1.婚約破棄宣言
この作品は短編版を加筆修正して連載化したものです。
一部変更していますが、4話までが短編の内容になっています。
王都にある学園で卒業式が行われた。
シューバットは学園での記憶をなぞるように、周囲を見渡す。
近くにいる同じ男爵令息キャルムとは、自分達よりも爵位が高い令嬢令息に目を付けられないようにひっそりと端に身を寄せていた仲だ。
頑張っても銀とは言い張れない灰色の髪、珍しくもない茶色の目。
街を歩けば埋もれてしまう凡庸な容姿は女性にモテず、目立ちもしない。大きな問題を起こさずに卒業式を迎えられたことに安堵した。
毎日が楽しいと胸を張れる日々を送っていたわけではないが、十六から十八歳までの三年間も学園に通うと寂しいという気持ちも多少は沸いてくるらしい。
しんみりした感情に浸っている周りの空気に流されているのかもしれない、と苦く笑う。
十年後にシューバット・ポナーという令息が同じ学園の、同じクラスに居たと覚えているのは恐らく、唯一友達と言える男爵令息だけだろう。
この先も付き合いが続けば嬉しいが、シューバットは卒業後に婿入り先で領地運営を本格的に学ぶことになっている。
これからの毎日は学生時代よりも忙しくなるだろうから交流を続ける時間があるのかが心配だった。
婚約者が積極的に協力してくれれば良いが、望んでから地に堕とされたくはないので最初から期待はしないでおく。
式は順調に進み、今は学生達のお別れ会兼昼食として立食パーティー中である。
卒業を祝うように豪華な料理が揃っていて、好きな物を好きなだけお腹に詰め込む贅沢を味わいたいと思うのが田舎の貧乏貴族の共通する願望だろう。
そんな時だった。
「アイラ・ブルーム公爵令嬢!貴様がロザンヌ・フィーズに対して行った行為は許容出来るものではない!」
唐突にパーティー会場に広がった怒気を含んだ声にシン、と場が静まり返る。
和やかな雰囲気を壊した相手が気になり、家ではなかなかお目に掛かれない一口大に切った柔らかなステーキを味わいながら声が聞こえた方に視線を向けた。
声の主は、同じく卒業生のゴーデン・クイーナ殿下。
その向かい側にいるのは、アイラ・ブルーム公爵令嬢。
シューバットには遠い存在の二人だが、遠目で何度か見掛けたことがあるので間違いはない。
そして、そこにはもう一人いた。
庇護欲をそそるように愛らしく小柄でローズティーのような色合いの長い髪に、くりっとした大きなアメジスト色の目を持つ令嬢が殿下の腕にぎゅっと手を回している。
殿下の顔が赤いのは怒りの所為か、華奢な身体からは想像が出来ないほどの豊満な胸が己の腕に当たっている所為か。
シューバットは一生に一度の卒業式に泥を塗ったのがこの国の第三王子だということに驚いたが、それ以上に目に映る光景に衝撃を受けた。
目を付けられたら男爵令息など呆気なく消されると怯えて、学園内ですれ違うのも徹底的に避けていた殿下の腕に胸を積極的に押し付けているように見える男爵令嬢に、非常に悲しいことに見覚えがある。
ちょっとした好奇心と、他人事だと思ったから気軽に視線を向けることが出来たのに、無関係と言えなくなりそうな空気がそこにはあった。
シューバットは逃げ道を探すようにパーティー会場の出口を視界に入れたが、静寂に包まれたこの場から一歩でも動けば目立ってしまうと考えると何も出来ない。
「……殿下、何をおっしゃっているのか分かりかねますが、場所を変えましょう。他の皆様のご迷惑になりますわ」
「この場で貴様の罪を暴かなければ公爵が金にものを言わせて揉み消すだろう!?そんなことは許さない!ロザンヌが貴様に嫌がらせを受けたと涙ながらに訴えて来たのだぞ!」
酷く興奮した殿下の声は会場の端々まで届くほど大きい。
息巻いた殿下の口からは続けて公爵令嬢が行ったという暴言や持ち物の破損といった嫌がらせの数々が挙げられていく。
あのロザンヌ・フィーズが嫌がらせを素直に受けていた、と?
