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51話 追憶――ボックス③


 勇者一行の旅立ちと時を同じくして、私はアイリス失踪の隠蔽工作を進めた。

 

 アイリスが結界内で行方不明になったと数人の家臣に知らせ、二日後の深夜、アイリスの母の右手甲に偽の紋様を刻んだ。

 紋章が継承されるという意味を、私が説明するまでもなく皆が理解した。

 

 魔物がいなくなった、という報告が大陸中から上がった。

 魔王城に連れ去られたアイリスに群がっているのだろう。

 考えるだけで、心がバラバラになりそうだった。

 

 結界の祝福の維持を名目にして、アイリスの母に恋をするように言った。

 すると、彼女はすぐに愛する人を見つけてきた。

「アイリスの分も幸せにならなきゃいけないもの」

 彼女も強い意思を持っていた。 

 

 翌年、彼女は子を産んだ。

 父と母の愛を受けて、すくすくと育っていった。

 

 あぁ。本当ならアイラも孫娘達もこんな風に過ごせていたのか。

 幸せいっぱいに過ごす彼らを見て、寂しさを覚えた。

 

 十六年後、魔性の呪いは継承されなかった。

 私はそこにアイリスが生きているのだという確信を覚え、涙した。

 

 呪いの刻印は結界の祝福紋、という嘘を繕い続ける為、娘が十六歳になった時に偽の紋様を刻印するようになった。

 また、新たな勇者が現れなかった為、勇者グレインが魔王を討伐した、と国中に号令を出した。

 

 エンシャンティアの姫達は、恋愛の自由を得た。

 

 私は国の発展に尽力した。

 嘘を守り通し、 孫娘達に愛を注いだ。

 アイリスが戻ってくるのをずっと待ち詫びながら。

 三百年もの間、ずっと。

 センド・フューツの言葉を信じ続けた。

 

 そして、つい五年前のこと。

 グレイン・ランゲイルが戻ってきた。

 彼は『再生の祝福』が発現し、魔王城に集まる数百万の魔物を倒したのだと言った。

 だが、アイリスを連れてはいなかった。


「魔王城に入って、探したんだけどよ? アイリスはいなかったんだ。戻ってるんじゃねえかって思って、それで……」

 彼は今にも泣きそうな顔をしながら言葉を並べた。

  

 彼は時間の感覚を失っているようだった。

 生と死を何度も繰り返すうちにそうなってしまったのだろう。

 彼はそれでも尚アイリスを想い続け、魔物の根絶を成し遂げてくれたのだ。

 まさしく勇者だった。

 彼とセンドのお陰で、エンシャンティアの姫達は恋愛の自由を得た。

 感謝してもし足りないくらいだ。

 

 だが、彼を労うことは出来なかった。

 真実を打ち明けていいのか、判断が出来なかったのだ。


 センド・フューツはグレインが生きて帰ることを示唆していたから、私は二人で帰ってくるのだと、なんとなく思っていた。

 しかしグレインは何も聞かされていないように見えた。

 

 私は苦渋に苦渋を重ねた後、国の歴史として残した嘘の通り、彼に「アイリスが三百年前に死んだ」と告げた。

 彼の努力や想いを踏みにじる嘘に、自分に対する嫌悪が噴き出した。

 

 贖罪にもならないことだが、彼がこの街で生きられるよう手配した。

 いつか彼がアイリスを迎え入れられるようにする為だ。

 衣食住も最大限の援助をする、と言ったのだが、彼はそれを断り、衛兵を希望した。

 

 それからまた月日が流れ、つい先日のこと。

 結界に待ち望んだ反応があった。

 

