11話 触手VS執事長②
「ちょっと……! 今それを言ったらだめでしょ……!」
予期せぬアイリス発言に慌て、レイラが小声でニョロを窘める。
しかし、ニョロはレイラが考慮しない部分にこの面談の価値を見出している。
レイラの意図するところをなぞることで得られる継続的利益よりも、自身が持つ手札を行使することで最短距離での目標達成が出来る可能性を優先したのだ。
もはやレイラが計画するところにニョロはいない。
「俺、というのは少し違うか。俺の中にあるもう一つの人格がアイリス・エンシャンティア――かつてお前が仕えた姫だ」
レイラには既に知られている為ヒメの存在を明かしつつ、ボックスの反応を窺う。
ボックスは複雑な表情を見せた後、口元を隠して沈黙。
しかしその間二秒。すぐさま表情をとりなして話し始めた。
「いやはやこれはお嬢さんに一本取られましたな! そのお名前が出てくるとは思いもしなかったもので、つい懐かしんでしまいましたぞ!ですがそのもう一つのじんかく?というのはどういうことです? 若い子らの冗談は爺には難しくて難しくて」
いやはや、と世に疎い老人よろしく、あくまで冗談として対応するボックス。
――それこそニョロが期待した反応であった。
「思いもしなかった? そんなはずはない。お前は荷馬車から出た俺の顔を見て明らかな動揺を見せていた。アイリスの人格がある俺にだ。これは偶然か?」
「そりゃあ荷馬車から女の子が飛び出して来たのですからビックリするのは当然でしょう? 爺のボロの心臓が止まるかと思いましたぞ!」
大袈裟に胸を抑えてみせる老人を見るや、ニョロの尻尾が立ち上がる。
「それは違うな。まさか俺が飛び出す前に『出てきなさいお嬢さん』と言っていたことを忘れたわけではあるまい。お前は何らかの手段で俺が木箱に隠れていることを知っていたのだ。だから驚くはずがない。
――なぜ嘘をついた?」
ニョロが侍女としての潜入と天秤にかけてまでやりたかったこと。
それは、復活したアイリスに関するボックスの立ち位置、その確認である。
ニョロがボックスに疑念を抱いたのは、つい先ほど、ソファに座って相対した時だ。
当初、ヒメの顔を見て動揺したのはヒメの正体について何か知っているのでは、と勘繰っていた程度だった。
しかし記憶でアイリスとの深い関係性を目の当たりにし、アイリスとヒメを繋げる「何か」を知っていると踏んだ。
ボックスは大きな手掛かりをもたらす。
そう可能性を胸に対話に臨んだが、なぜかヒメを「見知らぬ少女」として接した。
ここでボックスに対する期待が疑念に変わる。
――ボックスはヒメとアイリスの謎を紐解く側ではなく、謎を謎のままに隠す側なのではないか?
そして、今嘘をついたことで確信した。
ボックスは――
ヒメがアイリスであると知っている。
そして、何かを隠している。
ニョロは安堵した。
仮に侍女として潜入したところで、怪しまれることは必至。
ボックスが隠す側であれば調査の妨害を受けることは確実な上、手がかりを隠滅される恐れだってある。
だからこそ、今ここで立ち位置を明らかにさせたのだ。
知的探求を好むレイラという主人を交えた今の状況で、嘘を看破された使用人に残された道は一つ。
――洗いざらい話すこと。
これがニョロの思い描いた「最短距離での目標達成」である。
「その木箱の中のこの子を見つけた『何らかの手段』っていうのも気になるけれど、ボックス。貴方、嘘をついてるの?」
ニョロの思惑通り、自称姫探偵が目を輝かせる。
このあとはレイラが身分を振りかざしてボックスに吐かせるだけだ。
しかし、ニョロは気付いた。
ボックスが穏やかな、いつも通りの笑顔をしていることに。
「まず嘘をついたことについては謝らせてくださいな。お嬢さんが仰る通り私は貴方が荷馬車に隠れていることは知っておりました。手段、というのも私はレイラ様もご存じの通り『長命の祝福』がありますから、顔が広いのが唯一の自慢でしてな?」
ボックスはそう言うと袖をまくり、左前腕に刻まれた祝福紋――樹木の年輪のような紋様を見せる。
ただの老人ではないことは記憶で見たから知っている。念のためレイラに視線を送ると、レイラが頷きを返す。
どうやら顔が広いのも真実らしい。
「『変わった尻尾が生えた泥だらけの少女』なんて王都では珍しいですから、噂が入ってくるわけです。『何かイタズラしようとしているぞ』と。ですから私は念のためにと思いまして、唯一王城へ侵入できる可能性がある荷馬車にあたりをつけ、当てずっぽうで声を掛けてみたのです。そしたら本当にお嬢さんが飛び出してきたもんですから、老いぼれはつい動揺してしまったのです」
「して、嘘をついた理由は何だ?」
「それは……レイラ様がここにおりますからな。侵入者に勘づいておきながら窓を割られているわけですから、執事長として恥ずかしかったのです。申し訳ございません」
ニョロの問いに眉をひそめたボックスが頭を下げる。
