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朝6時に起きて、近所の公民館で行われている『ラジオ体操』に参加することから、私の一日は始まる。
たかがラジオ体操と侮ることなかれ。きっちりこなせば、美容体操にもなるらしいからね!
「……ましろん、なんでそんなに元気なの~? 毎朝無理やりママに起こされて、最悪なんですけど」
参加者カードのスタンプを押してもらった絵里ちゃんは、長い溜息をつきながらこっちを見る。
「早寝早起きは体作りの基本だよ? 特に夏場は体力を消耗しやすいから、体内時計を正常に働かせる為にもいいと思うけどな、ラジオ体操!」
「前から思ってたけど、ましろんって発想がお母さん……」
そこはせめて、お姉さんでお願いします。
心底憂鬱そうな絵里ちゃんが可哀想になり、「スタンプがいっぱいになったら商品もらえるよ?」と励ましてみた。
「ノートと鉛筆なんていらないよ」
「そう? 結構楽しみにしてるんだけど」
「じゃあ、私の分もあげる」
「やった!」
ガッツポーズを決めた私の肩を、エリちゃんはクスクス笑いながら軽く叩いた。
「もう、ましろんってば、小さい子供みたーい」
ガーン!
小学四年の絵里ちゃんに子供扱いされるなんて。
勉強してるとノートも鉛筆もすぐになくなっちゃうんだからね!
午前中は、ピアノの練習に集中する。
お昼になったら、TVをBGM代わりに流しながら母さんが作ってくれておいたお弁当を一人で食べる。もちろん、きちんと容器を洗うのも忘れない。
洗濯物はすぐに乾いちゃうから、今のうちに取り込んでおかないとね。ちょっと油断すると、バスタオルなんて拭いた人の皮をはがせそうなくらいバリバリになる。乾き過ぎ注意。
カンカン照りのお日様に目を細めながらダッシュでリビングに戻り、扇風機の前で生ぬるい風に当たりながら、丁寧に畳んでいく。夏場のアイロン掛けは、結構しんどい。
全部済ませたら、シャワーを浴びて着替え、勉強道具を持って自転車で10分くらいのところにある図書館へ行く。
これが私の夏休みだ。
5時まで勉強して、家に帰るとちょうど母さんが戻ってくるのと同じくらいになった。
「あら、また図書館行ってたの?」
「うん、あそこ涼しいんだもん。お姉ちゃんは、まだ?」
「どうせ寄り道してるんでしょ。頑張って夏期講習を受けに行ってるだけ、エライと思うけどね」
目をぐるりと回した母さんと一緒に笑って、私は2階へ戻った。
ご飯の時間までピアノを弾く。
夕食の席で、お姉ちゃんはゾンビのようにぐったりとテーブルに伏していた。
「こら、花香! お行儀悪いわよ!」
「だって……。ちょっとでも動いたら、覚えたことが飛び出そうなんだもん」
頭を両手で抱えて、よいしょ、と体を起こしたお姉ちゃんの後ろに回って、肩を揉んであげる。
ずっと同じ姿勢で講義を受けているからか、背中から肩までガチガチに強張っていた。
「はあ~、ましろ、最高ですぞ~」
お姉ちゃんの幸せそうな声に、母さんもそれ以上は怒れない。
父さんが羨ましそうに見ていたので、御飯が終わったあと父さんの肩も揉んであげた。
折り紙とピアノで鍛え上げた指先で、ツボをぐりぐり押してあげる。父さんは「気持ちいい~!」と大げさなくらいに喜んでくれた。
寝る前に、母さんの肩も揉んであげなくっちゃね。
もう一度シャワーを浴びて、20分くらい足浴する。
うちは夏場はお風呂をためないんだよね。だから足首にある三陰交だけでも温めておこうかなって。
全身倦怠、食欲不振などの夏バテ症状を改善できるツボなんだって! これは学校の保健便りの受け売り。
それから、9時までピアノを練習する。
ラヴェルはある程度まで弾けるようになったんだけど、まだ丸は貰えていない。同時進行のショパンやバッハはどんどん先に進んでるのにな……。
「音が平板で薄っぺらい」と亜由美先生には指摘されてしまってる。ノーミスで楽譜通りに弾ければいいってもんじゃないのが、クラシックの奥深さなのかも。
そんな感じで、長い夏休みはあっという間に過ぎていった。
親戚全員が同じ地域に固まっている島尾家に「お盆に里帰り」イベントなんてものは発生しない。
どちらの祖父母も長男夫婦と同居してるので、あんまり長居は出来ない雰囲気なのだ。次男の父さんも末っ子の母さんも、何気に気を遣ってるのが分かる。お供えをぶら下げて出向き、ちらっと挨拶して帰るだけというお気楽さ。
「花香もましろも、大きくなったねえ」
「子供の成長は、早いからねえ」
毎年お盆とお正月に繰り返される同じやり取り。
私とお姉ちゃんは、毎回えへへと愛想笑いをしながら出されたジュースを黙って飲むのだった。おじいちゃんもおばあちゃんも嫌いじゃない、でもお泊りしなくて済むのは、私にとっては良かった。思う存分、ピアノに没頭できる。
そういえば、紅さまや蒼くんには全然出くわさなくなった。
お盆明けから、二学期制の青鸞は学校が始まっている。
何かと忙しいのか、フラグを折ってしまったのかは謎だけど、会わないなら会わないで平穏な日々だった。
ちょっと寂しいような気もするけど、完全に気のせいだ、と思うことにする。
待ってて、私のまだ見ぬ王子様。
勉強もピアノも完璧に仕上げた状態で、青鸞の高等部に入学しますからね!
