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54.乳母の心変わり【兆し】

 エリファスお兄様が今回(わたくし)の要望に応えて創作してくださった魔導具は、前世で云うところのボイスレコーダー的な物だ。

私がやりたかったこと、それはこのグラグラと簡単に揺れ動きすぎる心を安定させられる『歌』を録音することだ。

今のところ私が心を落ち着けられると証明されている唯一の手段、その『歌』を正確に思い出すことがいつまでできるか定かでないので、できれば覚えているうちに誰か歌の上手い人に教えて、代わりに歌ってもらい、それを録音したかったのだ。


しかしそれも創作してほしいとまでは考えておらず、あくまでもこの公爵家にあれば使わせて欲しいと思っての発言だった。

メリッサははっきりきっぱり時々辛辣に事実のみを回答してくれる人物だったので、彼女が否定したり拒否すればこの公爵家には無いものとして理解し、取り敢えず諦めようと思えた、……はずだ!


まさかメリッサがエリファスお兄様の隠れ特技(?)を熟知していて、魔導具制作可能だと知っていたから断らなかっただなんて思いもよらなかった。

私の伝えた探し求めている魔導具の概要をそのままそっくりエリファスお兄様に伝えて、伝え聞いたお兄様が元は懐中時計だった物をベースに機構から施す刻印の内容から創作してくださって出来上がった魔導具が今私の右掌の上にあり、しかもそれをものの3秒で使用者を限定できるよう眼の前で仕様変更してくださった。


エリファスお兄様曰く、『ホント極々初歩的な刻印魔法』しか使用していらっしゃらないらしいが、絶対嘘だ。

初歩的でも凡人にはおいそれと本を読み解いただけで実践できる技術であるはずがない。

それが証拠に、お父様もアルヴェインお兄様もちょっと珍しいぐらい、後もう少しで目が点になっていたはずの驚嘆顔をなさっておいでだったのだもの。

崩れた表情の出し方はさっすが親子!と血の繋がりを確かに感じさせ、素直に納得できるクリソツ具合だった。


驚愕から覚めた脳が、今度は怪訝に表情を塗り替えさせた。

そしてその表情のまま、先程テーブルを回り込んできたまま変わらずに私の右側に立つ次兄の前髪の後ろに隠れてしまった目を探り見る。

家族しかいなくなったのと、パリッとした装いが窮屈に感じ我慢の限界を迎えたようで、ついさっきお兄様自らの手で整えてあった髪を手櫛で崩し、平常通りに戻してしまったのだ。


私の怪訝な表情に気づきエリファスお兄様が小首をかしげて不思議そうに問いかけてくる。


「? 何か気に入らなかったぁ? あ、もしかしてぇ、元のままの方が都合が良かったぁ~?? 戻したほうが良いなら戻せるけどぉ、どっちが良いぃ~~??」


 ーー戻せるんかいっ?! ちょっとちょっと、これも世間一般的な常識的基準に則して考えても軽~~~くできるはずは………、!、!?、ないですよねぇ~~!!!ーー


エリファスお兄様の提案を受けて、すぐさまお父様とアルヴェインお兄様の表情を確認する。

視線を巡らせた先では、今度は各々違った反応を見せる親子、その姿勢が正反対だった。

お父様は椅子の背に仰け反って身体を預け、腕組したまま天を仰いでいる。

アルヴェインお兄様は眉間を拳の背でグリグリと押さえながら、テーブルに突伏さんとするように前のめりな姿勢になっている。

しかしどちらもその顔に浮かべる表情は似通った感情によるもので、それだけで察する。


 ーーもうこれ以上、何も言うまい…っ! 深く突っ込んで、突き詰めて知ろうと欲したら、負けだ!! 世の中にはそっとしておかないといけない危険物がある、その1つが恐らくこの次兄なのだ!!!ーー


「エリファスお兄様は、こういった事が性に合っていらっしゃるのですね…、ほほ、ほ?」


「ん~? そうでもないよぉ~~? どちらかと云えば壊す方が得意だし、なにより簡単だよねぇ~♪ でもまぁ似通った部分のある分解も好きだからぁ、そのせいかなぁ~? 分解できたならさぁ~、復元できないとぉ、ねぇ~? 手当たり次第いろいろ、分解・復元ってやってたからぁ~、モノの仕組みとかってぇ、結構詳しくなちゃった気がするんだよねぇ~~♪ 好きこそものの上手なれってやつだねぇ~♪♪」


