76.読めない手紙
慌ただしい日々を過ごし、婚約期間という甘さも控えめなまま、ヴィクトルは長期出張のために玄蒼国へと旅立っていった。
もう一月もすれば冬になる。雪が降る前にクロワゼット共和国を経由し、ガムラン連合王国の港から出航しないといけないからと、最後の数日はどたばたしていた。
そんな中でもヴィクトルは義理堅く、馬車での出立間際にエリツィン伯爵家の屋敷に寄って挨拶をしてくれた。無事のお戻りをお待ちしております、と告げた時、少しだけ緊張したのは私だけの秘密。だって、改めてかしこまって言うには、少し恥ずかしいもの。
そうしてヴィクトルが旅立ってさらに一ヶ月。
クロワゼット共和国からヘルマプロディートスのチェレステさんが、私を訪ねてエリツィン伯爵家にやってきた。
「突然のご訪問、誠に申し訳ありません。わたくし、ヘルマプロディートスのオーナー、チェレステと申します。このたびはヴィクトル・ミシリエ男爵とのご婚約、お祝い申し上げます」
「こちらこそ、わざわざお越しくださってありがたく思います。フェリシア・エリツィンです。お祝いのお言葉、ありがたくお受け取りいたしますわ」
手紙を送ったのはだいぶ前のこと。向こうも忙しいだろうし、私だって忙しい。そう思ってすっかり忘れた頃。チェレステさんはまさかの手土産を持ってやって来た。
「それでは本題に入る前に、フェリシア様のお身体のサイズをお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい?」
私の身体のサイズ?
チェレステさんは、ヘルマプロディートスのマキシさんから預かっているものがある、と以前の手紙で仰っていた。てっきりその件での訪問だと思っていたのだけれど……?
「先日、ミシリエ男爵がヘルマプロディートスの本店にご来店されましたの。聞けばエリツィン伯爵令嬢とのご婚約で、初夜の下着をご用意されたいと申されまして」
ヴィクトルー!?
出立前、ちょっと出来心から下着の趣味を聞きましたけど! その時に、ヴィクトルが用意してくれるようなことも言ってましたけど! 本当にヘルマプロディートスに私の初夜の下着を発注したんですか……!?
私は思わず絶句。羞恥で頬が熱くなる。
「ヴィクトル様、本当に下着を発注されたのですか……?」
「ええ。御本人にも伝えてあるので、サイズはあとからご連絡がくる……と伺っておりました」
そんなっ、冗談に冗談をぶつけてきたのかと思っていたのに、ヴィクトルは本気だったの……!? しかも先日ってことは、玄蒼国への出張の道中に立ち寄ったってこと? 仕事中に何しているんですか……!?
私が内心で百面相をしている間、チェレステさんは穏やかに微笑みを浮かべながら「でも」と言葉を続けて。
「ちょうどエリツィン伯爵令嬢からお手紙の返信をいただいて、いつお伺いするかと考えていたところでしたから。今行くべきという神樹の思し召しだと思い、ミシリエ男爵のご依頼を口実に、今回訪問させていただきましたの」
そういう流れでしたか……!
ヴィクトルのタイミングが良すぎるというか、なんというか。運命の歯車というものが本当にあったとして、こんなに上手く噛み合うこと、ある?
「ミシリエ男爵はとても情熱的な方ですね。初夜の下着を自ら贈られるなんて……エリツィン伯爵令嬢は愛されていらっしゃるのですね」
あ、愛、ですかぁ……!
あまりにも、ちょっと、すごく、恋愛耐性というものがなくてですね……! 愛とか、情熱的とか、そう言われると、ヴィクトルと結びつかないと言いますか……っ、恥ずかしいと言いますか……っ!
でも、心当たりが、ないわけでも、なくて。
ヴィクトルの菫色の瞳に熱が宿る瞬間を、幾度も見てきた。それが気恥ずかしくて、私はすぐに茶化してしまうけど。彼が私を大切にしてくれていることは、すごく伝わっていて。
私は火照る頬を手でぱたぱた仰ぐ。こんなことで恥ずかしがっていたら、初夜なんて夢のまた夢だわ。
「……ちなみに、ヴィクトル様はどのようなデザインのものを……?」
「ふふ。それは届いてからのお楽しみですわ」
まさかのお預け! 着るの私なのにっ!
せめてっ、せめて、心の準備が必要な際どいのか、それとも普通に可愛いのか、布面積が多いか少ないか、それくらい教えて欲しいのですけどぉ……!
でもチェレステさんは教えてくれなかった。のらりくらりと交わされる。顧客情報を漏らさない、信頼できる商人の鑑のよう。無念!
しぶしぶ、私は自分のスリーサイズについて教えることに。とはいえ、自分では把握していないので、お茶を持ってきてくれたカミラに頼んでメモをチェレステさんに渡してもらった。
「ふふ。きっとミシリエ男爵にご満足いただける品をご用意いたしますわ」
何回でも言わせてください。
着るのは私なんですがー!?
