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49話 追憶――ボックス


 アイラの呪いの発現。魔物による蹂躙。エイシャの死。結界の祝福。

 あまりにも多くのことが起きた夜が、明けた。

 草原地帯に集まった魔物達は、夜が明ける前にいなくなった。

 

 数日後には襲撃を生き残ったかつての民も合流し、私達は結界の中で生きることになった。

 

 数日間で、結界について多くのことが分かった。

 まず、私が授かった力により生み出してはいるが、私の意図が反映されるものではなかったのだ。

 範囲の拡縮、効果の付与など、結界に手を加えることが出来なかった。

 解除は試みることすら怖くて出来なかったが、出来ないだろうという予感だけはあった。

 

 そして、結界は魔物だけを通さないようだった。

 人や動物、空気などはそこに何も無いかのように素通りが出来る為、結界の中を発展させていく上で全く障害にならなかった。

 

 しかし、私は結界から出ることが出来なかった。

 おそらく、結界に魔物と認識されているからだろう。

 

 結界の中に新たな結界を張ることは出来た。

 何回か試すうち、人や動物も通さない結界も作ることが出来た。

 そして、アイラを守る、という強い意思が発動に必要なことが分かった。

 

 この力なら、アイラを守り通せる。

 エイシャから授かったこの力で、エイシャの分までアイラを幸せにすると決めた。

 

 数か月経ち、なんとか結界内が村と呼べる程度になったある日、一人の男が現れる。

 

 金色の髪、空色の眸。

 青い鎧を身に纏う、気高さを宿した男。

 男は自らを勇者アーサーと名乗った。

 遥か北の国から、西の果てにある魔物の巣窟――魔王城へ向かう旅をしているとのこと。

 民に聞くと、アーサーの武勇は知られたものだった。

 

 私だけと話をしたいと、アーサーは言った。 

 

「近いうちに、この大陸のほとんどの国は滅亡します。人間が生存できるのはこの結界の中と、ごく限られた土地のみになります」

 

 勇者は、ハートの紋様が胸に出現した時、世の理を理解したという。

 人類が敗北する未来をさも平然と話すアーサーの淀みない眸に、不明瞭な恐怖を覚えた。

   

「貴方の血を継ぐ娘は皆、十六歳になると魔物を惹きつける()を背負うことになります。貴方は直接経験しているのでお分かりとは思いますが、結界の外に身体の一部でも触れれば、たちまち大陸中の魔物が集まり、魔王の城へ連れ去られることとなります」


 アイラの右手甲に刻まれた呪いは、代々引き継がれてゆくもの。

 それを聞いた私は、身体の震えが止まらなかった。

 なぜアイラが、私のエイシャの子孫たちが、そのような目に遭わなければならないのか?

 強い憤りが胸を焼いて、しかしそれ以上にこの世界の冷酷さが怖くて仕方がない。


 私は堰を切ったように、色んなことを質問した。

 連れ去られた娘はどうなるのか、ということだけは、どうしても聞けなかった。 


 いくつかの質問の中で明瞭な答えが返ってきたものはわずか。

 世の理を理解した、という割には、ごく限られた分野のことしか知らないようだった。

 そのわずかな回答の中、二つだけ即答したものがあった。

 

「いつになったら解放されるのですか?」 

「永遠に続きます」

「えいえん……ですか……?」

「はい。貴方の娘は確実に女児を一人だけ産み、その女児が十六になると呪いを受け継ぎ、また女児を産みます。貴方は恒久的に彼女らを結界の中で匿い続けることになります。これは世の理として定められている、運命と呼ぶべきものです」


 私は安堵を覚えた。

 私が結界を維持してさえいれば、娘や孫娘、それ以降の子孫らは安寧の日々を過ごすことが出来る。

 結界は小国ならば覆えるほどに広大な領域を確保してくれているから、のびのびと豊かな生活を送れるはずだ。


 だが、それは私の思い上がりだった。

 

「レイラは……誰に呪われたのですか?」

「その紋章は、呪いではありません。この世界の創造主たる神が授けてくださった()です」

「神が……? どうしてですか……?」

「世界の創造主たる神は、同じ世界に存在しながらもほとんど交わることの無かった魔物と人間、双方の()()を望まれたからです」


 意味が分からなかった。

 神とは、この世界に生きる万物を見守り、時に祝福をもたらしてくださる慈悲深いお方だと、魂に刻まれている。

 その神がなぜあれほどに血が流れても尚、私達の娘らを蝕み続ける呪いをもたらしたのか。

 胃が裏返りそうになるほどの嫌悪が、全身を迸る。

「なぜ……?」

 疑問だけをどうにか口から絞り出した。

 

