14.バアの告白
ある暑い日の午後の事だった。
夫は仕事で朝から留守だった。
干したお布団を中に取り込もうと、2階のベランダに出てみると、隣の由美さん宅のエアコンの室外機が動いていない事に気が付いた。
飼い猫がいる由美さんは、いつも外出時、エアコンはつけっぱなしにしている。
由美さんはお仕事、麻紀ちゃんは学校、家には誰もいなかった。
「こんな暑い日にエアコンがついていないなんて、ちーちゃんは大丈夫かしら?」
私は心配になり、合鍵で由美さんの家に入ってみた。
猫は怖いけれど、由美さんと麻紀ちゃんが大切にしているちーちゃんに、もしもの事があったら大変だと、恐る恐る部屋に入ってみた。
やはり家の中はサウナのように暑く、猫の餌場の水はまるでお湯だった。
すぐにエアコンのスイッチを入れ、恐る恐るちーちゃんを探し回った。
しかしちーちゃんは見つからない。
2階へ行こうとして、階段下収納の本棚に気付いた。
隣同士に建つ、我が家と由美さんの家は、同じ間取りだ。
動かせないはずの本棚が、少しずれている。
不思議に思い、本棚を引っ張ってみると、隠れキャスター付きのようで、階段型の本棚は簡単に動いた。
そして本棚の裏にある、隠し扉に気付いてしまった。
隠し扉は少し開いていた。
麻紀ちゃんが本棚に飾った小さなキャラクター人形が落ちて、扉に挟まっていたのだ。
扉を開けてみると、自動的に明りが点いた。
短い階段と地下室があり、地下室のドアが少し空いていた。
夫の寝室のドアは、いつもこんなふうに開いている。
あの人には、きちんとドアを閉めない癖があった。
地下室を覗いた私は、そこが夫の研究室だと一目で分かった。
机上に写真があり、息子の孝之がこちらを見て微笑んでいた。
由美さんと夫が何か隠している、そう直感した瞬間、突然ドアに、かちゃり、と自動ロックがかかり、私は閉じ込められてしまった。
暫くして、UGC職員に救出され、渡された携帯に出ると、相手は福山さんだった。
孝之と由美さんの結婚式以来、私達は会っていなかった。
電話口で福山さんから事情を説明され、訳が分からないまま、ここUGCに連れてこられた。
数年ぶりに再会した福山さんは、全て話してくれた。
事件が終わってない事、装置が悪用されているらしい事、由美さんが装置の捜査を続けている事、夫がUGCの依頼を受け新型装置の研究中である事。
私はある疑問を持っていた。
息子の孝之の死についてだ。
急に行く事になった、海外出張先での事故死。
私は変わり果てた孝之の体の傷痕を確認した。
その傷痕は、交通事故にしては、不自然だった。
どんな事故か詳細は不明で、ひき逃げ犯は逃走したままだと聞かされていた。
私は納得がいかなかった。
私は福山さんに、息子の死について訊ねた。
息子の死は、装置の事件と関係あるのかと。
福山さんは困惑しながらも、息子の死については捜査中とだけ教えてくれた。
それだけで、息子の死は単なる事故死ではないと理解できた。
夫も由美さんも、息子の死について語る事はなかった。
装置は私のために、夫と息子が発明したもの。
その装置のせいで、息子が死んだのかもしれない。
その事を夫と由美さんはずっと隠していた。
私に辛い思いをさせないよう気を遣っての事だと分かっていても、仲間外れにされた様で、ショックだった。
孝之は装置のせいで死んだ。
私は全身の力が抜け、へなへなと床に座り込んだ。
涙をこらえようにも勝手に涙が出てきてしまい、泣き崩れる私に、福山さんは途方に暮れた。
すると、どこからともなく、ちーちゃんが現れて、私の膝にすり寄ると、優しい目で私を見て「にゃあ」と鳴いた。
「大丈夫?元気だして」
と話しかけるかの様に、首をかしげて私を見つめるちーちゃんの頭を、私は恐る恐るなでてみた。
すると、ちーちゃんは再び「にゃあ」と鳴いた。
そして小さい手を私の膝に乗せ、キラキラした目で私をじっと見ていた。
ちーちゃんをなでながら、私は落ち着きを取り戻した。
福山さんが隣に座り込み、うなだれ座っている私の背中を、優しくさすってくれた。
ああ、私にはこんなに優しくしてくれる人がいる。
心配してくれる人達がいる。
動物嫌いの私なんかに、小さなちーちゃんまでが、こんなに優しくしてくれる。
不思議と心が癒され、何も知らされなかった事はとても悲しいけど、私は幸せ者なんだと思えた。
あの時、どれだけちーちゃんに慰められ、救われたか。
ちーちゃんがものすごく可愛く見えてきて、あの日から私とちーちゃんは仲良しになった。
ちーちゃんはいつでも私を歓迎してくれる。
私はちーちゃんが大好きになった。
福山さんがUGCに色々と手をまわしてくれたおかげで「絶対他言しないように」と約束を交わしただけで済み、私は元の生活に戻れる事になった。
ただし、福山さんはひとつだけ条件を出した。
「今日の事は教授と由美には秘密にします。その代わりやっていただきたい事があります」
ちょうどその日、まだ目も開いていない小さな生まれたての斉藤さんが、瀕死の状態でUGCに運ばれた。
飼育部屋が決まらず、この家で斉藤さんを飼育する事になった。
人手が足りず、黒田君と福山さんも加わり、私も職員と交代でお世話をする事になった。
介護に慣れていたせいか、初めての動物の世話は苦ではなく、むしろ私の性に合っていた。
斉藤さんは元気にすくすくと育ち、私によく懐いた。
福山さんと再会して以来、私は斉藤さんの子守り役として職員の手が足りない時だけUGCに出入りし、夫には習い事だ旅行だと言って誤魔化した。
息子が死に、史子は海外へ移住し寂しかった。
麻紀ちゃんと一緒に過ごす時間が私の唯一の楽しみだった。
ところが、斉藤さんの世話係となってからは毎日が楽しく楽しくて仕方がなかった。
夫と由美さんに騙されていた仕返しに、私も2人を騙そうと、悪戯心に決心した。
UGCの事など全く知らないフリを通し、動物嫌いのフリも続けた。
UGCで、由美さんと白衣姿ですれ違い挨拶を交わすのは、スリリングで楽しみだった。
もしかすると、向こうも気付いていないフリをしているのではないかと、不安に思う時もあったが、今日、由美さんがいまだ私を職員だと思っていることを知った。
息子を失って以来、こんなに楽しい日々は初めてだ。
私は夢中になれるものが出来た事を、幸せに思っている。
祖母が、こんなに楽しそうに自分の話をするのは、初めてだった。
祖母が寂しい想いをしていたなんて、私は考えた事もなかった。
祖母はそんな素振りを一度も見せず、いつも明るく振る舞っていた。
私は祖母にとても可愛がられて育った。
私は、私の成長をいつも見守っていてくれた祖母に感謝しかない。
そして祖母は、最後に驚くべき告白をした。
「でもね、私がここにいる事は実はUGCにとって、とても都合がいい事でもあるのよ」
「どうして?」
「UGCはね、私の観察がしたいの」
「観察?」
「私、アイテム2号だから」




