第49回 世界平和と紙の砲撃
防犯カメラに映っていたのは、大きな紙袋を携えた女の人だった。ややふくよかな体型で、背は小柄な印象だ。ぼくのマンションの方から、コンビニの前をゆっくりとした歩調で通り過ぎていく姿がテレビモニターで視認できる。顔も、不鮮明ながら、それでもおおよそを見定めるには不自由はない。
「この人ですわね」
リンカが呟くと、ぼくは頷いた。
ぱちりという音の正体は、コンビニでの万引き事件だった。
エリカは「あとから気づいて」といった。
なぜあとから気づいて、犯人を特定できたのか。
それは防犯カメラが稼働していたからじゃないだろうか。
電話をかけると、どんぴしゃり、コンビニには防犯カメラが設置されていて、万引き犯の特定につながったという。運がいいことに、データは1週間ほど撮りためて、日曜日の夜に削除するらしい。今週の分は保存されている。重要な証拠だ。
ぼくらは防犯カメラのデータを受け取る約束を取り付けると、すぐさまコンビニへと向かった。
データがあれば、調べるのは簡単だ。
メイが調べただいたいの投函時間から見当をつければ、コンビニの前を通過したであろう時間はわかる。その中で大量のビラを持って移動している可能性のあるひと、車、自転車、バイクを探せばいい。カメラレンズの捉えていた映像のなかは交通量が少なく、ターゲットは絞られていた。その中でいちばんの可能性が、この女性だった。
はっきりいえば、どこにでもいるような主婦だった。
異世界生物との共存を考える会のビラや、アイノースに送りつけられた脅迫状の内容からは想像ができない。そんな感じのひとだ。
「投函者であって、作成者ではない可能性もあります。それに、見た目と心情がイコールでないこともよくあることです」
中身と外身があべこべなリンカが、画面に目を細めながらつぶやく。
「確実にこのひととはいえないのですから、まずは接触を試みるべきです」
メイはさっそく映像を画像として保存して、各部署へデータを送った。かたわらで、何枚かを出力して、ぼくとリンカに手渡す。
紙に刻まれたその顔は、映像でみるよりも色が落ち着いて、少しだけ不穏な雰囲気が出ていた。
このひとが事件の鍵を握るんだ。そう思うとなんだかぞわぞわとおかしな感覚を覚える。
メイの行動はとても早い。たちどころにほうぼうへの指示をだすと、じぶんもどこかへと走り出していった。
気付いたときには、なにやらむつかしい顔をしながら出力された写真に目を落とすリンカとぼくだけが残されていた。
「佐倉ユウタ」
リンカが写真から視線を上げると、ぼくにそれを向けた。
「これについては純粋にあなたを賞賛します。うかつでしたわ。ひとつのパズルに向き合っていたというのに。そのせいで、狭窄的になっていたのは、わたくしたのほうでした」
……あれ? ぼくは慌てた。
なんだかほんとうに調子が狂う。
いつもは勝ち誇るばかりでけっして負けないリンカが素直にぼくを褒めるなんて。天変地異の前ぶれとしか思えない。世の中がひっくり返るんじゃないかしら。
そんなこころのうちが隠せていなかったのか、リンカはぐいっと前のめりになると真っ赤になってまくし立てた。
「こ、今回だけのことです。いいですか、調子に乗らないことですわ。たまたま知っていたことがあなたに合致しただけのですから。そもそもわたくしたちの情報がなければ、あなただって……」
ああ、しまった。
どうやら入れなくてもいいスイッチを押してしまったらしい。
ふたたびリンカの長舌は怒とうの勢いで、ぽんぽんぽんぽんと、ぼくについてあれやこれやと文句をまくし立てる。ストッパーであるメイが不在なのに、これはどうしたものだろう。
さっきまでのしおらしさがいっぺん、ぼくの目の前にはいつもどおりの勝気で負けない世界の女王がふいっと現れた。
さっきまでのリンカに戻ってくれないかなあ、ぼくは控え目な子が好きなんだけれど。
ただ、そんなことをいうのはライオンにエサを差し出すようなものだ。
まずは嵐の過ぎるを待つにしても、今日はどれくらいになるものかしらん。
ぼくはゆっくりとこうべをたれ、つるりと自分の顔をなでるふりで時計に目をやった。
ただ、その心配はいらなかったようだ。
「リンカ様、恐れ入りますが、次の予定が続いてございますので」
穏やかな男性の声に遮られるように、リンカはぴたりとしゃべるのをやめた。
いつの間にか、ぼくらのかたわらには、初老の男性がりんとした姿勢でたたずみ、リンカに優しげな視線を投げかけていた。驚いた。アイノースのお姫様を止められるひとが、この世の中にいるんだ。
