68.転生令嬢は恋する外交官
熱の下がった私は、そそくさと逃げるように帰国することに。面倒ごとに巻き込まれる前にと、ティモとトゥロと一緒にネジェーリン伯爵家の馬車で出立した。
でもやっぱりアニマソラ神樹国は私をただでは出国させる気はないようで、出国時の検問で一悶着。神殿から通達されたらしい門番に、難癖をつけられて出国を拒否された。アニマソラ神樹国の出国時の検問はすごくゆるいから、引き止められた私たちは注目の的だった。
でもそこはアニマソラ神樹国。
ティモとトゥロは門番たちを正面から叩きのめした。
契約で。
検問待ちの観客の前で盛大に盛り上がるゲームプレイをした双子は、正々堂々と私をアニマソラ神樹国から連れ出してくれたのだった。めでたし、めでたし……?
そうして長い出張を終えた私はしばらく療養期間をいただいた。双子からアニマソラ神樹国での報告が上げられて、事実確認のために国王陛下に謁見したこと以外は変わったこともない。
ハルウェスタ王国の王様が現実主義者で良かった。私の持つ〝神の叡智〟についていくつか質問をされたけれど、最終的には「リストテレスの学者のほうが賢い」という判断をされた。おっしゃる通り、私には知識チートができるほどの叡智はありません。
とはいえ、各国が神官招聘のためにハルウェスタ王国を通過していく間、私は外交官として出ることは禁じられた。表向き、他国で不要な混乱を招いたことによる謹慎処分。ハルウェスタ王国に到着した他国の外交官からも問い合わせが色々あったみたいだけど「本人は謹慎処分中です」を理由に追及をすっぱりと断ち切ったらしい。荒業すぎる。
そんな中、エルパダ王国の外交官ソイニさんから手紙が届いた。
一連の発端が、ソイニさんの奥様イルマタルさんが昨年の社交界で女性神官ロナに話した、パン屋トーキョーの初代店主の手記の話にあることに、ソイニさんも気づいたらしい。神子に選ばれたことを祝福すると同時に、事故を目の当たりにして心配した旨が書かれていた。
本当は直接話したかったそうだけれど、私は謹慎処分中だし、向こうも神官を連れているのでゆっくりとはしていられない。手紙と、お見舞いの品が届けられたので、私はありがたく受け取った。
そうして神官招聘の行列が過ぎ去っていき、今年の社交シーズンを迎える頃には、私も外交官として復帰した、のですが。
「フェリシア、またスペルミスだ。他国向けの書簡なんだから、不安ならまず辞書を引いて書くように言っているだろう」
「う……はい」
最近、ちょっと仕事でのミスが多い。復帰はしたものの、通訳や出張などの表に出る仕事はまだしばらく禁止なので、ひたすら書類仕事に向き合っているんだけど。その書類でのミスが重なっていて、ヴィクトルや他部署の人に叱られる頻度が増えている。
ヴィクトルから書類を受け取り、自席に戻った。辞書を引きながらスペルミスを訂正して、全文を新しい紙に書き直す。
その書き直すのも気もそぞろで、インクで汚したり、スペルを間違えてやり直したり。どうも調子が振るわない。
それの原因はまさしく。
「やっぱりまだ調子悪いのかい?」
「い、いいぇ! 大丈夫です……っ」
ヴィクトルだ。アニマソラ神樹国から帰ってきてからやたら距離の近いヴィクトルだ。今だってわざわざ私の席にやって来て、私の手元を覗きこんでくる。圧が強いです上司ぃ……!