 アイリスが、結界を通ったのだ。

 私は喜びに打ち震え、居ても立っても居られなくなった。


 私はいつ帰ってくるものかと、ソワソワと城の前で待ちわびた。

 そして、城を守る結界にも反応があり、彼女が荷馬車に潜んでいることに気付いた。


 アイリスらしいイタズラ心を感じて、私はたまらず嬉しくなった。

 アイリスはあの頃のまま帰ってきてくれたのだ。

 逸る気持ちを制し、荷馬車に隠れる「お嬢さん」に声を掛け、


 ――絶望した。

 

 アイリスは、少女の骸に寄生し操る触手の魔物になっていた。

 かつてアイリスだったという残滓を僅かに残してはいたが、紛れもない魔物だったのだ。

 少女の身体とアイリスの残滓が合わさり、結界が人間と判断したのだ。

 単独では結界を超えることは出来なかっただろう。


 彼女は私を見るなり城内へ飛び込んでいく。

 私はとにかく急いで、城の兵士に決して手を出さないよう号令した。

 それだけしか出来なかった。


 彼女と再びまみえた時、記憶を失い、自身を魔物であると認識しているのだと分かった。

 ついぞ自分が魔物であるとは言わなかったものの、少女をアイリスだと誤解していたのだ。

 

 アイリスは魔王城で何をしたのか?

 なぜ魔物になってしまったのか?

 詳しいことは何も分からない。

 だが、これだけは言える。


 感情豊かで美しい人間という種族が、醜悪で感情の乏しい魔物になってしまうほどのことが起きた。

 それは、私が人間になれて心の底から嬉しかったように、あまりにも惨たらしいことだ。

 

 彼女はアイリスの記憶を取り戻すことを望んでいたが、それは記憶を思い出すことを解除条件とした拘束魔法がその身に施されていたからだ。

 その拘束魔法を誰がかけたのかは分からないが、少女の身体から離れたいという行動理由が透けて見えた。

 

 私は――この状況に救いを見た。

 

 惨たらしい記憶を忘れたままでいさせることが出来れば、彼女は人間として生きていられるのだ。

 今は感情に乏しかろうと、人間として暮らすうちに豊かな心が芽生えていくはず。

 彼女は魔物となった今も聡明だったから、きっと人間の暮らしにも順応するはず。


 センド・フューツが言っていた「救い」とは、アイリスであることを忘れていることだったのだ。

 「幸せになれるかどうかは私次第」と言っていたのは、「自分を責めすぎるな」と言っていたのは、呪いの真相を唯一知る私が罪悪感に駆られ、ありのままを伝えてしまう可能性を危惧していたからなのだ。


 ――彼女を魔物に戻らせはしない。

 私は決意を漲らせ、記憶を紐解こうとする彼女を妨げることにした。

 隠蔽工作の傍ら、寄生する少女の素性を探らせた。

 

 しかし、私は彼女の中にあるアイリスの面影を愛おしく思ってしまった。

 彼女はおんぶが好きだった。私とのふれ合いを好ましく思ってくれているようで、私から離れることを拒んだ。

 どんな姿になろうとも、たとえ記憶を失おうとも、彼女はアイリスだったのだ。

 城から追い出すことも出来ず、彼女との穏やかな日々を手放したくないと思ってしまった。

 

 ペイシャン村から帰ってきた彼女を迎えた時、私の想いは完全に対立してしまった。 

 彼女に記憶を取り戻させてはいけない。

 しかし、今の彼女をもう傷つけたくない。

 どうしても、徹底することが出来なかった。

 

 私が躊躇する一方で、彼女は不屈の魂までもアイリスそのものだった。

 私が七百年のも間隠し通してきた秘密を明らかにし、クリンカーの正体までも解き明かしてみせた。

 

 彼女が真実の解明に手をかけた。

 そのことを理解して、ようやく私は決断した。

 

 今の彼女を傷つけてしまおうとも、人間として生きて欲しい。

 私がアイリスや歴代の姫から奪ってしまった自由な幸福を享受してほしい。


 ――たとえ王都を世界から断絶させてでも、彼女が記憶を取り戻すことを諦めさせる。

 

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