リンカはぼくに顔を向けて、実につまらなそうに、そうですわね、とつぶやいた。
「投函者の存在を知ることが出来たのは、今日の幸いでした。わたくしたちは投函者の正体を追います。あなたも何か気付くことがあったらメイにいいなさい」
それからとつぜん時計に興味を持ったように見やり、
「あ、あら、こんな時間ではないですか。あなたは電車でしょう? 駅まで送ります。どうせ近くまで行くのですから。前島、車を出してください」
はい、と前島さんは一礼をした。
乗せてもらった車は、黒ぬりのロールスロイスのような大仰なものではなくて、小さなミニクーパーだった。アイノース家の所有ではなく、前島さんの自家用車らしい。いまの交通事情では、小まわりの効くほうが重宝される。
なかはしっかりと整えられていて、冷房もほどよく効いていた。大富豪に仕えるひとは、身の回りもぴしっとしているものなんだ、とぼくはしみじみと得心していた。
行きがてら、さっきの続きを話し始めるものと思っていた。
でも、今日はとことん予想が外れるらしい。
リンカはまるで所在を見失ったようにキョロキョロとほうぼうに視線を向けながら、ときおりちらっとぼくのほうを見ては、あわてて鼻をならしてぷいっとそっぽを向く。けっして広くはない車内なんだ。隣になるくらいは折り込みずみだと思っていた。嫌なら送るなんて言わなければいいのになあ、とぼくは心中でぼやいた。
家が大きいということは、ふつうのひとにとってとてもうらやましいことだ。でも、一方で敷地から出るのが大変でもある。リンカの屋敷はまさにそれで、出るのに5分ほどかかる。まっすぐな道がない。ぐるりと敷地内を迂回する。たぶん、入り組んだ構造で、浸入を阻止するためなのだろう。
そんなことを考えながら、車がようやく正面口を出たときだった。
とつぜん急ブレーキがかかった。
徐行スピードだったけれど、ぼくらの体はがくんと前につんのめった。
はっと前を見ると、薄汚れたシャツをはおり、ボサボサの髪を振りみだした男のひとが、フロントガラスの前に立っていた。
ボンネットに両手を置き、中をのぞきこむようにぎらぎらとした目を向けている。
「リンカ・アイノースさんよぉ!」
男のかん高い声が、ガラス越しにくぐもって聞こえる。ググッと口端が釣り上がり、ゆがんだ笑みを浮かび上がらせた。
「ようやっと、あんたたちの犯罪が暴かれるときがきたんだ! 明日の週刊誌を見て、震えるがいいさ!」
「お嬢様、佐倉様、そこを動かないでくださいませ」
前島さんは振り向くと、先ほどとは打って変わって低い声色でいった。
リンカは浅くうなずきながらも、正面の男から顔をそらさなかった。
めらめらと燃え上がるような、そんな視線を突きさす。
「リンカ、あのひとはいったい?」
「フリージャーナリストよ。アイノースがモンスター消失の主犯だと妄執して調べているのです」
アイノースがモンスター消失事件の主犯?
前島さんはエンジンを止め、車から降り、フリージャーナリストの男と向き合った。後ろで手を組み、前島さんは何かをしゃべっているけれど、ぼくの耳にはその声が届かない。
男はいまにも前島さんに掴みかかろうとするばかりに怒鳴りながら詰め寄っていく。
まずいんじゃないか。そう思ってドアに手をかけた。
そのぼくの左肩をリンカがぐいっと掴んだ。こちらを見ず、視線を正面に定めたまま、小さく首を振った。出ていってはだめだ。
リンカが止めた理由はなんとなくわかった。
魔王を倒した英雄ともてはやされても、万人に受け入れられてなんていない。それはアイノースも同じだ。そのふたりが車に同乗をしている。悪意に曇った目で見れば、こんなおかしな組み合わせはない。
でもそれも遅かった。
フリージャーナリストは、リンカの隣に座るぼくの姿をみとめて、今度は後部座席のガラスに近寄った。
「おいおいおい、こいつは世界の英雄様じゃねえか! 佐倉ユウタ! お前もアイノースの犯罪に加担しているんだな!」
離れなさい、と前島さんは男の肩を掴んでぐいっと引きはがそうとした。
でも男はそれを払いのけた。
「触るんじゃねえ! リンカお嬢様、あんたの栄光も、ただの泡みてえにぱちんとはじけ飛ぶ。俺の記事で、だ。ぶくぶくに太った、あんたらの株価もな。明日だ。明日の週刊誌を楽しみにしていろよ!」
そういって男は体をよじらせて、げらげらと笑い出した。
それはまるで、笑う悪魔の魔法陣のようだった。
リンカは前を向いたまま、視線を動かさない。
それでも、ぼくの肩を掴んでいたてのひらはいつの間にかすべり落ち、ぼくの右手を握って、かすかに震えていた。




