第10話 最弱の僕が、災厄級の魔物に勝つ方法
銀狼王の爪が、僕の頭上に迫っていた。
避けられない。
防げない。
人間の身体なんて、一撃で粉々になる。
それでも、僕は叫んだ。
「ルナ! 僕じゃなくて、ポヨを守って!」
次の瞬間。
青白い炎が弾けた。
僕の身体が、横へ吹き飛ぶ。
どおおおん!
巨大な爪が石床を砕いた。
破片が頬を切り裂く。
「……ぐっ!」
僕は床を転がった。
痛い。
息ができない。
それでも、胸元だけは守った。
腕の中には、ポヨ。
その小さな身体が、かすかに震えている。
「……よかった」
ほっとした、その瞬間。
視界に赤い文字が浮かんだ。
【警告】
【銀狼王シルヴァ】
【精神侵食率:九十九・七%】
【自我消失まで:残り四分十二秒】
「…………え?」
四分?
さっきまで、三十分あったはずなのに。
どうして。
【強制進化核の出力が急上昇しています】
【外部からの魔力供給を検知】
外部?
誰かが、シルヴァさんの侵食を早めている?
僕は顔を上げた。
巨大な銀狼王が、ゆっくりとこちらを向く。
赤い瞳。
口元から漏れる黒い霧。
もう、さっきまでの優しい声は聞こえない。
そのとき。
僕の胸元で、母の石が熱を帯びた。
【限定機能:魔力経路の可視化】
【残り使用時間:二分四十一秒】
僕は、息をのんだ。
見える。
シルヴァさんの身体に絡みつく、黒い魔力の糸。
首の結晶から伸びた糸が、心臓のように脈打つ魔力炉へ食い込んでいる。
そして。
その黒い糸の一本が。
壁の向こうへ伸びていた。
「……あれ?」
僕は目を凝らした。
糸は、石壁を通り抜け、さらに奥へ続いている。
まるで、誰かが向こう側から引っ張っているみたいだった。
……そうか。
僕は、ようやく気づいた。
シルヴァさんの身体から黒い結晶を取り除いても、きっと終わらない。
向こう側にいる誰かが、また同じことをする。
だったら。
「……先に、あっちを止めないと」
僕は、壁の向こうを見た。
でも、どうやって?
僕には強い魔法が使えない。
剣もない。
ポヨは瀕死。
ルナだって、進化したばかりだ。
そのとき。
「ぴぃっ!」
霊鳥が、僕の肩から飛び立った。
金色の羽が、暗い広間を横切る。
そして、壁の上部にある小さな穴へ飛び込んだ。
「……鳥さん?」
数秒後。
頭の中に、短い光景が浮かんだ。
壁の向こう。
狭い通路。
そして。
黒い結晶を埋め込まれた、巨大な石柱。
その周囲に、三人の男が立っていた。
黒い外套。
胸元には、鎖の紋章。
『……出力を上げろ』
『予定より早いですが』
『構わん。継承者が来た以上、銀狼王を完成させる』
僕は、息をのんだ。
……あの人たちだ。
橋で僕を襲った男たちと、同じ紋章。
そして。
男の一人が、笑った。
『エレシアの息子が来たのなら、ちょうどいい』
『実験体と認証鍵を、まとめて回収できる』
僕の背筋が、冷たくなった。
……僕たちを、待っていた?
その瞬間。
銀狼王が、再び動いた。
「……っ!」
巨大な前脚が、僕へ迫る。
僕は反射的に身を伏せた。
爪が、頭上を通り過ぎる。
石床が砕けた。
破片が、左腕に突き刺さる。
「……ああっ!」
激痛。
僕は、思わず膝をついた。
でも。
その瞬間。
ルナが、僕の前に立った。
「きゅうううっ!」
二本の尻尾が、大きく広がる。
青白い炎が、六つ。
八つ。
十。
……いや。
それは、本物の炎ではなかった。
幻炎。
見た目だけを増やして、シルヴァさんの注意を引いている。
その隙に。
「……ルナ、ありがとう!」
僕は立ち上がった。
そして、壁の上部にある穴を見た。
霊鳥が通った穴。
人間には、小さすぎる。
でも。
……ポヨなら。
僕は、腕の中のスライムを見た。
「……ポヨ」
ぽよ……。
かすかな返事。
「……お願いがあるんだ」
僕は、震える声で続けた。
「もう一度だけ、力を貸してほしい」
その瞬間。
視界に、文字が浮かんだ。
【個体名:ポヨ】
【状態:生命維持限界】
【魔力共鳴:使用不能】
【魔力分配:使用不能】
【警告:追加負荷により生命維持停止の危険】
僕は、息をのんだ。
……だめだ。
ポヨに、これ以上無理はさせられない。
僕は、首を振った。
「……ごめん」
ポヨを、そっと胸元に抱き直す。
「やっぱり、いい」
ぽよ……?