 ーー使い方、合っているのかしら…? 言葉の意味は合っていても、何かが合っていない、そんな気持ちにさせられてしまうのは…、私だけかしら??ーー


物騒な発言をケロッとされて、お兄様の言葉が上手く脳内で解析処理されていかない。

今日、つい先程準危険人物から格上げされ、危険人物になったばかりだけれど、そこから超危険人物に格上げされる日もまた今日かも知れない。


得意げに嘯いたあとは、尚もその場に留まって自身が先程問いかけた質問に対しての私の返答を律儀に待って下さっているエリファスお兄様。

拭い去れなかった危機感を募らせながら、次兄を苦笑いとともに振り仰ぎ、答えを告げる。


「今のままで大丈夫ですわ、用心するにこしたことはございませんもの! ありがとうございます、エリファスお兄様。 私、大事に使わせていただきますね♡」


お礼のあたりでは何とか普通の笑顔に表情をスライドできたと思う。

有り難く思う気持ちは本物、でもどうしたって身構えてしまう。


 ーー才能をもて余したお兄様が、危険思考を極めてマッド・サイエンティスト的な存在になりませんよーにっ! そしてそのきっかけが私でありませんよーーにっ!! 寧ろそんな未来が絶対ぜぇ~~~ったいに来ませんよーーーにっ!!!ーー


心の中で声を大にして、そんな願いを切に願う事をやめられなかった私の行動は間違っていないと思う。



 私の答えを聞いたあとはそれ以上メリッサとの冷戦を続けるでもなく、席に戻ることもせず、食堂の出入り口付近に置かれた横長のソファーに向かい、迷うことなく身体を横たえて寛ぎだした。

食べ終わると直ぐに自室へと戻ってしまう時もあるが、今夜は違うようだ。


もうすぐ23時になろうかという時分、未成年がこんなに夜更かししていても怒られないなんて、我が家は寛容を旨とする家風なのね。


 ーーいや、それはないか。 言動が物騒すぎるのだもの、お父様を筆頭にお兄様ーずに至るまで。 家族とそれ以外に身内と認めた人たちを除いた、他人、その中でも敵と認めた者に対しては寛容さの欠片も見当たらないのだもの。ーー


