8 『誤差あるリヴァイバル』
またこんな状況か。また攻め込まれて、また人が死ぬのか。また、繰り返されるのか。
不謹慎だが、はっきり言ってつまらない。
なんだこの戦争は。不毛すぎる。
「そんなことをして何の意味がある」
王城のテラスから近くの市街地を見下ろす。そこには炎。大きな火があった。建物が崩壊し、炎上している。爆発音が断続的に響く。その振動は近づくように感じる。大災害と思えるような、悲惨な状況。道端に死体が転がっていそうな、避難所に自分の肩を抱える人々が密集していそうな、無残な状況。
ゲリラ戦。
重火器も戦車も戦闘機もないのに、魔法がある。馬鹿みたいに爆発するし、馬鹿みたいに燃えるし、馬鹿みたいに命が軽い。処刑が日常茶飯事のように行われた時代のようだ。戦争こそ正義、勝利のみに意味ある、それゆえに生じる男尊女卑。
結局そこに知的生命体があれば、戦争は繰り返されるのか。指導者と指導者の衝突で、従者と従者の理由なき殺し合いが起こる。これが我々人間の性だというのか。こんな――あのときよりも悲惨な地獄が、我々人間には内包されているというのか。
城下町。市街戦。全く関係ない一般人が巻き込まれる戦争。一戸一戸の家が要となる、軍の失態。スターリングラード、沖縄戦。
この世界でも起こる。この世界でも人間は戦い続ける。この世界でも人間は自分の首を絞める。根本から遺伝子レベルで、否、運命レベルで規制されている。
アトラクター。
カオス理論にストレンジアトラクターというものがある。そもそもカオス理論では初期値鋭敏性という特性を述べている。これは、二つ世界があるとして、双方が完全に一致した理想的環境かつ世界の要素が全く同じ状態で始まった場合はどちらも全く同じ動きを見せ、双方が完全に一致した理想的環境ではあるが、要素が微量でも不一致した初期状態から始まった場合は全く異なる動きをするという性質だ。
なんのことではない。初期状態が変わればその系の辿る道は変わると言っているだけだ。
この世界と俺の元いた世界を比較すれば一目瞭然、双方は異なっている。初期状態がまるで違う。
だが、この二つの世界は同じようなことをしている。
知的生命体が群れを成し、国をつくり、法律を制定し、その下で生活し、戦争をする。
初期値鋭敏性により異なる道を辿るはずの世界は、しかしアトラクターという系の集合の一部であるがゆえに、異なりながら同じような運命に流される。
系を閉じ込めるその図形こそがストレンジアトラクターなのだ。
結局、どの世界に行っても、人間はこうなってしまう。
「ここまで攻め込まれたのは初めて……」
隣でノエルが呟いた。悲しそうな、哀しそうな、憎悪と憤怒を混ぜた黒い感情と共に。
「ケルテットはどうした」俺は尋ねる。後ろに彼の姿はない。
「戦場に向かった」
「そうか」答えながら考える。
チェスはそうでもない場合が一定数あるが、しかし、将棋をピックアップして考えてみると、戦場が自分の本拠地に近いほど自分が有利となる場合が多い。飛車は飛車でも、敵陣から直線をピンするそれより、やぐらに猛突進するそれの方がとりやすい。
だから、ここは彼らに任せて良いだろう。
だから、だから、俺が、俺たちが今すべきことは、敵の最高司令官を叩き、降伏を強制することだ。
「ノエル、馬を出してくれ。今すぐビュルンデッドに乗り込むぞ」
「いやけれど都市には警備兵が」
「そんなもの知ったことではない。もう全面戦争は始まっている。躊躇する必要はない。勝利だけを直視して前進するんだ」
「わかった」
二人で同時に城を駆け下り、門近くの馬にまたがる。自然、俺がノエルに腕を回す形になったが、流石の彼女もここで猥談を展開することはなかった。
市街地のわきを駆け抜ける。
「何か手はあるの!?」馬を操作しながらノエル。
「ああ、未来視のビジョンでは、俺は無事にビュルンデッドの都市の門でエレナと対峙する」
「都市の門? 城門じゃなくて?」
「ああ、どうやら彼女も彼女で現状に違和感を覚えているようだ。俺たちはあの敵指揮官の死を謎だと騒いでいたが、彼女も同じらしい。死ぬはずのない死んでいたはずの部下。そりゃあ違和感を覚えるさ」
