83.異世界なので日本の常識も通じませんよ?
領地での滞在中、ノエルはドナートさんと一緒にベプオークの丘へ通った。屈折率の再計算だとか、焦点距離の確認だとか、レンズの作り直しだとか。動きやすいからとリストテレスで見たときのような少年の格好をして、ノエルは元気に駆け回る。ドナートさんも根気よくノエルに付き合って、二人でテネッコンの精度をどんどんと上げていった。
着実に前進していく二人の姿を見ていると、なんだか私もやる気が出てくる。中途半端にしていた転生者リストを清書して綺麗にまとめ直したり、言語の勉強をしてみたり。
その合間に年末年始恒例の〝神樹飾り〟もしなくては。
『ハルウェスタとサピエンスでは硝子の材質が違うんです。そのせいで屈折率が変わったから、月がぼやけて見えたみたい』
『だから、屈折率を計算して作り直したのですか?』
『そう! でもね、やっぱりまだぼやけて見えるから微調整が難しい。リストテレスの職人、やっぱりすごいんだって思いました』
神樹に見立てた木にノエルと一緒に飾りを付けていく。今日のノエルは出かける予定もないのでちゃんと女の子の格好。そんなノエルには、ついでに私のサピエンス語の指導もしてもらってる。使わないと錆びていくのが言語ですから。
『エリツィンのテネッコンは気に入りましたか?』
『もちろん。リストテレスのテネッコンは父さんが仲間たちと一緒に作ってて、私はそれを見ていただけだった。でもフェリシア様がこうして私にも作るのを手伝わせてくれて、すっごく楽しい!』
楽しんでくれたなら何よりです。テネッコン作りを放置してしまってどうしよう、と思っていたことは内緒にしておこう。
『そういえばフェリシア様、ベプオークの丘の向こう側に〝duntop〟があったんですけど』
『どぅんとっぷ?』
『えぇと……亡くなった人を埋めておく場所なんですけど』
木に綿をちょいちょいと乗せていたら、ノエルから突然の話題を振られた。知らない単語を聞き返したら説明してくれる。内容的にお墓のことかしら。はい、ありますね、お墓。
『子どもが遊んでいました。ハルウェスタではお墓で遊んでもいいんですか?』
「良くはないわね」
あまりにも不謹慎で、思わずサピエンス語で話すのを忘れてしまった。お墓で遊ぶって、肝試しでもしていたのかしら。
「近くの村の子かもね。墓守のいない墓地だし、やっぱり近いうちに墓じまいしないと」
整備されていない墓地だから、雑木林状態で危ないし。獣や虫が潜んでいて、怪我でもされたらやるせないもの。
ベプオークの丘にテネッコンの塔を建てると決めた時、あの墓の持ち主たちを調べたけれど、周囲の村の誰も覚えがなかった。完全な無縁仏状態。これは領主が責任持って墓じまいするべきだとお父様に進言したのだけれど、お父様も墓じまいの概念がぴんとこなかったみたいで保留になっていたんだっけ。
とはいえ、私も実際の墓じまいの手順は分からないんですけど……前世は早々にお墓に入れられる側の人間になってしまったもので……。
お墓のことを考えながら、神樹飾りを飾り付けていく。小さい木だから、二人で作業すればあっという間。
『フェリシア様、飾りがなくなりました』
『ありがとうございます。終わりましょう』
神樹飾りも一段落したし、あとはゆっくりお茶でもしましょうか。
おやつは何にしようかしらとノエルと話ながら、神樹飾りの入っていた箱を片付ける。今日は冷えるし、温かいおやつがいいかもしれない。焼きたてのデニッシュクロワッサンとか。ほかほかサクサクでとっても美味しい。蜂蜜をたっぷりまぶせば最高の一品。考えた人、天才だと思う。まぁ、ハルウェスタ語では〝クノスピャハ〟っていうんだけど……サンドイッチと違って、異世界産のお菓子として確立しているわけでして。
甘味が貴重な世界に生まれていたら、私はきっと蜂蜜や砂糖を探し回っていたかもしれない。甘くておいしいお菓子が発達している世界に生まれて良かった。チョコレートはまだ見たことないけれど、甘いケーキやクリームたっぷりのお菓子だって食べられるもの。今こうしておいしいお菓子を食べられることを先人に感謝しなくては。
「ノエルはおやつ、何が食べたい?」
「何でも食べます」
「それなら今日のおやつはクノスピャハにしようかと思うのだけれど。どうかしら」
「いいですね。楽しみです……あれ?」
おやつに想いを馳せながら屋敷の中へ戻ろうとした時、屋敷のほうからカミラが慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。
「お嬢様、大変です! 子どもが!」
カミラの慌てぶりに私は目を丸くする。子ども?
