81.ジャンルは異世界か、SFか
話しているうちに食堂へと着いてしまったので、この話はそこで終わってしまった。
ノエルはきちんと食事を摂るようにと改めてお母様に注意されて、ちょっぴりへこんでいた。私も夢中になってしまうと時間が過ぎるのを忘れてしまうけれど、さすがに食事や睡眠はきちんと摂るべきだと思っているのでノエルにはぜひ反省してもらいたい。ついでにヴィクトルも。あの人、忙しさにかまけてすぐ昼食を抜くんだもの。
夕食をつつがなく終えて、入浴を済ませて、ようやくひと息つく。いつもは本を読んだり、外国語の勉強をしたりするんだけど……コンコンコン、と私室の扉が控えめにノックされた。頼りないノックの音に、苦笑する。
「どうぞ」
入ってきたのはノエルだった。お風呂に入ったみたいで、くるくるの癖っ毛も今はしっとりと濡れている。
「髪が濡れたままよ? こっちへいらっしゃい」
おいでおいで、とノエルを手招いてソファーに座らせる。ノエルは遠慮がちにしながらも、おずおずとソファーに座ってくれた。私はメイドを呼ぶと、タオルを一枚持ってきてもらう。
「ちゃんと乾かさないと、風邪を引いてしまうわ」
「ご、ごめんなさい……」
持ってきてもらったタオルで、ノエルの髪を包むと優しくタオルドライ。ノエルは毛量が多いから乾かすのに時間がかかりそう。こういう時、ドライヤーがあればいいのに。私の髪はカミラが手入れをしてくれているけれど、やっぱり髪を乾かすのにはいつも時間がかかる。その間、私は本を読んだりしているけれど。
「気にしないで。私、いつもお世話される側だから、こうしてお世話できるのは楽しいわ」
「あっ、そっちじゃないです。……いや、あの、それもありますけど……」
ちょっと顔を覗いてみたら、ノエルの表情が微妙なものになっていた。そっちじゃない? それならどれかしら……と、記憶を探ってみて、合点する。
「夕食前のこと?」
「そうです。フェリシア様を困らせたくなかったんですけど……」
律儀なノエルに私は苦笑い。これこそ、気にしなくて良かったのに。
「分かっているわ。ただちょっと、驚いただけだったのよ」
「驚く、ですか」
「だって、クーヤくんがノエルにそんなことを話すなんて。思っていなかったんだもの」
世界は広い。
この大陸だってすごく広い。
だからこそ、遠くの国にいる知り合いが示し合わせたように出会うなんて、有り得ないことだと思っていた。まぁ、テネッコンについては、いつかクーヤくんにも話そうと思っていたから、その手間が省けて良いのかもしれないけれど。
「どうして知り合ったの?」
「向こうから声をかけてきたんです。フェリシア様のことも、テネッコンのことも知っていて。てっきりフェリシア様から聞いたんだと思ってたんですけど」
「話した記憶はないわねぇ」
本当にどこで知ったのやら。ヴィクトルからかしら? クーヤくんの情報網は侮れない。
ノエルの濡れた髪をタオルで丹念に拭っていると、私を上目遣いに見てくる空色の瞳と目があった。その目には隠しきれない好奇心が隠れていて。
「クーヤが言っていたんです。星の川の向こうにフェリシア様の故郷があるって。私のテネッコンで、その故郷を探してほしいって。フェリシア様も、だからテネッコンを買い取ってくれたんですか?」
あまりにも鋭すぎる指摘に、私は天を仰いでしまった。類は友を呼ぶって言うけれど……私もクーヤくんも、考えることは同じだったのかも。
「そうね……いつかは、とは思ったわ。でも本当にいつかの話だったのよ。私が死んだあとでも良かったの。だから研究を弾圧されることが、許しがたかったのよ」
あの時テネッコンがボフミルに奪われなくて良かったと、今なら胸を張って言える。アニマソラ神樹国は私たち転生者の知識を危険なものとして封じたがっていたけれど……それを理由に、転生者じゃない人たちによる発展を妨げてはいけないと思うの。
「……クーヤが言っていたことは、本当なんですね」
「本当って?」
「星の川の向こうにフェリシア様たちの故郷があることを、フェリシア様は否定しなかった。神子の話も、ハルウェスタに来る道中で聞きました。それなら見えないだけで、月に……神様の神殿があるのも、事実なの?」
そういえばノエルと出会った時、それがボフミルとの口論の原因になっていた気がする。さて、どう答えるべきなんだろう。
「月に神殿があるかどうかは、私には分からない。それを証明するのがノエルのやりたいことだと思っているわ」
神様のかわりに宇宙人の住む家があるかもしれないし。実際に見るまでは何事も分からない。シュレディンガーの猫と同じ。
でも、そうね。
「もしいつか、ノエルがこの世界も星の一つだと証明することができたら。クーヤくんが言っていたことの意味も分かると思うわ」
この世界は、地球とは違う。私はつい地球の法則に従って思考してしまうけれど、本当は宇宙の法則だって違うかもしれない。私が知らないだけで魔法使いがいるかもしれないし、神様だっているかもしれない。
それを私は証明できない。私の転生を科学的説明なんてできないし、会ってもいないのに魔法使いや神様によるものですなんて言えないんだもの。でも、そういったことを知りたい人が調べて、いつか何かを成し遂げていくんだと思っている。
だからノエルが、テネッコンを使って月や星の研究を進めたら、今度はその研究が宇宙に向いていくはず。それが新しい始まりになって、それがさらに次の始まりになって……いつか地球を見つけられたら。転生という現象を科学的に説明できる日も近づくかもしれない。
そんなことをつらつらと一人で思っていると、ノエルが難しそうな顔になって眉間に皺を寄せていて。
