第75話 魔女の願い
「ただいま」
誰も居ない廃墟の中で、そんな声を上げながら棺の隣に座った。
真っ黒い、何重にも魔法付与のされた特別な棺桶。
魔女と呼ばれた私を、寿命という概念のない化け物を。
唯一愛し、最後まで隣を歩いてくれた人が入っているソレ。
ソッと、本当に優しく触れてみれば……相変わらず、冷たい感触が返って来る。
「今日は“魔王”を名乗る女の子と、“聖女”と呼ばれた女の人に会って来たわ。それからあと二人、その子の仲間達」
今日あった事を、彼に対して語り聞かせる様に言葉にしていく。
こんな事をしたって意味は無い。
分かっているのだが、それでも止められなかった。
こうしていないと長い長い時の中で、孤独に押しつぶされてしまいそうで。
黙ったままで居ると、言葉を喋れなくなってしまいそうで。
「凄く強かった。本気で戦ったし、身体の再生にこんなに魔力を持っていかれたのは何十年ぶりかしら……下手したら、百年以上いなかったかも。最後なんて、本当に存在ごと消されかけたのよ? まさかこの時代に、あんな術師が居るなんてね。それこそ服なんか塵一つ残らない程に……あぁ、そうだった。いつまでもこんな格好をしていたら、貴方に怒られるわね」
現状最後の攻撃で服が消し飛ばされてしまった時のまま。
つまり裸、魔剣を一本掴んでいるだけ。
逃げ帰る事に必死で、完全に忘れていた。
収納魔法を使い、亜空間からいつものドレスを引っ張り出して身に纏う。
“彼”がプレゼントしてくれたのは、真っ赤なドレス。
私にはこの色が似合うからと言って、戦闘でいくら駄目にしても買ってくれたのだ。
だから今でも、私は赤いドレスばかりを纏っている。
この人が居なくなってしまった後でも、似たような物を見つけては購入し、こうして普段から袖を通しているのだ。
「それじゃ、話の続きをするわね? 本当に凄かったんだから」
まず前衛の女の人、物凄い剣技だった。
とても綺麗な戦い方で、魔法の乗せ方も上手で。
二本の色と形が違う長剣だって、きっと特別な物だったのだろう。
私の魔剣とは少し違うみたいだったが……何度斬られたか分かったモノではない。
彼女と戦い抜けたのは、此方にずば抜けた再生能力があったから。
ソレが無かったら、一撃斬られただけでも戦闘不能になっていた事だろう。
それくらいに、凄い魔法剣士だった。
そして次に盾を持った小さな女の子。
本当に小さくて、可愛らしいと思ってしまったのに。
この子に対しては……本当に驚きの連続だった。
魔女と呼ばれる存在の剣を、易々と弾くのだ。
あの小さい身体の何処にそんな力があるのかという程、簡単に防御されてしまった。
それだけじゃない、状況をよく見ている子だった。
周囲と連携して、味方の邪魔になる所には絶対入らない。
攻撃術師の射線は絶対に確保するし、仲間が危険に晒されない限り無理に飛び込んだりはしなかった。
そこを突いて、剣士の女性に張り付く戦闘に切り替えたのだが。
リーダーの子の指示で、一度だけ仲間を押しのけるようにして飛び込んで来た。
その際、肩を斬り裂いてしまったけど……ちゃんと治して貰えただろうか?
