無道無乃(四)
部屋を追い出された直後でありながら、無乃は瞼を伏せて口元に笑みを浮かべている。
時々目の上にかかる前髪を耳にかけながら目元に触れた。ほくろをそっと撫でつつ、慣れない暗がりにふらふらと壁を伝って歩いて行く。
「君はお嬢さんの症状について知っているか?」
少し間があってから、羅冴流が簡単に答えた。
「症状がではじめたのは、丁度一週間前だ」
「腹部になにかあるようだな」
やはり、顔と脈をみただけで病がわかるのだ。あの噂は本物らしい。言い当てた無乃に羅冴流は興味深い目つきをする。
「よくわかったな」
「身体を隠したからね」
無乃はおっとりという。
「彼女には婚約者がいるのかな。我氷津が何人もの医者をかき集めたのは、結婚に不都合が生じたからかもしれない。腫れているのが、まさか身ごもっているわけでないなら、患部は腹だろう」
医者が奇病扱いして匙をなげたのは、おそらくどの医者も彼女の身体を直接見たり触れることができなかったからに違いない。
羅冴流は「へえ?」と意外そうに眉をあげた。
「当てずっぽうがうまいんだな。その通りだよ。婚約の直後に症状があらわれた」
無乃はにこりと微笑んだ。
「あの侍女のおばあさんは昔からお嬢さんの傍にいるのかな? 彼女からも話しが聞きたいけれど」
「最近はあまり物覚えがよくないと聞くから、覚えているかどうか」
「物覚えが?」
と、無乃ははたと、口の軽い羅冴流を振り返った。
青菊の病が婚約直後で日が浅いというのなら、我氷津が完治を急ぐのも理解できる。それに姪の結婚のためには事を大きくさせたくはないだろうし、病が知れ渡るのも避けたいはず。
こういう場合、たいてい口の禍を嫌って使用人は何も話したがらない。無乃を遠ざけた鮮杏が良い例だ。けれど羅冴流はやけに協力的ではないか。
「親切だね」
無乃か羊群か、正体を暴くまでもしかしたら何も教えてくれないとも思っていたのだから、少し意外に思えた。
すると羅冴流は微笑んだ。
「十人も医者が消え、お嬢さんの病も一週間経つが回復のめどはない。知っている事は全て話せと我氷津の命令だ」
なるほど、我氷津は随分とあの姪をかわいがっているらしい。
「ところで」
と無乃はよりいっそう難しい顔をした。
「私の部屋は、どこかな?」
期待しているわけではない。しかし羊群がいい部屋を用意すると言ってくれたのだからその豪華さを存分に味わいたいところである。
そのまま歩いて行こうとする無乃に、羅冴流が咄嗟に袖を絡みとった。
「この部屋だ」
無乃は「えっ」と踏みとどまり、羅冴流が機嫌良く指し示す部屋を前にしげしげとその戸を見つめた。まさか本当に羊群の交渉が功を奏したのだろうか? 豪華な部屋を期待してはいたが、どうせ物置部屋だと覚悟も決めていたところでもあったので、なおさら輝くばかりの美しい戸を前に無乃は感激していた。
「中々だね。君も早く自分の部屋に戻るといい」
無乃は朝から言うことを聞かない騾馬を歩かせ続けていたから、くたくただった。とにかく今日は手足を伸ばしてやわらかい寝台でぐっすりと眠れるのだ。
にこやかに別れを告げて恭しく開けた戸を、勢いよく閉ざす羅冴流の手だった。入り口を塞ぐその腕に、無乃は困惑する。
「通してくれるか?」
羅冴流は少し言いにくそうに眉を寄せた。
「……確かに君の部屋でもあるが、使うなら、手枷をつけるようにといわれている」
「……なら、手枷だけつけて君は戻るといい。個室を使わせてくれると我さんが……」
羅冴流が困った顔でゆるく頭を振った。無乃はその様子に薄々と感づきはじめていた。
「さては、言葉の綾があるのかな」
物事は思ったようにはいかないようだと無乃が途方に暮れていると羅冴流は苦く笑う。
「君に与えられたのは、見張りつきの個室だ。目を離した隙に湖に飛び込まれるわけにはいかないと、我氷津からの命令だ」
まるで今まで何人も湖に飛び込んだ様な口ぶりではないか。
無乃から慌てて視線を逸らす羅冴流が、若干赤らんだ顔を手で半分ほど覆って弱々しく通路を指さした。
「それがいやなら雑居部屋か通路で雑魚寝を」
無乃はしばらく部屋と通路を行ったり来たり見比べていたが、やがて疲れ切って息を吐いた。とにかく、早いところ床につければどこでも構わない。
「雑居部屋にするよ。個室は、君に譲るから」
「無乃、君は運が良い。屈強な護衛が、君の睡眠を守ることになっている」
どんな危険が私につきまとうって言うんだ?
「護衛を雇った覚えはないよ」
「君が俺を、雇えるわけがない」
「まさか、見張るわけではないだろ?」
「以前、用を足すと言われて逃げられたことがあった。それ以来、我氷津は少し、過剰になっていて……」
無乃は息を吐き、雑居部屋に足を向ける。
「君の顔が赤い理由がわかった」
これでは寝言の一句まで書き留められそうだ。
水夫が入り交じって眠る通路を隈なく眺め、寝られそうな隙間をさがして歩き続けたが、鼾の響く騒然とした雑居部屋を前に無言でくるりと踵を返した。
部屋の前まで戻ったとき、羅冴流をちらりと振り返る。
「君と交渉がしたい。湖に身を投げ出したりしないから、手枷だけはやめてくれないかな。それから逃げたりもしないから、お手洗いも自由にさせてくれ。心配なら腰紐を繋いでくれていい」
一つ、二つと指を広げる無乃に羅冴流はそれをどこかおかしそうにみていた。
「そう言ってくれるのをまっていた。君を信じるよ」