 すると、勇者は淡々と、神の言葉を代弁する。     

「当初、神は単純な闘争を求めておられました。人間を食することで幸福を得られるよう魔物の味覚を修正し、闘争を促したのです。しかし、魔物である貴方が人の形を成し、人間と結ばれる、という予想外な展開が起きました。これに神は大層喜ばれたのです。


 ――交流の()()()()()()を望むほどに」


 私の所為だった。

 

「神は人と魔物との末永き交流を祈念し、魔物と人の子であるアイラ様を魔物の()として、魔王に献上することを決定されました。アイラ様の右手甲に刻まれた紋章は、神が定めた『魔王の妻の証』なのです」  

 

 私が人間になりたいと願ってしまったばかりに、エイシャの隣にいたいと願ったばかりに、神の欲望を刺激してしまったのだ。

 私の娘やその娘はこれから永遠に、忌まわしき紋様を背負うことになってしまった。


 私の所為で魔物の贄に定められ、結界に閉じ込められた娘。

 私の所為で魔物に殺され、それでも尚私達のことを想い、願いを託した妻。

 私の所為で突如魔物に蹂躙された民。

 

 私だけ――何の代償も払っていない。


 娘らを守る結界が、私がただ責任から目を逸らしたいばかりに得た力のように思えた。

  

「しかし、結界の中に隠れたことで交流が閉ざされてしまいましたので、姫の代わりとなる()()()()()を求められました」


 勇者の言葉を聞いてすぐ、それは私だと思った。

 交流の遣いと言えど、その本質は生贄だろう。

 亡き妻の為、呪われし娘の為、死んでいった民の為、私が責任を負わねばならない。


 だが、

「それが我々――勇者です」

 それも許されなかった。


「勇者の役割は、二つあります。魔王を討つと喧伝し、行く先々で民を魔物から救い、気高く屈強な戦士として()()()()()()()()()こと。そして、姫と強く繋がる――つまり、()()()()()()()()()ことです」 


 私の咎は、目の前の神の遣いの如き男の命さえ奪ってしまうものだった。

 その上、娘達の恋愛の自由すらも。


 私はどれだけ彼らを苦しめればいいのか?

 どれだけ幸福を奪えばいいのか?

 何をすれば私が罰を受けられるのか?

 

「その為、貴方には勇者が役割を遂げられるよう、()()()()協力していただくことになります」


 勇者の言葉に、思い知った。

 罰を受けられないことが、私以外の人々に罰を押しつけ続けることが、私に与えられた罰なのだと。


 私は、神の意思に従うことにした。

 娘達が魔王の姫となることを到底許容できず、勇者が身代わりとなって命を奪われることを選んだ。

 選ぶしかなかった。


 自分を今すぐにでも殺したい。

 だが、私はそれでもエイシャの血を引く彼女らを守り抜くと固く決めていた。

 エイシャから授かった結界の中で、彼女らに平穏な暮らしを与えてあげたいから。  

 

 勇者と協議を重ねた結果、いくつかの謀略を重ねた。

 

 私はまず、娘のアイラを王とする新たな国を興した。

 国名はエンシャンティア。エイシャの努力が無くなってしまうのが嫌で、名前を引き継ぐことにした。

 王の権威を保つため、そして孫娘達が残酷な運命を知らずに過ごせるように、結界の祝福をアイラのものであると喧伝し、私は従者ということにした。


 エイシャが好きと言ってくれた耳も、その時に削ぎ落した。

 私は長命を祝福により与えられた普通の人間であるという嘘に、邪魔になる可能性があると考えたからだ。

 

 次に、勇者の魔王討伐を祈念するという名目で、勇者が旅立つ前に姫と子を成す決まりを作った。

 アイラに何度も謝った。

 でもアイラは「謝らないで」と、繕ったような笑顔を見せて、それが酷く悲し気だったことを覚えている。

 

 彼女に子が産まれ、アーサーが死に、やがて呪いが子に受け継がれた。

 私は孫娘を愛した。

 執事として、祖父として、出来ることならなんでもやってあげたい。

 可能な限り一緒にいて、父の居ない彼女らの分まで愛を注いだ。


 私は、嘘で塗り固めた「姫の役割」を孫娘に教えた。

 結界は姫の力。

 姫が外に出ると結界が解除され、民が魔物に襲われてしまう。

 勇者と子を成すことと、結界を維持し続けること。

 孫娘が理解できるように、何度も教えた。 

 

 それから、私は同じことを繰り返す。

 愛する孫娘達に、死に別れると知る勇者を引き合わせ、子供を作るように誘導し、そして未亡人となった彼女らを慰める。

 私に心配をさせまいとして気丈に振る舞う彼女達。

 不幸にしているのは他でもない私なのに。

 罪悪感が幾重にも折り重なっていく。

 

