第51回 世界平和と怒り、その矛先
怒り。それがリンカ・アイノースの瞳に浮かぶ炎の正体だ。
怒り。それが世界の女王様の苛烈なばかりの行動源力だ。
怒り。しかしそれは、リンカ・アイノースにとって静かに燃え上がられるものであった。
リンカ・アイノースは怒っていた。
だけどかたわらから見ていると、さっぱりそれがわからない。あの後車で駅まで送られるさなか、リンカは相変わらずクールに正面だけをみつめていた。だけれどぼくの右手に重ねられた彼女の左手は、ひどくこわばっているようにも思えた。それでもいつものリンカお嬢様だった。
もし、ぼくがリンカの怒りの度合いをおしはかるとしたら、それはメイの行動量だ。メイが忙しくなることは、女王様の怒りのバロメーターとして精度が高い。
そのメイとの連絡がぷっつりと取れなくなった。
まったく、といっていい。
リンカの怒りメーターは頂点を振り切っているようだ。
それとあわせるようにナナミさんとも連絡が取れなくなった。
何度か連絡をしたけれど、いちどだけ応答があって「うるさい!」と怒鳴られて切れた。
そりゃあ、そうだろう。事態は控えめにいって、かなり最悪だった。
復興対策本部もうかつに手をだせないばけもの企業が、やっきになって追いかけていた事件の犯人かもしれない。しかも、いち週刊誌に先んじられたんだから、こんなにまずいことはない。
現世界に掲載された写真はひと月も前に撮られたものだった。だから、今回の消失事件には直接関係をしていない。
でも、あらゆる状況で、巨大企業にとってタイミングが悪かったらしい。
英雄教のデモについても急に風向きが変わった。武里ケイコの事件も、モンスター消失事件もニュースで引っ張り出されている。あちこちの炎がとぐろを巻いて、火炎旋風のすがたで、アイノースを包み込んでいた。
翌日金曜日に行われたアイノース日本本社の代表による記者会見は、事実無根である、法的処置も辞さない、という声明を出しただけ。記者たちの質問には、事実確認を優先として、回答をほとんどしなかった。
正直、こんなレベルだったら、やらないほうがいいぐらい。
そして世間もまったくおんなじ反応を示した。
でも、それはしかたなかった。
アイノースもそれ以上のことは話せなかった。
なぜならすべての鍵をにぎるであろうひとに話を聞くことができなかったからだ。
武里哲郎教授は、週刊「現世界」が発売される日の未明、自分でじぶんのいのちを閉ざしてしまった。
武里ケイコを見送ったあの家は、黒い煙とごうごうという不穏な音とともに、朝日が昇るまでの数時間、関南市の空を照らしつづけていた。
怒り。それがみんながくすぶり続けさせた火ダネの正体だ。
怒り。しかし、圧倒的な力の前に、激情のこぶしさえ振り上げることができなかった。
怒り。その矛先がとつぜんいなくなったからといって、すぐにおさめられると思う?
会見のその日のうちにはアイノースに対する市民団体のデモ活動が巻き起こった。その余波は次の日、土曜日にも続いた。だれもいないコンクリートの建物の前で、すくなくもないひとたちが、怒りの声を上げていた。そのひとたちにとって、受け手がいることが重要ではなかった。ただ、収まらない怒りを発せざるを得なかったんだ。
奇しくも、英雄教がメイに突きつけたことがほんとうだったことが証明された。
世間が持つアイノースへの評価は、ぼくが思っていた以上にずたぼろだった。
ずっとくすぶりつづけた炎のタネに週刊誌が放り込まれ、いっきにごうごうと鳴り響くばかりに燃えあがったのだ。
空気というとんでもなく強力でうむをいわせない「平和ばんざい」の雰囲気に、だれもが怒りをおなかのなかに抱えていたんだ。でもそれは、すでにぱんぱんになるまで、破裂のすんでまでふくらんでいた。針1本、傷ひとつでもこらえられないくらいにね。
そうして乾いた破裂音とともに、一気に飛び出してしまうんだ。
ぱんっ。
※ ※ ※
ぼくはこの金曜と土曜の2日間、復興対策本部の要請でモンスター討伐に走り回っていた。かえではもちろん連絡がつかない。いつもはアイノース航空隊にも討伐協力を依頼しているみたいだけれど、こんな場合だ、対策本部もかるがるしく依頼できない。だって、討伐中にモンスターを不正に運ばれたら、それこそ対策本部のメンツもまるつぶれだし、アイノースと共倒れになっちゃう。
電話をかけてきたのは、取り調べのとき、ナナミさんのとなりにいた若い男のひとだ。緊急での出動をお願いしたいんです、ってけっこう緊張した声色だった。たぶん、事態の深刻さよりも、ぼくに連絡をするっていう緊張なんだとおもう。
