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お手伝いさんが呼びに来てくれたので、再び長い迷路のような廊下を通って歩く。
見事な襖絵には、狩野永徳の花鳥図襖を思い出しました。
「大奥ごっこが出来そうなお家だなって思ったんだけど、本当にできそう」
「ふふ、それいいね。もっと大きくなったら二人で打掛とか着て、本格的にやろうよ」
「じゃあ、紺ちゃんが天璋院さまで、私は薩摩から一緒にやってきた女中ね」
「えー、ましろちゃんは皇女和宮さま役でしょ」
「恐れ多すぎる!」
クスクス笑い合いながら、大きな屋敷内を歩いていくと、突然一つの部屋の前で紺ちゃんが足を止めた。
「母様。紺です」
「どうぞ」
優しいアルトの声が襖の向こうから聞こえてくる。
紺ちゃんはスッと両膝をつくと、優雅な所作で襖を開けた。
私も慌ててその場に正座する。
「よく来て下さったわね。さ、入って!」
「失礼します」
畳の縁を踏むのはマナー違反だったはず。うわ、踏まないように歩くのって結構難しい。ちょこちょこ歩幅を調節しながら前に進む。
勧められたお座布団の脇に座り、三つ指をついて軽く頭を下げた。
「本日はお招き、ありがとうございます。島尾 真白と申します」
「まあまあ、なんてしっかりしたお嬢さんなんでしょう! 初めまして、紺の母の千沙子です」
「紅の母の桜子です。いつも子供たちがお世話になってるみたいで、ありがとう」
顔を上げると、座卓を挟んで向かい側に座っている女性たちと目があった。
千沙子さんはオレンジ色の髪に漆黒の瞳。華やかな顔立ちの現代美女、という感じ。
桜子さんは、赤い髪に焦げ茶の瞳。髪の色は紅さま、瞳の色は紺ちゃんと同じだ。口元の色っぽさや眼差しの艶やかさが、紅さまを彷彿とさせる。
千沙子さんは紗の着物姿。西陣かな? 花菖蒲をあしらった紗袋帯との組み合わせが上品で涼しげだ。
桜子さんの方は、夏紬に淡いベージュの絽つづれ帯をしめている。
どちらもすごく似合っていたし、溢れんばかりの高級感に圧倒される。
「こちらこそ、いつもお世話になっています」
特に紺ちゃんには、と内心で付け足してみた。
よく考えたら紅さまにだって、色々してもらっているんだけど、いまいち有難味に欠けるんだよね。
「もう、そんなに硬くならないで~。すごく面白い子だって紅が言ってたし、紺も『ましろちゃんが、ましろちゃんが』って毎日言ってるのよ。だから、ずっと会ってみたかったの!」
桜子さんの方が嬉しそうに両手を合わせると、千沙子さんもうんうん、と頷く。
その千沙子さんの指示で、次々と料理が運ばれてきた。
「好き嫌いはないと伺ったので、料理長のおまかせメニューなのだけど、食べられそう?」
――料理長!?
心の中で盛大にツッコミながら、座卓に所狭しと並べられた本格懐石に目を奪われる。
返事をするより先に私のお腹がぐう、と鳴った。
途端に紺ちゃんが噴き出す。うう、恥ずかしい。
「ましろちゃん、お腹空いてたんだね」
「口に出して再確認しないで~。す、すみませんっ!」
「いいのよ。お口に合いそうで良かったわ。いっぱい食べてね」
紺ちゃん達の産みの親である桜子さんと、玄田の家を取り仕切っている千沙子さんは義理の姉妹、ということになる。彼女たちは、血が繋がってると言われても納得してしまうほど、仲が良さそうだった。
先付として運ばれてきたのは、鰺とトマトの梅紫蘇風味。
前菜は、茸のベーコン焼きと海老とインゲンの和え物。お吸い物は、鱧の澄まし汁で、その後にお刺身、茶碗蒸し、賀茂茄子の胡麻焼き、揚げ物、と続いていった。
盛り付けの美しさやお椀の見事さに溜息をついていたんだけど、後半はあまりのお腹の苦しさに溜息をついた。
横目で紺ちゃんを伺うと、彼女も苦しそうに帯に手をやっている。ですよね!
一品ずつはちんまりとした上品な量なんだけど、なんせ数が多い。
「――それでね、紅は生まれつき器用なものだから、主人が張りきって、あれこれやらせたの。しかも、出来て当たり前って顔で全然褒めようとしないのよ。小さい頃はそれでよく泣いてたわ、あの子。それを不憫がって、うちの母や親せきが必要以上に甘やかしたものだから、変なふうに捻じ曲がっちゃって……」
気づけば、紅さまの年少時のエピソードが語られている。
あれ、いつの間にそんな話になってたんだっけ? 料理に熱中し過ぎてたかも。
泣きべそをかく小さな紅さまを思い浮かべ、思わずふふと笑ってしまった。
「乗馬もチェスもフェンシングも、習わせるとすぐに上手くなっちゃうのよ。大して努力してる訳じゃないのに出来るものだから、世間を舐めてるのよね」
はあ~そうなんですか。それはスゴイですね~などと適当な相槌を打ちながら、目の前の料理と格闘していると、桜子さまは眉をひそめて言った。
「あの子に振り回されて、ましろちゃんも困ってるんじゃないの?」
危うく、うんと頷いてしまうところだった。
焼きおにぎりの冷茶漬けから目を離し、ふるふると首を振る。
「口の悪いところはありますけど、こちらが本気で嫌がるようなことはしてこないです。その辺りの加減の見事さに、いつも感心してます」
フォローしたつもりだったんだけど、紺ちゃんはまたもや噴き出した。
え? 変なこと言っちゃった?
