417、停滞
──ピチョンッ
水滴の落ちる音が反響する。洞窟のような仄暗い穴の中、レッドは自分が今どこに居るのかを思い出そうとしていた。
(あれ?……何で俺はこんなとこに居るんだっけ?)
自分が何をやっていたか思い出せない。ずっと戦っていたような、そうでもないような不思議な感覚。
この空間で真っ先に思い出せたのは名前と出身地、親の顔、冒険者であることと、信じていた幼馴染からチームを追放されたこと、1人で冒険者を続けていて限界を感じていたことまで。
しばらく唸りながら点と点をつなぎ合わせて、ようやく仲間を手に入れたところまでを振り返ったところで立ち上がる。
「……とりあえず行くか。ライトさんやオリーが俺を探してるかもしれないし……」
レッドはこんなところに仲間を置いて1人で冒険に出るわけがないと考えて移動を開始する。拓けた場所に出られたら何かしら分かるだろうと考えてのことだ。
トボトボと暗い洞窟を歩く。松明もなしに迷いなく歩けるのはほんのり青く光を放つ霧が、ぼんやりと周りを照らしている。気味の悪い光景だが、いきなり暗がりで目を覚ましたレッドにとってはありがたいことだった。
時間の感覚が分からない空間。どれだけ歩いたかも定かではないが、広い空間に出ることが出来た。草木が鬱蒼と眼前に広がり、波の音が聞こえ、風を感じる。まるで外の様に錯覚するが、ダンジョンではよくあることなのでレッドは落ち着いて辺りを見渡した。魔物の気配は感じられない。
「……ここは……何階層あるのかな?」
多分ここだけに生えているであろう草木をかき分けながら中に入っていく。人の出入りがないことを思えば、ここはまだ探索されていない場所なのだろう。
外に出ることを考えた時、人の往来があるところを探すのが鉄則だ。獣道を歩いて人里に出られるのは極稀なこと。不安な時は引き返すことが重要なのだが、レッドは特に気にすることなくガサガサと前に突き進む。
波の音に向かってしばらく歩いていると、木々の先に広い砂浜が姿を現す。すべてを飲み込みそうな夜の海。青く光る靄が薫りながらギリギリ視認出来る程度に辺りを照らしている。いい加減松明等の文明的な明かりが欲しいと思い始めた頃、砂浜沿いに小さな灯りを見つけた。
ふらふらと吸い寄せられる様に灯りを目指して歩くと、何人かで焚き火をしている。冒険者チームが屯しているのかと側に寄ろうと歩き始めた時、焚き火を囲んでいる1人がこちらに気付いて立ち上がった。
「……あ、すいませーんっ」
レッドは手を上げて焚き火の下に走って行く。それに対して焚き火を囲んでいた連中はただじっとレッドの到着を待つ。
焚き火に照らされた数人は生気のない顔でレッドを見ていたが、立ち上がった男だけは驚愕の表情で目を見開いてた。
「いやぁ、良かった。誰も居なくて困ってたんですよぉ」
「君は……誰だ? どうしてここに……」
「え? え〜っと……ここに来た理由は分かりませんけど、俺はレッド。レッド=カーマインっていいます」
レッドは気さくな挨拶でフレンドリーに話しかけた。
「……同種? だが気配が……」
「……人間みたい……」
「……意識がはっきりしているぞ……」
「……どうして……?」
座り込む男女は顔を見合わせてボソボソと話し合っている。レッドはその空気に堪えられず口を開いた。
「と、ところで皆さんは? どこかの冒険者チームですか? それにしては軽装の様に見えますけど……」
『軽装』と言葉を選んだが、どちらかというと見窄らしさを覚える服装だ。武器を持たず、防具もつけず、襟や裾は破けてヨレヨレのボロボロ。長いこと一丁羅で助けを待っている遭難者か、ゴミを漁っているホームレスの様な出立だ。とても冒険者チームには見えない。
「我々は君の思う存在ではない。ここで朽ちて消えていくだけの意識の集合体にすぎん」
「何ですって?」
