69.婚約の挨拶
私にとって両親という存在は、近くて遠い人たちだった。日本とは違って、貴族という文化のあるこの国では、貴人ほど自分の手で子育てをしない。まだ私が〝私〟という自我に芽生えるまでは、乳を与えてくれる乳母を母親だと勘違いしていたくらい。
たまに抱っこしてくれる両親は親戚のおじさんやおばさんくらいの感覚。物心ついた時には前世の記憶と常識が混ざり合っていて、こちらの常識とのきり分けがいまいち掴めなかった。
言葉だって既に日本語がインプットされていたから、教科書のない中でヒアリングだけでハルウェスタ語を習得していくしかなかった。物心がついてからは、絵本をたくさん読んだ。そのおかげか、文字を読むくらいなら日常での不便さはなくなった。ヒアリングもなんとかできた。でも自分で話すのは自信がなくて、笑って誤魔化して、極力会話を避けるような幼少期を過ごしていた。
それを両親が心配していたことを、生まれて二十二年間、私は知らぬまま過ごしていたようです。
「本当に嬉しいよ。ありがとう、ヴィクトル君。他のものが何を言おうと、君のことは私が責任持って全力で支援するからね」
「フェリシアが……っ、あのフェリシアが……っ! ようやく結婚をしてくれるなんて……っ、それも自分でお相手を見つけてきて……!」
婚約のお伺いをたてるため、社交シーズンも終わりがけの今、領地に帰る寸前だった両親を引き止めて、エリツィン伯爵家にヴィクトルをご招待。その結果、お父様は満足げにヴィクトルと握手を交わし、お母様はむせび泣いた。
こんな大袈裟なことになるなんて思っていなくて、私は居た堪れない。私付きのメイドであるカミラには「さもありなん」と言いたげな表情で頷かれる始末。私の結婚って、それほどでしたか……?
「ヴィクトル君のおかげで、フェリシアにも甘えられる人ができた。君があの時、この子の家庭教師になってくれて良かったよ」
「僕のほうこそ、家庭教師に僕を呼んでくださってありがとうございました。そのおかげで、僕もフェリシアと出会えたんですから」
お父様とヴィクトルの会話が聞こえてくる。二人が何を話すのか、気になってしょうがない。特にヴィクトル。うっかり私の変な話をしないか、そわそわしてしまう。
でも、そんな暇もなく。聞き耳を立てようとする私の前では、お母様がぽろぽろと嬉し泣きしていて。
「ねぇ、フェリシア。あんなに頑なに結婚を避けていたのに……どうしてヴィクトル様となら、結婚してもよいと思ったの? お母様に教えてくれるかしら……」
次々とこぼれる涙をハンカチで拭いながら、お母様に尋ねられる。親に恋愛話を強請られると、ちょっとどころかだいぶ恥ずかしい。しどろもどろになっていると、お母様が私の手をぎゅっと握ってきた。
「どうか教えて、フェリシア……?」
う、うぅん……!
恥ずかしい、すごく恥ずかしい! でもお母様も譲る気は無いようで、私の手をしっかりと握って離してくれない。私は羞恥で顔が熱くなるのを感じながら、ぽつぽつと教えてあげる。
「その……ずっと一緒にいてくれると、言ってくださったので……それこそ、私より長生きして、私のこと見送ってくれるくらい……」
「まぁ……っ! なんてロマンティックなのかしら……! ヴィクトル様はそんな先のことまで考えてフェリシアに求婚してくださったのね……っ」
嬉しすぎてお母様の涙は余計に溢れてしまう。私は慌てた。そんなに泣いてしまうと、綺麗なお化粧が溶けてしまうっ!
