王都の影
私のボソボソとした話を聞いていたレイモンさんは、クレープシュゼットにナイフを入れながら口を開いた。
「……君も不運だな。まさか庶民の区画の……それも訳ありの区画に立ち入るとは」
「あのう……訳ありの区画って? あそこの人たち、騎士団に通報されるの嫌がっているようだったんですけど」
あの男の子から聞いた言葉だけれど、あの子の格好といい、引ったくりへの対応といい、あからさまに荒事に長けていたことに、今更ながら身震いがする。
私が小さく震えている中、レイモンさんはひと口大に切ったクレープシュゼットを口に含み、コーヒーに口を付けてから答えてくれた。
「訳ありの区画と言うのはそのまんまだな。君はたしか、魔女と交流しているな?」
「ヴァネッサさんですか? はい、お世話になっていますよ」
「ああいう場所のことだ。まあ……魔女の場合は王城も公認しているから、ああやって普通に魔女だけが暮らしている区画を用意し、そこに住まわせているんだが。元気な魔女だったら他の区画で店を開いて生計を立てているが、魔女を怖がる人々から店に石を投げ込まれてたりしてまともに暮らせないからと、結局は魔女の区画に戻ってくることが多い……話を戻す。その訳ありの区画というのは、魔女の区画と違い非合法だ。騎士団も基本的に通報されない限りは黙認している形の区画だな」
「そんな……どうして?」
「あそこに住んでいる訳ありっていうのはな……基本的に人狼なり、ダンピールなり、魔物の血を引いている」
「あれ」
私は思わず口を開いた。
「この世界って、そういう生き物がいるんですか?」
「君の国にはいないのか?」
「なんか噂では幽霊なり妖怪なりいるってことになっていますが、少なくとも私は会ったことがありません。少なくとも訳ありの区画の人たちみたいにいるって認識はされてないです」
「そうか……だとしたら、彼らがいないことにされている理由については、あまり把握できないってことか」
「多分……私の国、魔女も魔物も、いるのかいないのかわからないって扱いでしたから」
「なるほど。一応王都での扱いだが、彼らは普通に怖がられている。魔女の場合はなにかと城内で揉めていたからというのがあるが、魔物の血族の場合はもっと込み入っているな。大昔は神の眷属ってことでそれなりに尊重されていたらしいが、時代が移り変わり、人間が建国する頃には魔物とひと括りにされて迫害対象となった。時には騎士団を編成して争っていたらしいが、当然ながら争っていたらあちらも抵抗するな? 本気になった魔物は、騎士団一個小隊だって簡単に殲滅できる」
「ええっと……?」
ときどき耳にする言葉だけれど、私はその手の話に詳しくなく、いまいちしっくり来なくて小首を傾げた。それにレイモンさんは溜息をついた。
「……とにかく、魔物は人間より心身が強いとだけ覚えていればいい。だから人間も一時期は魔女と結託して、どうにかして魔物と戦う方法を身につけ、魔法石の力を借りてどんどん彼らを圧倒していった。結果として魔物は群れることなく散り散りとなり、姿を見なくなったが、完全にいなくなった訳ではない。今でも通報を受けたら騎士団は舞台を編成して殲滅しなくてはいけないが、彼らもかつて人間の脅威だった頃よりも力が弱くなっている……既に人間に混ざろうとして人間と交配を繰り返した結果、魔物の血が薄まっているからな……。だから今はいたとしても見ないふりをするという習慣ができている。ただいなかったものとしている以上、王都に住むことはできてもそれ以外のフォローはできないってことだ。これでわかったか?」
「ええっと……つまりは、私がここに迷い込んだときみたいに、ケアをしてもらえないってことで合っているでしょうか?」
「ああ。概ねその理解でいい」
私は引ったくりから助けてくれた男の子について考える。
彼、困ってないんだろうか。でもなあ……私だってこの国では異邦人だ。訪問者として、大昔の人たちが積み重ねてきた善意の上で、私は働き先を斡旋してもらって、七日に一度だけとはいえど店を切り盛りできるようになった。
そんな私がなにかしたいって思うのは、あまりにもおこがましくないだろうか。
私が落ち込んでしまったのに、レイモンさんは溜息をついた。
「いろいろ上手く飲み込めないだろうがな。人助けっていうのは、自分がまず衣食住が足りなかったら成立しないことだ。もし君が夜カフェで少しは人を幸せにしたいって思ったときと同じことを訳あり区画の連中にしたいって思うんだったら、まずは君が足りないものを満たせるようになるといい」
「……本当に、なにからなにまでありがとうございます」
「いや、これは私が劇作家として当然のことをしたまでだ」
「と言いますと?」
「私はこの世に起こる様々なことをしたためて脚本にして、舞台で演じてもらっている。この世で起こっていること全てに介入はできなくても、知らないというのは創作者としてあまりにも傲慢だと思っているだけだ」
「……難しいことはよくわかりませんけど、要はネタにしている以上は理解しようと歩み寄っているって感じでいいですか?」
「そういうことだな」
この人は珍妙な人ではあるけれど、基本的に善人なんだろうなあというのが、今の私の印象だ。結局私が一度腰を抜かして立てなくなったのを見かねてか、私が家に帰るまで送ってくれたのに感謝しつつ、私は考え込んだ。
ヴァネッサさんのときは、ふたりで共同レシピ開発をして、少しずつ魔女のレシピを公開して、魔女に対する偏見を少しずつ削る努力をしている。夜カフェ限定メニューって感じで公開しつつ、ときにはレイモンさんに声をかけて、コーヒー無料券十枚綴りと引き換えに小さな絵本を置いて魔女の理解の普及をしているけれど。
魔物の血筋の人たちにはなにをすればいいんだろう。そして。
私が出会った男の子は、いったいなんの血を引いている子だったんだろう。私はそう考えながら、家に帰って残りものをスープにして、パンに浸して食べた。
うちは店をやっている関係で魔法石を手頃な値段で買えるけれど。それすらあそこに住む人たちは買えないんだよなと、少しだけしょんぼりとした。