「もう、ましろちゃんったら! 本当に面白いわ~!」
桜子さんも千沙子さんもハンカチで口元を押さえて、肩を震わせている。
いくらお母さんの前でも、流石に大嘘なおべっかは言えない。さっきのが精一杯の褒め言葉だ。
「これからも、この子達と仲良くして頂戴ね」
締めくくりのデザートとして運ばれてきたグレープフルーツのゼリーをなんとか胃袋に押し込み、浅く呼吸を繰り返している私に、桜子さんはニッコリ微笑んだ。
紅さまのお母さんとは思えない程、ふんわりと温かな女性だ。
千沙子さんも「是非、いつでも遊びに来てね」と熱心におっしゃって下さった。
紺ちゃんが電話口で、切り出しにくそうにしていた理由が分からない。
すごく良識的で親切な人たちなんだもん。上流階級であることを鼻にかけた厭らしいところとかも全然ないし。
小学生のお子さんがいるとは思えないくらい、若々しくて少女めいた方たちだった。
それからまた紺ちゃんの部屋に戻り、ピアノを触らせてもらった。
「私、ピアノ曲も好きなんだけど、オペラがすごく好きなんだよね」
「じゃあ、簡単にアレンジして弾くから、ましろちゃんアレ歌ってよ」
帯が苦しすぎる、と昼食の後、紺ちゃんはストライプの涼しげなシャツワンピースに着替えている。
彼女はベヒシュタインの前に座り、鍵盤に指を落とした。
出だしですぐに『蝶々夫人』の『ある晴れた日に』だと分かった。
そういえば、去年一緒に見に行ったんだっけ。
ちょっと恥ずかしいけど、紺ちゃん以外には誰もいないからいっか。
――Un bel di,vedremo
せっかくだから、と何度もDVDを見て完璧に暗記したイタリア語で歌ってみる。
紺ちゃんの伴奏は、自分でアレンジしたとは思えない程完璧で、私は煌めくピアノの音色にうっとりしながら、大きく声を張り上げた。
オペラっぽくヴィブラートをかけて歌うと、紺ちゃんはこっちを見て笑った。私も笑いたくなるのをこらえ、最後まで歌いきる。
妙に晴れ晴れとしたアリアになった。
「ちょっと、紺ちゃん、なんでそんなに完璧に弾けるの!?」
「それはこっちの台詞だよ。普通、イタリア語で歌う? お腹いたい!」
しかもヴィブラートつきだぜ?
無性におかしくなり、二人で笑い転げた。
その後、SAZE好きの紺ちゃんの為に、私は「キミスキ」の主題歌を弾いてあげた。
紺ちゃんは「なんでファンだって知ってるの!? 能條め~!」と慌てていたが、前奏が終るや否やちゃっかりと歌い始めた。可愛い。
『どうして 出会ってしまったの
別れは そこまで来ているのに
それとも 未来を信じればいいの?
またきっと 巡り合えるって』
サビの部分の紺ちゃんの熱唱っぷりに笑いが止まらない。
三番までしっかり歌って、紺ちゃんもクスクス笑った。
「ましろちゃんがこの曲弾けるの、意外だな」
「友達にキミスキ好きな子がいてさ。春休みにリクエストされたんだよ」
「そういえば、もうすぐ第二弾が公開されるらしいよ」
私はびっくりして紺ちゃんを見つめた。
「あれって最後、主人公とヒロインが二人とも病院で、同じ時間に息を引き取るシーンで終わりじゃなかったの?」
泣けた~、と麻子ちゃんが興奮気味に映画の話をしてくれた覚えがある。
「そうなんだけど、結局なんとか命を取り留めた仮死状態な二人が夢の中で健康体になって、イチャラブするって話になるんだって」
「なんじゃ、そりゃ~!」
何が何だか分からない。
それでも紺ちゃんは公開日に見に行くつもりらしかった。
「だって、主演のミサキ君がかっこいいんだもん~」
「SAZEのボーカルだっけ。あ、そういえば、うちの学校にミサキ君にそっくりって評判の子がいるんだよ」
「ほんと!? 見てみたい~!」
キャッキャとはしゃぐ紺ちゃんを見てると、親近感が湧いてくる。
見た目の系統は正反対なのに、どうしても花香お姉ちゃんとイメージが重なってしまうのだ。
「紅さまほどはカッコよくないと思うよ。実際に会ったらガッカリするかも」
「紅は兄妹だもん、そんな目で見たことないよ」
ぷう、と頬を膨らませた紺ちゃんのあまりの愛らしさに、目が潰れそうになった。紅さまの度を越したシスコンは、紺ちゃんにも原因があると思う。
玄田邸訪問からしばらく経ったある日の午後。
私はようやく紺ちゃんの渋っていた理由が分かった。
『素敵な時間をどうもありがとう。ましろちゃんにも是非着てもらいたくて選びました♪ きっと似合うと思うな☆ 千沙子&桜子より♡』
妙にテンションの高いメッセージカード付きで届けられた沢山の着物を前に、父さんと母さんは悲鳴を上げた。




