第20話
グスタフが自らの執務室で偽証作りに走る頃、王宮の片隅にある魔術師団長室は、深い静寂に包まれた。
謹慎期間の最終日。夜明け前の薄暗い室内で、羽ペンの走る乾いた音だけが響く。
壁際の棚には分厚い法典や過去の判例集が山のように積まれ、床には丸められた羊皮紙が散乱した。
「団長……終わりました。これが、すべての証拠です」
目の前にうずたかく積まれた書類の束を前に、ノアが深く息を吐き出した。
丸眼鏡の奥の瞳には濃い隈ができ、指先はインクで黒く汚れた。徹夜での作業だったことは明らかだ。だが、その表情にはいつものオドオドとした自信のなさはなく、確かな誇りが宿る。
「ご苦労だった、ノア。君の緻密な仕事ぶりにはいつも助けられる。これほどの量の監査ログと裏付け資料を、一晩でまとめ上げるとはな」
私が労いの言葉をかけると、彼は照れくさそうに肩をすくめた。
彼が整理してくれた書類は、ただの紙束ではない。宰相派を完全に断罪するための、緻密なパズルのピースだ。日付、署名、魔力痕跡の鑑定書。どれ一つとして反証の余地を与えない、完璧な刃である。
「宰相の爺さん、どうやら焦って偽の公文書をでっち上げるらしいぜ」
不意に、部屋の隅の影が揺れた。
足音一つ立てず、灰色のローブを纏ったカイが姿を現す。彼は飄々とした態度で壁に寄りかかり、手の中で短い短剣を弄んだ。
「他国のスパイと通じるという偽証を作るつもりのようだ。暗部の連中が慌ただしく動く。ヴィクターの野郎も、自分が発行した襲撃指示書を奪われたことで、かなり追い詰められたようだな。部下たちに当たり散らして、まともな指揮が取れていない」
「想定内だ。彼らが力技に出るほど、こちらの証拠の信憑性が増す。偽造された文書など、魔力監査を通せば一瞬でボロが出る」
私は手元の書類に視線を落とした。
魔獣暴走事件の責任転嫁。軍事予算横領の濡れ衣。そして、私への暗殺計画と国王毒殺の企て。
彼らが仕掛けてきた罠は、すべて先回りして粉砕した。逆に、彼らが動くたびに残した痕跡を、私たちは一つ残らず拾い集めたのだ。
コンコン、と。
控えめだが、芯のあるノックの音が響いた。
カイが素早く扉の鍵を開けると、豪奢な金髪をフードで隠したセリアが静かに入室してくる。
「殿下。このような時間にご足労いただき、申し訳ありません」
「構いません。いよいよですね、レオン」
フードを下ろしたセリアの碧眼には、強い意志の光が宿る。
彼女は王族としての威厳を保ちながら、卓上に並べられた証拠の数々を見つめる。かつて飾り物の王女として冷遇され、政治の場で軽視された彼女の姿は、もうここにはない。父である国王が毒に倒れ、国が乗っ取られようとする今、彼女は自らの足で立ち上がり、戦う覚悟を決めた。
「これで、すべて揃ったのですね」
「はい。私たちが集めた、完璧な刃です。王室会議の場で、彼らに言い逃れをさせる隙は一ミリも与えません」
私は一つ一つの証拠を指し示した。
まずは、ゲイツから押収した古びた懐中時計。針の動かないガラクタに見えるが、内部に施された極小の空間魔術の中には、宰相からの密命書が手つかずのまま保存された。かつて気付けなかった、裏切り者の決定的な証だ。
次に、セリアの部屋に持ち込んだ特製の香炉。変色した灰の記録は、国王に盛られた魔獣毒の成分と完全に一致する。侍医を抱き込み、密かに毒を投与し続けたグスタフの陰謀を暴くための、動かぬ物証である。
そして、ヴィクターが発行した襲撃の指示書と、暗殺者ジンから得た自白書。暗部部隊を私兵として使い、不法な武力行使を行った事実を裏付けるものだ。
「さらに、これもだ」
私が最後に取り出したのは、一枚の解析結果だった。
かつての処刑前夜、王都に降り注いだ不気味な赤い雨。鉄錆のような匂いを放つその雨の正体が、グスタフが裏で行った禁忌魔術実験の魔力汚染であることを示す決定的なデータだ。
「あの雨が、単なる天候不良ではなかったとは……」
セリアが息を呑む。
王都の防衛結界すら侵食しかけたその実験は、国家への明確な反逆行為に他ならない。
「俺の技術も、少しは役に立っただろ?」
カイがニヤリと笑う。彼が暗部から奪取した情報と、ノアの膨大な文献調査がなければ、この解析は不可能だった。日陰者として蔑まれた彼の隠密魔術が、今や国家の危機を救う最大の鍵となる。
「ああ。君たちの協力がなければ、ここまで辿り着くことはできなかった」
私は三人の顔を順番に見渡した。
かつての私は、一人で全てを背負い込み、政治の泥仕合から目を背けた。お人好しにも、自分の技術を高めることだけが国への忠義だと信じ込んだのだ。
ふと、首筋に冷たい刃の感触が蘇る。周囲を取り囲む群衆の罵声。無力なまま全てを奪われた、あの絶望の記憶。
だが、私は小さく首を振り、その幻影を振り払った。
今は違う。
私の能力を信じ、命を懸けて裏の仕事を引き受けてくれるカイがいる。
膨大な実務を完璧にこなし、裏通信網まで構築してくれたノアがいる。
そして、自らの危険を顧みず、公的な後ろ盾となってくれるセリアがいる。
「私はもう、二度と同じ轍は踏まない。味方と認めた者は、最後まで守り抜く。そして、裏切り者には必ず相応の報いを受けさせる」
私の決意を聞き、カイは短剣を鞘に収め、真剣な眼差しを向けた。
「あんたからの命令は絶対だ。自分の技術を軽んじる連中に、目にもの見せてやる。最後まで付き合うぜ、団長」
「僕も……あなたに拾っていただいた恩を、必ずお返しします。この書類は、僕の戦いの証ですから」
ノアが力強く頷く。
セリアは静かに微笑み、私の手を取った。
「私は王族としての誇りと責任を決して捨てません。自分を命懸けで救ってくれたあなたを、何があっても信じ抜きます。共に、この国の膿を出し切りましょう」
彼女の手の温もりが、私の胸の奥にある冷たい記憶を完全に溶かす。
自分が集めた証拠が権力によって握り潰される恐怖。それはまだゼロではない。しかし、これだけの完璧な証拠と、信頼できる仲間がいれば、必ず打ち破れる。
それらを乗り越えるための準備は、すべて整った。
「時間だ」
私は立ち上がり、魔術師団長の制服の皺を伸ばした。
外の景色が白み始め、王都の朝が訪れようとする。
ゴーン、ゴーン、と。
王宮の奥から、重厚な鐘の音が鳴り響いた。
王室会議の開催を告げる合図だ。
「行きましょう、レオン」
「ああ。彼らに、相応の報いを受けさせる時だ」
私は扉を開け、堂々とした足取りで廊下へと踏み出した。
手には、反撃のための完璧な証拠を携えて。
冷徹な闘志が、静かに、しかし確実に全身を満たす。
ついに始まる王室会議の場で、私は必ず勝利を掴み取る。