「お母様、どうか泣かないでください。貴族令嬢として親不孝だったのは謝りますから……!」
「そんなことはどうでも良いのです……! 私はただただ、貴女がこうして自分で生涯の伴侶を選んだことが嬉しいの……っ」
くすんくすんと泣くお母様。そこには貴族の夫人としての優雅さなんてどこにもない。それはまさしく、娘の結婚を心から喜んでくれる母の姿。
ヴィクトルと話をしているお父様をちらりと見る。お父様もなんだか晴れやかな表情をしていて。
なんだか胸の奥がむずむずとしてる。生まれて二十年以上、測りあぐねていた両親との距離感。それは私から一方的にとっていたものだったんだと気がついて、罪悪感が顔をのぞかせてくる。
私ってば、本当に親不孝な娘だったのかも……。
「ねぇ、フェリシア。そんな困った顔をしないで頂戴」
涙を拭ったお母様が、私にそう語りかける。化粧の崩れた顔を羽扇で隠しながら、私にだけ見えるように目尻を下げて微笑んでくれる。
私は自分の頬に手を当てた。
「困っているように見えますか……?」
「えぇ。娘のことだもの。それくらい分かりますよ」
お母様にそう言われるとそわそわしてしまう。この人たちは、ちゃんと私を見てくれていた人なんだなと実感する。
思えば私があまりにも結婚に興味がなくて縁談を跳ね除けていても、両親はそれを叱らなかった。母だって残念そうにすることはあっても、私に無理してまで結婚させようとはしなかった。数撃ちゃ当たる戦法で「そのうち運命の人が現れるかもしれないわ」と言って、場を設けることはたくさんしたけれど。
でもその運命の人がずっと私のそばにいたんだと、今日はすごく喜んでくれている。気恥ずかしいけれど温かい気持ちになった。
「さて。婚約に関してエリツィン伯爵家は全面的にヴィクトル・ミシリエ男爵を歓迎するよ。でも、外聞というものは貴族社会にはついてまわる。ヴィクトル君にはエリツィン伯爵家に婿入りするにあたって、少々頑張ってもらわないといけないことがある。それについては、大丈夫かね」
お父様の声に振り返る。そう、それ。私とヴィクトルの間で結婚なんて非現実だった理由。それは――身分差。
伯爵家と男爵家の結婚は少々どころか、貴族社会としてはかなり無作法だ。たとえヴィクトルがミシリエ子爵の養子であろうと、彼自身はミシリエ子爵を継ぐわけじゃない。外交官としてなら、男爵という身分だけで良かった。
だからそのために。
「ミシリエ子爵には僕からも直接話を通そう。婚約期間の間だけでもミシリエ子爵位を継いで、結婚と同時に子爵位を次期子爵の子に継がせる……のが、一番の近道だ。ヴィクトル君は、それでも良いかい?」
「そのことなんですが」
ヴィクトルは静かにお父様を見つめた。少し緊張した面持ち。ヴィクトルの珍しい表情に、私もきゅっと唇を引き結ぶ。
「今年、玄蒼国へ長期出張を予定しています。目的は玄蒼国の情勢調査です。この調査がうまくいけば帰国次第子爵位を叙爵し、改めて友好通商条約の交渉大使として締結に向けて派遣される予定です」
お父様が目を細めた。うんうんと頷いて、ヴィクトルをじっと見据える。
去年、ヴィクトルがすごく忙しくしていた理由。その上で玄蒼国の皇子がガムラン連合王国にきて、多国の情勢を読みに行ったのも、これが理由だったらしい。
あの頃はまだ内々のことであまり先の見通しがなかった。でも近年、玄蒼国の人が色んな理由で大陸からやってくる機会が増えている。それは貿易だったり、居住だったり、観光だったり。国としては関税をかけるにも、規制品を決めるにも、永住権を認めるにも、情報が少なすぎる。そこで前年の玄蒼国皇子の来訪を受けていよいよ重い腰をあげたらしい。数年前に私がまとめた玄蒼国の文化資料も、その一助となったとか。
まぁ、私がこれを知らされたのは、ヴィクトルと婚約を決めたあとなんですけども。
お父様はヴィクトルの言葉を聞いて、にこやかに微笑んだ。
「君自身の価値を見せてくれるんだね?」
「借り物なんかでフェリシアの隣りにいては、いつ茶々をいれられて彼女を奪われるか分かりませんから」
お父様が深く頷く。それがいい、そうしなさいと言いたげに。お父様はソファーから立ち上がると、ヴィクトルの肩をポンと叩いた。
「君がフェリシアを選んでくれて良かったよ。困ったことがあれば、私たちを頼りなさい。……フェリシア」
「は、はいっ!」
私にもお父様が声をかけた。私もソファーから立ち上がると、お父様が腕を広げて。
「婚約を祝福するよ。良い人を選んだね」
腕を広げたお父様に、私はもじもじしてしまう。おずおずとしながら近づけば、お父様はふんわりと私を抱きしめてくれた。
前世ではできなかった親孝行。
遠回りしてしまったけれど、今世ではできそうだ。