そう思ってる間にも、インクがペン先から落ちてしまって書きかけの紙面を汚してしまった。はい、やり直しです。
「無理はしないように」
頭をぽんぽんと撫でられた。いつまで経っても子ども扱いは変わらない。それにむっとしてしまう私の乙女心。でも、前世の私みたいに大胆にはなれない。だからもやもやしてしまう。
(自覚しちゃうと、不毛すぎる……)
アニマソラ神樹国からの帰路で散々反芻した、ヴィクトルとのシーツ越しのキス未遂。
まるでお酒に酔ったような酩酊感の中で大胆にも行動した〝わたし〟から飛び出していった言葉の数々は、私の無意識下にあった本音だった。
それを認められたのは帰国したあと。帰路の間は羞恥に悶え続けていたけど、一周回って冷静になった瞬間に、あれは私の本音だったんだと認めてしまった。
私はヴィクトルが好き。
二十二歳になって初めて自覚した恋は、あまりにも形勢不利だった。
ヴィクトルから見た私は明らかに妹枠だし、実際にそう言われたし、何よりも私自身がヴィクトルに「結婚? なにそれ美味しいの?」みたいな発言を何度もしてしまっている……! ここから挽回は絶望的すぎるでしょう。
だからいつも通りを心がけようとしても、ふとした瞬間にヴィクトルが近づくと身構えてしまう。どうしても意識してしまう。それが仕事に支障をきたしてしまっているのだから、私は社会人として不合格のレッテルを貼られてもおかしくない。別の意味でも泣きたくなる。
このままじゃ、良くない。だからといって、ヴィクトルに告白するつもりもない。だって、私みたいな面倒事ばっかり拾ってくる女、迷惑なだけだろうし……。
そろそろ、潮時かしら。
夢を追いかけ続けるのは楽しいけれど、いつかは現実も振り返らなくちゃいけない。そういう時が、私にもやってきたんだと思う。
私はそろりとヴィクトルを見た。
執務室には今、二人だけ。ティモとトゥロはお招きした神官の接待で忙しいし、イェオリは資料室に資料を探しに行っている。話すなら、今。
「あの、ヴィクトル様」
「どうしたんだい」
自席に戻ろうとしたヴィクトルが振り返る。私も立ち上がった。
「大切なお話、良いですか」
「……良いけれど。場所、移すかい?」
今は人がいないとはいえ、イェオリが急に戻ってくる可能性は大いにある。逡巡して、こくりと頷いた。
ヴィクトルは執務室の隣にある休憩室に入った。私もあとに続いて入る。ソファーに腰掛けたヴィクトルに、私は頭を下げた。
「ヴィクトル様。私、外交官を辞めようと思います」
息を呑む気配。
「……どうして、急に?」
静かにかけられた声に顔を上げると、ヴィクトルが菫色の瞳を大きく瞠っていて。
私は深呼吸する。自分の意思を伝える強い意志を持つ。
「その、今回の騒動で、いろんな人に多大な迷惑をおかけしましたので……」
ハルウェスタ王国に帰国したあと、私には時間だけがたくさんあった。そんな中で少々、前世を含めて自分の人生というものを振り返るなどしまして……今回の神子の騒動は、本当にたくさんの人に迷惑をかけてしまったと反省しまして。
そもそもの発端は、私がこの世界に生きた転生者たちを探そうとしたことから始まったもの。私が転生者を探さなければ、外交官にならなければ。そうしたらアニマソラ神樹国で神子として祭り上げられることもなければ、事故で死にかけるなんてこともなかった。この謹慎期間中、様々な後悔が頭をぐるぐると巡ってすごく落ち込んだりもした。
それらを反省しての、私なりの決断。
……ということで、納得してくれませんか?
「別に迷惑だとは思っていないよ。僕も、ティモとトゥロも、心配はしたけど迷惑とは思っていない」
首を振ったヴィクトルに、私は困ってしまう。引き止められないわけがないよね。でも、私の意思は固いんです。
「私がいるとまた迷惑をかけてしまいます」
「本音は違うだろう。君はもっと広い世界を見たくて、外交官になったんじゃないのかい」
ヴィクトルの言葉は私の胸に突き刺さる。そう、その通り。私はもっと広い世界を見たくて、この世界に生きた人たちのことを知りたくて、外交官になった。
でもそれは、私の我が儘。
「人に迷惑をかけてまでやりたいことではないんです」
散々、ヴィクトルに迷惑をかけまくった私のセリフじゃないんだけども。私が自由に外交官をやれていたのはヴィクトルのおかげ。ヴィクトルが私の舵を握ってくれていたから、私は自由にのびのびと外交官として励むことができたし、そのかたわらで転生者の足跡を探すこともできた。
でも、一生をヴィクトルに頼るわけにもいかないので。それを含めて、今が丁度良い潮時だと思ったの。
ヴィクトルだって私との付き合いは長い。私が一度決めたらなかなか意思を曲げない人間だってこともよく知っているから。
深く嘆息して、ヴィクトルはアッシュグレーの頭を乱雑にかき混ぜた。なんだか投げやりっぽいヴィクトルの姿。ちょっと珍しい。
「仕事をやめたらどうするつもり」
「実家の領地に引きこもります。結婚適齢期を過ぎてしまいましたが、お父様に適当な旦那様を見繕ってもらうのも良いかもしれません」
「君はそれでいいのかい」
「それが普通なんです」
初恋は報われないものだとよく言うし。自分からヴィクトルとの恋愛フラグをことごとくへし折ってきた手前、今さら恋愛しましょうなんて言えやしない。……たとえ言えたとしても、素面じゃ恥ずかしくて言えないと思う。
無難に生きていければそれでいい。転生者リストもそれなりの人数が集まったし、現地に行かずとも、世界中から本を取り寄せれば何かしら引っかかるものがあるかもしれないし。
だからこれでいいのだと、自分で自分を納得させていたら。
ヴィクトルが、上目遣いに私を見た。
「……もう一人の君はもっと積極的だったのに。生まれ変わったら、僕を好きになってくれるんじゃなかったのかな」
は、い?