第三王子の言葉を疑うなど普段のシューバットなら恐れ多くてそんなことは絶対にしないが、どうしてもシューバットは信じられず、殿下の隣を陣取るアメジスト色の目の女の表情をよくよく観察した。
いや、注視しなくても性格をそのまま表したような勝気で傲慢な顔は全く隠れていない。
殿下の視界には入っていないのかもしれないが、ロザンヌを知るシューバットが見れば一発で分かる。
ロザンヌは嫌がらせなど受けていない。
そもそもロザンヌという女は嫌がらせをされたら、同じかそれ以上のことを平気でやり返せる女だ。
圧力に屈して泣き寝入りするタイプではないと断言が出来る。
キャルムにも話したことはないがシューバットとロザンヌは幼馴染で、付き合いは長い。
調査されたらすぐに嘘だと気付かれるような話をどうして殿下にロザンヌは言ったのか。
そして、第三王子ともあろうゴーデン殿下がロザンヌの言葉を鵜吞みにして公爵令嬢を一方的に責め立てているのか。
なによりも理解が出来ないのは、男爵令嬢のロザンヌが王族である殿下と腕を組んでいる状況だ。
力を持たない男爵令嬢など失礼なことをすれば一発で立場が危うくなるのに。
自分から立場を危険に晒している幼馴染に呆れながら、卒業式の思い出として十年先も記憶に残っていそうな断罪劇の観客達の反応を窺うと皆が厳しい視線を二人に送っている。
卒業生達は公爵令嬢が嫌がらせを行っていない事実に気付いているのだろう。
あまりにも内容が稚拙で、権力も財力もある公爵令嬢の振る舞いとは到底思えない。
しかし、ゴーデン殿下には隣に居るロザンヌと正面にいる断罪対象の公爵令嬢しか見えていないようで、シューバットは“この先”に嫌な予感をビリビリと肌で感じていた。
「──よって、私とアイラ・ブルームの婚約を破棄することをここで宣言する!そして、私は愛するロザンヌ・フィーズと婚約する!」
シューバットの身体はカチンと硬直し、周りの卒業生達はどよめいた。
一番言いたかったことを告げて満足げな顔でロザンヌにとろけた表情を見せる殿下と公爵令嬢に勝ち誇ったようにギラリと目を向ける幼馴染。
頭の中で殿下の宣言が何度も繰り返されて、上手く処理が出来ない。
周囲が小さいとは言い難い声で囁き合っている状況に気付かないほど、シューバットは狼狽していた。
どうして、何故、と声にならない言葉がはくはくと動く唇から漏れていく。
シューバットとロザンヌが幼馴染という関係だけならここで見て見ぬ振りをしても許された。
下手に口を挟んで飛び火するのは困るし、田舎の貧乏貴族の次男には荷が重い状況である。
しかし、とても残念なことに、シューバットは全くの無関係とは言えない立ち位置にいた。
「…身に覚えのない理由ですが、婚約破棄は受け入れますわ」
殿下を見限ったように冷たく言い放つ公爵令嬢の淡々とした声が、考えを纏める時間を欲していたシューバットを余計に焦らせた。
このパーティー会場に居る誰よりも混乱しているのは自分だろうと確信すらある。
話は終わったと告げるように公爵令嬢が背を向けてその場を離れようとしている姿に、シューバットは慌てて割り込んだ。
「お、お待ちください!」
咄嗟の判断が間違ったかもしれないと思ったのは、予想外に響いた声に周りの目がぎょっとシューバットに向けられた時だ。
三年間、日陰を歩いて生きて来た男爵令息にとって、鋭い剣と化したこの視線の数は命を狙われているような感覚を思い出させる。
幼い頃、男爵領にある山に勝手に一人で入って熊に襲われそうになった時以来のそれに悲鳴を上げそうになった。
それでも、恐怖と緊張を奥歯で噛み殺して卒業前に起こってしまった大問題を片付けるべく、震える足を一歩前に踏み出す。
近くにいたキャルムが控えめにシューバットの名前を呼んだが、その小さな声は耳に入ってこなかった。
事実無根の罪を言い渡された公爵令嬢を華麗に救い出す騎士。
婚約破棄を告げられて悲しむ令嬢に寄り添う麗しい王子様。
残念ながら、そんな素敵な男にシューバットを重ねている人は一人もいなかった。
うわずった声に、緊張した真っ青な顔、ぎこちなく動く手足。
正義感から声を上げて公爵令嬢の足を止めたのなら、どれだけ良かっただろう。
シューバットは三人の元に進みながら殿下の腕に張り付いているロザンヌを睨み付けた。
幼馴染はシューバットの顔を見て、ハッと気まずそうに目を逸らす。
どうやら自分は彼女に居なかったことにされていたようだ。
断罪劇の一役を無理矢理与えられて、舞台上に一歩ずつ近付く度に精神が削られていく。
今まで、こんなにも多くの人にシューバット・ポナーという男の存在を知られたことはない。
生徒達によって作られた、真っ直ぐな道の先でシューバットは足を止めた。
「…口を挟む無礼をお許し下さい」
「誰だ、お前」
「シューバット・ポナーと申します」
声が震えるのはご愛嬌と思って見逃して欲しい。
今まで殿下や高位貴族には関わらず、静かに過ごして来たのに最後の最後でこんな目に合うなんて思ってもいなかった。
これで家族にまで迷惑が掛かるような事態に発展したら絶対にロザンヌを恨む。今でも十分、恨んでいるが。
殿下とロザンヌ、足を止めてくれた公爵令嬢、そして貧乏貴族の男爵令息はお互いに警戒しながら適当な距離を置いている。
特にいきなり話に入り込んで来たシューバットは目的もはっきりしていないため、かなり怪しまれていた。
「それで、なんだ?」
ゴーデン殿下が訝しげに横槍を入れたシューバットに尋ねる。それに発言を許されたと勝手に判断した。
ロザンヌが声に出さずにアメジストの目で必死に何かを訴えているようだが当然、無視する。
次に発する自分の言葉が更なる混乱を招くことは誰よりもシューバット自身がよく分かっていた。
しかし、ここで問題を先送りにして不利になるのは避けたい。
そもそも、こんな大勢の前で騒ぎを起こした二人が悪いと責任転嫁することでシューバットは自分を勇気付けた。
己を落ち着かせるために瞬きを一つした瞬間、シューバットの纏う空気が変わる。
弱々しく、声を掛けるだけで腰の引けていた男から唐突に溢れ出した威圧に殿下が怯み、息を呑み込んだ。
しかし、シューバットには何の自覚もなく、印象に残りにくい平凡な茶の目を殿下にジッと向ける。
そのままシューバットは特大の爆弾を投下した。
初めての連載なので不慣れな点もあるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