レイラは期待外れ、と言わんばかりに口を尖らせ、
「そんなこと……? 別にいいわよそんなこと」
「いえ。失態を犯しておきながらそれを隠そうとするとは、それこそ恥ずべき行いでした。この件につきましては私自ら国王様に報告し、然るべき罰を」
「やめてよ!頭をあげて頂戴!私達がいつもどれだけ貴方に助けられていると思ってるのよ!いい!? その件については他言を禁ずるわ!いいわね?」
レイラは深々と頭を下げるボックスに態度を急変させ、壁際に控えるメルダにも目配せしてその場を収める。
執事として長年仕えてきた信頼を感じる場面なのだろうが、ニョロにとっては最悪の展開であった。
レイラを後ろ盾として全てを明らかにするはずが、まだ何も聞き出せていないこの状況で、レイラがこの件に関する言及に及び腰となってしまったのだ。
だが、ニョロにはボックスが嘘をついているという確信がある。
ここで話を終わらせるわけにはいかない。
「嘘をつくな。お前はそこまで予測しておきながら、ただ驚いただけで侵入を許したとでも言うのか? 何が出てこようと即座に捕まえる心構えをしていなければおかしい場面だ」
「ちょっと!それはもういい、って言ってるでしょ!」
話を蒸し返そうとするニョロをレイラが叱りつけるが、ニョロの追及は続く。
「しかしお前にはそれが出来なかった。俺を見たお前が異常なほどに狼狽えていたからだ。答えろ。出てくると知っていたはずの『変わった尻尾が生えた泥だらけの少女』の何にそれほど狼狽した?」
ボックスは小さく頷いた後、
「私はもう八百年以上生きておりますからそれなりに人を見る目を培っておりましてなぁ。一目見ればその人の善悪の程が分かるのです。ただ侵入者など王家への害意があって当然ですから、誰であろうとまず捕まえよう。そう思っていたのですが、貴方からは全くと言っていいほどに害意を感じませんでした。おかしいでしょう? 侵入者なのに敵意害意の一切を持っていないのです。まあお嬢さんには窓ガラスを割られた上、廊下を汚されてしまいましたがな」
はにかみながら答えた。
「害意を感じなかったから狼狽したとでも? それはおかしい。害意があろうが無かろうがお前がすべきことはまず捕まえることだろう? それを出来ないほどの精神状態になる要因が俺にあったはずだ。あれがお前の印象を外した程度で見せる反応のはずがない」
ニョロは笑い皺の奥に潜むであろう真実を睨みながら反論を叩きつける。
が、ボックスの笑顔を揺らがすことが出来ない。
「ふむ。お嬢さんは初めから誤解しておりますな」
「誤解?」
「私が酷く動揺していた、という部分です。確かに貴方を見て硬直しましたが、それは身体が反射的に害意の無い子供を傷つけてしまわないようにするため。貴方を捕まえられないほどに動揺したのではなく、貴方を守る為に硬直し、あえて貴方を逃がした、というわけです」
「そんなはずがない。お前の様子は明らかに異常だった。そんな俺を害しない為の理性的行動には見えなかったが」
「それはお嬢さんの印象でしかない。実際貴方がガラスを割り、廊下や階段を泥だらけにしても誰も追いかけてこなかったでしょう? それは害意の無い瘦せっぽちの少女が城に何を求めてきたのが気になり、貴方の動向を見定めることにしたからです」
討論はお互いの落ち着いた口調ゆえに静かなものである。
しかし、ニョロの「ボックスが動揺していた」ことを前提とする主張は、前提そのものが否定されたことで一気に瓦解し始めていた。
「それは俺をアイリスだと知っていたから追わなかっただけだろう。お前は嘘をついている」
諦めるわけにはいかないニョロが食い下がるが、
「お気を害することを承知で申し上げますが、そもそもお嬢さんがアイリス様であるはずがないでしょう? アイリス様は故人です。それも三百年以上も前から」
ボックスはさらに前提の前提を否定する。
「俺の中には自分を姫だというもう一つの人格がいる。そしてアイリスの記憶を見たのだ。これが俺がアイリスである証拠だ。お前はアイリスが死んでいないことを知っている。何故この身体になったのかを知っている。答えろ。全て話せ。お前は嘘をついている」
極めて無感情な表情、落ち着いた声色であるものの、劣勢を自覚するニョロの口調は次第に早くなる。
ボックスがアイリスの謎を紐解く鍵であると確証を持ったからこそ、侍女として潜入できる可能性を捧げてまでアイリスを名乗ったのだ。
ここを逃せばもう王城に立ち入ることは出来ないだろう。
それは即ち目的達成が著しく困難となることを意味している。
だからこそ、この一手が微々たる手がかりすら得られずに終わってしまうなど、あってはならない。
だが、ボックスが次に話した内容が討論を終わらせた。
「貴方が絶対にアイリス様ではないという確信が私にはあります。その証拠が――結界です」
ヒメ=アイリスという図式を破壊したのだ。




