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 琥珀、とどこかで孜門が自分を呼ぶ声がした。

 (もう)(ろう)とした意識の中で、ここはあの世だろうかと珠璃は考える。

 そういえば自分は猫のまま死んだのだ。

 ということは、孜門も死んだのだろうか。あの蛇に殺されて。

 結局、蛇が王太后に化けていたというのはどういうことだったのだろうか。あの蛇は妖怪の類いだったのだろうか。

 ぼんやりと考えながら辺りを見回すと、覗き込んでくる孜門の顔が見えた。

(あぁやはりここはあの世なのだ。孜門も蛇の毒牙からは逃れられなかったのか)

 残念だ、と珠璃は軽い溜め息を吐いた。

 ひとつだけ喜ばしいのは、死んだ孜門が元気そうなことだ。

 死んでも元気というのもおかしな話ではあるが、天女だった珠璃が死後がどういうものか知らない。多分、死んだら死んだであの世では皆が笑顔で暮らせるのだろう。

(よかった)

 孜門に向かって珠璃は微笑んだ。

 あの世でも孜門が「琥珀、琥珀」と呼んで可愛がってくれるのであれば、悪くない。

 そう考えながら珠璃が起き上がろうとしたときだった。

「丹陽! 琥珀が目を覚ましたぞ! 早く()()を呼べ!」

 孜門は背後に向かって声を荒らげる。

「はいはい、侍医ならばここに控えております」

 相変わらず皺だらけの丹陽が杖を突きながら歩いてくる。顔を(ひそ)め腰に片手を当てているところを見ると、腰を痛めているようだ。

(なんだ。丹陽様も死んだのか)

 あの世というのは存外騒々しいものだ、と苦笑いをしながら身体を起こす。

「おや、お嬢様。意外にも元気そうですね」

 年老いた老婆が珠璃の手を取る。

 どうやら女医のようだ。

 猫のためにわざわざ医師を呼ぶとは、孜門も死んだというのに王のときの癖が抜けていないようだ。

「元気だ」

 女医の問い掛けに答えた珠璃は、「おや?」と首を傾げた。

 「にゃ」という声が出るはずが、なにやら自分の耳には言葉が聞こえた。

 なにかがおかしい。

 はて、と目を凝らして見ると、女医が掴んでいる自分の手には、あれほど毛嫌いした金色の毛が生えていない。それどころか、真っ白い肌の腕がある。

「……?」

 もう片方の手にも視線を向けると、やはり白い肌が見えている。手のひらには肉球はなく、代わりに五本の指と貝殻のような薄紅色の爪がある。

「あなた様はもう猫ではないのですよ」

 まじまじと自分の手を(ぎょう)()している珠璃がなにに驚いているのかわかっているらしい丹陽が、静かな声で告げた。

獅崙山(しろんさん)の主のもとへ、昨日天帝より手紙が届きました。珠璃様は百年の精進潔斎を達成できなかった。しかし、蛇の妖怪を退治するという働きは()めるに(あたい)する。よって、今後は地界で人として限りある命で生きるように、との伝言です」

「蛇の妖怪――」

 やはりあの蛇は妖怪だったのか、と珠璃は納得した。

「王太后様は前国王陛下の死後、間もなくあの蛇の妖怪に食い殺されていたようです。猫の琥珀が落とされた井戸の中に人骨が沈んでいました。蛇は王太后になりすまし、いずれは女王になることを(もく)()んでいたようです。まったく、恐ろしいことでございますな」

 白い顎髭をしごきながら丹陽は目を細める。

 その好々爺の表情を見る限り、丹陽は薄々王太后の正体に気付いていたように見える。

 蛇の妖怪も、丹陽が王宮に現れたことで自分の計画が失敗することを恐れ、早々に王を毒殺しようと(あせ)って行動したことが裏目に出たようだ。

「琥珀。そなたのおかげで蛇の妖怪は退治されたぞ。なんど礼を言っても言い足りないくらいだ」

 孜門は珠璃のもう片方の手を取ると、(おが)むように礼を言った。

「しかし、問題もあってな。王妃が蛇の妖怪が出るような王宮など嫌だと言って実家に帰ってしまったのだ。王妃の実家も蛇の妖怪が仕組んだ縁組みは不吉だと言って、この婚姻はなかったことにして欲しいと言われてしまったのだ。妾妃たちも王妃に習って実家に帰ってしまった」

「あれは陛下が全員を追い出すようにして実家に帰され――」

「とーにーかーくー、後宮は空で、私のもとには妃がひとりもいなくなったのだ」

 丹陽が言いかけた言葉を、孜門は自分の声で(さえぎ)った。

「はぁ、そうですか。それは仕方ありませんね」

 あの幼い王妃と過保護な乳母を見る限り、蛇の妖怪が退治されたからといって、安心して後宮で暮らすことはできなさそうだ。

 もしうまく女王になれたとしても、また別の妖怪が王座を奪いに現れないとも限らない。

「そこでだ。そなた、私の妻にならないか? 聞くところによると、行くところはないのだろう? いまならば王妃の座が空いておる。そなたの美貌を見れば、誰もそなたが王妃となることに文句は言うまい。出自など気にするな。どこぞの大臣の養女になれば良いだけの話だ。王妃の実家になれると聞けば、どの大臣も夫人も喜んでそなたを養女にするはずだ」

「王妃?」

 きょとんとした顔で珠璃は孜門と丹陽を交互に見比べた。

「後宮の主ですよ。あなた様なら歴史に名を残す国王の(ちょう)(あい)(ぶか)い美貌の妃になれますよ」

 丹陽は皺だらけの顔でおだてた。

「そなたの他に妃は迎えぬ。だから、どうか私の妃になって欲しい」

 珠璃が首を縦に振るまでは手を離さないと言わんばかりの熱意で、孜門は言い募った。

「そなたが天女であったことは丹陽から聞いた。どのような理由で天界から追放されたにせよ、そなたが私の前に現れたのは天のおぼし召しに違いない」

 丹陽を追い掛けてきたら王宮に辿り着いただけです、とはさすがに言えず、珠璃は黙り込んだ。

 後宮がどのような場所であるかは、珠璃も猫としてあちらこちらを見て回っているのでよくわかっている。

 広い宮殿と広く見事な庭園、そして(ごう)(しゃ)な暮らしぶりは天帝の宮殿に近いものがある。

 大勢の女官や侍女たちにかしずかれ、天后のように女主人として振る舞うのが王妃だ。

 どこへ行くにも女官と侍女たちが列を成して追い掛けてくるし、着替えをするにも食事をするにも女官や侍女の手を借りなければならない。

 猫のように自由気儘に暮らすことなどとてもでないができるものではない。

 王と同じで(きゅう)(くつ)な暮らしとなることは想像に難くない。

「――猫のままで良かったのに」

 これは天帝による新手の罰ではないか。

 天女の頃と寸分違わぬ容貌になった自分の姿を鏡で見ながら、珠璃は憂鬱そうに呟く。

「私はそなたを妃に迎えられるのであれば、猫になってもかまわないのだが、こればかりは天帝にたくさん(そな)(もの)をしてお願いしなければ叶わぬだろうな」

「冗談ではありませぬ。臻国(しんこく)の王と王妃が猫では、他国になんと思われることやら」

 丹陽が天を仰いでぼやいたので、珠璃と孜門は顔を見合わせると苦笑いを浮かべた。

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