「君は、休んでて」
僕は、壁の穴を見上げた。
別の方法を考えよう。
僕が、何とかしなきゃ。
そのとき。
母の声が、頭の中によみがえった。
『一人で背負わないで』
僕は、はっとした。
……そうだ。
一人で、何とかしようとしていた。
でも。
僕には、仲間がいる。
ポヨだけじゃない。
ルナも。
霊鳥も。
そして。
ここには、もう一人いる。
僕は、巨大な銀狼王を見上げた。
「……シルヴァさん!」
赤い瞳が、僕を捉える。
「聞こえますか!」
返事はない。
ただ、黒い霧が濃くなる。
僕は、叫んだ。
「あなたの力を、貸してください!」
銀狼王の身体が、ぴたりと止まった。
……一瞬だけ。
でも。
確かに、止まった。
僕は続けた。
「あなたを助けたいんです!」
赤い瞳が、わずかに揺れる。
「でも、僕だけじゃ無理です!」
声が震えた。
「だから!」
僕は、必死に叫んだ。
「あなたも、自分を助けてください!」
沈黙。
巨大な銀狼王が、僕を見下ろしている。
そのとき。
視界に、新しい文字が浮かんだ。
【銀狼王シルヴァ】
【精神侵食率:九十九・八%】
【宿主意思:微弱反応】
【自発的抵抗意思を検知】
僕は、息をのんだ。
……届いた。
まだ、シルヴァさんは残っている。
その瞬間。
銀狼王の喉から、低い声が漏れた。
『……レ、オン……』
「……はい!」
『……私は……』
黒い結晶が、激しく脈打つ。
『……まだ……』
巨大な爪が、石床に食い込む。
『……生きたい……!』
僕は、目を見開いた。
その瞬間。
【進化経路修正条件】
【宿主の自発的意思:達成】
……一つ。
条件が、満たされた。
でも、まだ足りない。
侵食魔力の分離。
適合する共鳴媒体。
どうすれば。
そのとき。
霊鳥が、壁の穴から戻ってきた。
ぴぃ!
小さな身体が、僕の肩へ飛び乗る。
そして。
再び、歌い始めた。
澄んだ声。
柔らかな光。
その歌に合わせるように、ルナの幻炎が揺れる。
青白い炎。
金色の光。
そして。
僕の胸元で。
ポヨが、かすかに震えた。
ぽよ……。
僕は、息をのんだ。
その瞬間。
【複数属性魔力の同調を確認】
【対象:幻炎狐・幼体霊鳥】
【共鳴媒体:未接続】
【代替経路を探索中】
僕は、目を見開いた。
代替経路。
……ポヨが、直接魔力を使わなくてもいい方法?
その瞬間。
母の石が、強く光った。
【古代契約保護命令】
【限定機能:魔力経路の可視化】
【残り使用時間:四十二秒】
【追加情報】
【認証鍵による一時的な経路固定が可能】
【注意:認証鍵の残存魔力をすべて消費します】
僕は、息をのんだ。
母の石。
これを使えば。
ポヨの代わりに、魔力の通り道を固定できる?
でも。
石の力は、使い切ってしまう。
母が残してくれた、最後の手がかり。
それを。
今、使ってしまう?
僕は、胸元の石を見た。
灰色の、小さな石。
幼い頃から、ずっと持っていた。
母の形見。
母の声が、残されていたもの。
僕は、しばらく見つめた。
そして。
ゆっくりと笑った。
「……母さん」
小さく、つぶやく。
「……ごめんね」
でも。
すぐに、首を振った。
「……違うか」
母なら、きっと。
笑ってくれる。
僕は、石を握りしめた。
「……ありがとう」
そして。
「……使います」
【確認】
【認証鍵の蓄積魔力を全消費します】
【限定経路固定を実行しますか?】
「……はい」
その瞬間。
灰色の石が、眩しいほどに輝いた。
銀色の光が、広間を走る。
ルナの幻炎。
霊鳥の歌。
そして、シルヴァさんの身体に残る、わずかな月光魔力。
それらが、細い光の糸でつながっていく。
【魔力経路:一時固定】
【侵食魔力の分離処理:開始】
【成功条件:外部供給源の遮断】
僕は、目を見開いた。
……やっぱり。
向こう側の石柱を止めなければ、分離できない。
でも。
今なら。
魔力の糸が、見える。
僕は、壁の穴を見た。
そして、ルナを見た。
「……ルナ」
「きゅっ!」
「お願い」
僕は、ゆっくりと言った。
「向こう側の人たちを、止めてほしい」
ルナが、目を細めた。
そして。
ふわり。
身体が、青白い炎に包まれた。
【幻影歩行:発動】
ルナの姿が、薄くなる。
そして、壁の影へ溶け込むように消えた。
僕は、息をのんだ。
……行ける。
ルナなら。
きっと。
◇
壁の向こう。
黒い外套の男たちは、石柱を囲んでいた。
「……出力が安定しない?」
「はい。銀狼王の精神抵抗が再発しています」
「馬鹿な。侵食率は九十九%を超えているはずだ」
先頭の男が、苛立ったように舌打ちした。
「……構わん。強制的に進めろ」
「しかし、魔力炉への負荷が……」
「実験体が壊れてもいい。核さえ回収できれば――」
その瞬間。
ぼっ。
青白い炎が、男の足元に灯った。
「……何?」
次の瞬間。
炎が、三つに分かれた。
そして。
ぽんっ!
