第26話
御前会議は、婚約の承認を議題として開かれた。
大広間の長い卓に、帝国の重臣たちが並ぶ。上座に皇帝。その隣にラインハルト。そして今日は、卓の中央に、エレオノーラが一人で立っていた。
補佐官の紺ではなく、白い礼装。妃候補の色だった。
「皇太子殿下のご婚約について、異議を申し述べる」
立ち上がったのは、老公爵だった。帝国の貴族の中で最も古い血筋。反対派の筆頭だった。
「帝国の皇太子妃は、帝国の血筋から選ばれてきた。他国出身の妃は、三百年、一人もおらぬ」
「前例がないことは、承知しております」
ラインハルトが答えたが、老公爵は手で制した。
「殿下ではなく、ご本人に伺いたい」
老いた目が、白い礼装の女を見た。
「フォルスター嬢。貴女はアルディア王国で、王太子妃候補であったと聞く。そして、王太子はリュミエールの王女を選び、貴女は捨てられた。相違ないか」
広間が、静まった。
侮辱だった。誰もが、彼女がどう答えるかを見ていた。
エレオノーラは、老公爵を見た。
「相違ございます」
「ほう」
「私は、捨てられたのではありません。去ったのです」
声は、静かだった。震えてはいなかった。
「王太子殿下は、私を側妃にと望まれました。捨てたのではなく、隣に置こうとなさった。二番目として。私はそれを断り、あの国を去りました。自分の足で、自分の意志で」
老公爵の眉が、わずかに動いた。
「そして、帝国が私を選びました。特待生とし、補佐官の任を認めた。私を選んだのは、殿下お一人ではございません。この帝国が、能力で示せと言い、示されたと認めたのです」
彼女は、卓の上に一枚の紙を置いた。
「数字を、ご覧いただきます」
「数字?」
「私が帝国の補佐官として、王国との協議でもたらした利益です。リュミエール条約の阻止により、関税協定は維持されました。違約金との差額で八万枚。西の海路が守られたことで、商船の保険料は据え置かれ、その額は二万枚」
「……」
「合わせて、年間十万枚。私が帝国に来て、半年での数字です」
老公爵は、紙を見なかった。数字は、既に広間中に届いていた。
「公爵閣下。私は王国で、名前を消されて働きました。一年早く書いた案は、宰相府の手柄になりました。それでも、私は働きました。帝国では、その同じ働きに、名前がつきました。私はその名前で、この数字を出しました」
エレオノーラは、まっすぐに老人を見た。
「捨てられた令嬢と呼ばれることに、異議はございません。ただ、それは事実ではない。事実は、この紙にございます。閣下は、事実と噂の、どちらで帝国を治めてこられましたか」
沈黙が、長く続いた。
老公爵は、口を開き、そして閉じた。三百年の血筋は、十万枚の数字の前で、言うべき言葉を持たなかった。
「もう一つ、申し上げておく」
ラインハルトが、立ち上がった。
「彼女を侮辱する者は、帝国の利益を侮辱する者だ。この数字を出した者を捨てられた令嬢と呼ぶなら、帝国は捨てられた令嬢に十万枚を稼がせた国ということになる。それでよいか」
誰も、よいとは言わなかった。
上座で、皇帝が静かに頷いた。
「婚約を、承認する」
それだけで、すべてが決まった。
その夜、宿舎に二通の書状が届いた。
一通は、アルディア国王からの型どおりの祝いの書状。
もう一通は、セドリックからだった。
『姉上へ。
婚約、おめでとうございます。母上は読んだ瞬間に泣いて、それから「当然です」と言いました。
兄上は、宰相府で毎日働いています。朝一番に来て、最後に帰るそうです。決裁の下読みで、最初の一ヶ月は毎日怒られていたと、ギルバートが言っていました。
それから、これは兄上に言うなと言われましたが、書きます。
兄上は、姉上の予定表を、今も机に置いています。宰相府の、一番端の机に。
セドリック』
エレオノーラは、手紙を畳んだ。
窓の外、東の空に、王国の方角があった。彼女は少しの間だけそれを見て、それから、灯りを消した。