先程阻止したが、あのまま口を挟まず傍観していたなら、アンジェロン子爵家への処罰はゲームよりも一層苛烈なものとなっていたことだろう。

やるとなったら徹底的に、相手に抵抗する意志がなかろうとも関係なく、完膚無き迄に叩き潰す。

反逆の意志が潰えるまで、完璧に排除しきれるまで、追撃に余念など差し挟む余地を微塵も残さなかったはずだ。


そんな危険思想を常備した我が公爵家の当主が、年端もいかない幼女の提案をすんなり受け入れたのが今以て信じ難い。

年の瀬を目前に控え最後に残った今年の持てる運全てを使い切って奇跡を起こした気分だ。

今年以降の運も使い果たしていないことを願わずにいられない。


しかし今回交渉がすんなり成立した1番大きな理由としては、恐らく愛娘からの提案であったこと、コレに尽きると思われる。


転生した事実を思い出す以前からの少ない記憶を探ってもわかる、末っ子である私への愛情の示し方が溺愛以外の何物でもないからだ。


前世の記憶を思い出す前は、年相応にやんちゃだったし、我が儘もし放題・遣りたい放題といったThe・お子様を地で行く感じだった。

とんでもなくお転婆で悪戯っ子であるのに、何をやっても許された。

家族は全員、怒ることなく温かな笑顔で受けとめて、許してくれていた。

怒られたり、諌められたりすることは今まで無かったのだ、唯一人サイボーグな乳母兼侍女を除いて。


家族が怒らない分を全部、メリッサがしっかりきっちり全力で怒ってくれた。

表情の変化はなくても、もたらされる叱責の言葉や態度には常に、温かな感情が確かに感じられていた。

記憶を思い出す前の私は、そんなメリッサがくれる厳しい言葉や態度の裏に隠された愛情に気付けず、気付こうともせずにいた。

当たり前だが、私は弱冠満3歳を迎えたばかりのちんちくりん幼女なのだから気付けなくても仕方なかった。

でも16歳まで生きた前世の記憶をインプットした後の私は気付かないわけがなかった。


前世のわたしは家族から負の感情しか向けられなかったから、余計に気づけてしまった気もする。

憎しみなど一切なく、純粋に私を慮ってもたらされる叱責の言葉はどんなに辛辣な言葉でもたらされても心を傷つけるだけの刃にはなり得ないのだと。


 ーー怒られて嬉しい、なんて…初めてだった。ーー


だから今こんなにも、私の中にはメリッサに対しての恨みつらみ的な感情が一切無い。

恨み言を思いつこうとしても、全然思いつけない。


血の繋がりのある家族に対してのそれとは全く違う不確かで漠然とした感情(もの)なのに、同じ愛情を本にしたて湧き起こる好意的な感情だとわかる。

時間が経つにつれ、メリッサに対する親愛の情は限りなく、際限なく、天井知らずに膨れ上がる一方なのだ。


そして今日1日で高まりきったメリッサへの好感度によって、メリッサの助けになりたいと真剣に考えるようになった。

メリッサが困っているのなら、私にできるすべての能力で以て全力で解決に臨みたい、そう思えてならない。


誕生日パーティーの最後の最後で謎の発熱により1週間寝込んでしまい、やっと目覚めた今日、メリッサは病み上がりの私に遠慮など一切すること無く愚痴りに愚痴った。

私が寝込んでいる間の公爵家当主、そしてその次子による身体的にも精神的にも辛すぎるマイペース且つゴーイングマイウェイな振る舞いの数々によって被ったストレスフルな対応に追われる職務の日々。


兎角、妹以外に特出した弱点の無い次子への対抗策が無く一際苦労した、との話を聞き『ならば私がその問題児を見事説き伏せてしんぜよう』と傲岸不遜にも思い立ってしまったのが今朝の出来事。


 ーーだってパーティー前後で既に実証済み、末っ子幼女に甘々で弱々なことに定評のあるエリファスお兄様だもの、ちょっとお願いすれば2つ返事で承諾してもらえるはずよね♪ーー


そんなふうに軽~~く見積もって深く考えず無策のまま、無鉄砲に特攻を仕掛けたこの時の私は勇者だった。


 ーーそんな向こう見ずに行動できる勇気を持っていた時期が私にもありました……。ーー


この後何度この時を振り返っても、このセリフしか思いつけない。

この日初めて、私は次兄、エリファスお兄様の触れてはいけない逆鱗に能天気にも触れてしまったのだから。



 ソファーに身体を預けきり、ダラダラと寝そべっている次兄に歩み寄る小さな影、それは私だ。

寝転んでいるとはいえ、私の倍以上の食量をその腹部に全て収めきったはずなのに、全然体型に響いていない、寧ろ私のほうがぽっこりさんなのはもう予想通りなお馴染みの展開だった。

気づかれないように次兄の腹部を確認してから、視線の先を顔面に切り替える。


てこてこと靴音を響かせながら次兄の頭から近い位置にある一人がけのソファーの前にたどり着き、なんとかよじ登ってから座る。

できるだけ次兄の方に身体を寄せてその顔を覗き込みながら、前髪に隠れて見えづらい目を探し、視線を合わせるよう心がけて語りかけた。


「エリファスお兄様、お話したいのですが、話しかけても大丈夫ですか? あ、勿論、そのままの姿勢でいてくださって構いませんから!」


「ん~? 勿論良いよぉ~♪ 眠いわけじゃないから遠慮せずに話しかけてくれて良いよぉ~、ライラは何について話したいのかなぁ~~??」


そのままの姿勢で良いとことわったがエリファスお兄様は身体を起こし、少し態勢を変えてソファーに腰掛け直した。

足はちゃんと床に着けてから、先程まで頭を凭れかけていた肘置き部分に両腕を乗せ、そこで腕組をして上半身を支えながら私の座すソファーの方に前のめりに身を寄せる態勢となった。

