63.急報、永遠の別離は唐突におとずれる…かもしれない。
引き続きお父様の膝の上に抱っこされた状態で、妖精の庭について疑問に思ったことを質問していた。
何でこんなに暖かいのか、それはやはり魔法が施されているからだった。
この妖精の庭の全貌は正方形に整えられていて、四隅にそれぞれ東屋が1つづつ据え置かれている。
その東屋に結界効果のある刻印魔法と増幅効果もある特殊な魔石に保温の魔法を込めたものを埋め込んでそれぞれの魔法効果の要にしているそうだ。
単体だけだと効果が持続しないから、との説明だったけれど刻印魔法の刻印は東屋の床にデカデカと彫り込まれ、その中央に埋め込まれた魔石は私が想像しているよりも遥かに巨大であるらしい。
丁度このくらい、と例に上げて下さったのは今お父様が腰を下ろしている椅子の座面だった。
確かに想像以上の大きさだ、だってマンホールくらいの大きさなのだ、まず想像し得ない大きさの規格だ。
ーーデカくないですか? 何もかも規格外でないと貴族としてやっていけないとでも言うのだろうか?? メイヴィスお姉さまのドレスに付属されていた小さいものでも破格の値段だったというのに…もう考えたくない。 というか、深く考えたら負けだ!!ーー
深く掘り下げて考え出してしまう前に、先んじて考えることを放棄する。
何にしても魔法がこの屋敷の至るところで恙無く効果を発揮しているからこそ、快適に過ごせているんだなぁ~、ありがたや~ありがたやぁ~~…、と和やかな感想を抱くように心がけていると、慌ただしく駆け来る微かな足音が何処かから聞こえてくる。
音が何処から聞こえてくるのか、その発生源を探してきょろきょろと顔をうろつかせていると屋敷がある方向から家令の一人、オズワルドが走ってやってくるのが見えた。
常の穏やかさと余裕が今は全く無く、お父様と顔を見合わせて驚きを共有する。
あそこまで取り乱しきっている家令の姿は短い今世での記憶の中でも初めて見る、そして今後もそうそうお目にかかれない珍事であることはまず間違いないと確信が持てる。
こちらまで来るのをのんびり待ち構えてて良い雰囲気は欠片も感じられず、お父様がゆったりとした動作で膝に乗せていた私をそっと地面におろして椅子から立ち上がり、オズワルドが向かい来る方に歩み寄って行くのに従って私も歩き出した。
「オズぅ、どうしたんだいそんなに慌ててぇ~? 急用なら通信石を使えば良かっただろうにぃ~??」
お父様の暢気な問いかけに急ぎ答えるため、息咳切らしたまま呼吸が整うのを待たずに話し出す。
そのせいで紡がれる言葉は吃ったり途切れたり支えもして、聞いてるこちらまで同じような息苦しさを感じてしまうが、その内容が分かるにつれ、お父様の表情が削ぎ落とされていき、醸し出す雰囲気が剣呑になったのは……、無理からぬ事だった。
「不作法をっ、お、許しっ、…っ下さい!! はぁっ、はっ……はぁっ!! ~っ奥様が!! 突然、気を失われて…、お、倒れに……!! お早く奥様のっ…、寝室に……、申し訳、ございま…せん、旦那様!!」
オズワルドが謝罪の言葉を口にしだしてから、お父様は此処からはどうやっても目視でははっきりと確認できない、屋敷の2階くらいの高さを振り仰いで絞り出した掠れた声で「アヴィ…!」と小さくお母様の名前を呼び、そうかと思えば有無を言わさず私たち2人を連れ一瞬でお母様の寝室へと転移させた。
苦もなく辿り着いたお母様の主寝室、そこに設えられた寝台の上にはぐったりと顔色悪く、閉じた瞼は微動だにせず昏昏と眠るお母様が横たえられ寝かされていた。
その傍らでは見慣れない壮年の男性が背中を向けて丸椅子に腰掛けており、お母様の脈を診ている様子だった。
白衣を着用していたので医師であるらしいと解釈して、余計な質問を挟むのは控えた。
診察されているお母様の様子を寝台の脇に立って、怖いほど冷静に見下ろすお父様は、終始無言、静かで…不自然なほど静かすぎた。
病人然としたお母様の寝顔を見て、何を思っていらっしゃるのか、どんな表情をなさっているのか、背を向けられている私たちにはわからなかった。
