眼差し
次回の更新は、本日18時です
ぼくは、テーブルの縁から覗いた瞳と目が合った。
小さな女の子と男の子。たぶん、小学校に上がるか上がらないかくらい。
女の子は小さな指先で、ぎゅっとテーブルの縁を握り締めたまま、こちらを見上げている。人懐っこそうな可愛い瞳には、いまにも星がこぼれ落ちそうなほどの輝き。隣でぼんやりしている男の子とは、実に対照的だった。
「えっ、と……?」
誰?
問いかけるべきか迷うぼくに、女の子は「おれーなさんっ!」テーブルの下に引っ込めていた身体を乗り出してくる。
「あのっ、わたし! おれーなさんの大大大大大──」
ぐぅーっ、と縮めた身体を女の子は、ばっと解放する。
「──大っファンなんです!」
「は、はいっ! ありがとう、ございます?」
「サインしてください!」
差し出されたのは、一冊の雑誌。三か月くらい前に発行されたファッション誌の表紙には、オレーナさんの顔が写っていた。
「コラッ! 千桜、悠翔。お客さんに、なにしてんだ!?」
カウンターの奥に引っ込んでいた瀬戸内さんが飛んでくる。皿を洗っていたのか、手には泡のついたスポンジを握ったままだ。
「あ、にいちゃにいちゃ! ほら、おれーなさんだよ! すごいモデルさんだよ!?」
「モデルさんだろうと芸人だろうと、いまはうちのお客さんだ。ちょっかい掛けるじゃない!」
コツン、と女の子にげんこつを落とした瀬戸内さんは、申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、妹たちが迷惑を。こいつ千桜っていうんですけど、春日乃オレーナさんの大ファンなんです」
女の子、千桜ちゃんはお兄さんに叱られて、うな垂れる。弟の悠翔くんは、しゅんとしてしまった千桜ちゃんの頭を無表情に撫でていた。
「あらあら、こんな可愛いファンがいるなんて、お母さん嬉しいわぁ。レナちゃん、サインしてあげたら?」
「いえ、お気持ちだけでっ。お客さんに、そんな気を使ってもらわなくても……」
「モデルは人気商売だもの。ファンサービスだって大切よ。ね、レナちゃん?」
「もちろん。喜んでサインさせてもらますよ」
千桜ちゃんの顔が、ぱぁーっと明るくなる。けれど、お兄さんの存在を思い出して、すぐに肩を落とした。
おずおずと兄の様子を窺う千桜ちゃんに、瀬戸内さんは深々とため息を吐いた。
「……すみません、春日乃さん。お願いしてもいいかな?」
雑誌を千桜ちゃんの手から受け取り、いざペンを握ったところで、ぼくははたと気付いた。
サインって、どう書くんだろう? オレーナさんのサインなんて知らないぞ?
わくわくと全身で足踏みする千桜ちゃんに、いまさらできませんとは口が裂けても言えない。
仕方なく、それっぽいデザインをその場ででっち上げる。なぜか書けた英語の筆記体でオレーナと大書した雑誌を、ぼくはそろそろと返却した。
「あの、これでいいかな?」
「わーっ」と千桜ちゃんは顔中を輝かせる。手にした雑誌を掲げ、まるで宝物みたいに両腕で抱きしめた。
「家宝にします!」
笑顔が眩しすぎて直視できない。勢いでOKしてしまったけれど、そもそも中身が違うので、これはサインの偽造にあたるのでは?
急に押し寄せてきた罪悪感に悶々としていたぼくは、こちらを見つめる瀬戸内さんに気付いて首を傾げた。
「ああ、悪い。ちょっとイメージと違ったもんだから、つい」
それより天ぷらだ、と瀬戸内さんは話題を変えた。
「どうだい、うちの天ぷらは?」
「凄くおいしいです。いくら食べても飽きなくて」
お世辞ではなく、心の底から思う。過去の記憶がないぼくでも、こんなにおいしい天ぷらが、そうそう食べられるものでないことは想像がついた。
「嬉しいねぇ。そんなふうに言ってもらえると、親父も喜ぶよ」
どこか実感のこもった様子で、瀬戸内さんは頷く。
「ほんと、春日乃さんたちみたいに、うちの味をわかってくれる人が増えると助かるんだけどなぁ」
「あら。このお店は昔から、学生さんたちで繁盛してるでしょう?」
「いやあ、近頃はめっきり。最近は馴染みのお客さんばっかりで、それも徐々に……」
「祥吾っ!」
やべっ、と口を塞ぐ瀬戸内さん。厨房にいた店主さんは、苦々しげな顔で瀬戸内さんを睨んでいる。
「す、すみません変な話しちゃって! あ、飲み物欲しいですよね。すぐにお茶持ってくるんで」
「待って」
残った天ぷらを茶碗の上に乗せ、小鉢の天つゆをぶっかける。即席の天丼をかき込んだ霧江さんは、ごくん、と喉を鳴らすと、
「その話、くわしく聞かせてちょうだい」
口の横にごはん粒を付けたまま、真剣な顔で言った。
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