けれど、彼女は死の因子を、あるいは死の因子の源を追い求めている。ならばその一件は、途中経過として流される可能性もあるが、どうであれ俺は彼女に会えるのだ。何の問題はない。
「こういうときダリアがいれば……」
「ダリアは何に長けていたんだ? 諜報班ってことはやっぱり隠密行動に?」
「うん。隠密行動っていうか、潜入っていうか。特に今わたしたちがしようとしていることに長けていた。その上強くて、スピーディに済ませてしまう。優れた人材だよ」
「確かに、強そうだ」
頷きながらふと横を振り向く。暗黒の空に灰色の煙が上がっている。想像を絶する戦火だ。
「市街地はまだ持ちこたえているだろうか」
自分で大丈夫と判断しておきながら、少し心配になる。もし俺たちの作戦が成功しても、ヴェルゼンの王城が陥落すれば何の意味もない。
「ケルテットがいるし、軍は惜しみなく全てを出陣できる。多分大丈夫だよ」
「それなら良いのだが……、後どれくらいで目的地に到着する」
「後二時間くらいかな」
懐中時計を見ると、ちょうど深夜零時くらいに到着するようだった。
「使ってくれているんだね、懐中時計」
「ああ。案外気に入っているし、それに時計は時に役に立つからな。時自体は嫌いだが、時計は携帯して損はないと思っている」
「そう。なら良かった」
市街地郊外へ。自然に覆われ始める。
なお馬は走り続ける。
「敵は……ビュルンデッドの『起源派』とやらはどうしてこうも攻撃してくるのだ。何の意図があるんだ。利益が出るのか。喧嘩好きなだけか。それともエレナと同等の他の支配者に命令されているだけなのか。まるでゲームをするように」
「わからない。近日のビュルンデッドの攻撃はかなりイレギュラーなのよ。こんな市街地に乗り込んでくる必要なんてないもの。こんな自分の命を捨てるような特攻は……する必要ないもの……」
「エレナは現在の状況を『武器の暴走』と語った。俺たちヴェルゼンは国を掲げて戦場に軍を送り、ビュルンデッドはエレナの意思に反して特攻を開始する。これを彼女は武器の暴走と語った。自分は関係ないと言わんばかりに、諦めたように語った」
「こちらに攻撃しているのは『起源派』、左手は『魔女派』。そもそもが異なっている――」
「それに彼女には個人的な目的がある。俺に干渉してきたのはその目的の障壁がヴェルゼンで、ついでに間ヴェルゼンビュルンデッド戦争を目障りとまで思っているはずだ。ビジョン上では、彼女はたった一人で俺たちを出迎える。けれどそのあと戦闘に発展している。……わからない。一体何が起きているんだ、この戦場では」
「ビジョン――未来視。それでは、わからないの?」
「ああ。おおよその推測はできるけれど、その推測は今しがた述べたことだ」
要するにエレナは単独行動をしており、間ヴェルゼンビュルンデッド戦争に関与していない。だが目障りと感じているため、俺に対して接近した。
このビュルンデッド兵のイレギュラーな攻撃は、他方向からの圧力がかかっている所為だろう。起源派の、魔女派に対するストレスをぶつけているだけ、とか。ありうる話だ。
「そもそも俺の未来視はそこまで明瞭なものではない。近い未来しか見ることはできないし、遠い未来はビジョンがノイズのかかったように不明瞭だ。どうしてそうなるかは推測の域を出ない」
「便利だけど、難しいんだね……」
難しい。ああ、難しい。練習してもなおやっぱり未来視を使いながら現実世界でも行動し続けるのは至難の業だ。読書に没頭しながら短距離走をするようなものなのだから、パフォーマンスが下がる。無防備と言っていい。
未来視について俺はもう少し理解するべきなのだろう。アミラから貰った右眼であり、未来起こる映像を見ることができる。どうやらそれは運命を見ているということではないらしく、ルベルのように、未来視とは違う行動を取ろうとすれば簡単にできる。運命の強制力というものはない。
