第62回 世界平和とずっとお城で囚われている
アイノース航空隊の実質的な最高幹部、なんていってもいまいちぴんとこないかもしれない。むしろ幕僚長というとわかりやすいかもしれない。
彼による記者会見が決定したのは水曜日、前日の火曜日に各紙がこぞって戦争犯罪について取り上げたことが影響していた。アイノース航空隊の実務的最高幹部がそうそうに登場することに、世間はおおいに盛り上がった。このニュースはもちろん、日本に止まらなかった。いまや世界中のメディアが現世界の記事と、幕僚長のコメントに注目をしていた。会見は金曜日夕刻である。
でも、世間からみたら、お前だれだ、という反応でしかない。実際、このひとのことを知っているかといわれれば、きっとほとんどのひとが、ノーというだろう。彼が終末戦争のとき、表に出てくることは、まったくといっていいくらいなかった。だって、世界がもとめたのは、金髪碧眼の見目うるわしい女王リンカ・アイノースだったんだから。彼女はまるでジャンヌ・ダルクだった。戦火を駈けぬける映像ばかりがもてはやされた。無骨な兵士より、めちゃくちゃきれいな女の子のほうが、そりゃあいいよね。
そう、リンカはジャンヌ・ダルクだ。
栄華だけでなく、幕引きまでも。
いままさに世界中が彼女の火刑をこころまちにしている。フラッシュにいぶされ、怨嗟につつまれて燃えあがるそのすがたが公開されることを求められているのだ。「神様は英雄の悲劇的な死をよしとはしなかったみたいだしな」と藤村はいっていた。神様はよしとはしなかったけれど、世界のひとたちはちがうみたいだ。
すがたのない電子の世界では、それがはっきりとしている。
リンカ・アイノースに裁きを。
どうしてあの魔女が出てこないんだ?
いちじは世界のほまれをうけたのだ、責任は取るべきじゃないか?
リンカ・アイノースに裁きを!
裁きを!
裁きを!
ねえ、信じられるかい? たった17歳の女の子に、世界はこぶしを振りかざすんだ。世界の女王様は逃げないだろう。正面を向いて毅然と立ち向かおうとする。
だけれどもアイノースという王宮は、彼女を取り込み、高い塔の上にかくしてしまった。だれも届かない、だれにも傷つけられない、真っ白な城の塔に。
それでも怒号だけは彼女の耳に届く。それなのに彼女の声は世界に届かない。
くやしくて、悲しくて、むなしくて、ゆるせなくて、さびしくて、だからラプンツェルはながく結った髪をモバイル端末のちいさな窓からたらした。あんなに嫌っていたぼくへ、無言のさけびを届けるために、
リンカ・アイノース。あんなに世界から愛されていたのにね。
※ ※ ※
心臓が、いたい。
※ ※ ※
水曜日をむかえた。
あけみさんの出版社からでる週刊誌は昨日の朝には印刷工程に入っているという。それでどれだけの量が配本されるのかわからないけれど、真壁先生は疑惑の人物として、世間にひろまることになる。ぼくは変わらず、疑惑の人物を逮捕した人間というわけだ。
今日の夜にはニュースは、世間の知るところとなる。
それがどの程度なのかはわからない。
武里教授とケイコの事件も、その異様性から注目の高い事件だ。英雄教との関連もうわさされている。そこにきて真壁先生の関与だ。無視はできない。
それでもいまは、だれがアイノースのスクープに注目していた。
やらなければいけないことはたくさんある。でもぼくにできることは限られている。だったら、できることをちゃんとやるだけだ。
ぼくはメイに異世界人、異世界生物ふたつの考える会についての情報を流した。ナナミさんと連携をしてほしい、ともつたえた。復興対策本部とアイノースの情報網を駆使すれば、投函者だってすぐにわかるはずだ。残念だけど、ぼくの情報収集能力なんてたかが知れている。
ぼくは事件の最初からふりかえることにした。
メイと約束しながら、すっかり動けていなかったモンスター消失事件の現場である避難キャンプの公園を調べることだ。
アイノースや武里教授の関連を否定できるようなヒントがあれば、めっけもんなんだけれど。
避難キャンプは、あの襲撃事件からこっち、すっかりひとがいなくなった。
仮設住宅は甚大な被害を受けていた。それにモンスターの影が残る地域では安心して住めない。
国はいそいでほかの地域に仮設住宅をもうけるしかなかった。
それだってけっして簡単なことじゃないだろう。
ぼくはあの日のたたかいを思い出すように、現場をたどった。
ナナミさんの話だと、消えたのは公園の外、2体のうちの1体だ。両方ともちかい位置で退治した。どっちが持ち去られたのかはわからない。1体ということは、運送に使ったものはたぶん車ひとつだろう。時間は2時間。けっしてすくない時間ではないけれど、それでもとつぜん思い立って持ち帰れるものでもない。
ちかくの家や施設はもちろん調べてあるらしい。
無駄だと思っても、ほかにやりかたを知らないんだ、聞き込みをやってみよう。ぼくはあたりをうろうろして、見かけたひとに話を聞くことにした。
