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『学校では地味、配信では人気VTuber、さらに隠し事まである僕の青春ラブコメは最初から難易度が高すぎる』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第7話 新人は、まだ遠い場所で頑張っている

その夜、天瀬アルトとしての仕事を一通り終えたあと、久瀬湊人は珍しくすぐには配信アプリを閉じなかった。


 デスクトップの右下に、小さく通知が出ている。


 AstraLink内部共有サーバー。

 新人支援チャンネル。


 普段なら、必要な連絡だけを確認して終える。自分は事務所の中でも登録者二百万人を超える看板クラスのライバーで、ありがたいことに個別案件も多い。全体チャットや新人向けの共有に深く関わる余裕は、正直そこまでない。


 けれど今日は、なんとなく目が止まった。


 理由は分かっている。

 小毬こはく、という名前だ。


 まだ会ったことのない後輩。

 同じ箱に所属している新人ライバー。

 デビューからそこまで長くはないのに、登録者は二十万人を超えている。

 数字として見ればかなり順調だ。だが、新人本人がその順調さをちゃんと“順調”として受け止められるかどうかは、また別の話だった。


 湊人は通知を開く。


 画面には、先輩ライバーたちの軽い雑談と、その合間に挟まる小毬こはくの短い発言が並んでいた。


『本日の雑談枠、ありがとうございました。思っていたより緊張してしまって、言葉が飛んでしまいました』


『いやいや、全然かわいかったよ〜』

 緋月セレナだ。


『最初の入り、ちょっと噛んでたのも逆に良かったっすよ』

 音無ハル。


『あれで空気柔らかくなってた。無理に完璧にしようとしなくて大丈夫』

 星詠エルザ。


 その後に、小毬こはくから短い返事が続く。


『ありがとうございます。次はもう少し落ち着いて話せるようにしたいです』


 そこまで真面目に言わなくても大丈夫だろう、と思うくらいには、文面がきっちりしていた。

 語尾まで整っている。余計な絵文字もなければ、変に甘えた表現もない。礼儀正しくて、少し堅い。


「……真面目そうだな」


 独り言が漏れる。


 画面の向こうにいる小毬こはくが、どんな声で、どんな表情でその文章を打ったのかは分からない。

 でも、不器用なくらい誠実な空気は伝わってくる。


 湊人は少しだけ迷ったあと、その日のアーカイブ一覧から彼女の配信を探した。


 タイトルは、ごく穏やかな雑談枠だった。

 派手さはない。煽るような文句もない。けれど、サムネイルの文字列からは、背伸びしすぎずに自分の空気を作ろうとしている感じが伝わる。


 再生ボタンを押す。


 数秒の待機画面のあと、やわらかい声が流れた。


『こんばんは、小毬こはくです。来てくださってありがとうございます。今日は少しだけ、ゆっくりお話しできたらと思っています』


 第一印象は、やはり“やわらかい”だった。


 高すぎない。無理に作り込んでいない。いわゆる“かわいい声”に寄せすぎてもいない。

 けれど聞いていると、きちんと温度がある。人の緊張をあおらない、やさしい音の置き方だ。


 ただ、そのやさしさの中に、少しだけ不安定な揺れが混じっている。


 コメントを拾う前の一拍。

 話題を切り替える時の呼吸。

 笑う直前の迷い。


 新人だ、とすぐ分かる。

 でも同時に、“この子はちゃんと育つな”とも思った。


 上手いわけではまだない。

 完成されてもいない。

 なのに、見ていて「もう少し聴いていたい」と思わせる余白がある。


 コメント欄も、その余白を大事に扱っているようだった。


『こはくちゃん今日も来たよー』

『声好き』

『無理しなくていいよ』

『落ち着く』

『ちょっとずつ慣れていこう』


 小毬こはくは、それらを一つずつ丁寧に拾っていく。


『ありがとうございます。そう言っていただけると、すごく安心します』


 そこで一度、小さく言葉が途切れる。

 たぶん、次のコメントを探しているのだろう。


 慌てて埋めようとはしない。

 でも沈黙に耐えきれず、少し早めに次へ移る。

 その“持ちこたえきれない一歩手前”みたいな間が、妙に印象に残った。


 湊人はいつの間にか、作業用に開いていたファイルを閉じていた。

 完全に、配信の方へ意識が持っていかれている。


「……応援したくなる、か」


 鳴海すばるが言っていた表現を思い出す。

 “アルトが安心して見ていられる王子なら、こはくちゃんは応援したくなる努力家”。


 たしかに、その通りかもしれない。


 天瀬アルトとしての自分は、視聴者に“任せて大丈夫”と思ってもらうことで成立している。

 場が荒れそうでも収める。

 先輩にいじられても崩れない。

 コメントの熱量を受け止めながら、距離感は壊さない。


 でも、小毬こはくは逆だ。

 少し危なっかしくて、少し緊張していて、でも逃げない。

 だから、見ている側が「頑張れ」と思う。


 どちらが良い悪いではない。

 ただ、売り方が違う。


 しばらく聞いているうちに、配信は後半へ入った。