色の濃い前髪の隙間からスフェーンの瞳を妖しく光らせてこちらを見返しているのが見てとれた。

その視線に促されるように、深く考えもせずに話を切り出してしまう。


「私が寝込んでいる間、沢山お見舞いに来て下さったと聞きました。 心配してくださってありがとうございます! でも今後はなるべく節度を持ってお見舞いに来ていただきたいんです。 お兄様の貴重な時間を費やさせるのも勿体ないですし、メリッサも仕事が進まなくてとても困った、と言ってました。 なので今後はお見舞いは1日1回、メリッサの仕事が忙しくない時間帯の短時間で、という新たに設けた約束事の遵守をお願いしたいです!!」


「い~~~や♡ ボクが侍女の仕事に配慮して気を遣わないといけない理由がわかんないしぃ~、ライラの顔が1日1回しか見られないなんて耐えられないからぁ、却下だねぇ~~!」


お願いを口にし終わった言葉尻に続き、間髪入れず朗らかに拒否されてしまった。

確かに侍女に配慮するなんて貴族としての常識では承服し難い行為だろう、無理は承知、それでも聞き届けてほしかった私は尚も説き伏せようと言葉を重ねる。


「決して良くない状態であろう寝込んでいる私の顔を何度も見に来ていただきたくない、というのも偽らざる本音ですが、それよりももっと、私にとって外せない重大な理由が他にちゃんとあるのです! それがメリッサに過度な心労を与えすぎず、円滑に職務を全うできる安定して平穏な職場環境を整備すること、それを目的とした決めた約束事なのです!! エリファスお兄様には特に、ちゃんとしっかり何が何でも守っていただきたいのです!!!」


「……それはどうして?」


「メリッサには私が成人するまで、できればもっと先、ずっと長く、側に居続けて欲しいのです! ですから職務を遂行する上で必要以上の心労なんて抱えてほしくない、私が原因でメリッサが疲弊するなんてことになって欲しくないのです。 エリファスお兄様とメリッサの仲が芳しくないのは先程で十分理解しました。 でももし今後、私が体調を崩して寝込み、お見舞いにいっらしたエリファスお兄様と顔を合わせるその度に口論になり、心労が溜まって、蓄積されて、耐えられる限界を超えてしまったなら?! そのせいでメリッサが辞めてしまったら、私はお兄様を許せません!!」


「それはない。 メリッサは何があっても辞めないよ。」


「お兄様はどうしてメリッサが辞めないと断言できるのですか?」


「どうしてって、だって無理だから。」


私の長文の訴えの後から、エリファスお兄様の応答が端的になり、間延びもしなくなった。

そしてその辺りから同じような内容のセリフしか返ってきていない。

謎の確信に満ち溢れた言葉たち、でもその根拠は?

エリファスお兄様が口にする言葉の核心を得られず、やきもきして心がささくれだってきた。


「何故無理だとおわかりになるの? メリッサの雇用主はお父様なのですよ? それに雇用の継続にはメリッサの意志が必要不可欠、当然それに左右されますのに! メリッサがここに勤め続けたいと自主的に思わなければ、この家には留めていられない、権力を振りかざして無理矢理に縛り付け続けることなど不可能ですもの!!」


「メリッサの意志…? そんなもの、必要ないでしょ?」


カッと頭に血が登った、鮮やかな赤が視界に散り、一瞬で消えた。

怒りで沸騰した思考のままお兄様に物申そうとした。


「?! お兄様、そのような言い方はーー」


「エリファスお坊ちゃまは、私と公爵家との間に交わされた雇用契約の内容をご存知なのです。 1度お見せする機会がありました契約書(それ)には『次男、長女が成人するまでは就業を継続する事』と明記されておりましたので、その事を根拠に言っていらっしゃるのだと思います。」


私の言葉の途中で遮るように、沈着冷静な侍女がいつもと同じ抑揚の少ない平坦な声音でエリファスの自信溢れる発言の根拠を示した。


「!? エリファス、契約書(そんな物)まで見ているのか?」


同じ空間に居るのだから当然、ここにいる全員に今までの会話はしっかりと聞こえていた。

その話を食卓の定位置で聞き、思わず口をついて出てしまったであろうアルヴェインお兄様の心底驚いた声による言葉、それにもいつもの調子は戻らないままでエリファスお兄様が答えた。


「え? ん~……見たような、見てないような? 覚えがないけど、多分見たんじゃないかな?」


「お前というやつは…、自分の記憶だろう! 何故覚えていられないんだ?!」


「さぁ? 興味がないから、じゃない?」


溜息を零しつつ、弟の寄越した返答に呆れながらも窘めの言葉をかけたが、その後に続いた弟の言葉に絶句するしかなくなる。

興味がないとは、一体何に対して?


