第19話 神話の武具(ただの金槌)と、ダメ人間製造ベッドの朝
『最下層にオシャレカフェのような極楽施設を築いた謎の男』。
その存在は、一夜にして全世界の探索者界隈を震撼させていた。
特に世界のトップギルドの分析班たちは、ルミナのドローンカメラが捉えたケントの「DIY風景」の切り抜き動画を、0.1秒単位のコマ送りで血眼になって解析していた。
「見ろ! 彼がAランク魔獣『暴風タイガー』の剛骨を加工する瞬間だ!」
「……あり得ない。魔力による切断魔法の兆候ゼロ。ただ、右手に持った『金槌』で軽く叩いただけだぞ!?」
「金属疲労も摩擦熱も発生していない。物理法則を完全に無視して、対象の概念そのものを『加工』しているとしか思えん……!」
会議室のスクリーンに大写しにされる、ケントの愛用の金槌。
ホームセンターで数千円で売っていそうな、使い古されたごく普通の工具である。
「あれは絶対にただの工具ではない。おそらく、神話級のアーティファクトだ」
「北欧神話の雷神が持つ『ミョルニル』か、あるいは鍛冶神ヘファイストスの神槌か……。いずれにせよ、あんな規格外の武具を軽々と扱うあの男は、間違いなく人類最強の……」
世界中の偉い人たちが、深刻な顔で頭を抱え、ケントを『神話の体現者』として祭り上げていたその頃。
当の『神話の体現者』は。
「よっこらせ、っと。ピザ生地の寝かせ具合もバッチリだな」
最下層のウッドデッキで、鼻歌交じりにピザをこねていた。
***
「……んんっ……すぅ……」
翌朝。
ログハウス内のゲストルームで、ルミナはこれ以上ないほどの深い眠りから目を覚ました。
「ふわぁ……よく、寝たぁ……」
体を起こそうとするが、暴風タイガーの白銀毛皮を何層にも重ねた『極上フカフカベッド』が、ルミナの体を優しく吸い込み、離してくれない。
これぞまさに、人間から一切のやる気を奪い去る『ダメ人間製造機』である。
「あと五分……いや、あと一時間……」
二度寝の誘惑に負けそうになったルミナだったが、ふと、鼻腔をくすぐる暴力的な香りに気づいてパチリと目を開けた。
「……香ばしいチーズの焼ける匂い……?」
ベッドから這い出し、フカフカのルームウェアのままリビングを抜けて、ウッドデッキの扉を開ける。
そこには、爽やかな人工の朝の光(発光苔の魔力調整によるものだ)に包まれた、信じられない光景が広がっていた。
「おはよう、ルミナちゃん。よく眠れたか?」
振り返ったケントの背後には、昨日までは存在しなかった『本格的なレンガ造りの石窯』が鎮座していた。
「け、ケントさん、おはようございます。……あの、その後ろの立派な窯は……?」
「ああ、これ? 昨日の夜にサクッとDIYで作った『ピザ窯』だよ。石の耐火性と気流を計算して、五百度の高温で一気に焼き上げられるようにしたんだ」
一晩で本格ピザ窯。
ルミナはもうツッコミを諦めていた。このおっさんにとって、家づくりも家具作りも、息をするのと同じくらい簡単な「日常」なのだと理解し始めていたからだ。
「ちょうど今、朝メシが焼き上がったところだぞ」
ケントが木製のピザピール(巨大なヘラ)を使って、石窯の中から熱々のピザを取り出した。
「わぁっ……!」
ルミナの目が輝く。
生地の縁はふっくらと膨らんで絶妙な焦げ目がつき、中心では黄金色のチーズがグツグツと煮え立っている。
具材は、昨日作っていたスコーピオン肉の燻製ベーコンと、地下菜園で採れた新鮮なハーブ、そして……。
「チーズは、ダンジョンに自生してる『発酵木の実』から絞った植物性チーズだ。味はモッツァレラに近いぞ」
『はむっ!! はむはむっ!! あふっ、熱いっ、でも美味いっ!』
すでにテーブルの下では、町内会長ことコア公が、自分の顔より大きなピザのピースにかぶりつき、ハフハフと幸せそうに暴れていた。
「ルミナちゃんも冷めないうちにどうぞ。ほら、出来立てだ」
ケントに促され、ルミナも椅子に座り、熱々のピザを一切れ持ち上げた。
とろーり、とチーズが糸を引く。
「……いただきますっ」
サクッ、モチッ。
一口かじった瞬間、ルミナの口の中に、小麦(ケントが地下菜園で魔力栽培したもの)の豊かな風味と、濃厚なチーズの旨味が押し寄せた。
燻製肉の塩気と、ハーブの爽やかな香りが、完璧なハーモニーを奏でている。
「おいひいぃぃぃっ……!! なにこれ、お店で食べるピザより何倍も美味しいっ!」
「そりゃ良かった。一級建築士は、図面を引くだけじゃなくて、窯の温度管理だって得意なんだよ」
誇らしげに胸を張るケント。
もはや建築士の範疇を完全に超えているが、ルミナにとってはそんなことはどうでもよかった。
極上のお風呂。
ダメ人間になるフカフカのベッド。
絶対安全な空間と、最高に美味しいご飯。
(……私、本当に死にかけてたんだよね……?)
数日前の自分は、終わりの見えないダンジョン探索と、配信のプレッシャーで常に気を張っていた。
こんなに心からリラックスして、ご飯を「美味しい」と感じられたのは、いつ以来だろう。
『ピロリンッ』
その時、ルミナの腕に巻かれた探索者用の通信端末が鳴った。
地上から送られてきた、ギルド本部からのメッセージだ。
《ルミナ氏へ。君の生存と現在地(最下層)は確認した。現在、国家規模で救出部隊を編成中だ。数日かかるが、必ず助けに行く。それまでその『謎の男』に保護してもらい、絶対にそこから動かないでくれ!》
その文面を見て、ルミナはピザを咀嚼する手を止めた。
救出部隊。助けに来る。
つまり、この極楽のような生活から引き剥がされて、また地上の忙しない現実へと戻らなければならないということだ。
ルミナは、目の前で楽しそうに「次は何を作ろうか」と笑っているケントと、幸せそうにピザを頬張るコア公を見た。
「……帰りたく、ないなぁ」
ルミナの口から、ポツリと本音が漏れた。
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、何でもないです! ケントさん、ピザもう一枚おかわり!」
ルミナはギルドからの通信端末の電源を、無言でブチッと切った。
そして、カメラのスイッチをオンにして、最高の笑顔で配信を開始する。
「おはようございます、リスナーのみんな! 今日も最下層の極楽ログハウスから、最高に『チル』な朝をお届けします!」
こうして。
大人気VTuberルミナの、世界中を巻き込んだ「最下層でのスローライフ定期配信」が、本格的にスタートしたのである。
次回(第20話)は、本日【21:10】に更新予定です!
国家予算をかけた、ルミナ救出作戦がついに始動!?
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