3.見知らぬ男
母は、私達をリビングからキッチンへ移動させると、私達をその場に待機させ、自分は見知らぬ男のところへ戻り、何やらお互いに指示を出し合っていた。
何が起きたのか分からないまま、私も祖父母も、ただ黙って母と見知らぬ男の様子を、見ていることしかできなかった。
すると、更に2人の日本人男性が、2階からどかどかと下りてきた。
2人は全身黒ずくめで、帽子をかぶり、顔は見えないが、若そうだ。
いつの間に家に入ったのだろう。
2人は倒れている侵入者、外国人男性に注射器のようなものを刺した。
そして、意識を失いだらりと力の抜けた侵入者を、手際よく庭に運び出した。
母は玄関に常備しているストーブ用の灯油を持ってくると、見知らぬ男に渡した。
見知らぬ男はそれを部屋中に撒き始めた。
どうみても家を燃やすつもりだ。
私の恐怖をよそに、母はキッチンに戻って来ると、キッチン奥へ行き、床下収納を開いた。
祖母は口を両手で押さえ動揺し、祖父はただ立ち尽くしていた。
「みんなこっちに来て! 急いで!」
母の言葉に、私は祖母の手を引いて、母の傍まで移動した。
床下収納は、大人ひとりが入れる程の大きさだ。
ここには、祖母が漬けたぬか漬けや醤油、料理酒などの調味料の他、根野菜等が詰め込まれている。
いったい、床下収納を開いて、何をするつもりなのだろう?
「お義父さん、お義母さん、こんな事をして本当に申し訳ありません。お2人は私にとって本当の親も同然です。必ず守ります。どうか私を信じてついて来て下さい」
「由美さん」
祖母はその言葉に対する嬉しさからなのか、現状を不安に思ってか、目を潤ませていた。
「皆、由美さんに従おう」
祖父が落ち着いた様子で言った。
「細かい話は後でします。麻紀、焼け死にたくなかったら手伝って。床下収納を急いで空っぽにするのよ、ここから脱出するわ!」
ここから脱出!?
驚きながら、ふと、私は大切なことを思い出した。
「ちーちゃん! ちーちゃんもつれて行かなくちゃ!」
愛猫のちーちゃんだ。
我が家のアイドルで、家族でもあるちーちゃんを、火の中に置いてはいけない。
「大丈夫だ、麻紀ちゃん。ちーちゃんはもう保護したよ」
見知らぬ男が私を「麻紀ちゃん」と呼んだ。
誰なのか考える暇もなく、灯油の臭いが充満しはじめ、緊迫感が高まった。
母はせっせと床下収納の中身を出しては私に渡し、私と祖父母はバケツリレーで母を手伝った。
中身が空っぽになると母と見知らぬ男が足を入れ、床下収納の底を思いきり蹴り始めた。
すると底板が抜け落ちた。底板の落下音から、底がかなり深いのが分かる。
「家の下にこんな空洞が!?」
驚いて下を覗くと、底は真っ暗で空気はひんやりしていた。
深いだけではなくて、かなり広い。落ちたら大変だ。
よく見るとハシゴのようなものが見える。
まさかこれを降りるとか?
不安になっていると、見知らぬ男が玄関から私達の靴を持って来て、履くよう指示した。
そして、祖母に紐のようなものを巻きつけ始めた。
「さあ、行くわよ!」
部屋の奥からパチパチと燃える音がして、煙が上がり始めた。
「まず、お義父さんと麻紀、私について来て」
そういうと母は命綱のような紐を祖父のベルトに取り付けた。
祖父は高校の元数学教師で、現在はときどき教育関係から依頼を受け、執筆の仕事をしている。
運動とは無縁だ。
「麻紀はこの懐中電灯を腰につけてお義父さんの後に続いて。これで暗闇でも足元が見えるはずよ。彼が上からも照らしてくれる。命綱はなくてもあなたは若いんだから大丈夫ね、2階建ての屋根からハシゴを降りる感じよ。落ち着いてゆっくりついて来てね」
私は驚いた。
母は躊躇なく、運動音痴で文系女子の私に向かって、命綱無しでこの高さからハシゴを降りろ、と軽く言った。
穏やかな性格の母から、そんな無茶な注文を出されたのは、これが人生初の事だ。
しかし命がかかっているのだから仕方がない。
母、祖父、私、祖母、見知らぬ男の順にハシゴを降り始めた。
床下収納の下に広がる空間は、真っ暗だが、目を凝らしてみると道が見える。
まるで、どこまでも続く洞窟かトンネルだ。
祖父は一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりとハシゴを降り、祖母は見知らぬ男にくくり付けられた紐に支えられ、男の照らす灯りを頼りに、足元を探りながら私の頭上を用心深く降りてきた。