「アルヴェイン坊っちゃま、ライリエルお嬢様、もう十分で御座います。 エリファス坊っちゃまに関しましては私も諦めはつておりますので。 確かに今回、心労が予想以上に溜まってしまい、自分の中だけで処理しきれずにおりました。 そして情けなくもお嬢様にこの胸の内を包み隠さず打ち明けてしまいました。 そしてライリエルお嬢様からは私の溜まりに溜まった鬱憤など何処か遥か彼方へと吹き飛ばしてしまう、大変に威力のあるお言葉を頂きました。」


二の句が継げないでいたアルヴェインお兄様と私にメリッサがもう十分だと静止の言葉と共にその理由を口にした。

それから胸に右手を当てて、美しい所作で頭を下げた。


「ライラお嬢様、この度の身に余るご高配に感謝申し上げます。 貴女様の温かなお言葉で、私の中に溜まっていた澱のように淀んだ感情は全て吹き飛ばされ、私の中から消え失せております。 なのでご心配されているような事は当分起こりえませんので、ご安心ください。」


 ーー? おかしいわ、メリッサの顔面は鉄面皮に覆われているから私の前で動くことは一生ないと思ってたのに。 なのに、今、その口元…口角が柔らかく上がっているなんて、……見間違い?ーー


目の錯覚か?!と思って、思わず握り拳で自分の目をゴシゴシと、赤くなるまで必要以上に執拗に擦ってから、再び目をかっ開いて侍女の顔面を注視する。


やっぱり、見間違いでも、目の錯覚でもなく、メリッサが微笑んでいる。

私に向かって、優しく微笑んでくれている。


ポロ…。


そうわかった途端、涙が零れた。

だって嬉しい、ただただ単純に、純粋に、嬉しかった。


ポロポロポロ。


泣いている、自分でその事を認識した後でも、後から後から、涙が溢れて止まらない。

自分でも過剰反応だとわかっている、それでも止められなかった。

喜びから湧き出る熱い涙は、理性では止め方がわからないほど、制御不能なものなのだとこの時初めて知ったからだ。


「メリッサぁ~~、わたっ、私ぃ~~泣いてしまったわぁ~~っ!!」


「今正にその様を目の前で見せられておりますので承知しております。」


「あ、貴女のせいなのよぉ~~っ! 貴女が、はじめて微笑ってくれたから、嬉しくって泣いてしまったじゃないぃ~~っっ!!」


平常通りすぎる侍女の切り返しに悔しくなり、嬉しい気持ちとは裏腹な文句のような言葉を口走ってしまった。


「気の所為でございます、そのような事実はございません。」


スン。


 ーー嘘でしょっ?! 一瞬でいつもの無表情に戻ってしまったなんて、まぼろしぃ~~~っ?!?ーー


否定的な言葉を口にした瞬間、柔らかな表情が侍女の顔面から消え失せた。


「意地悪ぅっ!! メリッサの意地悪ぅ~~っ!! もうちょっと、いいえずっと見ていたかったのにぃ~~!! もう1回、ねぇ、もう1回だけ微笑って頂戴な!!?」


「やれと言われてできる表情(モノ)ではございませんので、お断り申し上げます。」


「意地悪ぅ~~~っ!! メリッサなんかぁ、そんなメリッサなんかっ!! っっ大好きよぉ~~~っ!! うわぁ~~~んっ!!!」


「それもしかと、委細承知しております。 今朝からずっと、お言葉を賜っておりますから。」


胸元に手を当てて、自分の胸中を探るようでありながら、既に自分の心の有り様に確信を得ているようにも見える静かな表情。

ポツリと零された独り言のような言葉はよく通る凛とした声音によってしっかりと、優しさをともなって私の耳に届けられた。


その聞き間違えようのない肯定的な言葉に、嬉しさが暴発した。


「私たち、相思相愛ね♡」


「それだけは在り得ません。」


「メリッサぁっ?!! 頂点まで上げておいて、奈落の底に容赦なく突き落とすのは止めて頂戴!!!」


「あぁ、もうこんなに時間が…。 お嬢様、アグネーゼ男爵令嬢がご滞在中の客室にお立ち寄りになられるのなら、もう行かれませんと。 これ以上遅くなってはご迷惑となりましょう、急ぎ向かわれて下さいまし。」