だからといってその背中に向かって質問を投げかけることなどできはしない。
おいそれと話しかけることができない、重苦しくて隠しきれていない殺伐とした空気がお父様を取り巻いているからだ。
「何があった…?」
どれだけの沈黙が続いただろうか、静かすぎて耳鳴りの幻聴がしたほど、こんなにも静寂が耳に痛かったことなんて初めての経験だ。
決して狭くない室内に響いたお父様の声はただひたすらに重かった。
一切の感情が伺えないのに、言葉の持つ質量だけが異様に重い、言葉の一つ一つが鉛のような重さを孕んで一気に伸しかかって重圧を与えれてくる、そんな声だった。
「オズ、簡潔に説明を。」
こんなに静かに命令する声を聞くのも、背を向けたままでも足が震えてしまう程威圧されたことも、初めてだった。
ーーこんなお父様、知らない。 昨日の晩餐会のときとは全然、怒りの振り切れ方が違う。 ただただひたすらに畏怖しか感じられないなんて、こんな怒りに晒されたこと初めてだもの。ーー
この威圧は私個人に向けられているわけじゃない、そう頭では理解しているはずなのに、怯えてカタカタと震え出す身体を止められない、胸が圧迫されているかのように苦しくて上手く息が吸えない、肺へと空気が取り込めない。
酸素が不足しているからなのか、それともこの重苦しい空気のせいか、原因は定かでないが兎にも角にも気を抜いたらその瞬間に、耐えきれなくなってすぐさまその場に崩折れて、床へと倒れ込んでしまいそうだった。
それでも何とか意識を強く保っていられたのは、お母様が倒れた原因を知りたい、その一心が支えとなったからだった。
胸の前で両手を強く握りあわせて、のしかかってくる重苦しい雰囲気に懸命に抗う。
大分息が整ったらしいオズワルドは、先程庭に居たときよりも流暢に経緯を語りだした。
家令の語る簡潔に纏められた話の内容はお父様が求めていたよりも至極簡潔だった。
原因不明。
この一言でしか説明できないというのだから、思わず聞き間違いかと耳を疑ってしまった私の反応は至極当然のことだったはずだ。
なる程簡潔に纏まっている、けれどそれで納得できる人間はここには居ない。
背を向けているお父様の表情が動いた、気のせいではないと断言できる。
何故かといえば、お父様の纏う空気が途端に変化したからだ、勿論良い方向にではない。
醸し出す厳しさが倍以上に跳ね上がってしまったのだから、いよいよ耐えられなくなりそうだ。
お父様の無言の苛立ちを正しく受けとり、少しでも納得できるように、とオズワルドも持てる言葉を尽くしてお母様が倒れた時の状況を事細かに説明してくれる。
けれど、そのどの言葉も結局は最初の一言、原因不明にしかたどり着く結論を導き出してはくれなかった。
オズワルドが倒れる前のお母様の行動を思い起こしながら先程よりも詳しく話してくれた内容はーー。
いつものようにゆったりと心ゆく迄寛いでから、自室へ戻るためにテーブルに手をついて椅子から立ち上がり、なんの問題もなく立ち上がられた…と思った次の瞬間に異変が起こった。
糸が切れた操り人形のようにフラリとお母様の身体が揺らぎ、そのまま床に倒れ込む寸前にオズワルドが慌てて駆け寄りお母様と床の間に滑り込んで抱き止めることに成功したおかげで身体を打ち付けることは未然に防がれた。
もうこの時点で既にお母様は意識がなく、呼びかけてもピクリとも反応せず、全く起きる気配がなかったとのこと。
抱き止めた際に、お仕着せのポケットに入れていた通信石が壊れてしまったと気づいたのは、お父様に連絡しようと取り出して破損しているのを目で見て確認したときだった。
そこからは慌てて、その場にいた使用人各々にあった用事を言いつけてから、お父様に知らせるべく一目散に駆けてきたそうだ。
今は常駐医が取り敢えずの診断を終えて、毒物や外的要因の痕跡もなく、急激な体調の変化としか説明できない、と結局意味するところはオズワルドが述べたのと同じ言葉を顔色悪く吃りながら告げ終えたところだ。
告げる際には決してお父様の顔を見ようとはしていなかった、それだけ今のお父様は恐ろしいお顔をなさっている…ということだろうか?
