愛しい色
神社の境内に続く階段をゆっくりと上る。髪を撫でていく風は咲き乱れるシロツメクサを巻き上げるように空高く舞い上がっていく。わたしは風の行方を探して空を見上げた。春霞の空はうららかな日射しで満たされている。
巡る季節を祝福する世界で、わたしはそっと過去を振り返る。そこにあるのは温かな記憶。けれど、抜け殻の記憶。
永遠の記憶は彼が全て石の中に刻んでいった。わたしが過去に溺れないように。
小指にはめた指輪に口づけてわたしは呟く。
「大丈夫。あなたは、ここにいる」
運命がつけていった傷はまだ痛みをともなって血を流している。乾ききっていない傷はきっと深く刻まれて治ることなどないだろう。
けれど、それでいい。
きっと、この先も傷だらけになるに違いない。けれど、それでいいのだ。刻まれた傷の数だけ出会いがあるから。
失うことばかりが目につくけれど、大切なのは出会いの中で心がなにを感じるかということ。
運命を変えることが出来ないからこそ、心は変えられる。
わたしの心は運命に囚われていなかったのかは、分からない。
それでも、歩き始めるわたしはそうでなければいけないのだ。
閑散とする境内では師匠がベンチに座っていた。隣に腰を下ろすと、
「もういいのか?」
静かに口を開いた。うなずくわたしに、師匠は続けた。
「進学、するんだってな」
「はい。決めました」
「県立大はそれなりに難関だぞ」
「わかっています。だから、しばらくの間は学業優先で行かせてもらいますから」
「無理に、続けなくてもいいんだぞ」
師匠の言葉にわたしは首を振った。
「辞めませんよ。辞めたらわたしが彼に出会った意味がなくなるじゃないですか。それだけは何があってもしません」
「そうか」
「だから、そのときが来たら師匠のこともちゃんと見守りますよ、最期まで」
そう言うと師匠はかすかに微笑んだ。どこか安心するような表情で。
耳を澄ますと、小さく響く警鐘は遠い場所で鳴っている。いつの日か確実にそのときはやってくるのだ。それはわたしも同じ。いつその日がやってくるのかはわからないけれど、その時まで傷を刻みながら歩き続けよう。
そしていつの日か終わりの時がやってきたとき、知るのだろう。
無数についた傷が、どれも愛しい色をしていることに。
了
なんとか完結できました。
ありがとうございました。




