3.登城と違約金
学園に在籍している間、シューバットは男子寮を利用していた。
王都に家がある貴族はそこから通う場合もあるが、貧乏貴族は王都に家を持つ余裕はない。
寮で使っていた荷物は既に送っていて、明日ポナー男爵領にゆっくりと帰る予定だったが、殿下の元を訪ねるまでに用意しておきたい書類を取りに領地に向かわなければならない。
今日中に領地に帰り、明日の昼までには王都に戻って来るという、とてもハードな予定だ。
それを可能にする唯一の手段は自分で馬を飛ばすことだろう。
すぐに馬を借りて休憩を途中で挟みながら、最速で領地に向けて駆け出した。
最後に帰ったのは丁度一年ほど前だが、家までの道の整備もされておらず、何も変わっていない様子に驚きはない。
もし、シューバットがいない間に王都のようにしっかりとした整った道になっていたら、その方がびっくりして何かあったんじゃないかと疑ってしまうだろう。
日が暮れて、すっかり暗くなった時間に突然帰って来たシューバットに皆が目を丸くした。
母と義姉さんに心配を掛けることになって申し訳なかったけど、緊急事態なので早急に父と兄を呼び出して装飾品もない地味な自分の部屋に招く。
懐かしいと余韻に浸る暇もなく、時間がないからすぐに本題に入った。
「どうした、シュー。何かあったのか?」
「父さん、兄さん、落ち着いて聞いて欲しいんだけど、ロザンヌと婚約破棄することになった」
「は!?」
「そうか……。それで?」
父が話についてきていないのを感じながらも、話を促す兄に応えるように卒業式で起こった出来事をそのまま伝える。
兄がロザンヌの行いを聞いた時に静かにほくそ笑むのを見て、絶対に兄を敵に回してはいけないと思った。
父は既に爵位を兄に譲っていて、今は領地運営の雑務を手伝っている。頭を使うことが苦手な父は大いに喜んで身を引いたらしい。
シューバットとしても、しっかり者の兄に任せた方が安心出来る。
「…なるほど、つまりお前は婚約書類の控えを取りに来たんだな?」
「うん。明日の昼には王城に行かないといけないから、朝一でまた戻る」
「分かった、すぐに用意する。シュー、」
「なに?」
「上手くやれよ」
「……頑張る」
同じ平凡な茶の目を持つ兄のそれが黄金色になっている気がして、苦く笑う。
臨時収入は貧乏貴族にとって、かなり嬉しい出来事だ。
兄はしっかりとお金を管理して、無駄遣いせずに正しく使ってくれるだろう。
ただ、婿入りが消え、この先の予定が狂った自分にも多少は融通して欲しい。
生活場所も就職先も、何一つ手元にはない。
明後日以降の予定がないことに酷く焦りを感じるが、今は深く考えないことにした。
早朝から、再び馬を飛ばして王都に入る。
殿下に言われていた時間には間に合いそうなので安堵して、馬を返してから王城に行くことにした。
遠くからでもその存在をはっきりと感じるほどに大きな城に近付くにつれて、緊張で足が竦む。
罪人として向かうわけではないが、王城に踏み入れたことは人生で一度もない。
年に数回、王城で大規模に行われるパーティーに次男のシューバットが参加する機会はなかった。
ドクドクと激しい音が鳴る心臓を落ち着かせながら、王城の門にある受付で名前を告げ、殿下から預かっている王家の紋章が刻まれた懐中時計を見せる。大切に持っていたから傷は一つもないはず。
登城理由を述べている途中で、“懐中時計を盗んだ”と疑われる可能性にハッとした。
高位貴族でもないシューバットが第三王子の懐中時計を持っていたら、怪しまれて当然だ。
それなら面倒でも一筆入れて貰えば良かったと激しい後悔が大波のように襲って来る。
慌てて弁解しようとしたが、特に怪しまれることなく、シューバットに少し待つように告げられた。
あっさりと信じて貰えたことに拍子抜けしながら、言われた通りに待機していると城の方から一人の男性が早足でこちらに向かって来て、シューバットに案内を申し出る。
