2.ポナー家とフィーズ家
「ロザンヌ・フィーズは、私の婚約者です」
「!?」
出来る限りの冷静さを保ちながらシューバットが告げた新事実に、一度目を上回るほどのどよめきがパーティー会場に広がった。
信じられないような顔で口をポカンと開けるゴーデン殿下。
勝気な表情が剥がれ落ち、顔を真っ青にさせて今にも倒れそうなロザンヌ。
僅かに目を見開いてシューバットを見つめる公爵令嬢。
二人の反応から推測するとロザンヌに婚約者がいる事実を殿下は知らなかったらしい。それも仕方ないだろう。
ロザンヌ本人がシューバットという婚約者がいることをすっかり忘れていたようだから。
そんなに存在感がなかったのかと自分の影の薄さに心の中で苦く笑う。
「ロ、ロザンヌ…?」
「ち、違うんですっ!その……、シューバットとの婚約は…父が勝手に決めたもので…」
さっきまでの勢いを失った殿下に言い訳を重ねるロザンヌの話は、噓ではない。
シューバットとロザンヌの婚約が決まったのは二人が十歳の時で、父親同士が話し合って決めたものだ。
もちろん、口約束ではなく、正式に書面を交わしている。
この婚約の最大の理由はフィーズ男爵家に子供がロザンヌしかいないことだ。
ロザンヌは婿を探さなければならないが、フィーズ男爵領の規模は他よりも小さく、特産物もなく、観光地もない。
そんなフィーズ男爵家に婿入りしたいと願う令息がいる可能性は低い。
なによりも、男爵は溺愛している一人娘を変な男に渡したくないと隣の領地を賜っている男爵家の次男であるシューバットに声を掛けた。
幼馴染だったこともあり、シューバットならロザンヌを任せられるとお願いして来たそうだが、本音は融通の利く無害そうな男、女にモテないシューバットなら浮気の心配もないという打算があったのだろう。
後は天使のように可愛い娘を政略結婚の道具として使いたくなかったのかもしれない。
面倒で厄介な女が婚約者に決まったと思ったが、特に反論もせずに受け入れた。
好きな相手もいないし、田舎の貧乏貴族の冴えない次男を婚約者に望むような相手はいない。
平民相手ならまだ可能性はあるが、少しでも家のためになるのなら相手がロザンヌでも構わなかった。
シューバットはロザンヌの婚約者らしく振る舞う努力をした。
今まで一度も送ったことのなかった手紙を書き、花を送った。しかし、ロザンヌに「鬱陶しい!」と言われて以降、シューバットは積極的に婚約者らしいことをするのはやめた。
ロザンヌの言葉に傷付いたわけじゃない。
お互いに気持ちがあるわけでもないし、割り切った関係の方が楽だと思った。
婚約者に割く時間をシューバットはフィーズ男爵家に婿入りするための準備に使った。
しかし、ロザンヌにはお金もなく、娯楽もなく、魅力もない男爵領で死ぬまでシューバットと共に過ごすぐらいなら、王子に媚びて婚約者の座を奪い取る方が魅力的に見えたらしい。
確かにキラキラと輝く金髪にアクアマリンのような美しい目を持つ、整った容姿の殿下と地味で平凡なシューバットのどちらを恋人にしたいかと学園中の令嬢に問い掛けたら、全員が殿下を選ぶだろう。
殿下の隣にいれば男爵領で過ごすだけでは叶えられない我儘も自由に言えて、今まで好きに着られなかった煌びやかなドレスや高価な宝石も簡単に手に入るかもしれない。
学園に入学する前に久しぶりに顔を合わせたロザンヌに「絶対に人前で話し掛けないで」と言われて、そのまま放っておいたのが良くなかった。
ロザンヌが高位貴族に片っ端から声を掛けて篭絡しようとしていると噂に聞いた時に、愛人ぐらい好きに作れば良いと気にしなかったのが良くなかった。
次々に後悔が溢れるが、もう全てが手遅れ。
「ポナー、ロザンヌから身を引け」
「…私の方から婚約破棄を申し出ることは出来ません」
たとえ、ロザンヌの愛人が王子だとしてもそれだけは従えなかった。
正式に書面を交わしている婚約をシューバットの方から破棄すると家に多大なる迷惑が掛かる。
父さんは肝が小さいから今回の話を聞いたら間違いなく、目を回して倒れるだろう。皺が刻まれた青い顔が頭の中に思い浮かんだ。
公爵令嬢と婚約破棄して、ようやくロザンヌが手に入ると思った矢先のこの事態に殿下は苛立ったように舌打ちを鳴らしたが、あることに気が付いて、にやりと笑う。
「シューバット・ポナー!第三王子、ゴーデン・クイーナの名の元に命ずる!ロザンヌと婚約破棄しろ!」
「…承りました」
権力を当然のように振りかざす殿下の言葉にシューバットは、ホッとした。
殿下からの“命令”ならば、婚約破棄を受け入れなければならない。
シューバットの意志ではないため、こちらの瑕疵を問われることはないだろう。
シューバットにとって一番大切だったのは、“シューバット側から婚約破棄をしない”ことだった。
上手く婚約破棄が出来たことに安堵している幼馴染にシューバットは爽やかな笑みを浮かべる。
元婚約者に気軽に話し掛けられたのは緊張が少し解けたからだろう。
「ロザンヌ、嬢。俺…じゃなくて、私の方から手紙を書くけどフィーズ男爵に伝えておいて。違約金は近いうちに取りに行くって」