 その分彼女らが少しでも幸せに生きられるよう、私は結界内の発展に尽力した。

 魔物の侵攻により国を追われた人々を積極的に迎え入れ、都市と言えるほどまでに大きくした。


 人口が増え、紙を作れるようになってからは、「勇者アーサーの冒険」という絵本を民に配布した。

 魔物を怖れぬ「勇気の祝福」を手にした気高き男の物語。

 私の業を背負う彼らに少しでも感謝を伝えたかったのだ。

 些細な罪滅ぼししか出来ない自分が、心の底から嫌いだった。


 私は彼女らと触れ合った後、決まって嘔吐するようになった。

 愛おしさと罪深さ。

 幸福を願う想いと不幸へと導く役目。

 相反する感情、思考が反発しあい、内臓を裏返すのだ。

 

 城の敷地内に聖堂を建て、毎日祈るようになった。

 私を罰してください、と。

 娘達を解放してください、と。

 これ以上罪なき人々を呪わないでください、と。

 

 願いが届くことは無かった。

 

 一方で、私は嘘が上手になった。

 彼女らが心配せぬよう柔らかな笑顔を保つ。

 優しい言葉遣いで、諭すように話す。

 全ては彼女らが檻の中で平穏に過ごす為。

 その為ならばと嘘に嘘を塗り重ね、笑みを絶やさない老獪な執事長、という仮面を作り上げていった。

 

 そして、今から三百三十六年前、アイリスが産まれた。  

 子らは皆エイシャとよく似た容姿をしていたが、アイリスはとりわけ似ているように思えた。

 おそらく、眼差しだ。

 眼差しに込められた強い意思が、そう思わせたのだ。  

 

 アイリスは成長するにつれ、とてもわんぱくに育っていった。

 苦手なことはなんでも克服したい性分で、挑戦的で甘えん坊。

 エイシャの生き写しのようだった。

 

 愛おしくて仕方がなかった。

 じいじじいじとついて回り、ことあるごとに私を軟禁して楽しそうに笑う。

 おんぶをしてほしいとよくねだってくれて、私はいつも彼女をおぶって庭園を歩いた。

 大きくなっておんぶをしなくなってからも、私と話す時間をたくさんつくってくれた。

 心が優しく聡明な、本当に良い子に育った。

 

 だから、彼女がいずれ死ぬ男と子を成す運命にあることが、不憫でならなかった。

 彼女の笑顔を見る度に、私がこの笑顔を曇らせてしまうのだと、胸が張り裂けそうだった。 

 

 アイリスが十六歳になってすぐの頃、私の前に今代の勇者が現れた。

 センド・フューツ。

 深く被ったフードの奥から理知的な空色の眸を覗かせる、妙な気配のする男だった。


 エンシャンティア内で最も影響力が高い商人家系:フューツ家の次男であり、家業を長男に任せ魔法使いとして討伐隊に参加しているという異色の経歴を持つ男。

 なんでも触れた者の未来と過去を数時間程度知ることが出来る『人詠の祝福』を持つとのことだった。

 

 これまでの勇者とは何かが違った。

 歴代の勇者と同様に、まるで感情が凪いだような平静さを持つ彼だが、どこか憮然としたような、陰気な雰囲気を持っていた。

 

 彼は二人で話をしたいと言ったので、私の書斎に案内する。

 すると、思いがけないことを言った。

「俺は、勇者を辞退する」


 勇者とは、神によって定められた生贄。

 いずれの勇者もそのことを理解していて、疑問すら覚えずに死へ向かう者達だった。

 それなのに、センド・フューツは違った。

 

「なぜ……神の遣いである勇者様が、神の思し召しに逆らうのですか……?」


 勇者に対する罪悪感が尽きたことは無い。

 だが、そんな無責任な言葉が私の口からまろび出た。

 

 そんなことをしたら、神の欲望を駆り立ててしまうのではないか?

 エイシャを死なせてしまったあの日のように、また私の大事な人が私の所為で辛い目に遭ってしまうのではないか?

 胸中で不安と恐怖が膨張して、口走ってしまったのだ。


 私が苦しめられるのはいい。

 殺されようが生き地獄に蝕まれようが何も文句はない。

 でも、きっとまた、私は私の罪を背負えない。

 他の人が苦しむことになる。

 それがどうしようもなく怖かった。

 

 しかし、センド・フューツは一切表情を変えず、私の眸をじっと見据えて言った。

 

「アイリス姫を救う為だ」

 

 勇者らしい空色の眸には、これまでの勇者に感じたことのない()があるように見えた。

    


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