どんな人がいいかな~。
年上の3年生とかいいんじゃないかな。
弦楽器は避けるとして、金管か木管なんてどうかな。トランペッターも素敵だし、フルーティストも捨てがたい。
『すごく素敵なピアノの音だね。是非、私と一緒に演奏してくれないか?』なんてね。なーんてね!
二学期が始まるまで一週間を切ったある日の図書館からの帰り道。
ニヤニヤ妄想しながら自転車を漕いでいると、後ろから短いクラクション音が鳴らされた。
――紺ちゃんでありますように
ブレーキをかけて自転車から降り、恐る恐る振り返ってみる。
例のロールスロイスがゆっくりと減速して路肩に停まった。
――紺ちゃん、来い!!
ババ抜きの最後の一枚を引く時みたいな緊張感で、後部座席の窓が下りるのを見守っていると。
「やあ、ボンコ。今日も図書館通い?」
――はい、ジョーカーでした
「うん、そう。なんで知ってるのとか聞かないからね。紅くんは、学校帰りだよね。気を付けてね、バイバーイ」
一息に言い切り、にっこり笑って手を振る。
挨拶したし、義理は果たした。
自転車に再び跨ろうとすると、車から紅さまが下りてきた。
「ちょっと待てよ」
「……はい、すみません」
低い声にびくっとなる。
ギクシャクと再び紅さまに向き直ると、彼は気だるげに前髪をかき上げた。
「久しぶりに会ったっていうのに、随分なご挨拶だね。そういえば、林間学校でピアノを弾かせてあげた貸し、返してもらってない気がするな」
随分なご挨拶って、あんたのボンコ呼びに比べりゃマシでしょうが!
喉元まで出かかった台詞を何とか飲みこみ、私は小首をわざとらしく傾げてみた。
「貸し? えー、そんなこと言うんだ。あれは紅くんの善意だと思ってたのになあ」
「なんだよ、そのキャラ。気持ち悪い」
紅さまの嫌いそうなキャピ系女子ぶってみたんだけど、効果なし。
そうですか、ダメですか。
「母に着物を仕立ててもらったそうじゃないか。せっかくだし、それを着て週末に花火でも見に行くのはどう?」
「いかない。土曜日はソルフェージュだし、日曜日は友達とプールに行く約束してるから」
それじゃ、と手を上げたんだけど、紅さまはニヤリ、と微笑んだ。
グラデーションに染め上げられた夕暮れ時の光の中、さわりと吹いた風に綺麗な赤い髪がなびく。
「ふうん、プールにねえ」
「言っとくけど、すぐ近くの市営プールだからね! 紅くんの来れるような場所じゃないんだから」
釘を刺そうとして、墓穴を掘った。
「市営プールか。いいことを聞いたな」
「絶対に、来ちゃダメだからね!」
「流石にそんな場所には行きたくないかな」
そうだろうと思った。
小さい子供連れも多いし、割といつも込み合ってるって話だ。
お世辞にも綺麗とは言い難い古びた公営の施設に、坊ちゃん育ちの紅さまが行くとは思えない。
「お誘い、どうもありがとう。また機会があったら、よろしくお願いします」
一応の礼儀としてそう述べ、今度こそ私は自転車に跨った。
「ましろ!」
漕ぎだしてすぐ、紅さまから声がかかった。首だけ振り向くと。
「パンツ見えてるよ」
「へっ!?」
くつくつ肩を震わせ笑いながら、紅さまは私の臀部を指さした。
慌てて飛び乗ったもんだから、ワンピースの裾がまくれ上がってる。
真っ赤になりながら、急いで裾を下ろした。
「……ありがと」
「どういたしまして」
優雅に一礼し、紅さまは悠然と車に戻っていった。
くそー。いつか見てろ!