そのまま、早足の案内人の後を付いて行くとある大きな扉の前で立ち止まった。
扉の装飾は言葉にできないほど見事なもので、目を奪われているとゆっくりとそれが開き、案内人に続いて中へ入る。
シューバットは部屋の中にゴーデン殿下だけがいると思っていた。
しかし、そこには学園にある等身大の肖像画でしか見たことがない陛下や婚約破棄を告げられた公爵令嬢、幼馴染のロザンヌ、そして部屋の端には腰に剣を下げている騎士達が揃っていた。
厳かな雰囲気の中、カチンと固まって入り口で止まったシューバットに注目が集まる。
こちらを見る人数は前よりも少ないが、似たような光景を思い出して気が遠くなりそうだった。
せめて部屋に入る前に教えて欲しかった!と中に入るように促した案内人を恨めしく思いながら、心の中で悪態をつく。
貴族の礼儀作法など学園で習ったレベルでしか知らない。
陛下の前で絶対に失礼な振る舞いをしたくはないが、完璧とは程遠いそれに一秒後の未来が真っ暗になり、震えが身体に走った。
「父さん、母さん、兄さん、義姉さん、ごめん」とシューバットは心の中で床に頭を付けて謝った。
一時間後にはポナー男爵家は消えているかもしれない。
殿下との約束に遅れないように何度も時間は確認したし、王城の門の近くにある時計台で最後に時間を見た時も予定より余裕があった。門からここまで歩いて来た時間を合わせても、午後二時に遅刻したわけではない。
しかし、どんなに部屋を見渡しても昨日の騒ぎの中心にいた主要人物はシューバット以外の全員が立ち並んでいた。それに加えて陛下までいる。
入室の順番として、明らかにシューバットはマナー違反していた。
心臓が破裂しそうな状況に慣れない動作で礼を取って挨拶を述べようとした時、他の人よりも一段高い場所に座る陛下がそれを止めた。
「シューバット・ポナー。堅苦しいのは良い。早急に聞きたいことがある」
「は、はい」
「まずは……」
シューバットが遅れたことに陛下は何も言わなかったため、とりあえず命を繋いだことに安堵して声を震わせながら陛下に答える。
たった一日で色々と調べたようで、陛下はシューバットとロザンヌが婚約した日も既に知っていた。
手元の書類を見ている陛下からいくつかの問いが繰り返される。
そして、最後に殿下の命令でシューバットが婚約破棄を受け入れた事実を確認されて、しっかりと答えた。
フィーズ家とポナー家が交わした婚約に関する契約書類の控えも提出する。
「───なるほどな。それでゴーデンがロザンヌ嬢の代わりに違約金を払うと言っているわけか」
肖像画で見ていたよりも遥かに疲れた顔をしている陛下に、シューバットはごくりと息を呑む。
ここまで失礼な行いをしたつもりはないが、首をばっさりと斬られたりしないだろうか。
シューバットはいつの間にか違約金よりも自分達の命のことばかりを考えていた。
「ゴーデン」
「はい、父上」
「ポナー男爵家への違約金、そして先ほど話し合って決まったブルーム公爵家への違約金の二つをお前が払うことになるが、払えるのか?」
「それは……」
どうやら自分が来る前に一方的に婚約破棄を告げられたブルーム公爵家への違約金の話をしていたらしい。
シューバットが遅れたのではなく、先に集まって話し合いをしていたのだと分かって身体の力が抜けそうになったが、命の保証はまだ出来そうにない。
よくよく観察するとゴーデン殿下もロザンヌも顔色が悪かった。
たった一日で田舎の貧乏貴族同士の婚約日まで調べているのだから、ロザンヌが訴えた嫌がらせが虚偽だったということも既に暴かれたのかもしれない。
シューバットは存在感を消しながら陛下と殿下の話を聞き、そう推測した。
ポナー家へ支払われる違約金は、シューバット達から考えるととても高額だ。だが、陛下や殿下のようにお金を持っている人達から見ると些細なもの。
しかし、それに加えて公爵家への支払いも含むとさすがに唸りを上げる額になるだろう。
