第107話 次は偶然じゃない。だから、先に壊さない準備をする
偶然なら、祈るしかない。
少し時間がずれることを、
少し人の流れが変わることを、
少しだけ誰かの視線が別の方向を向くことを。
でも、次はもう偶然ではない。
学校行事と、
AstraLinkの大型企画と、
自分の二つの顔が、
同じ日付の上へ並び始めている。
だったら、祈るだけでは足りない。
先に壊さない準備をするしかない。
久瀬湊人は、木曜の夜、自室の机に向かったまま長く息を吐いた。
目の前には、二つの予定表がある。
学校側の行事日程。
AstraLink内部の暫定スケジュール。
スマホのメモには、これまで窓際へ共有してきた“危ない日”の情報。
その横には、朱莉に言われた言葉がまだ残っている気がした。
時間帯。
エリアの粒度。
一人になる時間。
偶然が成立しないように、先に理由を持て。
「……次は、前より多く」
小さく呟く。
それは昨日、自分でも決めたことだった。
全部は無理だ。
それでも、もう“危ない日です”だけでは足りない。
学校近辺でのニアミスが一度では終わらなかった以上、次はもっと情報を出さなければならない。
それは、秘密を明かすことではない。
秘密を守るために、日常を壊さないための情報だけを切り出すということだ。
久瀬湊人はスマホのメモを開き、ゆっくりと整理を始めた。
来週の学校行事当日。
朝は普通に学校へ行く。
昼までは学校側。
問題は放課後だ。
行事の流れ次第で、学校側の移動が発生する可能性がある。
AstraLink側は夕方の現地入り。
エリアは駅前圏。
しかも、現場前後でどうしても一人になる時間がある。
その事実を書き出していくたびに、自分でも少しずつ現実味が増していく。
「ほんとに、やばいな」
乾いた声でそう言って、湊人は手を止めた。
だが止めている暇はない。
もう、前みたいに“当日になってから考える”はできないのだから。
◇
翌朝、教室へ入ると、窓際の空気はいつも通りのようで、やはり今までより少しだけ深かった。
日野が前の席で「来週の行事、めんどい」と言い、
すばるが「まだ一週間あるのに早い」と返し、
真白は腕を組んだまま、そのやりとりを半分しか聞いていない顔をしている。
紬希は静かに教科書を揃えていた。
その中へ、湊人は少しだけいつもより早く入った。
「おはようございます」
声をかけると、四人がそれぞれ返す。
そして真白が、ほとんど間を置かずに言った。
「何かある顔」
朝一からそこへ来る。
でも最近は、それがありがたくもあった。
「あります」
今日はすぐに認めた。
一瞬、窓際の空気が少しだけ止まる。
たぶん、ここまですぐ認めると思っていなかったのだろう。
「早い」
すばるが言う。
「珍しい」
日野も笑う。
紬希だけは少しだけ安心したような顔をした。
真白は目を細める。
「で」
「はい」
「何」
短い。
だから、こちらも短く返すしかない。
「来週の件です」
その一言で、みんなの表情が少しずつ変わる。
学校行事と大型企画がぶつかりそうな、あの件だとすぐに伝わったのだろう。
「少し」
湊人は言葉を選ぶ。
「前より多く、共有しておきます」
その宣言は、自分で思っていたよりも重かった。
すばるが先に反応する。
「え」
真白は黙って聞いている。
紬希の視線が少しだけまっすぐになる。
日野は「お」と小さく言った。
「当日」
湊人は続ける。
「学校行事の流れ次第ですが、放課後に一度、駅前圏へ入る可能性が高いです」
「うん」
真白が促す。
「時間は、夕方寄り」
「……」
「で、その前後に、一人になる時間があります」
そこまで言った瞬間、すばるが小さく息をのんだ。
紬希も少しだけ目を伏せる。
真白だけは、そこでようやく小さく頷いた。
「それ」
彼女が言う。
「前より、だいぶ違う」
評価というより確認だった。
でも今の湊人には、その一言がかなりありがたかった。
「駅前圏って」
日野が聞く。
「この前のビジョンのあたり?」
「近いです」
「うわ」
すばるが言う。
その声には、オタクとしての反応と、学校側としての不安が両方混ざっていた。
「どのくらい一人になるの」
紬希が静かに聞く。