あんな小さい子に、大きな傷跡が残ってしまったら可哀想だ。
「それくらい、皆強かったの。でも凄く不思議。まるで最近戦場を知ったかの様に、探り探り戦っていた。それにね? 目が、凄く綺麗なのよ。全員、全く汚れていない。私が斬るのは私に牙を剥いた存在だけ、排他しようとしてくる奴らだけ。今回はコッチから仕掛けちゃったけど、攻撃するのが申し訳ないと思う程……綺麗な存在だった。あの子達はきっと、害意とか悪意にあまり関わらず過ごして来たのね。いえ、ソレは無いか……人族だもの。でも殺意とは程遠い存在に思えた」
彼女達からは、そういう“汚い”部分を全然感じられなかった。
戦場に立つ人間は当然の事、街に居る人間だって様々な“汚れた感情”を抱く。
だというのに、“魔王”と名乗る少女でさえ。
「私に向けて来た敵意は、とても綺麗だった。あの子は、仲間を傷つけた私に対して怒りをぶつけただけ。兵士を斬った私に、“正義”とも呼べる感情で襲い掛かって来た。綺麗事みたいって馬鹿にしてる訳じゃなくて、本当に正しい感情で、私という“悪”に挑んで来たの」
そんな風に語りながら、棺に掌を当てた。
声は返ってこなくても、ちゃんと聞いてくれていると信じて。
「魔王、魔族の王様であり。悪の根源……なんて語られるのにね。あの子がそうなら、御伽噺の方が間違っているわ。あんなに綺麗な魔王が居るなら、争いなんて起きないもの。それにね? その子なんて言ったと思う? 魔王だからこそ、仲間に頼るんですって。配下でも手下でも無く、“仲間”に。更には“頼る”とはっきり言葉にしたの。凄く、羨ましいって……その時思っちゃった」
あの子達は、姿も、心も。
戦い方やその意思すらも。
とても綺麗で、輝いていた。
誰もが仲間の為に戦っていた、自らが傷つく事も厭わずに。
きっとこれから、もっともっと強くなっていくのだろう。
でもあの子達は、この先もあのままな気がする。
綺麗なまま、強くなっていく気がする。
「フフッ……私は“嫉妬の魔女”じゃないのにね。いいなって、羨ましいなって。そんな事ばかり考えていたわ」
私はずっと一人で居たから。
愛した人が居なくなってから、ずっとずっと一人で世界を旅しているから。
棺を背負って、本当に気の遠くなる時間を。
あんな風に、素直に想い合える関係が凄く眩しく見えたのだ。
「最後なんて、凄いのよ? デウス・マキナって言ってたかしら……私の魔法防御なんか簡単に貫いて、此方の身体を消し去る勢いの一撃。あんな魔法初めて見た、しかも仲間を救う為に自分まで巻き込んで行使したのよ? 優しい魔王様も居たものね」
クスクスと笑いながら、棺に身を寄せて目を閉じた。
棺桶の冷たさを全身に感じつつ、はぁ……と小さな息を溢して。
「聖女と呼ばれた女の人は……最後に少し見ただけだったけど。でも、凄く優しそうな人だったわ。仲間達が怪我をするたびに、ちょっと大げさなくらいに回復魔法を掛けて。しかも効果が凄いの。あの四人が皆凄く特別な存在で、それこそ“天人”だったり、本物の“魔王と聖女”だったのなら……もしかしたら、貴方を蘇らせてくれるのかもしれない。その力が本当に彼女達にあるのなら、私は喜んで跪くわ。貴方には怒られるかもしれないけど、それでも……ずっと一人は、嫌だもの」
アレだけ強いんだ、普通の存在ではない事は確か。
でもまだ“特別な存在”かは分からない。
私は魔女、それを退けた程度では特別とは言えない。
魔女なんて鼻で笑うくらいじゃないと、もっともっと特別で圧倒的な。
それこそ“奇跡”に近い存在じゃないと、きっと“この人”を救えない。
そういう存在を、ずっと探し求めていたのだ。
想像や妄想の類かもしれないが、“もしかしたら”に一番近い存在を、今日見つけた。
だから、また会いに行こう。
もっともっと確かめて、本当に規格外で、私よりずっと“特別”な存在だと判明した暁には。
地に額を擦りつけてでも懇願しよう。
私の愛した人を救ってくださいって、蘇らせて下さいって。
それさえ叶うのなら、配下にでも下僕にでもなってやる。
その場で死ねと言われるのなら、“この人”が見ていない所で自害しよう。
「ねぇ……起きてよ。一人は嫌だよ……寂しいよ」
小さな呟きが、静寂の中ではよく響く。
たった一人、もう長い間ずっと一人で居た私は、既に涙など枯れてしまったが。
だから涙こそ流さないが、こういう事を呟く時の言葉は。
いつだって震えてしまうのだ。
本能が、怖がっているのだろう。
このままは嫌だって、一人は怖いって。
だからこそ、私は。
「一人にしないで、一緒に居て……」
その言葉に答える声は聞えないが、それでも。
いつか答えてくれると信じて、私は”コレ”に縋るのだ。
だからこそ、彼女達は見逃せない。
「……私じゃ不十分だから。もっと適した存在を連れて来るから、だから……上手く行けば、また……一緒に旅をしましょう? 皆に否定されても、貴方が隣にいるのなら、私は幸せだから……」
何も答えない棺を抱きながら、月の光を浴びる。
あぁ、何故この世界はこれ程不条理なのか。
今では魔女なんて言葉も気軽に使われる。
昔は、名乗るだけで排他される対象だったのに。
これも時代の流れ、それは分かっているけど。
「どんなに時が流れても、貴方だけは……諦めたくないの」
私に残された、最後の手綱。
この人がいないのなら、私の人生に意味は無いのだから。




