白昼夢
眠りから覚めたとき、言い表しようの無い不快感に苛まれていた。
体が怠い。頭が痛む。喉も酷く渇いている。風邪をひいたような、二日酔いのような嫌な感覚だ。
こんなに寝覚めが悪いのは、いつ以来だろうか。今は顔に水をかけて喉を潤したい。
ベッド代わりに使用していたソファーからゆっくりと起き上がり、洗面所へ向かう。
洗面所の電気を点け、蛇口を捻り水を出したところで、ふと、ここは何処だ? という疑問が浮かんだ。慣れ親しんだ場所のようで、全く覚えの無い場所のように見える。不自然に暗く、空気が嫌に重たい。
疲れているんだ、と自分を諭した。ここはいつものアパートでは無いし、第一に土地が違う。疲れが取れず錯覚を起こすのも当然だ。
鏡を見てみると、いつもと変わらぬ寝起きの酷い面をした自分の姿があった。何だ、何も変わってないじゃないか、と安心して水を掬い取り、顔にかける。冷たくて、心地が良かった。
タオルで顔を拭い、顔を上げる。鏡に写る顔に、大して変化は無かったが気分は幾分か良くなった気がした。
ふと、自分の肩越しに人影が目に入った。
鏡には自分の姿が写っているのは当たり前だが、しかしその背後に、人影が写るのは可笑しい。何故なら、今この家には自分一人しかいない筈なのだ。しかし今、鏡に写った自分の直ぐ後ろに、母子の姿が写っている。
暗くて表情までは見えないが、確かに母子であった。
思い切って振り返ってみる。しかし、そこには誰も居なかった。あるのは壁掛けのカレンダーのみ。普段は和やかな筈の何かのキャラクターが、今は不気味に見える。
ホッと息を吐いて、「やっぱ疲れてるな」と呟いた。徹夜のドライブに意味嫌う土地に来たのだ。疲れて当たり前だろう。
もう一度、顔でも洗おうかとシンクに手を着いたその時、心臓が凍り付きそうになった。洗面台のシンクに伸ばした両腕の間に、暗い表情をした女の子が立ってこちらを見上げていた。
その碧眼と目が合った瞬間、思わず「うぁっ!」と声をあげて身を退いた。
少女は、じっとこちらを見詰めている。腰まで伸ばした金色の髪は、まるで一本一本が純金でできているかのように艶やかで、暗く青い深海を思わせるその瞳は、ともすれば引き込まれてしまいそうなほど、美しくも寂しげな色をしていた。肌は陶器のように白く、着ている漆黒のドレスとは正反対なのに、違和感は全く無い。
「君は、まさか……?」
無表情な少女に問い掛けた直後、ギシギシと木材か何かが軋むような不快音が部屋中に響いた。この音、この暗闇、そしてこの少女。条件が揃っている。
甦る記憶に、臓腑が一気に冷えてくるのを感じた。
「お、おい……おい! 儀式は終わった筈だろ? だってあの時に……」
困惑気味に少女に問い掛けながら、フラフラと後ずさると背を何かにぶつけた。それは不自然に細く冷たい、人の体のようだった。恐る恐る振り返ろうとした瞬間、青白く生気の感じられない腕が両脇の下から伸び、瞬く間に体にまとわりついた。
華奢なわりに鉄のように堅く冷たい腕の感触が、喉から震え上がる悲鳴を凍らせてしまった。
『……ス……テ…………』
男とも女ともつかぬ掠れた声が耳元で響いたが、軋む音に紛れてしまい、ほとんど聞き取れない。
『カ……ジョ…………ワル……ナ……』
腕が徐々に力が入り、身体中の骨が軋む音が嫌に鮮明に聞こえた。
「――――ッ!」
悲鳴をあげなかった事を、誉めてやりたかった。ジェームズが目覚めた場所は、寝る前と同じ実家のソファーの上だった。
嫌な夢だった。最悪な気分だ。この町で、あの夢を見たということは、つまり何か悪い予感がする。
だが今は、熱いシャワーが浴びたい。気分転換も兼ねて、汗を流してしまいたい。
そう言えば、クリスはどうした? 時計を見ると、既に二時間は経っているが、彼女の気配が全くしない。
試しに「クリス!」と大声で呼んでみるが、返事は無かった。
まだ帰ってないのか?
ジェームズは携帯を取り出し、短縮ダイヤルからクリスの携帯番号を呼び出そうとしたが、丁度その時着信がありそれを中断された。ディスプレイには、ヘレン・クーガの名が表示されていた。
そう言えば、町に着いたという連絡を入れるのを、すっかり忘れてしまっていた。
「よう、ヘレン。二時間程前に着いたんだが――」
ヘレンは酷く狼狽した様子で、世にも奇妙な報告をした。