはそんなことお構い無しといった様子。
「ほら、私についてきなさい!そんなに心配しなくても、私にはちゃーんと作戦があるの!」
レイラはニョロの手を強引に引き、軽やかな足取りで部屋の外へ歩き出す。
ニョロは心配しているのではなく、レイラに対して恐怖しているのだが、そんなことは知る由も無い。
「作戦を伝えるわ!貴方は私の侍女としてこの城に潜入し、私と共に謎を紐解いていくのよ!」
平静を失っているニョロの是非は全くもって考慮されず、廊下を歩かされるうちにどんどん方針が決まっていく。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ!私がずっと側にいてあげるから、寂しくもない!貴方は安心して私についてくればいいわ!」
ニョロは尻尾を抱え、眸に不安を湛えたまま、手を引くレイラの後頭部を威嚇する。よたよたと歩かされながらも、未だに思考は恐怖の海の中である。
「まずはそうね……。貴方の服を用意して、ってまずお風呂ね。汚いし。その後にボックスに会わせて説得して……。うん。ボックスが一番の障害ね。……あ!そこの貴方!」
歩きながら熟考する様子のレイラが、部屋から出てきた犬耳の侍女に声をかける。すると侍女は驚愕をその顔いっぱいにして、
「レ、レイラ様!? お召し物はどうなされたのですか!?」
「え?脱いだのだけれど?見たら分かるでしょ?それよりもこの子、私の侍女になる子なのだけれど、泥だらけだから綺麗にしてあげてくれるかしら?」
レイラのさも当然といった様子に口をあんぐりとさせたまま、ニョロを預かる侍女。
そのまま去っていく裸の主人の背中を見つめながら、
「え、侍女?」
遅すぎる疑問を口にした。