恥ずかしい思いはもうお腹いっぱい。私はとうとう耐えかねて、本題にはいることにした。
「そう仰るなら届くのを待ちます……。そろそろ、本題と参りませんか?」
「もちろんでございます」
チェレステさんは笑顔で頷くと、傍らに置いていた鞄から、すっと二通の手紙を取り出した。
「改めまして、手紙のご返信ありがとうございました。こちらが、ヘルマプロディートスの創始者マキシからの手紙……の、写しでございます」
「写し、ですか?」
「年月が経ちすぎてしまったので、何度か書き写したのです。マキシは手紙そのものより、その中身を届けるようにと言い残したそうですから」
そこまでしてヘルマプロディートスに伝わってきた創始者の言葉。私はすこぶる気になってくる。
だって、そもそも。
「チェレステさんは、手紙の末尾に書かれた質問の意味を、知っていらっしゃいますか」
最初にもらった手紙の最後に書かれていた一つの問いかけ。
〝オリュンポスの神は何柱?〟
この質問がなければ、私はチェレステさんからの手紙に返信しようとは思わなかった。
チェレステさんは私からの質問に、しっかりと頷く。
「伝わっておりますよ。それこそ、マキシとビーチェ……二人の信じた神々と伝わっております。そしてそれを知る人が、いかに特別な方なのかも」
特別という言葉に、チェレステさんは力をこめた。それから私をまっすぐに見つめて。
「今日私が直接お話を聞きに伺ったのも、エリツィン伯爵令嬢にお聞きしたかったからなのです。――もしかしてマキシとビーチェは、いわゆる神樹の神子、だったのでしょうか、と」
核心を突く問いかけに、舌を巻く。
この人はすごく頭の良い人だわ。
転生者でもないのに、そこに行きつくなんて。
「どうして、そう思われたのでしょうか」
「仕事柄、貴族のお客様も多いですから。アニマソラ神樹国で起きた神子騒動は聞き及んでおります。うちの外交官がエリツィン伯爵令嬢と顔見知りだったようで、今年の社交界ではその話題で持ちきりだったほどですから」
あああっ、やっぱりぃっ!
今年の社交シーズン、私が謹慎していた頃の話。私が神子だった話はハルウェスタ王国だけではなく、交流のあった近隣諸国の人たちに知られてしまうのも当然だったわけです。
「チェレステさんは、すごいですね。私はこれまで、ビーチェさんやマキシさんのような人々を探してきたんですけど……なかなか見つからなかったんですよ」
それのせいで、アニマソラ神樹国に目をつけられてしまったんですけど。
でも、知って良かったことや、調べて良かったことは、たくさんあった。
「結論から言えば、私はマキシさんもビーチェさんも、神子の可能性が高いと思います。アニマソラ神樹国の言う、神の国の知識を持って、ヴィーナスやヘルマプロディートスを繁栄に導いたのではないでしょうか」
「やはり……!」
チェレステさんの表情がぱあっと明るくなった。
「不躾ですが、もしかしてエリツィン伯爵令嬢にも神の国の知識が?」
「どうでしょうね。これまで調べてきた中で、神子によって知識の差があることが分かっていますから。私はこうして神子を探すことはできていますが、マキシさんやビーチェさんのように、この知識を利用して商売ができるとは思っていません」
それを私に期待されても困るので、最初からできないと答えておく。アニマソラ神樹国のように誰かに利用されるのは二度とごめんですので。
私が引いた線にチェレステさんも気づいたようで、こほんと咳払いを一つ。話題を切り替える。
「申し訳ありません、私事が過ぎましたわ」
「いいえ。ご期待に添えなくて残念です」
「エリツィン伯爵令嬢、せっかくですのでマキシからの手紙をどうぞ御一読ください」
促されて、二通の手紙を眺める。
「どうして二通あるのです?」
「書いてある内容が違うのです。一通はわたくしも内容を知っているのですが……もう一通は、読めなくて」
そう言われて、読めなかった手紙を示される。もしかして、という予感を募らせながら、その手紙の封をきった。
〝Μέχρι να διαβάσεις αυτό το γράμμα, πιθανότατα δεν θα βρίσκομαι πια σε αυτόν τον κόσμο.〟
――まったく、読めません!
【ヴィクトルの出張日誌1】
ハルウェスタ王国を経って約半月。馬車旅は順調に進んでいる。クロワゼット共和国の王都を経由したので、ついでにヘルマプロディートスで初夜のための下着を注文した。下着のデザインだけ僕が注文しておく。ハルウェスタにはヘルマプロディートスの支店がない。出立前にうちのシーリン商会にフェリシアの身体のサイズをあとから託けるように頼んでおいたし、あとはエリツィン家のメイドがうまくやっておいてくれるだろう。
本日の夕食:イチゴソースのハンバーガーと芋のフライ。ラムリ子爵領で食べたハンバーグというものをパンにはさんだもので、片手間で食べられるのが嬉しい。イチゴソースの酸味と芋のフライのしょっぱさは食欲をかき立てる。