三匹の紅い狐が、男たちの周囲に現れた。
「……魔物!?」
男たちが、剣を抜く。
けれど。
その剣は、幻を切り裂いただけだった。
そして。
本物のルナが、石柱の影から飛び出した。
「きゅううっ!」
青白い炎が、石柱の基部に巻きつく。
ばちばちっ!
黒い結晶が、激しく火花を散らした。
「……何だと!?」
男たちが、叫んだ。
「魔力供給が!」
「止まるぞ!」
その瞬間。
石柱の光が、消えた。
◇
【外部魔力供給:遮断】
【侵食魔力の分離処理:進行】
【銀狼王シルヴァ】
【精神侵食率:九十九・八%】
【宿主意思:維持】
僕は、息をのんだ。
……やった。
ルナが、成功した。
でも。
まだ終わっていない。
シルヴァさんの身体には、黒い魔力が残っている。
それを、分離しなければ。
僕は、ポヨを見た。
小さな身体。
ほとんど消えかけた銀色の光。
そして。
ぽよ。
かすかな返事。
僕は、ゆっくりとうなずいた。
「……ポヨ」
声が震える。
「……最後に、もう一つだけお願い」
ポヨが、僕を見た。
……そんな気がした。
「……君の力で、みんなをつないでほしい」
その瞬間。
【共鳴スライム:ポヨ】
【魔力共鳴:使用不能】
【魔力分配:使用不能】
【代替処理:古代契約経路を利用】
【必要負荷:極小】
【注意:成功率不明】
僕は、息をのんだ。
極小。
それでも、危険はある。
僕は、ポヨを見つめた。
「……嫌なら、やめよう」
ぽよ……。
ポヨは、しばらく動かなかった。
そして。
小さな身体を、僕の手に押しつけた。
ぽよん。
僕は、涙をこらえた。
「……ありがとう」
そして。
「……一緒に、やろう」
その瞬間。
ポヨの身体から、細い銀色の光が伸びた。
母の石が作った魔力経路へ。
ルナの幻炎。
霊鳥の歌。
そして、シルヴァさんの月光魔力。
それらが、ポヨを中心にゆっくりとつながっていく。
【共鳴経路:成立】
【侵食魔力の分離処理:開始】
僕は、息をのんだ。
黒い魔力が、シルヴァさんの身体から少しずつ剥がれていく。
まるで、黒い糸を一本ずつほどいているようだった。
シルヴァさんの瞳が、赤から青白い色へ戻り始める。
『……レオン……』
「……はい!」
『……私は……』
巨大な身体が、震える。
『……まだ……』
そして。
『……生きて、よいのか……?』
僕は、目を見開いた。
その言葉に。
胸が、ぎゅっと苦しくなった。
僕は、ゆっくりと笑った。
「……もちろんです」
声が震えた。
「……生きてください」
シルヴァさんの瞳から、一筋の光がこぼれた。
その瞬間。
【宿主意思:完全回復】
【進化経路修正条件:達成】
【本来の進化経路へ復帰可能】
僕は、息をのんだ。
……やった。
ついに。
そのとき。
ポヨの身体が、強く光った。
【共鳴スライム:ポヨ】
【月光属性魔力への接触:達成】
【魔力循環の再構築:進行】
【自発的共鳴:達成】
【進化条件をすべて達成】
【進化可能】
【共鳴スライム → 月光共鳴スライム】
僕は、目を見開いた。
「……ポヨ!」
小さな身体が、銀色の光に包まれる。
青い身体。
その中に、月のような光が浮かび上がる。
そして。
ぽよおおおん!
光が、弾けた。
【進化完了】
【個体名:ポヨ】
【種族:月光共鳴スライム】
【魔力循環:再構築】
【生命力:回復傾向】
【新規能力:月光調律】
【注意:高出力共鳴は当面使用不能】
僕は、息をのんだ。
そして。
腕の中のポヨが、ゆっくりと震えた。
ぽよ。
いつもの声。
いつもの、柔らかい感触。
僕は、思わず笑った。
「……ポヨ」
ぽよん!