「こちらこそ聞きたい。君はどうして崩壊していないのだ? どうやってその形状を保っている? 人間の脆弱な精神など飲まれた時点で消滅するというのに……」
唯一ちゃんとコミュニケーションを取ってくれる男はレッドの頭から足先まで遠慮なくじろじろと見てくる。見られること自体は別に何でもないが、値踏みをされている様な感覚にちょっとした不快感を感じる。
「……あのぅ……あんまり見ないでもらえますか?」
レッドは恥ずかしそうに男に注意する。男は反省の色一つ見せずにそのまま座り込んだ。
「寒いだろう? こっちに来なさい。どうせ君はもう助かりはしない」
「は? 何でです? 意味がまるで分からないのですが……」
レッドの困惑に反応したのは男のすぐ側に座る女性。
「ここは『八十禍津日神』の腹の中よ。私たちは既に肉体を消化された精神体。この世界に閉じ込められ、死して尚終わりが来ず、無限の時を過ごす囚われの魂……」
レッドは八十禍津日神という言葉に何か引っかかるものがあったが、思い出せないので放置する。しわしわの老人が女性に続けてカスカスの声で話し始めた。
「つまりは、君もまた儂らと同じくこの世界に閉じ込められた迷える魂ということじゃ……誰もがこの世界の脱出を図った。楽になりたいと願ってのぅ……」
老人の言葉が途切れると、卑屈な顔をしたおばさんがフンッと鼻を鳴らして口を開く。
「どうしようもないのさ。ここから出ようとすれば八十禍津日神が食った多くの魂との融合が始まる。そうなれば他の思考と混ざり合って自我が崩壊。永遠の苦しみが待ってる。……ま、この状況もさして変わらないかもしれないけど、静かではあるから……」
まるで体験してきたかのような言い草だが、多分他の連中が出ようとしたところに居合わせたのだろう。この焚き火をじっと見つめるだけの存在になったのもそう言った経験から助からないと悟ってのことだ。焚き火を囲う人たちの恐怖の推測がレッドに憶測を呼ぶ。
「じゃここは……ダンジョンではないと?」
「……なんだそれは? 初めて聞いた言葉だ」
「え〜……そうなんですね。えっと、ダンジョンっていうのは陸地に突如現れた異空間のことでして、その構造や成り立ちは謎に包まれた空間なんです。この空間がダンジョンに似ているというか、割とそのままだったので勘違いしたと言いましょうか……。魔獣とかはいないんですか?」
「いない。というかそういう場所ではない。ここは我々が作った唯一の安全地帯だ」
「へぇ〜……ところで皆さんはいったい何者なんです? どうしてここに閉じ込められる様なことになったんでしょうか?」
レッドの質問に口を閉ざす。しんっと静まり返ったことでレッドは焦り出す。
「あ、す、すいませんっ! つい余計なことを……っ!」
「……気にするな。あまり思い出したくなかっただけだ。早い話が単に追放された復讐に付き合わされた。ただそれだけだ」
「追放、による復讐……ですか」
「そうだ。我々は天位から追放された神の成り損ない。その上、ケダモノと化した同種に食われた哀れで惨めな力なき存在なのだよ」
男はレッドに言って聞かせる様に滔々と語る。幸せで平和の日々から、没落して全てが無に帰した神代の歴史。話半分に聞いていたレッドも段々とその悲しみに同情する。特に追放の描写にはいたく関心を持っていた。
レッドも話を聞いている内に自分を見つめ直し、徐々に記憶が復活していく。
具体的にはつい先あった、鎌で邪魔されたせいでアリーシャと引き離され、呪いの泥に飲み込まれたところまでを鮮明に思い出した。
レッドはいつの間にか剣を抜いていた。
「……どうするつもりだ?」
神々はレッドを見つめる。
「出るんです。俺は戦わないといけないので……」
「出られると思うのか?」
「分かりません。やれるだけやってみます」
レッドは踵を返して走り去る。
神々はレッドの背中が見えなくなるまで見送り、何事もなかった様にまた焚き火を囲んでいた。
何も変わらない。それがこの世界『停滞』の理。