「ユウタくんを疑うわけじゃないけれど、退治したモンスターの数と場所を覚えておいてだって。これ、ナナミさんからの伝言だからね。おれは疑っていないよ?」
ぼくはモバイル端末に記録をとることにした。とりあえず場所と討伐数でいいよね。正の字とか。でも、これが意外とめんどうくさかった。なにより、モンスターを倒したあとにその場所の住所を調べるのが大変だった。電柱もなければ、自販機もない。そんなときはしかたないから、壊れた家に掲げられていた表札の前にモンスターをまとめて、カメラで撮る。それをいちいちナナミさんのアプリに飛ばした。旧佐藤さん家前とかコメント付きで。
飛翔・人型じゃないぶん、討伐はしやすかった。ただ今回は小型な四足歩行型で、こいつらは集団で行動する。もともと狩りをしているモンスターのようで、陽動なんてこともしてくるのでちょっと厄介だった。それにいっぺんに襲われたら、ぼくでもぜんぶはよけきれない。おかげでほうぼう噛み付かれてけっこう痛い思いをした。
エリカは、ぼくが討伐から帰ってくるぼくをむんずと掴み、せっせと消毒液やら包帯やらでぐるぐると巻きつける。むー、やら、うー、やらをうなりながら四苦八苦して、ぼくのからだの傷を探し回るから、えらいくすぐったい。
「だ、だいじょうぶだよ、エリカ。大したことないから、そこらへん、触らないで!」
「だめ。だめだ、ユウタ。あたしのいうことを聞きなさい! 子供じゃないんだから! 小さい怪我でも後からひどくなることもあるんだからね!」
いや、そこはいろんな意味でやばいんです。
でもそんなことはお構いなしらしい。
魔王様でも回復魔法は覚えていないようだ。おまけに包帯なんて巻き慣れていないのだから、大したことでもないのに大怪我のようになった。おかげで復興対策本部のひとをものすごくあわてさせることになった。「そんなに強敵だったのか」と遠方からの緊急増員の要望まであがったくらいだ。
次の日も、モンスターはアイノースの不在をまるで知っているかのように、あちこちで暴れまわっている。夏だしね、いちばん活発になる時期なのかもしれない。おまけに気温はぐんぐんと右肩上がりに伸び、最高気温を更新し続けた。きっとモンスターも寝苦しくてイライラしているのかもしれない。でも、それはぼくも一緒だ。ほんとう、勘弁してほしい。
それでもぼくはまじめにモンスターを退治して、そして1件1件、撮影をしてはナナミさんに送っていた。あとで写真フォルダは削除しよう。こんなものを後生だいじにもっている趣味はないもん。管理がきっちりできているためか、今回の作戦では、モンスターが不法に持ちさられるようなことはなかった。
でも、それがいっそう疑惑を深めていた。
武里教授が亡くなり、アイノース、そしてアイノースバイオテクノロジーへの監視が強化されているときに消失事件がおきない。単なる偶然だし、そもそも関連性もない。それでも世間の目は怒りの炎にけぶられて先も見えていないようだ。
あれきり、リンカとも、メイとも連絡が取れない。ナナミさんとも連絡が取れない。たった10行の記事に収まっていたモンスター消失事件は、いつの間にかぼくの手をとおく離れて、アイノースという巨象の足元をゆるがせるばかりのスキャンダルへとなった。ぼくはおいて行かれた。ぽつねんと戦いの場に残されて、混乱をかたわらから眺めていた。
ぼくが最後に討伐をしたモンスターの写真を撮影しようとモバイル端末を構えたときだった。画面がくるりと変わり、あけみさんのキメ顔写真が表示された。電話だ。
「もしもし?」
「ユータ、武里ケイコの事件をまだ追っているんだったら、面白いネタがあるで?」
ネタ?
ぼくは思わずモバイル端末を握るちからを強めた。
「なんです、そのネタって」
「武里哲郎教授な、家に火を放った後に首くくったらしいけどな。その足元にけったいなもんがあったんや」
ナナミさんはいっぱく置いてから続けた。「武里ケイコの現場に残された儀式の魔法陣があったらしい」
どうだ、混乱しているだろう? ぼくの脳裏に浮かんだあの悪魔の笑顔に似た魔法陣が、その真円の姿をゆがめ、げらげらげらげら笑っているように思えた。
「それはほんとうですか?」
「ちょい待ち、そのセリフはもうひとつのネタを聞いてからにしな」
「もうひとつのネタ?」
「英雄教の教団員が、その燃え盛る武里の家からほうほうの体で逃げ出したところを見た目撃者がおったんや。その目撃者、ぱっと見て、そいつが英雄教のひとで、誰かもわかったらしいで。テレビでさんざんどアップで映されていたからな」
ちょっと待って。それって……。
「真壁正義。なあ、あんたんところの先生、きな臭すぎて吐き気がでるんやけど?」