より詳しい診断は、お母様専属の医療魔術師たちが到着してから行う手筈になっている。
今のところ確かなのは、命にかかわる危険な所見は見受けられないということだった。
幾分か心を落ち着けられる理由が聞けて、ホッと胸を撫でおろしたのも束の間、常駐医がしどろもどろながらに告げ足した言葉に、私の息が止まりそうになった。
「奥様は、そのぉ~、恐らく何かしらの心労が溜まられて…い、いらっしゃったのでは、な、な、ないかとぉ…、思う次第でして、は、はいぃ~~っ! なのでなのでっ、こうっ、ふら~~っと!? 立ち眩みぃ~してしまったのだと思います!! 臨月を迎えられておられますしっ!! お一人のお体ではなかったのですから、通常では何でもないような事が、大事に繋がると申しますかっ?! いやいやいや、大事にはなりませんけれどもぉっ、こ、今回は大丈夫でしたから!! 本当にっ、本当ですともぉっ!!! まず以ってこれ以上悪化することはございませんからねぇっ!!? 信じてください旦那様ぁ~~っ!?!」
お父様の剣呑さに呑まれて怯えきっていながらも、果敢に言葉を紡ぎ出したのは称賛に値した行ないだろう。
けれど言葉を重ねるうちにヒートアップしすぎて最後の方は叫び声に近付いてしまい、お父様が相変わらず静かであり重やかな声で厳しく静止した。
「五月蝿い、静かに。 アヴィに障る。」
「 ~~!! ーーーっ!!! 」
常駐医の反応は素早かった。
お父様の口元がこれから言わんとする言葉の形に動いた段階で己の両掌を勢い良く動かし、災いを呼び込みかけた己の口元に重ねて覆いかぶせてそれ以上の失態を犯すことを未然に防ぐことに終止した。
重ね置かれた両掌の下でもがもがと言葉にならない雑音を発しながらお父様に何事かを伝えようとする。
「手を外して、それから話せ。 静かに、な? どれほどの心労を溜め込んだことで、こんなことに? 今後どんな不調が予想される? 取るべき対処法は?」
平坦な声音には確かな焦燥が滲んでいた。
原因不明から進展は少なからずあった、けれど毒でも外的要因でもない、恐らく心労が限界以上に溜まったから、という何とも曖昧な可能性しか見いだせなかったのだから無理もない。
そして質問を投げかけた複数の問に返ってきた返答も煮えきらず、解決策とは言い難いものだった。
「こればっかりは、丸っきり個人差でございますから、ねぇ?! どの程度で限界を超えるかは人それぞれ十人十色、皆目検討も付けられない次第でして、はいぃ~~…。 心労がどのような不調を身体にきたすかもぉ、正確に割り出すことは不可能でございますからぁ、面目次第もございませんがぁ、心労の原因から遠ざかって安静に、としか申し上げられませんねぇ~…。 奥様は何か悩んでおられましたかねぇ~? その心当たりが何かあるのであればまだ救いが持てますがぁ~、如何でしょうか?」
ボリボリと後ろ頭を搔きながらまごついて、それでも聞くべき事柄は迷うことなく口にして、お父様の目をまっすぐに見据えて問いかけている。
お父様に向けられた質問、その言葉に凍りついたのは誰あろう私だった。
お父様たちから少し離れた後方に居る私が震えながら俯いたことに、近くにいたオズワルドでさえも気づいていなかった。
『心労の原因』、『なにか悩んで』、『心当たり』、この言葉がいやにはっきりと耳に届いてしまい、そこから胸が一気に逸り出す。
ドクドクドクドクッ!
ドクドクドクドクッ!
ドクドクドクドクッ!
鼓動の音が耳の中で停滞したまま乱反射して増幅され、最初とは比べ物にならないくらいの大音量で鳴り響いている。
ドクドクドクドクドクドクドクドクッ!
ドクドクドクドクドクドクドクドクッ!
ドクドクドクドクドクドクドクドクッ!
鼓動の音が耳の中に溢れたのと同じ頃から頭もズキズキと痛みだした。
だって1つしか思い至れない、お母様の心を煩わせたその要因になんて、他に思い至ることが存在しない、そうとしか思えないのだから。
ーー私の…せい? 私の昨日からの態度がお母様を煩わせてしまった、の? それが原因で、お母様が……お倒れ、に…、?! 最悪、………死………!?ーー
それ以上は考えたくなくて、言霊なんて信じていないけれど思っただけでも現実になってしまうかもしれないと思ったら、もう、怖い。
信じたくもない、私の存在が不幸を招く存在なのだと。
前世の両親が頻りに口にした怨嗟の言葉、それが今世に影響を及ぼすなんてこと、有るはずない、あって良いはずないのに。
振り払えない前世の両親の呪いを吐く声が、頭の中で延々と木霊して鈍器で殴りつけられているかのような頭痛を与えてくる。
頭の中に居座り続けて、一向に出ていってくれない、消えてくれない、忘れさせてくれない。
私はわたしじゃないのに、さっきそう気付けたのに、一気に引き摺り戻されてしまう。
絡め取られたら、振り払えない。