だが、最近失敗のようなことが続いている。ミラを探しに行ったとき、確かにあの場に彼はいるはずだったのに、いなかった。自分で作った音爆を地面に叩きつけエレナを動揺させるビジョンを見たはずなのに、それは惨敗後のものだった。考察するにこの能力には、使用者が見た映像は従順にことをこなす限りやって来るものだが、そこに至る途中で何が起こるかはわからない、という制約付きであると言えよう。
だから、気を付けなければならない。
そう思った次の瞬間。
馬もろとも体が真横へ吹き飛んだ。
数メートル、十数メートル先の地面を転がる。前進する速度あり余って、斜め方向へ地面を転がる。衝突事故のような真横からの強い衝撃。声も出ないほど唐突な出来事。転倒する世界。顛倒する思考。落下の際ぶつけた肩と腰が痛い。回り続ける中で切れていく腕と頬が痛い。石が体の中に入るようだ。血が全て逆流して、内臓が全て口から吐き出そうだ。転倒時間は長く、やがて這いつくばった状態で静止する。
全身が痛い。口の中が切れて血が充満している。
咄嗟に周囲を確認する。道路から横に吹き飛び、雑木林に突っ込んだらしい。
そして前方。
この世界観にしては珍しい、顔を覆い尽くす仮面をつけ、漆黒のローブを羽織り、中に真っ黒なライダースーツのような戦闘服を着ている人影が朦朧とする視界に浮き上がっていた。
それはゆっくりとゆっくりとこちらへ迫って来る。
未だ体は動かず、とにかく打開策を模索する。だが見当たらない。こんな状況で何かができるとは思えない。ノエルはどこだ、大丈夫だろうか。次にそう彼女の身を案ずる。結果、自分よりやや後ろに彼女も倒れていることがわかった。彼女も痛みに耐えながら打開策を考えているようだ。
しかしこの状況の抜け方がわからない。試しに未来視を使ってはみたが、何のビジョンも浮かばない。全速力で逃げることはできるだろうが、回復には少々の時間がかかるだろうし、きっとこの真っ黒な敵は走って俺たちのことを追ってくるだろう。
人影がわずか数メートルというところまで接近してきた。シルエットは長身の細身。女らしいし、男であってもおかしくはない。その手にはナイフ――と視認した直後には剣へと姿を変えていた。ガラスを割ったような音が轟く。投影だろう。
一歩、一歩、人影は近寄る。
視界は既に回復し、その動きがはっきり見えるようになる。聴覚も既に回復し、遠くの建物が燃える音も聞こえる。人影の仮面は不気味なものだった。それがどんな仮面か言葉にできない。それを言い表す言葉はない。とにかく、闇すら吸い込みそうな不気味な仮面。
交感神経が興奮し、聴覚が敏感になる。
心拍の音がうるさい。荒い息がうるさい。
黙れ黙れ黙れ。
人影が一刀の間合いに入り、剣を振り上げた。
直後、それが横に吹き飛ぶ。
そして元々人影がいた場所に一人の大剣持ちの男が立ってこちらを見ている。
俺は彼の名前を知っている。
「ケルテット――」
「ここは私に任せろ。貴様らは敵国の上層部を叩いてこい。戦争は今宵終結する」
俺は頷き、ノエルを担ぎ、前の方に倒れている馬まで駆け寄る。
「王城近くは大丈夫なんですか」
「問題ない。例の結界が張られていなかったようだからな。さあ、早く行け」
再び頷いて、今度は馬にまたがった。彼の言い分は真実らしく、外見、一見、傷が一つもない。その背中はやけに格好良く、だがどこか儚げであった。ノエルは心配そうに彼を見つめ、最後にこう言った。
「気を付けて。リーヴェン」
彼は少し笑んで、こちらに背を向ける。前方に敵。恐らく対峙した後に何か言葉を交わしたのだろうが、馬の前進がそれを遮った。漆黒の敵は逃走する俺たちを追いかけようとはしなかった。
馬は雑木林を抜け、街道へ戻る。徐々に質素になる建物が後方へ流れる。風を前より強く感じる。
まるで碁盤目状の街並みを折れて進むような戦闘の展開だった、と心の中で呟いた。
勿論、笑っている暇はない。
馬はなお街を駆け抜ける。
国境を越えた。
ここが既に戦争相手の領土内であると考えると、実感がない。そもそも戦争をしているという実感すらない。いったいどうして自分が戦争なんぞに加担しているのかうっかり忘れてしまうことも多い。俺はノエルの王城に居候するために戦争をしているのだ。もしその条件を文章だけで見れば、エレナの仲間になるという彼女直々の要求も、確かに悪くないのかもしれないが、残念ながら自分の扱い方が二人では異なる。