 小毬こはくは、リスナーからの質問に答えながら、ときどき同じ事務所の先輩の話を出していた。


『AstraLinkの先輩方、皆さん本当にすごくて……空気の作り方とか、コメントの拾い方とか、見ていて勉強になることばかりなんです』


 そこで流れたコメントの一つに、湊人の視線が止まる。


『アルト先輩のことどう思ってる?』


 かなり直球だ。

 新人に対して投げる質問としては、少し悪戯っぽい。


 小毬こはくは、そのコメントを読んだあと、一瞬だけほんの少し黙った。

 それから、少し照れたように笑う。


『えっと……すごく、遠くて、すごい方だなって思っています』


 遠くて、すごい方。


 率直で、でも自分を下げすぎてもいない、ちょうどいい表現だった。


『声も言葉も本当に綺麗で、どんな相手にもやさしくて。でも、ただやさしいだけじゃなくて、ちゃんと会話を前に進めていらっしゃるのが、すごいなと思っていて……』


 そこまで言ってから、少し慌てたように付け足す。


『あ、でも、私なんかがあまり偉そうに語れる立場ではないので……本当に尊敬している、という感じです』


 湊人は思わず画面の前で苦笑した。


 偉そうに語れる立場ではない、か。

 その慎重さもまた、彼女らしい。


 同時に、少しばかり胸の奥がくすぐったくなる。

 面と向かって言われたら困るようなことでも、匿名の向こうから、しかも本人に知られずに向けられると、単純にありがたかった。


 自分の配信を見てくれているらしい。

 しかも、かなり真面目に。


 その真面目さは、箱内通話での見学メッセージにも出ていたし、今の言葉にも出ている。


 湊人はそこまで見届けてから、アーカイブを止めた。


 デスクトップの時計は、想像以上に時間が進んでいる。

 気づけば一時間近く、ほぼ集中して見ていたらしい。


「これは……」


 悪くないどころか、かなりよかった。


 もちろん、先輩として“伸びる新人かどうか”を見る目線もある。

 だがそれ以上に、純粋に一人の配信者として、“また見てもいい”と思わされた。


 派手ではない。

 完成されてもいない。

 でもちゃんと、残る。


 そういう配信は強い。


     ◇


 翌日、学校ではその“小毬こはく”の話題は一切出なかった。


 出るわけがない。

 鳴海すばるですら、昨日はアルトの布教に忙しくて、箱内新人まで語る余裕はなかったのだから。


 いつものように教室へ入り、日野に軽く挨拶し、真白に「今日は顔色大丈夫そうですね」と言って「朝一で健康チェックするのやめて」と返される。

 そんな、もうそれなりに形になってきた日常が流れる。


 なのに湊人の頭の片隅では、昨夜聞いた声がまだ少し残っていた。


 やわらかい声。

 慎重な言葉選び。

 間を持ちこたえきれない感じ。

 でも、逃げない芯。


 小毬こはく。


 遠い場所で頑張っている後輩。

 自分の学校生活とは無関係の、配信の向こう側にいるはずの存在。


 それなのに、なぜだろう。

 少しだけ気にかかる。


「久瀬、聞いてる?」


 前から飛んできた日野の声で、湊人は我に返った。


「すみません、少し」

「珍し。ぼーっとしてたじゃん」

「考え事を」

「なに、購買の攻略法?」

 真白が横から入ってくる。

「それはもう卒業したでしょ」

「たまごサンドしか安定しない人が言っても説得力ないんだけど」

「他の選択肢も増えました」

「どんな」

「コロッケパン」

「地味な進化」

「大きな一歩ですよ」

「そこ胸張ること?」


 教室に小さな笑いが起こる。


 すばるもそこへ混ざってきた。


「それより聞いてよ、昨日ハル先輩の切り抜き見てたら、またアルトの返しが良すぎて」

「鳴海、朝から飛ばすね」

 日野が呆れる。

「推しに朝も夜もないから」

「睡眠はあるでしょ」

「最低限は取ってる!」

「その最低限が怪しい」

 真白が刺す。

「いやほんと、でも昨日のアルトはね――」

「鳴海さん」

 湊人は、あえて穏やかに聞いてみた。

「はい?」

「昨日はアルトさん以外は、あまり見なかったんですか」

「え?」

 すばるがきょとんとした顔になる。

「なんで?」

「いえ、その、同じ箱の他の方とか」

「見るよ? もちろん」

「新人の方なども?」

「えっ、なに、そこ興味あるの?」

 すばるの目が一気に輝いた。

 しまった、と思ったがもう遅い。


「……少しだけ」

「あるじゃん! 興味!」

「話の流れです」

「最近その“話の流れです”便利に使いすぎでしょ」

 真白が呆れる。


 だが、すばるはすっかりその話題に乗った。


「新人ならこはくちゃん?」

「鳴海、もうその辺まで守備範囲なの」

 真白が半ば感心している。

「当たり前でしょ。箱全体で追うのが楽しいんだから」

「オタクって忙しそう」

「忙しいよ。でも幸せだからいいの」


 すばるはそこで少しだけ声のトーンを変えた。


「こはくちゃん、いいよ」

「どういいんですか」

「んー……アルトみたいに安心感で引っ張るタイプじゃないんだけど、すごく丁寧で、頑張ってるの分かるの。ちょっと危なっかしい時もあるけど、それも含めて見守りたくなる感じ」