瑕疵が殿下の方にあるだけではなく、大勢の令嬢令息の前で冤罪を被せた。
名誉を傷付けたことも含め、ブルーム公爵家に支払わなければならないお金はポナー家への違約金とは比べ物にならないはずだ。
「馬鹿者が!!!好き勝手して王家に泥を塗るとは恥を知れ!!!」
陛下の怒号にゴーデン殿下がびくりと身体を震わせた。
自分に言われているわけではないと分かっていても、居心地が悪い。
ちらりと幼馴染に目を向けると今にも倒れそうなほど白い顔をしていた。
しかし、経験した修羅場の数が違う公爵令嬢だけは違った。
怯えも震えもなく、女性にしては少し高い身長の彼女は背を伸ばした凛とした美しい姿勢で堂々と立っている。
柔らかな黄緑色の艶のある髪、揺るぎのない強い意志を含んだルビーのような色の目が、とても印象的で引き込まれる。
腕の良い縫子が作ったと思われる豪華な高級ドレス、貧乏貴族が一生手に出来ない大ぶりの宝石のネックレスは彼女のために存在しているのではないかと思うほど、よく似合っていた。
昨日は、殿下とロザンヌばかりに気を取られていてあまり彼女をよく見ていなかったが、殿下に問い掛ける機会があるのなら是非聞いてみたい。
アイラ・ブルームを捨てて、ロザンヌを選んだ理由を。
男爵令息のシューバットと公爵令嬢に接点は今までなかった。
学生時代からシューバットは高位貴族を避ける傾向にあったし、公爵令嬢からシューバットに近付く理由もないだろう。
そのため、彼女の性格が気に入らなかったと言われたら何も反論が出来ないが、殿下が重きを置いている容姿に関しては全く見劣りしていない。
ただし、殿下が顔を赤くして、鼻の下を伸ばすほど求めている女性の“ある部分”に関してはロザンヌに軍配が上がるのは否定出来ないが。
しかし、逆を言えばロザンヌを選ぶ理由はそれしかない。
シューバットが色々と考えている間に親子の話がまとまっていた。
「まずはポナー男爵家への違約金をゴーデンから払う。続いて、ブルーム公爵家へはゴーデンと私の私財から出すことにする。ただし、ゴーデンから私への借金扱いとする。ゴーデンはフィーズ男爵家へ婿入り後、しっかりと働いて精を出すように」
「ま、待ってください!どういうことですか!?」
シューバットが思い浮かべた疑問をそのままロザンヌが叫ぶように声に出した。
田舎の貧乏貴族の次男が立つ予定だった場所を、第三王子のゴーデン殿下が代わるというのか。
あまりにも差が激しい。
「殿下が私の家に婿入りって…!?殿下はこれからも王城で暮らして贅沢していくのでしょう?」
「何を言っている?ゴーデンは卒業後、ブルーム公爵家へ婿入りが決まっていた。それをフィーズ男爵家へ変更しただけだ」
発言の許可も取らずに無礼を働いたロザンヌに陛下が優しく教えると、ロザンヌは殿下に向かって「話が違う!」と騒ぎ出した。
同じ男爵家の子として、幼馴染として、それをひやひやしながら見つめる。
シューバットが予想した通り、殿下と婚約すれば湯水のようにお金を使って贅沢な暮らしが出来ると夢を見ていたらしい。
しかし、現実はそうではなかった。
そもそも、フィーズ男爵家には娘が一人しかいないのに、跡継ぎはどうするつもりだったのだろう。
自分のことしか考えていない幼馴染の甘い考えを察して呆れてしまった。
殿下はロザンヌに問い詰められている理由が分かっていないようで困惑している。
どこで意思疎通の間違いが起こったのか分からないが、殿下は婿入りを前提にロザンヌに婚約を申し込んだようだ。
ロザンヌとは違って殿下は心からロザンヌを愛しているように見える。
ロザンヌは愛よりもお金、殿下はお金よりも愛を選んだ。
その矛盾がこれから先、どのように作用していくのか。
今回の問題でポナー家はフィーズ家と距離を置くことになるだろう。
縁の切れたシューバットには、この先二人がどうなろうと関係のない話である。