「……よかった」
涙が、こぼれた。
「……本当に、よかった……!」
僕は、ポヨをぎゅっと抱きしめた。
そのとき。
巨大な銀狼王が、ゆっくりと頭を下げた。
『……レオン』
僕は、顔を上げた。
『……礼を言う』
青白い瞳が、僕を見つめている。
『……お前は、私を救ってくれた』
僕は、首を振った。
「……僕だけじゃありません」
ポヨ。
ルナ。
霊鳥。
そして、シルヴァさん自身。
「……みんなで、助けたんです」
シルヴァさんは、しばらく僕を見つめていた。
そして。
低く、笑った。
『……そうか』
その声は、今までで一番穏やかだった。
『……エレシア』
銀狼王は、静かにつぶやいた。
『……お前の息子は、立派に育ったぞ』
僕は、涙を拭った。
そのとき。
胸元の石が、かすかに光った。
そして。
最後の文字が浮かんだ。
【古代契約認証鍵】
【蓄積魔力:残量ゼロ】
【限定機能:停止】
僕は、石を見つめた。
もう、光らない。
母の声も、聞こえない。
でも。
僕は、そっと革袋へ戻した。
「……ありがとう、母さん」
小さく、つぶやいた。
その瞬間。
遠くから、怒鳴り声が聞こえた。
「……いたぞ!」
僕は、顔を上げた。
壁の向こう。
黒い外套の男たちが、通路から飛び出してきた。
人数は三人。
全員、武器を構えている。
「……銀狼王が、元に戻っている!?」
「馬鹿な!」
「強制進化核はどうした!」
男たちは、僕を見た。
そして。
その視線が、シルヴァさんへ移る。
巨大な銀狼王。
青白い瞳。
銀色の毛並み。
その姿を見た瞬間。
男たちの顔から、血の気が引いた。
「……ありえない」
先頭の男が、震える声でつぶやいた。
「……実験体が、制御を離れた……?」
シルヴァさんは、ゆっくりと立ち上がった。
その巨体が、男たちの前に影を落とす。
そして。
『……人間ども』
低い声が、広間に響いた。
『……よくも、私の森を汚してくれたな』
男たちが、後ずさった。
「……ひっ!」
シルヴァさんの瞳が、冷たく光る。
『……だが』
巨大な狼は、僕をちらりと見た。
そして。
『……私は、もう殺さぬ』
僕は、目を見開いた。
シルヴァさんは、静かに続けた。
『この子が、教えてくれた』
その声は、穏やかだった。
『……力とは、奪うためのものではないと』
男たちは、動けなかった。
そして。
シルヴァさんが、低く唸った。
『……去れ』
その一言だけで、空気が震えた。
男たちは、悲鳴を上げて逃げ出した。
僕は、ほっと息をついた。
「……よかった」
でも。
そのときだった。
シルヴァさんが、突然、顔を上げた。
『……レオン』
「……はい?」
『……まだ、終わっていない』
僕は、息をのんだ。
『あの者たちは、ただの実行役だ』
「……え?」
『私に黒い結晶を埋め込んだ者は、別にいる』
シルヴァさんの瞳が、鋭くなる。
『そして、その者は……』
言葉を止めた。
僕は、息をのんだ。
「……誰なんですか?」
シルヴァさんは、ゆっくりと答えた。
『……お前の父が、知っている』
僕は、凍りついた。
父。
グラント・アルヴェイン侯爵。
僕を追放した人。
その人が。
この森の秘密を、知っている?
シルヴァさんは、静かに続けた。
『……レオン』
「……はい」
『お前は、なぜ追放されたと思う?』
僕は、何も言えなかった。
無能だから。
役立たずだから。
ずっと、そう言われてきた。
でも。
シルヴァさんは、首を振った。
『……違う』
僕は、息をのんだ。
『お前は、弱かったから追放されたのではない』
青白い瞳が、僕を見つめた。
そして。
『……強くなる可能性が、あったからだ』
僕は、目を見開いた。
その瞬間。
遠く離れたアルヴェイン侯爵家。
ルシアンのもとへ、一通の報告が届いた。
【北部封印領域・実験報告】
【銀狼王:制御喪失】
【強制進化核:機能停止】
【古代契約継承者:覚醒兆候】
ルシアンは、報告書を見つめた。
そして。
静かに笑った。
「……兄上」
その声には、冷たい喜びが混じっていた。
「ようやく、始まりましたね」
彼は、机の上に置かれた一枚の地図を広げた。
そこには、灰霧の森。
そして、その周囲にある、いくつもの村や砦が記されていた。
ルシアンは、赤いインクで一本の線を引いた。
それは。
灰霧の森を、完全に包囲する線だった。
「……では」
彼は、微笑んだ。
「次は、領地ごと奪いましょうか」




