第30話
雲一つない青空から、やわらかな日差しが降り注いでいた。
大理石の回廊を歩く靴音が、規則正しく響き渡る。仕立てられたばかりの濃紺の礼装は、魔術師団長のローブよりもわずかに重く、だが肩に吸い付くように馴染んでいた。胸元には公爵家の紋章を刻んだ銀の留め具が鈍く光っている。
「閣下、式典の式次第および各省庁からの宣誓書、すべて確認を完了いたしました」
小走りで隣に並んだノアが、抱え込んだ革表紙のファイルを胸に抱き直す。丸眼鏡の奥の瞳は徹夜のせいで微かに充血していたが、その表情には一片の不安もなかった。
「ご苦労だったな、ノア。不備は一切ないようだ」
「当たり前です! 僕がどれだけこの日のために点検を重ねたと思っているんですか。座席の配置から親書の文面、果ては玉座の間へ続く絨毯の毛足の向きまで、完璧に整えてありますから」
胸を張る青年の姿に、私は口元を緩めた。かつて自信なさげに書類の山に埋もれていた補佐官は、今や王国文官機構の中核として、誰よりも頼もしい実務能力を発揮している。
「頼りにしている。君の整えてくれた道だからこそ、私は迷わず歩ける」
「……なっ、そんな急に真っ直ぐ言われると困ります。ほら、早く行きましょう。皆様がお待ちです」
照れ隠しに早口で捲し立てるノアを促し、私たちは大広間の重厚な扉の前へと至った。
扉の脇には、影のように寄り添う灰色の外套姿があった。足音も気配もなくそこに佇んでいたカイが、私を認めて薄く笑う。
「警備体制に穴はねえよ、団長――いや、宰相閣下。ネズミ一匹、この広間には潜り込ませやしねえ」
「外の様子はどうだ」
「至って平穏だ。かつてあんたを罵倒した連中も、今じゃ新しい宰相の誕生を拝もうと広場を埋め尽くしてる。手のひら返しも見事なもんだが、まあ、これが現実ってやつだな」
「民は常に結果を見る。それでいい。私たちが成すべきは、その信頼に足る確かな結果を積み重ね続けることだけだ」
「へえ、相変わらず堅苦しいこった。だが、その揺るぎなさがなきゃ、俺もここまでついてきちゃいねえよ」
カイは肩をすくめ、扉脇の儀仗兵へ合図を送った。
儀仗兵の叩く槍の音が重々しく響き、巨大な扉が左右へと開け放たれる。
広間を埋め尽くす貴族や高官たちの視線が一斉に注がれた。かつて疑惑と蔑みの色を孕んでいたそれらの視線は、今や純然たる敬意と期待へと塗り替えられている。誰一人として、私を貶めようとする者はいなかった。
真紅の絨毯が敷かれた通路を進む。
列席者の最前列には、筋骨隆々の体躯を正装で包んだバルドが立っていた。顔の古傷を歪めて豪快に笑い、力強く頷いてみせる。地方の領主たちを束ね、前体制の不正を暴く過程で最大の力となってくれた男だ。その逞しい背中が、新体制の基盤が盤石であることを無言で物語っていた。
さらに歩みを進めると、玉座の傍らに控えるマリアンヌの姿が目に入った。背筋を微塵も崩さず、鋭い眼差しで周囲を警戒しながらも、私と視線が交わると深々と一礼する。その礼儀正しさの奥には、主を守り抜いた者同士の静かな共感が宿っていた。
そして、玉座の前に立つ彼女――セリア王女。
豪奢な金髪を美しく結い上げ、白銀のドレスを纏った彼女は、凛とした佇まいで私を迎えた。その碧眼には、迷いも恐れもない。
「前へ、レオン・ヴァルハイト公爵」
セリアの声が、静まり返った広間に澄み渡る。
私は玉座の三歩手前で足を止め、右手を胸に当てて深く頭を垂れた。
「レオン・ヴァルハイト。貴殿の類まれなる知略と公正なる証拠の積み重ねにより、王国を蝕んでいた巨悪は根絶され、法と正義が再びこの地に打ち立てられました。王室を代表し、心よりの感謝と敬意を表します」
厳かな口調のまま、セリアは手にした金色の帯――宰相の証たる佩帯を手に取り、私の前へと歩み寄った。
顔を上げると、至近距離で見つめ合う彼女の瞳が、ふわりと柔らかく緩んだ。
「……よくぞ、ここまで辿り着いてくださいましたね、レオン」
囁くような微声は、二人だけにしか聞こえない。
「あなたと共に歩んだからこそです、殿下」
「これからは、この国の舵取りを共に。私を、そしてこの国を導いてください」
「我が知力と魔術のすべてを捧げて、必ずや」
佩帯が私の肩に掛けられる。その重みは、かつて私を縛り付けた無実の罪の重さとはまるで違う。この国に生きるすべての人々の未来を背負う、誇り高き責任の重みだった。
広間を揺るがすほどの万雷の拍手が沸き起こる。貴族たちの歓声と祝福の言葉が、天井高く響き渡っていった。
式典が終わり、王宮の最上階にあるバルコニーへと出た。
吹き抜ける風が、心地よく頬を撫でる。眼下には、王都の広大な街並みがどこまでも広がっていた。王宮前広場を埋め尽くした群衆が、新しい宰相の姿を認めて一斉に歓声を上げる。
色とりどりの旗が振られ、祝祭の鐘の音が街中に鳴り響いていた。
「見事な眺めですね」
背後から近づいてきたセリアが、私の隣に並んで手すりに手を置いた。その後ろには、カイ、ノア、バルド、マリアンヌがそれぞれの立ち位置で控えている。
「ええ。前世の私には、決して見ることのできなかった景色です」
あの日、私が冷たい刃の下で命を落とすはずだった期日は、今、完全に塗り替えられた。
政治を軽視し、真面目に魔術を極めることだけに逃げ込んでいた過去の私はもういない。冷徹に現実を見据え、確かな事実と証拠を積み上げ、信頼できる仲間たちと共に掴み取った勝利が、ここにある。
「これからが本当の始まりだな、団長」
カイが気のない風を装いながら呟く。
「ええ。悪弊を断ち切った今、私たちは新しい秩序を築かなければなりません。不正を許さず、誰もが正当に評価される国を」
「僕も、全力でお支えします。どんな膨大な書類の山であっても、完璧に整理してみせますから!」
ノアが眼鏡の位置を正しながら力強く宣言し、バルドがその肩を叩いて豪快に笑った。
「ハハッ、頼もしい補佐官殿だ。俺たち地方の連中も、新宰相の掲げる道なら喜んでついていくさ。何せ、一番信頼できる男が上に立ったんだからな」
「お言葉ですがバルド閣下、あまり気安く宰相閣下の肩をお叩きになるのはお控えください。式典の余韻が残っております」
マリアンヌの冷徹な指摘に、バルドが頭を掻いて苦笑いする。その様子を見て、セリアが鈴を転がすような笑い声を零した。
仲間たちの穏やかなやり取りを聞きながら、私は青く澄み渡る空を静かに仰ぎ見た。
かつて私を絶望の底へと叩き落とした運命の暗雲は、跡形もなく晴れ渡っている。そこにあるのは、どこまでも続く、曇りのない未来だけだった。
「行きましょう、皆様。私たちの新しい時代へ」
セリアの言葉に、私は深く頷いた。
確固たる足取りで、前を向く。築き上げた揺るぎない礎の上に立ち、私は仲間たちと共に、光に満ちた新たな一歩を踏み出した。