俺は根源的利己主義者なのだ。
ゆえに自分の処遇を気にかける。より良い報酬に飛びつく。もちろん安全性も考慮するが。つまるところ、色々比較して熟慮した結果、利益が大きいのはノエルの仲間であり続けるという選択であった。
そして、その選択は同時にエレナとの敵対を意味している。
仏の顔も三度まで。きっとエレナはもう俺に対して純粋な敵意を抱いているだろう。生殺与奪の権利が我々互いに与えられているというわけだ。
彼女を倒して戦争が終結するかと言えば際どいところだ。きっと俺が負ければ戦争は終結するのだろうけれど。
彼女はビュルンデッド兵の元帥ではない。統率者ではない。彼女の首を敵国の時計塔のてっぺんにくくりつけたって、戦争は激化するだけだろう。頭を叩くという安直な考えは普通なら問題ない正当な打倒方法ではあるけれど、今現在に限って言えば全くの無意味だ。俺の失態である。
だが、希望がないわけではない。
彼女から元帥の名を訊き、わざわざそいつも討ちに行くという作戦が使えるのだから。
「そろそろビュルンデッドの中枢だよ」
前方に高い壁と門が見える。
真夜中、満天の星空の下、その壁の向こうに見える城には灯りがともっている。
「門の前だ。そこにエレナがいる」
「わかった」
このビュルンデッドはヴェルゼンとは違って、街がかなりの距離で置かれており、さらに首都は壁に囲まれているため、街の周囲には全くと言っていいほど家屋がない。広がるは草原。植生についていちいち考察するのもあれだが、草原が広がっているということは、恐らく降水量が少ないのだろう。それに山はあるが海は見えない。ということは、この国は文明が発展するまで、いや恐らく今でも、山から流れる川の水に依存している。ならばこうしてその一点に集中して人が群れをなし、街となるのが自然だろう。
本気で潰しに行くなら、山に上り、川に有害物質を流し込むという作戦がなきにしもあらず。
「ノエル、一応あらかじめ言っておくが、相手にペースを乱されるな。意外と狡猾でしつこい奴だ。それと左手が光ったときには気をつけろ」
「わかった。左手、ね」
壁が徐々に近まり、とうとうエレナを捕捉できるまで距離を詰めた。
三度目の対決だ。流石にここで決着をつけよう。
エレナの目の前まで馬で駆け寄り、降りた。
彼女は「待ちかねた」という表情でこちらに手を振る。
それを怪訝な表情で受け止めるノエル。ちなみに手を振ったその手は右手であった。しかし彼女が『欲求不満の左手』でありビュルンデッドの支配神であることは把握している。
「そう睨まないでくれるかしら、ヴェルゼンの支配神ノエルさん」
挨拶代わりの一言がそれだった。距離わずか数メートル、俺たちは互いの顔を晒し合って対峙した。
「無理な話だよ。事実、あなたはわたしの敵だから」
「戦争の相手国の支配神と言うのなら間違いはないけれど、別に、戦争の相手ということではないのよ。わたしは言ってしまえば単独行動をしているのだから、もしあなたの国に突撃していった兵士に敵意を向けているのなら、お門違いというものだわ」
「ふざけ――」
「――エレナ、答えてくれ」ノエルの怒声を遮って尋ねる。「今から二時間ほど前、こちらの王城目がけて街におまえの国の兵士が攻め込んできた。これはおまえの命令ではないんだな?」
「ええ。わたしは全く関係ない」
「もう一つ。黒いローブに黒い戦闘服、それに不気味な仮面をつけた一人の人間――神かもしれないし恐らく神だろうけれど――まあ、一人の敵が移動中の俺たちを襲った。これもおまえの差し金ではないんだな?」
「ええ。全く関係ないわ」
「その着飾り方に見覚えは?」
「ない」
ということは…………。
エレナはこの状況で笑っている。
「『未来視の右眼』アイギス、わたしの質問にも答えてくれるかしら」
「ああ」ノエルが何か言いたげだったか、手で制した。
「ガレルを殺したのはあなた?」
ガレル? 初めて聞く名前だ。が、それが誰かは推測がつく。
彼女の補足を聞かずとも答えることができる。