私からのラブコールを容赦なく叩き落してから、メイヴィスお姉様が食堂を出ていく前に、私がその耳元に囁いた言葉の内容を何故かしっかり正確に把握しているサトリな侍女が誤魔化しついでに急かすようにして声を不自然に張り上げた。


「そうね、すぐ行くわ、行くのだけれどもっ! 私の言葉を無視しないでぇ~っ!! 何か1言でもいいから反響を頂戴なぁっ!! 会話の応酬を途中で諦めないでぇ~~~っ!!?」


「善処しております。 この対応がご不満なら今後一切言葉をお返しするのを差し控えさせて頂きます。」


「?! 現状維持でお願いしますぅっ!!」


「使用人相手に遜るのはおやめくださいと再三申し上げておりますが…?」


「今のは不可抗力よぉ~~っ!?」


明らかに態度が軟化した侍女に気を良くして会話のキャッチボールを無邪気に愉しいでしまいながら、何かを忘れていることに気付く。


 ーーあらあら? 私ったら、何を目的として話していたのだったかしら?? メリッサとの戯れ付きが始まる以前は、確かエリファスお兄様に約束事を守っていただこうとお願いしていたわよね???ーー


そこまで思い出せたところで、私から向かって左側、横長のソファーに崩した姿勢で腰掛けているだろうエリファスお兄様に視線を戻す。

戻して、その表情を目にしたことを後悔しそうになった。


私にも、そして他の誰にも、未だかつて向けたことのない何者もその瞳に映していないかのような無機質で無感情な瞳、一切の感情を削ぎ落とした無そのものが浮かぶ顔、それなのに異様な緊張を強いる威圧感(プレッシャー)だけはありありと感じられる。

見知った顔のはずなのに、全く知らない赤の他人のように見える、エリファスお兄様らしからぬお顔。


「エリファス、お兄様…?」


喉がギュッと締め付けられて、それ以上の言葉を発せられなかった。

しかしそれで良かったのかも知れない、呼びかけたわいいがその後に続く言葉を今の私は持ち合わせていなかったのだから。


「……約束事、か。 検討はするけど、良い返事は期待しないで。 今日のところはこれまで、おやすみ、ライラ。」


静かに告げられた言葉、その一つ一つがスローモーションで聞いたみたいにいやに遅巻いてはっきりと耳に残る。

短い言葉なのに、頭がその言葉の全てを理解するのに膨大な時間を要してしまった。

時間がもたついて、全く進んでいかない感覚。


ーーバタン。


独りだけ自由に動けるエリファスお兄様はソファーから静かに立ち上がりスタスタと普通に歩いて行ってしまい、既に扉の向こう側にその姿を消した後だ。

そのことを食堂の扉が閉まる音で理解し、その音を合図に私に纏わりついていたもたついた奇妙な感覚は解消された。

時間の流れが通常に戻り、急速に理解する。


 ーー怒らせてしまった…? エリファスお兄様を、史上最大級に激おこを超える、怒りの振り切れた境地へ至らしめるほどに?! それって、何フラグを建立してしまったのかしら!!?ーー


今更になって身体がブルブルと震えだす。

ガクブルなんてもんじゃない、立っていたならば床に崩折れて抜けた腰が永遠に戻らなかったかも知れない。


 ーー私は一体、何をやらかしてしまったのだろう?ーー


数分前の自分の口を塞ぎたい、またもや以前に思ったことの有りそうな考えが頭を過ぎった。

石橋は叩いて渡る、そのスローガンを実践しなかったツケがこの日最大級の効果を伴って一身に降り注いた。

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