振り払えるほどの確固たる『自分』が、未だに理解できていないから、『自分』に自信が持てないから、前世の記憶でしかない『過去』をきっぱりと否定できない。
私は未だに、弱いわたしのままだから。
前世の記憶が私を弱らせる、そのせいでもう1つの悪い記憶が呼び起こされてしまった。
寝台の上に横たわるお母様の顔に、幻影が重なる。
それは度重なる回帰の記憶の中、『悪い夢』で幾度となく目にした光景だった。
白い布が被されて、お母様の顔を覆い隠してしまう、場面を……一体何回見たことだろうか。
その場面を最初に見ることになったのは、9廻目の回帰の時だった。
家族に被害が出た、取り返しのつかない被害、そう、亡くなってしまったのは……お母様だった。
その時の原因ははっきりしていた、毒を盛られ長年服用して体内に蓄積してしまった事による中毒死だった。
そしてその毒をお母様に飲ませたのが、飲ませたと疑われ、決めつけられ、断罪されるに至ったのは…私。
そして私を断罪したのは他でもない、愛しい存在を奪われた人物、お父様が私の罪を立証して直々に引導を渡した。
有りもしない罪、それを真実であると確信を持って私を断罪してみせた。
その時のお顔を、よく覚えている。
だって繰り返す回帰の中で、何度も何度も、数え切れないほど見てきたお顔だったのだから、忘れられるはずもない。
いつ如何なる時も、何かを堪えるかのように引き結ばれていた唇、濁りのない美しいエメラルドの瞳は常にまっすぐに私を見ていた。
回帰の中ではその瞳の奥に宿る感情を理解したくなくて、わからないふりを続けた。
お父様が、私を……憎悪するなんて、信じたくなかったから。
幻影として現実世界に投影された回帰の記憶と共に、先程交わしたばかりで記憶に新らしすぎる庭での遣り取りも思い出された、だから余計に納得するしかなくなる。
お父様が私を、憎悪したことを、その感情を抱いてしまえるに十分な理由を、今世の私はもういやというほど理解しているのだから。
回帰の中の私は知り得なかった、お父様がどれだけの想いをお母様に抱いていたのか。
お母様の存在の比重が、私などとは比べるまでもなく、お父様の中で如何に巨大であったかなんて事情、全く知らなかったのだから。
自分の絶対の存在、たった1度の人生で出逢えるかもわからなかった最愛を奪われた。
奪った相手を許せるはずがない、実の娘だからといって許せるほど、お父様の抱いていた愛情は全然軽くはなかったのだから。
延々と、事有るごとに、惚気け話のような気軽さで語られるお母様への偽りのない愛の言葉、けれど嘯く軽妙な調子とは裏腹に、その言葉一つ一つに籠められた愛情は想像を絶するほどに重く膨大な質量を内包していたのだ。
それにお父様は知っている、家族だからといって憎むに足る事情があれば憎みきれることを。
私の心情を問うた時にお父様は語っていた、『本当の憎しみ』とはどういうものであるか、どれだけの熱量、どれだけの異常を自身に引き起こさせる感情なのかを。
実感が籠もりすぎている、そう感じたのは間違いではなかった、だって今にして思えば、そう語ったお父様の瞳には回帰の中で何度となく目にしたのと同じ感情が籠められていたのだから。
前世の両親が喚きたてる怨嗟の言葉、回帰の中で何度も目にした滾る憎悪を宿した美しく煌めくエメラルドの瞳、それらが同時に私を苛んできて現実を見失わせる。
回帰の中の消え去った未来である記憶が、今この目に映る現実を塗り潰してくる。
塗り替えてしまって、わからなくなる。
現実が幻影に染まりきって、今私を振り返ろうとするお父様の本当の姿がわからなくなる。
声も、表情も、言葉も、お父様が与えて下さるモノ何もかもが全て、幻影に侵蝕されきってしまった。
だから私はーー。
ゆっくりと振り返ったお父様の瞳に囚われてしまう。
紡がれた言葉に、ビクリと身体を震え上がらせて怯えることしかできなくなる。
お父様の口の動きとこの耳に聞こえる声とが一致しない、だというのに私には耳に聞こえる声こそが現実と思えてしまう。
錯覚だと疑う余地もなく、今現在の私に向けられる真実の言葉であると頭が理解してしまう。
私の耳にはただこの言葉しか聞こえない。
『お前さえ産まれてこなかったなら!』、回帰の中で何度も、何度でも、お父様が私に放ったこの一言しか、もう聞こえなかった。
その言葉がこの身を縛る鎖となって絡みつき、その言葉に籠められた質量が重石となり鎖の先に黒鉄の塊を形成する。
そしてその言葉の勢いに圧されて、傾いだ身体は真っ逆さま、暗く昏い水底へと突き落とされ、沈んでいく。
何処までも深く、深淵にたどり着くまで止まらずに。
抵抗することもできずに、ただただ、遠くなる水面を眺めることしかできない。
言葉を頭が理解した瞬間に、私の心は死んでしまった、息の根が止まってしまったから。