「へえ」

「昨日もね、配信で先輩の話してて、なんか真面目なんだよなあ。変に媚びたりしないし、ちゃんと尊敬してる感じがあるの」

「詳しいわね」

 真白が言う。

「そりゃ見るもん」

「どこにそんな時間あるの」

「愛は時間を捻出する」

「こわ」


 すばるの評価は、昨夜湊人が自分で感じた印象とほぼ同じだった。


 やはり見ている。

 自分の推しだけではなく、その箱の空気ごと、ちゃんと見ている。


「伸びそうなんですか」

 湊人が聞く。

「うん、伸びると思う」

 すばるは即答した。

「まだちょっと固い時あるし、たぶん本人も数字とか反応とか気にしてるっぽいけど、ああいう真面目な子って、ちゃんと自分の形できたら強い」

「なるほど」

「でしょ? だから私は今のうちから見てる」

「古参ぶるために?」

 日野が言う。

「違うよ! いや、ちょっとはあるけど!」

「あるんだ」

「でも一番は、頑張ってるのが分かるから」

 すばるはそこで少しだけ表情をやわらげた。

「そういう子、応援したくなるじゃん」


 その言葉を聞いて、湊人は昨夜の静かな配信画面を思い出した。


 応援したくなる。

 たしかにそうだった。


 そして、その“応援したくなる”という感情は、配信者にとって何より強い武器にもなりうる。


 自分はそちらではない。

 天瀬アルトは、どちらかといえば視聴者に“この人なら大丈夫”と思ってもらうことで成り立っている。


 でも、小毬こはくは違う。

 “この子の次を見たい”と思わせることで前へ進むタイプだ。


 同じ箱でも、武器は違う。


 それが少し、面白かった。


     ◇


 その日の放課後、湊人は家へ帰る前に、少しだけ寄り道をした。


 寄り道と言っても、コンビニで飲み物を買っただけだ。

 だが、その数分の空白の中で、頭の中にはまた昨夜の新人配信が流れていた。


 画面の向こうで頑張る後輩。

 まだ会ったこともない相手。

 それなのに、同じ事務所に所属しているというだけで、妙な距離感の近さがある。


 同時に、学校の方では自分の周囲にも少しずつ人が増えていた。


 真白。

 すばる。

 日野。

 まだ本格的に関わっていないが、顔と空気だけは覚え始めたクラスメイトたち。


 現実と配信。

 地味な自分と、人気者の自分。


 そこにさらに、“まだ会ったことのない後輩”という線まで加わり始めている。


 多いな、と湊人は思う。


 自分の抱えている顔も、守るべき距離も、少しずつ増えている。


「ややこしいな……」


 買ったばかりのペットボトルを手に、小さく呟く。


 それでも、そのややこしさの全部が嫌なわけではなかった。


 学校では学校の面白さがある。

 配信には配信の面白さがある。

 そして遠い場所で頑張る誰かを、少しだけ気にかけてしまうのも、たぶん悪いことではない。


 家に着いてから、湊人は制服を着替える前に、もう一度だけ事務所の共有サーバーを開いた。


 今日は全体チャットに大きな動きはない。

 ただ、新人支援チャンネルの端に、小毬こはくから短い書き込みがあった。


『本日も配信お疲れさまでした。アーカイブを見返しながら、もう少しコメントを拾う余裕を作れるよう練習してみます』


 それに対して、誰かがすぐに返している。


『見返すのえらい』

『無理しすぎないでね』

『少しずつで大丈夫』


 箱の空気として、悪くない。

 新人をただ持ち上げるでも、放置するでもなく、ちゃんと見ている感じがある。


 湊人は少しだけ考えてから、短くメッセージを打った。


『ご自身で振り返る姿勢は、とても良いと思います。ただ、全部を一度に直そうとしなくても大丈夫ですよ。一つずつで十分です』


 送信する。


 すぐに既読がついた。

 その数秒後、小毬こはくから返信が来る。


『ありがとうございます。はい、一つずつ頑張ります』


 文面はやはり真面目だ。

 でも今朝の共有チャットより、ほんの少しだけ力が抜けている気もする。


 湊人は画面を閉じながら、少しだけ口元を緩めた。


 新人は、まだ遠い場所で頑張っている。

 自分の学校生活とは別の世界のはずだ。

 それでも、遠いなりにちゃんと見えてしまう。


 そしてたぶん、向こうから見た自分もまた、遠くて、すごくて、少しだけ近寄りがたい存在なのだろう。


 その距離感を、いつか本当に埋める日が来るのかは分からない。


 ただ今はまだ、画面の向こう側から、静かに頑張っていることだけが伝わっていればいい。


 そう思いながら、湊人はゆっくりと立ち上がった。


 明日もまた、学校へ行く。

 そして夜になれば、別の顔でマイクの前へ座る。


 その二重生活の合間に、まだ会ったことのない後輩の存在が、ほんの少しだけ温度を持ち始めていた。

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