恐らく、ガレルとはあの謎の死を遂げた敵指揮官のことなのだろうから。
「違う。俺でもノエルでもケルテットでもない」
ひょっとしたらダリアの可能性があるので彼女の名前は出さなかった。しかし可能性とはいっても確率はかなり低いだろう。まあ、例え彼女であったとしても特にどうということはないのだが。
「そう、ありがとう。これで確信したわ」
「やっぱり――」
「お察しの通り。第三勢力が介入している」
「え」と本当に心底驚いているノエル。「ちょちょ待って、第三勢力? え、どこの国? どうして?」
「わからない。けれどノエル、思い出してみろ」俺は説明を始める。「敵の支配神直々に攻撃命令はしていないと明言した。その上、敵の指揮官は既に死んでいる。それだというのに攻撃は実行された。ということは、他の何者かが裏でビュルンデッドの起源派軍を操っていると推測できる。そして何より俺たちが手を下したわけでもないのに、あの指揮官は死んだ。……ガレルという男は起源派の統率者だったのか?」
「そうね。『起源派』の支配神だったわ」
「支配神、ということはノエル、おまえ同様彼もかなり良い待遇を受けていたはずだ。仲間に殺されるわけがない。とすると、他の何者かが彼を殺したということになる」
「第三、勢力……」
「他にも、ずっと言ってきただろう。そこのエレナは、俺たちをただの障壁としか思っていない。その先の『死の因子』の発生源を見据えていると。この世界に、自然と第三勢力となり得る何者かが存在するんだ。さっきの俺たちを襲った黒い何者かにも言える。最後に、思い出してみろ。そもそもこの戦争はどうして勃発しているんだ」
「あっ」ノエルが目を見開く。気付いたようだ。
そう、この戦争は「殺人事件」から始まり、その事件の一番の特徴は「誰も人を殺していない」ことなのだ。もちろん、言い分が嘘でないと断言できるわけなどない。だが、両者の発言の真偽を審議する必要はない。なぜなら、戦争の発端が殺人事件であったとしても、詳しく見れば「現場から逃亡する人影を目撃した」という言い分だからだ。
はなから誰が殺したかなんて関係がなかった。ヴェルゼン側の勘違いが隣国との関係に破綻を生んだ。
誰も人を殺していない。
誰が殺していたってどうでもいい。
けれど人が死んだのは事実。
そして、俺はそんな馬鹿げた戦争の始まりを聞いて何と考察したか。
――なら、内部の裏切り者かビュルンデッド以外の勢力の仕業か、だろう――。
「それだったら、今わたしたちが戦う必要なんてないじゃん!」
やや疑問形で大声を出すノエル。
「ことはそんな簡単じゃない。第三勢力が介入して来たので協力関係になりましょう。だなんて簡単になるはずがない」
「ええ、無理でしょうね。わたしとアイギス、それとあなたの三人が協力関係になることはもちろんできる。けれど戦争は終結しないわよ? ずっとずっと、わたしの武器が暴走して、ずっとずっとあなたの兵士がそれを迎撃する。わたしにはもう手が負えない。だからこそ、わたしからしたら、さっさと降伏宣言を公表してくれるとありがたいのだけれど」
「それはできないよ。わたしは負けるわけにはいけない。国の支配者として、勝利を導いてあげなければいけない」
「支配神の鏡ね。武器を乗っ取られ、国を棄てたわたしとは真逆」
完全に対立した。
ヴェルゼンの支配神ノエル、付添人アイギス。
ビュルンデッドの支配神エレナ。
「戦う前にそれぞれの目的を宣言しよう」と俺が提案する。
二人は頷いた。ノエルは真剣な表情で、エレナは少し口角を上げて。
基本的に悪い奴じゃあないのに、どうして殺し合うのだろうか、と上辺だけで思った。
「未来視の右眼アイギス。エレナの目的を妨害し、ビュルンデッド軍を殲滅する」
「欲求不満の左手エレナ。世界の崩壊を促す者を討つため、あなたたちを我が手駒にする」
「縁切りの右手ノエル。自国の勝利のために、あなたを倒す」
空気が一変する。
急速に緊張し、切迫感が支配する。
エレナが左手を前に出した。
その手の甲が光る。
「ブラックアウト」
そう口にした彼女の口は楽しげに笑んでいた。