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Episode.29 - 二人の関係性

 だが、穂月くんが惣菜パンの包装を開け、双葉ちゃんがお弁当の蓋を開ける中、私は割り箸を割ると、そのままうどんを見つめて静止していた。

 ここが夢の中であるとはいえ、果たしておいそれと食べ物を口に入れて良いものだろうか。エクレアの時は少量だったからあまり心配しなかったけれど......まあ、せっかく注文したのだし、ずっとこうしていても不思議がられるだけだろうと、ええいままよと一口頬張る。


 当たり前と言うべきか、それに味はない。ただ柔らかいゴムを噛みちぎっているような感覚が口の中に広がり、正直あまりよい心地はしなかった。


 味の想像ができればまた少し話は違ったのかもしれないが、生憎私はうどん麺の味を知らない。お出汁の味を知らない。油揚げの味を知らない。かといって、『これ、夢で喩えるとどんな味?』だなんて聞けるわけもなく。私は、無心になりながら、出来るだけ咀嚼をしないように食事を再開した。


「——というか、穂月はまた菓子パンだけ?」


 そんな中、ちびちびとパンをかじり続ける穂月くんに向かって、双葉ちゃんは呆れ顔でそう問う。


「別に良いだろ、何かが減るもんでもないし」


 そう返す穂月くんは鬱陶しそうな表情を浮かべ、まるで親からの小言を受け流すかのようだった。そのやり取りはとても自然なもので、毎日同じような会話をしていたんだろうなあと、なんだか微笑ましく思える。


「寿命が縮むんですー。それに、ちゃんと食べないと大きくなれないぞ?」


 適当に言葉をあしらわれてしまった双葉ちゃんも負けてはいない。小さな弁当箱をつつき、ブロッコリーを一つ摘まんだ。


「これ以上何が大きくなるんだ——って、おい双葉、その箸を下ろせ」


 彼女はそのまま少し腰を浮かせると、弁当箱の蓋を受け皿として、箸を穂月くんの目の前まで持っていく。その途端に、穂月くんの頬は仄かに赤く染まった。


「おやおや、望実ちゃんの前だから照れてるのかな?」


 ああ、これはあれか、俗に言う『あーん』というやつか。聞いたことがあるだけで、見たことも、もちろんされたこともないから都市伝説のようなものだと思っていたが、まさか生で見ることができるとは思わなかった。......って、ここだって現実ではないんだけど。

 でも、この双葉ちゃんの手慣れた感じを見るに、何も初めてのことじゃあないのだろう。そんな本物の恋人同士のやりとりに当てられて、私は、


「あ、あはは、私のことはお気になさらず」


苦笑しながらそう言うことしかできなかった。穂月くんも嫌々言いながらその実満更でもなさそうだし、まあ、そういうじゃれ合いなんだろう。私は彼らのやり取りが終わるまで、影を潜めてうどんを食べ続けた。......『啜る』という動作って、意外と難しかったんだなあ。


 その後もしばし談笑が続く。基本的には双葉ちゃんが話題を出し、それに対して私や穂月くんがそれに乗るという形だったのだが.........何だろうか、この疎外感は。

 表面上では分け隔てなく接してくれているように見えるが、言葉の節々に現れる声のトーンが、私に話しかけるのとそうでないのとでは違うように思えた。......まあ、そりゃあ恋人とただの顔見知りでは訳が違うだろうけど、それにしても、その間の壁がとてつもなく大きく感じる。


 この感覚は......そう、明晰夢ではない普通の夢を覗き見している時にそっくりだった。私は完全なる傍観者として、ただ夢の中の時間が過ぎ去るのを眺めるだけ。

 しかし、この夢に限っては、私は彼らに干渉できる。なのにそう感じてしまうということは、それ即ち私の力不足に他ならない。


 彼の意識をこちらに向けるための——彼をこの夢から引き剥がすための力が、圧倒的に足りていないのだ。

 まあ、それもある意味では当たり前の話。彼にとってより大きな存在である双葉ちゃんがいれば、たとえ私じゃなくともそれは困難を極める。

 だが、これはそんな単純な結論で終わらせていい問題なのだろうか? きっと、他の人ならもっと上手くやれる。もっと馴染める。少なくとも、彼に現実を思い出させるところまでは、ちゃんと進めるのだろう。


 しかし、今のままの私ではどうだろうか。正直、自分ではそれをこなせるビジョンが一切見えない。なんせ私は、本当の人間関係を知らない薄っぺらい人間だから。どうすれば人が喜んで、どうすれば人が哀しんで、どうすれば人が動揺するのか。実際には、なーんにも知らない。

 だって、私が知っている人間関係なんて、夢の中の出来事くらいだったから。ただでさえ他人の夢から経験を得て、あまつさえそれは眺めているだけ。


 (ひつ)(きよう)、私には『私』がない。自分で考えて他人と接したことがなく、ただ模倣をしているだけだから、誰を基準としても、ただの完全なる下位互換にしかならない。それが双葉ちゃんという人間が相手なら尚のこと。


「......はあ」


 彼らには聞こえないように、小さく溜息を漏らす。


 ......これから、どうしようかな。


 今までも十分に自分の無能具合を理解していたつもりだったが、彼らとの会話などを通じて、改めてそれを思い知らされた。やるぞ、と決めてまだ一日目だというのに、なんという体たらくなのだろう。......いや、むしろ引けに引けなくなったタイミングで気づくよりもマシなのかもしれない。


 とかく、そんなこんなで、諦めの思考が段々と私の頭を浸食していく。

 そんな逡巡の片隅で、これからどうしようかと、改めて自問した。もし諦めるのだとしても、今すぐにここを去る気にもなれないのだ。

 意気込んで夢の中へ入り込んで、何の成果も得られないままに現実へと戻る。それでどうやって穂月くんの母親に顔を合わせればいいだろうか。


 そして何よりも、私一人で現実に戻ったところで、何も良いことが無い。彼からの夢の提供が途絶えて再び万年空腹となり、授業には集中できず、誰との接点もない虚無な生活が戻ってくる。

 自分勝手なことは重々承知だが、正直、そんな日常はまっぴらごめんだった。

 それならば、いっそここで、なんて考えたりもしてしまう。


「——おーい、望実ちゃん? そろそろ行こっか」


 ふと、隣の双葉ちゃんから声がかかる。

 双葉ちゃんや穂月くんだって、傍目で見れば全くの他人である私に対して優しく接してくれている。何も考えずに過ごせば、次第に居心地の悪さも忘れられるかもしれない。

 そんな大きな誘惑の波に攫われ、私は。


「ごめん、ちょっと考え事してて.........そうだね、行こっか」


 そちらに、折れてしまった。

 


 一度そう決めてしまえば、明らかに心が安らいだ。

 初めのうちは『本当にこれで良かったのか』と夜な夜な思うこともあったけれど、この環境に慣れていくにつれ、そんな思考は少しずつ薄れていく。


 とはいっても、あくまで前向きな姿勢を崩すというだけで、機会があれば話を持ちかけようと思っていた。でも、ただでさえ為す術がなかった私が、受動的、消極的になったらどうなるかなんて、火を見るよりも明らかで。


 ぬるま湯に揺蕩い続けることで、いつしかそんな気は水に浮かぶ波紋のように消えていった。


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