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涙の夜のカフェテリア─王都に灯る優しい光─  作者: 石田空


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庶民の区画

 次の休みの日、私は服を買いに出かけた。

 そうは言っても私はこの国の観劇のドレスコードがわからず、服屋に入って「観劇の服ってどうしたら」と尋ねて、あれこれと教えてもらった。


「基本的に肌を出さない服を着るのが基本です。帽子を被るのも結構ですが、観劇中は膝に置いてくださいね」


 私をひと目見て訪問者とわかったのか、服屋の店員さんはどの人も丁寧に教えてくれた。

 結局は自分の肌に合うようにと勿忘草色のワンピースに肩からかけられるようにとショール、そして手持ちのバッグを買うことで落ち着いた。

 素材は私の国だったら化学繊維が混ざったものがドレスの素材だったんだけれど、障ってみても素材がなんなのかよくわからない。私の給料で買えるんだから、一般人でも買える程度の値段だとは思うんだけど。

 帰りはどうしようかな。どこかのカフェで偵察がてら食べに行こうかな。そう思って歩いていたら。


「おっと失礼」

「わっ!」


 いきなり人にぶつかられたと思ったら、鞄を持って行かれてしまった。

 困る! 私の生活費を持って行かれたら生活できない! 私は慌てて走って行く。


「待って! ちょっと! 引ったくりぃ!」


 迂闊だった。

 私が普段生活している区画は近衛兵がうろうろしているから、基本的に治安がいいのだけれど、ここは普段近衛兵が見回りに来る区画ではない。そりゃ引ったくりだって出るよ!

 私はひいこらひいこら言いながら走っていると、だんだんと路地が狭く細くなってる。

 やばい。ここ庶民の区画だ。

 治安がピンキリだから、表通り以外は通るなと店長にもきつく言い含められていたのに。私は喉の奥をヒュンとさせるものの。

 生活費。近衛兵呼んでいる間に生活費全部持って行かれたら生活できない。私は勇気を振り絞って走り出した。

 こういう無茶は勇気ではなく蛮勇だろう。多分レイモンさんに今日の話を聞かせたら間違いなくそう言われる。


****


 天井という天井には洗濯紐が張り巡らされて、そこの洗濯物が引っ掛けられている。庶民の区画の中でも、完全に生活区画だ

 あちこちから煮込み料理の匂いがするのは、基本的に野菜料理は数時間かけないと固くて噛み切れないからだろう。おまけに庶民だと魔法石を買うことができない以上、どこの家も未だに薪ストーブだ。夕飯をつくるなら昼から煮込まないと食べられない。

 そんなことを思いながら、私は引ったくりを探していた。


「お願いです、返してください。私の生活費なんです……これがないと生活できません」


 殴られたらどうしよう。襲われたらどうしよう。私はビクビクしながらうろうろキョロキョロしていると。

 人が倒れているのにビクッと反応する。それは私の鞄を引ったくった犯人だ。私はびっくりして走り寄る。


「あ、あの……大丈夫……ですか?」

「……あんた馬鹿?」


 心底呆れたハスキーな声をかけられ、私は驚いて振り返った。

 ひどく細い男の子が立っていた……年は多分十代後半。灰色のボサボサとした髪で三白眼でこちらをじっと見つめていた……私の財布を持って。それに私は悲鳴を上げた。


「それ! 私の財布! あなたまさか……この人襲って……」

「……はあ。訪問者の財布盗むとか、こいつ素人だろ。はい」

「……え?」


 その男の子は、呆れた顔をして、すんなりと私の財布を返してくれた……中身を思わず確認したものの、なにも盗られていなかった。


「あ、ありがとう? でも、なんで?」

「訪問者は大概王城で面接されてるし、近衛兵と懇意だから。すぐ近衛兵に通報されると面倒なんだよ。だからスリも引ったくりも、訪問者だけは狙わねえ。こいつは多分、そんな常識もなくここに住み着いた奴だよ」

「住み着いたって……」

「ああ。あんたは訪問者だから知らないか。ここ、庶民の区画の中でも専ら訳ありしかいないから。近衛兵に通報されると面倒な奴しか住んでないんだよ。だから、俺たちは基本的に近衛兵をわざわざ敵に回さない。訪問者もだ。だから、これ返す」


 そう言って、私の鞄も拾って差し出すと、さっさと去ってしまった。

 私は鞄と財布を買い物袋と一緒に持ちながら、ただポカンとして見送っていた。


「……へ?」


 どうも助けてくれたらしいが、いろいろと聞き捨てならない話をたくさん聞いたような気がした。

 庶民の区画だとは知っていたものの、そんな訳ありで、近衛兵に通報されると困る人しか住んじゃいない場所があるなんて、ちっとも知らなかった。

 でもそうか……私の国だって、貧乏な人が一番住んでいるのは、実のところ大都会だった。他には貧乏な人を養う余裕がないから、結局は大都会に住むのが一番なんとかなるものだったから。多分王都だってそうだ。

 光が眩しければ眩しいほどに、影だって深く濃くなる。

 私はあの男の子の立ち去った方向に頭を下げると、小走りで立ち去った。あの男の子は見逃してくれたけれど、ここになにも知らない私がひとりでのんびり見物していていいことなんて、多分ひとつもない。

 ゆらゆらと洗濯物の影が落ち、煮込み料理の匂いが鼻孔をくすぐる。その匂いが遠ざかり、コーヒーと甘いお菓子の匂いが流れてきた頃には、私の普段生活している観光区画へと戻ってきていた。

 背中は冷たい汗で服が貼り付き、ずっと止めていた息に気付いて慌てて深呼吸をする。スーハースーハー。

 呼吸を整えてから、ひとまずは家に帰ろうとしたものの、途端に膝が笑ってそのまま座り込んでしまった。立てない。

 困り果てていたら「なんだ」と声をかけられた。


「あ……」

「サエ? どうした。こんなところで」

「レ、レイモンさん……」


 どうも打ち合わせに出かけていたらしく、日頃よりもきっちりとしたジャケットにスラックス姿のレイモンさんがこちらを不思議そうに見下ろしていた。その顔を見た瞬間に安心して、私はボロッと涙を溢した。それにレイモンさんは狼狽える。


「なんだ、こんなところで泣くな。私が泣かしたみたいじゃないか……ああ、もう。なにか奢ってやるから、一旦立て」


 私に手を引いて起こしてくれると、そのまま近くのサロンに寄ってくれた。サロンは基本的に私の国の喫茶店みたいなものだ。そこでレモンパイと濃いカフェオレを奢ってくれ、私はそれを泣きながら食べていた……このレモンパイ、味が凝縮されてておいしいな。


「それでなにがあった」

「……実は」


 私はボソボソと、なんとか語り出した。

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