「お義父さんお義母さん、もうすぐです、慌てないでゆっくり!」
ミシミシ、と音を立てるハシゴをよく見てみると、ホームセンターで売っていそうな簡易ハシゴだ。
急に怖くなり、私も一歩一歩踏みしめながら、ゆっくりとハシゴを降りた。
先に地面に到着した母は、懐中電灯で足元を照らし、祖父に手を差し伸べた。
祖父は母の手を借りて、慎重に最後の1段を降り、両足を地に付けると、ふう、と大きく息を吐いた。
私もなんとか無事に辿り着き、上を見上げた。
思ったより深く、声はよく響き、まるで巨大な洞窟の一番奥、終点にいる様だ。
頭上の床下収納からは、パチパチと燃える音と、白い煙が見える。
祖母も無事に到着すると、恐怖と不安の表情で上を見上げた。
辺りを見回すと、砂利や石や粘土がぎっしりと詰まった、自然の壁がむき出しになっていた。
驚いた事に、右奥にはコンクリートの階段があり、その階段の上にドアがあった。
恐らく、階段は祖父母の家ではなく、隣の我が家に繋がっている。
私は、我が家にこんな出入り口がある事を知らない。
地下室でもあったのだろうか。
私は生まれてからずっとここに住んでいる。
なのに、地下の存在を知らない。
まったくの謎だ。
私は階段の存在が気になった。
救急車と消防車のサイレンの音が近づいてくるのが分かった。
祖父母宅に向かっているのだろう。
最後に、見知らぬ男がハシゴから降りると、彼は灯りを手に走り出し、暗闇の奥へと消えて行った。
「みんな、こっちに来て!」
母が灯りで合図し、私達を呼び寄せた。
母は私達をその場に待機させると、ひとりハシゴに戻って座り込み、何かを始めた。
と思うと突然、皆で降りたハシゴがものすごい音をたてて倒れ、同時に、ゴゴゴゴと音が響き始めた。
頭上を見上げてみると、天井を塞ぐように、コンクリートの分厚い壁が左から右にスライド式に現れ、床下収納は見えなくなった。
パチパチという家が燃える音も遠くなり、白い煙も見えなくなった。
母が一歩下がると、今度は、頭上から下に向かって分厚いコンクリート製の壁が、シャッターのように、私達の目前に降りてきた。
ズシーン、と分厚いコンクリートの壁で目の前は塞がれ、倒れたハシゴも、祖父母宅も、謎の階段も見えなくなった。
突然、どどーっと土砂が崩れるような、ものすごい音がし、分厚いコンクリートの壁の向こう側が、土砂か何かで埋まっていくのが想像できた。
これで家の真下の空洞は埋まり、床下収納の底を蹴り落とすことなど、もうできなくなった。
ましてや床下収納の下にこんな空間があるとは、誰も気が付かないだろう。
私は分厚いコンクリートの壁に近づき、手のひらを当ててみた。
壁はひんやりと冷たく、心までが寒気を覚えた。
エンジン音を響かせ、2つのまぶしい光がこちらを差した。
光はゆっくり近づいて来たかと思うと、祖父母の傍で止まった。
運転席の窓から黒い腕が伸び、こっちに来い、と私に合図を送っているのが分かった。
6~7人は乗れそうな黒いワゴン車だ。
「麻紀ちゃん、乗って!」
見知らぬ男が運転席を降りて来て、後部座席のドアを開いた。
祖父母は車に乗り込むと、倒れこむように座席にもたれ、私も無言で後部座席に潜り込んだ。
車から外を見ると、暗いトンネルの隅に一台のバイクがあった。
母はバイクに近づくとシャツとロングスカートを恥ずかしげもなく脱ぎ捨て、バイクから黒いライダースーツを引っ張り出すと素早く着替えた。
フルフェイスのヘルメットを被った母はバイクにまたがり、バイクをふかし始めた。
母がバイクで車に近づくと、後部座席のパワーウィンドウが開いた。
母はフルフェイスヘルメットのシールドを上部に上げて申し訳なさそうに祖父母に言った。
「大変申し訳ありませんが、お義父さんとお義母さんは火事で亡くなった事にさせていただきます。私達がここへ戻る事はもうありません」
「ママ! 何言ってるの?」
母は完全に私を無視して話を続けた。
「今夜のニュースでお2人は火事で亡くなったと発表されます。今後は私共が用意したお住まいで暮らしていただきます。不自由はさせません。どうか安心して下さい」
見知らぬ男がパワーウインドウを閉め、母がバイクのエンジン音を響かせ走り出すと、車は母の後に続いた。
車内では誰も何も言わなかった。
何を言ったらいいのかも、分からなかった。
私達はどこまでも続く暗いトンネルを走り始めた。