でも全然有益な情報はない。
モンスターが現れたんだ。にげ出すか、それとも家からでるなんてことはしないだろう。見てない、知らないという答えばっかり。
ひとも限られているとはいえ、慣れない聞き込みにぼくはぐったりしていた。
モンスターとの戦いならまだいいんだ、それでも慣れているから。でも、聞き込みとなるとまるっきりゼロからだ。ノウハウなんかあるわけない。
ぼくは公園のなかのベンチにどっかと腰をおろしておおきくため息をついた。
あんまり遠回しすぎたのかな? 調査だってまったく進んでいなかったわけじゃない。いまさら根底を調べても単なる自己満足でしかなかったのかもしれない。
てもとには、さっき買ったコーラがある。のどはすっかりからからだ。これを飲んで、ひと息ついたら、もうひと回りして退散しようか。そう思っていたときだった。
「佐倉くんじゃないか」
声のしたほうに振り返ると、先日学校であった年の若い刑事さんが立っていた。ひたいからあふれる汗をタオルで拭いながら、目を細めてぼくの顔を確認するように見ていた。
「こんなところでどうしたの?」
「ちょっと調べものです。刑事さんこそどうしたんですか?」
「俺も仕事で捜査。まあ、でも今日は非番だから仕事とはいえないのかな。ほら、藤村くんがらみだよ。大志摩って女の子がこのあたりで説教をぶっていたらしくてね」
「このあたりで、ですか」
「うん、先週の土曜日らしい」
4日前だ。こんなところで偶然にも藤村の情報とぶつかるとは思わなかった。
「でも、なんで非番に調査を?」
そうぼくが聞くと刑事さんは、うーんとしばらく考えてから、まあ、いいか、と頷いてから話し始めた。
「正直にいえば、藤村くんの捜査はあまりちからをいれられないんだ」
「え?」
「あ、誤解しないでくれよ? それは表向き。ちゃんと追っているよ。でも、警察も人手不足なんだ。俺なんて半年前は交番勤務だったんだよ。それがいまじゃあ私服組だ。一生縁がないと思っていたのにさ」
そういって刑事さんは複雑そうにわらった。
「それでも、失踪者にはなかなかひとはさけられないのがほんとうなんだ」
「だから非番に調査を?」
「まあ、ね。でも格好をつけたいわけじゃないから、真実をいうときみの友だちだからだよ、藤村くんが」
ぼくの友だちだから。
「俺は公務員だ。私的な感情で優劣をつけちゃダメなんだけれど、きみとアイノースには感謝しているんだ。両親を救ってくれたんだから」
そこまでいって、刑事さんはゆっくりふかく頭をさげた。ありがとう、そう深く息を吐くようにいった。
「おぼえていないよな。とうぜんだ。でもモンスターの襲撃からきみたちが助けてくれたんだって、おふくろがいっていた。じゃなかったら死んでいたって」
ありがとう。
刑事さんはもういちどいった。
世界にはたくさんのひとがいる。終末戦争でたくさんのひとがいなくなってしまったけれど、それでも数えきれないほどのひとだ。
たくさんだもの、いろんな声がある。
なかには指をさして、お前なんか死んじゃえ、っていってくるひともいるんだ。そんな声がいちばん耳に届く。ありがとうや、愛しているのことばよりも、するどく、大きく。
それは白い城の塔のなかではいっそうそうだろう。
街にでなければ、いろいろなひとに会わなければ、届かない声ほどささやかでちいさな声なんだ。
「頭をあげてください」
ぼくは伝えた。「そのことばで十分すぎます」
刑事さんはゆっくりとこうべをあげ、照れくさそうに頭のうしろをぽりぽりとかいた。
名刺の後ろに感謝のことばを書いてくれたひとだ、たぶん面と向かっていうのは恥ずかしかったのかもしれない。でも、いってもらえるほうがすごくうれしい。
「そういえば、佐倉くんはなにを調べていたんだっけ?」
刑事さんは話をそらすようにたずねた。
「先日、ここでモンスターの襲撃があったのを覚えていますか?」
「ああ、うん。俺も離れたところで避難誘導をしていたしね」
「そのときに倒したモンスターがいっぴき、だれかに持ち去られたんです」
「新聞にあった事件か。あれ系は復興対策本部の事件だから、うちの管轄じゃないな」
「だれが持ち去ったのか、それについての情報を集めているんですが、なかなか難しくて」
刑事さんはてのひらをほおにあてて首をかしげた。
「役に立てることはないかもしれないな。あのときはこのあたりにはいなかった」
ああ、そういえば、と刑事さんは続けた。「車が1台、逆走していったな。少し離れていたけれど、うん、逆走していた」
「どんな車ですか!」
思わずからだを乗り出した。
刑事さんはぼくのあまりの食いつきかたにびっくりしたようだった。
「た、たしか、大型のバンだったよ。たしか、ね」
くるくるくるくる、すとーん、ぴたっ。
※タイトル引用:ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫) シャーリィ・ジャクスン