「何かあったの?」
「お嬢様がベプオークの丘に建てた塔に、子どもが忍びこんだようで……!」
「まぁ。悪戯な子がいたのね」
やんちゃな子どもについ苦笑すると、カミラはぶんぶん首を振る。
「悪戯どころか! 怪我をしたようで、早馬が来たのです! 村の薬師ではお手上げなようで、こちらのお屋敷に早馬がっ」
カミラの説明に、ようやく深刻な状況だと理解した。私は早足で屋敷へ戻りつつ、さらに詳しい状況を確認する。
「怪我って、塔から落ちたの? 村の薬師ではお手上げって、もしかして塔の最上階から?」
「いいえっ。それが、子どもが目が見えないと訴えて」
「目っ?」
動揺して、思わずカミラの手を掴んでしまった。つんのめった彼女が振り返って、私を困惑したように見てくる。
「もしかしてその子ども、テネッコンで太陽を見たの!?」
今はまだ昼下がり。
風は冷たいけれど、空に雲もかかっていなくて、テネッコンで見れそうなものは太陽くらいしかない。テネッコンのことを何も知らない子どもが、テネッコンで太陽を見た可能性は十分にある。
きつく問いかければ、カミラはぶんぶんと首を振って。
「詳しい状況は、私にはなんとも……早馬の者に確認しないことには」
カミラもそこまでは状況を把握していないみたい。でも目が見えない、しかもそれがテネッコンのある場所で、となると、その可能性が一番高い。
「カミラ、至急目の医者を手配して。それと早馬でその子どもに無理に目を開けないように伝えるのと、治療のために屋敷に呼び寄せて。心配でしょうから子どものご両親も連れてくるように。ちゃんと治療のためだって伝えるのを忘れないで。お父様とお母様には私から説明しに行くわ」
「は、はい!」
カミラが踵を返して、諸々の手配をしに行く。
私もお父様とお母様に状況を説明しに行かないと。
「ノエル、ごめんなさい。慌ただしくなりそうだから、部屋に戻ってもらえる?」
「ううん、私も行きます。テネッコンのことだから」
ノエルの心配も理解できる。テネッコンが関わるなら、今回の事故も気になるよね。
私とノエルは足早に屋敷の中へと戻る。お父様がいるのは書斎かしら。
『……それにしても、その子も馬鹿だな。テネッコンで太陽を見るなんて。目が見えなくなるの、少し考えたら分かるのに』
書斎へ向かう途中、ノエルがぽつりとぼやいた。
何気なく呟いたようで、その言葉はサピエンス語。
声が小さいから全部は聞き取れなかったけど、でもノエルが何を言ったのかは分かってしまった。理解してしまった以上、私は足を止めざるを得なかった。
「ノエル。お父様の前でそれは言わないようにね」
「フェリシア様?」
不思議そうな顔をするノエル。私が立ち止まったので彼女も足を止める。私は振り返って、ノエルの水色の瞳をまっすぐに見た。
「村の子はテネッコンが何かを知らないわ。たとえテネッコンを知っていても、それが太陽を見てはいけないことには繋がらないの」
「どうしてですか? 普通に考えたら、太陽の直視はしませんよ」
「そうね。でもそれは、私もノエルも、教育を受けている人間だからよ」
そう伝えれば、ノエルは眉をひそめて。
「これくらいのこと、教育なんて言いませんよ。常識です」
「常識も教育よ。じゃあノエル、貴女は作物ごとに配合の違う肥料を選べる?」
ノエルは一瞬目を瞠り、困ったように眉をへにょりとさせる。
「……できません」
「村の子はきっとできるわ。それが村の常識。ノエルとは、受けている教育が違うのよ」
日本では義務教育があったから、ある程度の知識や技能は一般常識として誰でも持つものだった。でも世界規模で見れば、そういった教育がいき届いている国とそうじゃない国で格差があった。五教科を学べる国もあれば、文字書き算数だけの国もあったし、文字書きすらできない国もあった。
この世界では、国の中でもその格差が顕著になる。前世の記憶があるからこそ、子どもの将来を考えて、国民全員に教育をほどこせることが理想の国家だとも思う。でも、それができるための基盤がこの国には、世界的に見ても、まだないの。
それを思えばサピエンス合衆国の、とくに学術研究都市であるリストテレスは子どもへの学問も広く開かれている場所だった。そこで生まれ育ったノエルからすれば、それが当然なのかもしれない。子どもが学問をすることを当然と思える環境。それは国家の理想そのものだと思う。
だけど、ハルウェスタ王国ではそうじゃないのが現実。
「自分と人が違うのは当たり前。だからこそ、自分の常識が人の常識と同じだとは限らないから、気をつけましょう」
「……ごめんなさい、フェリシア様」
しゅん、と肩を落としたノエルに私は苦笑する。
ヴィクトルもこんな気持ちだったのかしら。火山の町ウルカノラで私を叱った時のヴィクトル。あの時のヴィクトルの気持ちが、今、少しだけ分かったかもしれない。
「分かってくれたら良いの。ノエルは賢いから、理解してくれるでしょう?」
「当然です。……でも、反省します。私が、悪かったです」
ノエルは俯いてぎゅっと自分の服の裾を握りしめた。それからぐっと顔を上げて、まっすぐに私の目を見返して。
「テネッコンの安全な使い方を広めます。それが私の役割だと思うので」
「さすがノエル! そうね、そうしましょう」
観光産業としてテネッコンを色んな人に使ってもらうには、安全な使い方を広めないといけない。まだ作りかけだったからそこまで考えていなかったけれど、いずれはやらないといけないこと。
それを忘れないようにしなくちゃ。
「その前にまず、怪我をした子どものことについてお父様と話し合わないと」
テネッコンをこの場所に作ったのは、私の責任だからね。
【ヴィクトルの出張日誌6】
小大陸オストロリーチにあるテクマク港に着港した。補給のあと出港する予定だったが、嵐のため足止めされる。水夫によれば、これくらいの嵐なら五日くらいで去っていくそうだ。同行している官吏が久々の陸の宿に感激していた。船酔いに慣れることなくここまできたので、彼にとってはちょうどよい休息になるだろう。テクマク港から少し離れたところに、海の中から突き出るようにそびえる火山があるらしいので、嵐が少し落ち着いたら見に行きたい。
本日夕食:果汁の泡水割りと魚と貝の油煮込み。この地域では、口の中でしゅわしゅわと弾ける不思議な泡水が湧く場所があるらしい。果汁を泡水で割ったものを飲んだところ、飲み干したあとの爽快感がたまらない。そろそろ魚に飽きてきた頃だけれど、油で揚げるのではなく煮込む料理を初めて食べた。国が違えば食べ方も違って面白い。