その問いが、一番やさしくて、一番核心だった。
「長くはないです」
湊人は答える。
「でも、移動のつなぎで少し」
「少し」
真白が繰り返す。
「はい」
「その“少し”が危ない」
即答だった。
だが、否定できない。
「だから、先に言っておこうと」
湊人は言う。
「うん」
紬希が小さく頷く。
「それでいいと思う」
その“いいと思う”が、朝の自分にはひどく救いになった。
◇
一限目のあと、窓際の空気は完全に“共有された危険日”を前提に動き始めていた。
「ねえ」
すばるが言う。
「なに」
真白が返す。
「今のやつ、かなりやばい日ってことでいいよね」
「いい」
真白が即答する。
「かなり」
そこで日野が「またその便利ワード」と笑いかけて、でも今日は少しだけ本気のトーンで続けた。
「いや、でも今回はほんとそれ」
紬希も小さく言う。
「偶然で済ませるには近すぎる」
まさにその通りだった。
「だから」
真白が久瀬を見る。
「当日、何か変わったらその時点で言う」
「はい」
「行けそうとか、大丈夫そうとか、いらない」
そこへすばるも乗る。
「そうそう。“今から入る”とか“遅れる”とか、そういう事実だけでいい」
「かなり実務」
日野が笑う。
「必要だから」
真白が切る。
そのやりとりを聞きながら、湊人は少しだけ思う。
ここまで来ると、もう完全に“学校生活を守るための小さなチーム”みたいだ。
しかも、誰もそう名乗らないまま自然にそうなっている。
「……ありがとうございます」
思わずそう言うと、すばるがすぐに言った。
「礼より継続」
「そう」
真白も短く言う。
「一回だけじゃ意味ない」
「はい」
紬希はやわらかく笑った。
日野は「最近ほんとに包囲網が前向き」とか言っている。
でも、その包囲網に今の自分は助けられている。
それはもう、否定しようがなかった。
◇
昼休み、朱莉もその共有内容を聞いて、短く評価した。
「悪くない」
「それだけですか」
湊人が苦笑すると、朱莉は少しだけ肩をすくめる。
「褒め言葉よ」
「厳しい」
「当然」
彼女は平然としている。
「でも、次は偶然じゃないんでしょ」
「ええ」
「なら、ここからは準備の問題」
そこが朱莉らしかった。
感情より前に、段取りへ落とす。
「学校行事側の詳細が確定したら、すぐ教えなさい」
「はい」
「配信側の入り時間も、動いたらすぐ」
「わかりました」
「あと」
少しだけ目を細める。
「当日、学校側で“駅前に寄る理由”が自然に作れるなら作った方がいい」
その一言に、湊人は少し考える。
偶然近くにいた、ではなく、最初から理由を持つ。
たしかに、その方が動きやすいのかもしれない。
「……考えてみます」
「考えるじゃ遅い」
朱莉は短く言う。
「今から作る」
そこまで言われて、湊人は思わず笑ってしまった。
やはりこの人は、徹底している。
◇
放課後、駅までの道で、すばるがぽつりと言った。
「そこまで出してくるって」
「うん」
真白が返す。
「ほんとにやばい日なんだね」
その声は、少しだけ低かった。
オタクとしての高揚ではない。
“推し疑惑”を抱えている人間としての、妙に現実的な声だ。
「ええ」
湊人は頷く。
「今回は、かなり」
「便利ワード禁止」
すばるがすぐ言って、少しだけ笑いが起きる。
でもその笑いも、今日は前より静かだった。
今の共有で、みんなたぶん分かってしまったのだ。
次は本当に、今までより一段危ない。
そして、だからこそ久瀬湊人が“前より多く話す”側へ来たのだと。
「……ありがと」
不意に、すばるが小さく言った。
湊人は少しだけ目を上げる。
「え」
「いや」
すばるは少しだけ視線を逸らした。
「そういうの、出してくれるの」
その言い方が、今日の彼女らしかった。
茶化さない。
でも重くしすぎもしない。
「こちらこそ」
湊人は言う。
「受け取ってもらえて助かっています」
その返しに、真白が「そこはまあ、今さら」と言い、日野が笑い、紬希が少しだけやわらかく頷いた。
次は偶然じゃない。
だから、先に壊さない準備をする。
その第一歩として、久瀬湊人はようやく“守るための共有”を、ちゃんと自分の側から始めていた。