「この世界も星の一つ……? でも星は光っているけど、この世界は光ってないです」
この一言で、この世界のことがよく分かる。この世界で一番天体に詳しかっただろうザック・アイン氏だったら、どう答えたのかしら。
でも、ザック・アイン氏はもうこの世にいない。テネッコンと娘を残して逝ってしまった。それでもノエルが彼の遺志を継いでいる。こうして人が刻んでいくものを、私は尊いと思うの。
だからこそ私は、ノエルにその歩みを止めてほしくない。彼女の行く先には、もっともっと広い世界があるのを知っているから。
そっと、ほんの少しだけ。
私の知っていることを教えてあげる。
「月は光っていないでしょう?」
「何言ってるの? 月は光って……」
ノエルが何かを言おうとして、ふと口を閉ざす。ふよっと視線があさっての方向へうろつく。
『……実際に見た月は白い岩みたいだった。岩自体が発光するなんて考えられにくいし……月自体が発光してたら、テネッコンで見た時にもっと眩しいはず……つまり光ってるように見えてるだけで、実際の光源は別……? 夜の光源なんて……星? だと、月から逆光になるし、月の正面から……この大地が発光しているとか? ううん、それもおかしい……』
大きな独り言に、私は笑ってしまう。
サピエンス語だから、早口で小声だと断片的にしか聞こえない。でもノエルがそれだけ一生懸命考えているのだと分かって、微笑ましく思う。
すっかりノエルの髪が乾く頃、ようやく彼女は顔を上げて私と視線を合わせた。
「フェリシア様は、月が光って見える答えを知っている?」
「そうねぇ。正しい答えかは分からないけれど、近い答えは持ってるわ」
月が明るいのは、太陽の光を反射しているから。
私はそれを、この世界に生まれた時から知っている。
でも、私の知らないことだってある。
「あのね、ノエル。私、びっくりしたのよ。この世界では、月の満ち欠けが目まぐるしいんだもの」
この世界の月は満ち欠けの周期がすごく早い。
一日の中で、月の形がじんわりと変わっていく。
そして同じ場所から見る月は、いつだって同じ形。
アニマソラ神樹国の月は、夕方に満月が見えるけれど朝には新月になる。
ハルウェスタ王国の月は、夕方に望月が見えたあと満月になり、朝方に向けて有明の月になっていく。
サピエンス合衆国では上弦の月から始まり、満月を超えて、下弦の月へ。
月が一日の中で満ち欠けするのは面白い。でも、ハルウェスタ王国では三日月や新月は見ることができない。
天体望遠鏡の存在を知るまで、月なんてしっかりと見てこなかった。たまたま私の見る月が、いつもそういう形なんだろうな、と思うだけだった。
でも、違った。
いざ七夕について調べようと思って星や天文に関する本を取り寄せた時、ようやくこの世界の月というものが地球とは違うことに気がついた。
二十三年生きて、この鈍感さ。
ほとほと私は、鈍いというか、なんというか。
この世界の暦は、前世からでは考えられない不思議な暦が発達している。その理由を考えたら、少しは分かりそうなものだったのに。
私たちの大陸では神樹の年輪を数えていく年輪暦。玄蒼国のあるもう一つの大陸では湖の地層を数えていく年縞暦。どうしてそんな発達をしたのかの答えは、空にあった。
この世界は、時間の経過とともに月が満ち欠けしない。ずっと満月。だから太陰暦のような、月の形を基準にした暦が発達しなかった。
じゃあ太陽暦は発達しなかったのか、というと。
年輪暦と年縞暦がそれに近い発達をしたんだと思う。
そもそも前世における太陽暦の始まりはエジプトだった。たしか、ナイル川の氾濫を予測するために季節の周期を基準にしてたはず。この世界では、ナイル川じゃなくて神樹ゴドーヴィエ・コリツァの紅葉と神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤの潮汐が基準になっているだけ。
この世界のことを知るたびに、地球との違いを見つけるたびに、寂しく思うことは多々あるけれど。でも、それを面白いと思うことだってたくさんある。
「フェリシア様、月の見え方が違うのは普通のことじゃないの?」
「この世界では普通のことよ。でも、そうじゃない世界があったことを、私もクーヤくんも知っているの」
「それがクーヤが探してと言っていた、星のこと?」
「そうね」
この世界の常識と、前世の常識。
同じだったり似ていることもあれば、違うこともある。そう思えば宇宙と異世界なんて、どっちもどっち。地球と月の重力が違うように、地球とこの世界が違うのも当然。そんな中で地球との繋がりがあることが奇跡でしょう。
「……むずかしそう。見つけられるかな、私に」
ぽつりと囁かれたノエルの言葉を、私は肯定も否定もしなかった。
無限に広がっていく宇宙の中から地球を探すなんて、ようやく天体望遠鏡が発明されたこの時代じゃ無理に決まってる。
でも、私がこの世界に転生したように。
何かの奇跡でノエルが地球を見つけるかもしれない。
そうだったらいいなと、私は微笑んだ。
【ヴィクトルの出張日誌4】
クンダン王国に着港した。島国であるクンダンは漁業が盛んらしい。港の市場が大変にぎやかで、漁師たちが活発に船と市場を行き来していた。ガムラン語が通じるものの、訛りが少々強くて聞き取りが難しい。でも屈託ない人々が多く、市場でのやりとりには支障がなかった。
本日夕食:蟹と海老の浜焼き。蟹、海老、というものを初めて食べた。大陸では足の多い生き物は食べないことが多いので、これが食べられると知り驚いた。だが、蟹も海老も非常に堅牢な鎧を纏っているので、それを砕いて食べるのに四苦八苦した。苦労して食べた身は甘く、網で焼いた香ばしさと相まって絶品だった。