「違約金…?」
「そう。片方に瑕疵があり、婚約が白紙に戻る場合は違約金が発生する契約を交わしている。婚約時に作成した書類に書いてあるよ」
「は…?」
ロザンヌが違約金という言葉に覚えがないのも無理はない。
この違約金の話を聞かされたのは婚約を決めた父ではなく、その場に立ち会っていた五歳上の兄からだった。
当時十歳の子供達にお金が関わる生々しい話はしないでおこうと父親達は笑っていた、と呆れ顔の兄に婚約の詳細を聞かされ、シューバットには「絶対に自分から婚約破棄するな」と固く誓わせた。
「父さんのようには絶対にならない」が口癖の賢い兄もロザンヌの本性はよく知っているから、いつか弟がこっ酷く振られる未来に賭けて男爵達を言葉巧みに操り、違約金の金額をつり上げた。
払うわけがないと高を括っている二人を、手のひらでころころと上手に転がしている様子が目に浮かぶ。
たとえ、ロザンヌがシューバットで納得したとしてもシューバットが婚約破棄をしたいと言わない限り、ポナー家は痛い思いをしない。
弟をある意味とても信頼していた兄は、この話を聞いてとても喜ぶことだろう。
ロザンヌは昔から両親の前では可愛らしく優しい子を演じていたが、幼馴染のポナー兄弟の前では我儘で、傍若無人な態度を取っていた。
時にはシューバットを召使のように扱って「王都のお菓子を買って来て」「一芸して」など、女王のように命令されたこともある。
仕方ない、と思える範囲では従っていたが、ほとんどは適当にあしらっていた。
その度にロザンヌは、キーッ!と怒っていたが。
改めて考えてみると、よくロザンヌの両親が娘の我儘で勝気な性格に気付かなかったな、と思う。
目がおかしくなるほど、ロザンヌが可愛かったということか。
どこかで軌道修正が出来ていたら、今日の騒ぎは起こらなかったかもしれない。
領地運営が苦手な肝の小さい似たり寄ったりの父親達は、まさか八年後にこんな形で息子と娘が婚約破棄するなんて夢にも思っていなかっただろう。
特に義父になる予定だったフィーズ男爵は、本性を丸出しにした娘が起こした事件を聞いて泡を吹いて倒れるかもしれない。
「お金なんて家にないわ!」
「でも、契約だから」
「……殿下、わたしっ、わたし……どうすれば…」
目をうるませて、豊満な胸を押し付けながら媚びるロザンヌに悩殺される殿下。
甘い雰囲気になりかけた二人に困っているとシューバットの視線に気付いた殿下が取り繕うようにコホン、と咳をしてロザンヌを安心させるように優しく笑う。
顔の紅潮と伸びた鼻の下が、全てを台無しにしているが。
「安心してくれ、愛するロザンヌ。その違約金とやらは私が払おう」
「ありがとうございます!殿下」
これが王子を堕とした技か、と感心する。
シューバットとしては、違約金を払ってくれるのならフィーズ家だろうと殿下だろうとどちらでも良い。
むしろ、お金を持っていそうな殿下から受け取った方が家に早くお金が入るかもしれないと喜びすらある。
「そういうことでシューバット・ポナー、明日の午後二時に取りに来い。そして、ロザンヌに二度と関わるな」
「はい、殿下。しかし、私のような下位貴族が殿下の元を訪ねても王城に入れない場合がありますので、一筆頂きたいのですが…」
「そうだな。お前のように記憶に残らない顔をしている奴が私に面会を申し込んでも、門前払いされるかもしれない。しかし、一筆入れるのは面倒だ。この懐中時計を代わりにしろ」
「…お手間を掛けます」
懐から取り出して、ポイッと雑に投げられたのは王家の紋章が刻まれた懐中時計。
一生見ることも、ましてや触れる機会もないはずの貴重な物をぞんざいに扱うなんて、王族は恐ろしいと思いながら震える指先でハンカチに懐中時計を包み込んだ。
これを落したり、傷付けたりするようなことがあればシューバットに責任を負わせるに違いない。
肌身離さず懐中時計を明日まで持ち歩くことを決意する。
殿下の失礼なシューバットの評価は間違っていないので特に気にしない。
外見だけではなく、他に特筆するべきこともないし、自分自身の価値は誰よりも良く知っている。
多少誇れるのは、男爵領で昔から乗り回していたことで馬の扱いが他人よりも上手いことと、山や畑を遊び場にして身体を動かしていたために体力が多いことぐらいだ。
「よし!これで問題なくロザンヌと一緒になれるな」
「嬉しいです!」
周りが全く目に入らなくなった二人がいちゃいちゃし始めて、卒業生達が冷たい視線を送っている。
それが近くにいる自分にも向いている気がして「俺は被害者です!」と心の中で必死に弁解した。
もう一人の被害者は大丈夫かと心配になったシューバットは、妙に距離が近い殿下とロザンヌから目を逸らして様子を窺うと公爵令嬢が居た場所は、ぽっかりと穴が開いていた。
一人取り残された気分になったが、この状況なら早々に退出して当然である。
シューバットもキャルムに簡単に挨拶を済ませてからパーティー会場を後にした。
心残りは豪華な食事をあまり食べられなかったことだ。




