第58回 世界平和と誰も折ってはならぬ枝
あけみさんの師匠、高崎陽平さんはにっこりとぼくに笑いかけた。年のころなら40歳手前ぐらいだろうか。ぱっとみるとものすごくいかめしいおじさんだけれど、ころりと変わる表情はやけに子供っぽくて、ぐいぐいっと引き込まれるような雰囲気がある。
あいさつもそこそこに、あけみさんはぼくから聞いた経緯を高崎さんに伝えた。さすがにきれいにまとまっている。ぼくじゃあ、そんなまとめ方は無理だ。
高崎さんはそれを聞いて質問をはさむことはなかった。説明するあけみさんもうまいけれど、理解する高崎さんの能力もめちゃくちゃすごい。
ぼくは悪筆のメモを差し出すと、ぶこつなゆびでインクのあとを追いかけながら、高崎さんはかたわらにひろげたメモ帳に文字を落とし込んでいく。
ときどきあけみさんが解読した文字について、弟子の意見を聞きつつ、ものの15分程度でその概要が浮かび上がった。
「このメモは武里教授がモンスターの生態について違法な実験を行っているという表記が書いてあるようだ」
「違法な実験?」
「ああ。具体的な言及がなされていない。ただ、違法とあるんだから、国際規定からその正体は探れると思う。それと」
高崎さんは視線をもういちどメモに落とし、間違っていないことを確かめるように文字を読みながら答えた。「魔術という記載がある」
「魔術って。それじゃあ、やっぱり、武里教授の儀式跡のことやろ?」
うん、そうだと思う。
魔法と魔術、ここらへんはけっこう区別がむずかしい。ただ、魔王の登場以降、その違いははっきりしている。
魔力という源のちからをはたらかせて不思議なことを起こさせるものが魔法だ。これはエリカのようにじぶんが持っている魔力をはたらかせて、水や氷を実際にあやつったりする。現実世界に作用するちからを指している。
いっぽうで魔術は、魔法の存在がはっきりしてきたからこそ、その怪しさがきわだってきた。
魔王の登場以降、人間だって魔法をつかって戦おうとした。でもそれは古代の錬金術なみにあやしげな研究でしかなかった。魔術の方法は正直、原始的な雨乞いみたいなものだ。雨がふるシーンをまねて、雨を呼び込む。豊作のときのよろこびを先に表現して、その年の豊作を祈願する。
むかし、かえでが「キンシヘン」とかいう本にそんなことが書いてあったといっていたけれど、「禁止」というぐらいだ、きっと良からぬ本をあいつは読んでいたんだろうな。
はっきりいえば、ぼくら人間は魔法に対する恐怖のかたっぽで、あこがれがつよかった。
目の前でつかわれたら、ぼくらもつかいたい! と思うのはしかたないことだよね。
だって指から電気がだせるんだよ? 男の子だったらたまらない。
だけど、現代の人間には魔法はつかえない。前にも書いたかもしれないけれど、魔王エリカに教えてもらってもぼくは魔法がつかえなかった。ないものねだりの欲求ははんぱない。魔術に傾倒していくひとたちがいてもおかしくはないし、実際におおい。
「英雄教の分離が進んでいるってあけみさんはいっていたよね? 過激で、呪術をつかうって話」
「せやんな。でもあれがどこまでほんとうかはわからん」
あの教団施設には、魔術儀式に用いるような道具はなかった。そんなものをつかうのは分離した支流のほうなんだろう。
「ヒントはこれだけだ。つまり、その真壁というひとは何かを知ってこのメモを書き、その足で武里教授の家を訪れたということか」
うなずく。仮にこのメモが第三者に書かれたものだとしても、読むことは無理だ。読めないものをもとに行動なんてしない。なら、これは真壁先生が書いたものだとかんがえるのが妥当だ。
マモノと違法な実験、魔術。
これが真壁先生を武里教授の家へ向かわせた理由であり、先生が英雄教から隠れていた理由につながるんだ。
でも、これも先生を無罪に結びつける材料にはならない。答えを必死になってさがしても、神様はヒントと一緒に余計ななぞも、さあ、どうぞとばかりに差し出してくる。
それなのにタイムリミットは刻々とせまってきている。ぼくらはそこからは逃げ出せない。
「少しは役に立てたかな、英雄くん」
高崎さんはまっくろな顔をほころばせた。
「ありがとうございます。これ以上もないご協力です」
「そうか。それは良かった。わたしの後輩ふたりがきみに迷惑をかけたようだから、少しはつぐなえたなら良かった」
ちょっと、ヨーヘーさん、とあけみさんはあわてたように高崎さんの腕を揺さぶった。でも、高崎さんはその手をゆっくりはがした。
そうして大きな体をまるめるようにして頭をさげた。
「あけみから話は聞いていてね。きみをだまくらかしたやつもわたしの後輩なんだ。すまない。許してやってくれとはいわないが、事情があったことだけはわかってくれ。あいつはもともと文芸担当なんだが、終戦すぐに週刊誌に異動させられたんだ。ネタなんてすぐにはつかめない。成果だけもとめられる。肩をたたかれる瀬戸際だったらしい。あいつには家族もいるから、なんとしても成果をださなければいけなかった」
そこで高崎さんは、ふーっとおおきく息をついた。「いい編集者だった。いい作品もたくさん出した。魔王の戦争がなければわたしよりいい編集になっていたんだろうけれど、もう無理だ。むちゃくちゃなやり方ができる編集もたくさんいるけれど、あいつにはむかない。きっとこのままつぶれる。それに、だ」
あの記事は、もっとでかいネタにつぶされる。
そのことばにあけみさんもぼくも絶句した。もっとでかいネタ。そのことばに結びつくのはたったひとつしかない。
「現世界の今週号ですか?」
「そうだ。わたしもくわしいことはわからない。ただ、とあるすじから聞いた話では、アイノース航空隊の戦時中の犯罪を追求するものらしい」
高崎さんは暗い事実を引きずり出すようにゆっくりとことばを続けた。
「やつらは、世界の女王リンカ・アイノースを玉座から引きずりおろし、一敗地にまみれさせるつもりだ」