一瞬、何を言われたのか分からなかった。ヴィクトルの言葉を反芻する。一回、二回、三回目で、アニマソラ神樹国で〝咲千〟だった時に言った、私の言葉だと気がついて。
「ああああれは! 違います! 誤解です! 気の所為です! ヴィクトル様みたいな人、であって! あ、っ」
「覚えているんだ」
にこりと笑うヴィクトルにしてやられた。墓穴を掘ってしまった。誰もあの時の私について話題を振らないからすっかり忘れていたけど! もしかしたら覚えていないフリだってできたんじゃないの!?
私は百面相。赤くなったり、青くなったり。羞恥心が強くて顔を上げていられない。あれをヴィクトルがしっかり覚えているのが恥ずかしすぎる。その記憶、どうか消し飛ばしてくれませんか!?
そう言いたいのに、感情の嵐が強すぎて呂律がまわらない。あわわわ、とか、ままま、とか、よく分からない悲鳴しか出てこない。ハルウェスタ語が突然不自由になるくらい、私の内心は荒れまくっている。
だけどヴィクトルはそんな私を見て、ふっと笑みをこぼした。ソファーから立ち上がって、私のほうに歩み寄ってくる。
「それじゃ、君との問答も覚えてるね?」
「え、はいっ? 問答……っ?」
近づいてくるヴィクトルに、私はじりじり後退していく。私が後退する分、ヴィクトルも大股で距離を詰めてくるんだけど。ヴィクトルはどのことを言っているのっ?
「君が……いや、サチが僕にフェリシアのことが好きなんですね、って聞いた時のこと。覚えてるでしょ」
「い、妹のように、ってことですよね……?」
そ、そんなこと言ったっけ……!? 覚えてることと、覚えていないことの記憶が曖昧すぎるぅ……!
踵がこつりと何かに当たった。気がついたら背後は壁。なんてこと。私は横に逃げようとするけれど、ヴィクトルが壁に腕をついて私の逃げ道を封鎖した。これはいわゆる壁ドンですか? 逃げ場を完全に失いました。
仕方なく、愛想よく笑顔を浮かべてみる。ヴィクトルは残念な子を見るような目で私を見ていた。壁ドンする男の目じゃない。
ヴィクトルは深々とため息をつくと、ぐっと私に顔を近づける。吐息がかかるほど近い距離で、囁く。
「前はそうだったけど、今は違う。君の一生を、僕が見守ってあげたいと思っているよ」
あぁ、勘違いしてしまいそう。
だめだ、聞いちゃだめだ、と思うのに。
ヴィクトルの言葉はまるで甘露。渇いた喉を潤す水のように、蜂蜜のような優しい甘さを持って私の腑に落ちていく。
「君が死んだら、僕が君のことを本に綴ると言っただろう。あの約束を果たそうと思うんだ」
「……今ですか? 私、まだ生きてますけど……」
「それ、わざとかい?」
なけなしの抵抗を見せれば、さすがのヴィクトルもムッとしたらしい。顎を持ち上げられて、強引に視線を上げさせられる。菫色の瞳が、私をまっすぐに見つめていて。
「ハルウェスタに帰ってきてすぐにエリツィン伯爵に君への婚約を申し入れたよ。切り札が足りないと思ったけど……君の承諾さえ貰えれば、それはあと付けでも構わないらしい」
「……へ?」
え、待って。待って待って待って! ヴィクトルなんて言った!? 今、なんて言いました!?
「え? え……? 婚約? 婚約ですか? 誰の?」
「今言っただろう。君への婚約」
「私それ、聞いてないんですけど……?」
「今言ったからね。エリツィン伯爵には承諾いただいているよ。元々、エリツィン伯爵から打診されていた話だしね」
そんな。ヴィクトルがハルウェスタ王国に帰ってきてしばらく経つ。いつの間にそんなやりとりを。それどころかお父様!? お父様はヴィクトルに何を打診していたの!? 私、全然、知らない! 当事者! どうして!?
「切り札を集めながら少しずつ君に意識させていこうと思ったけど、離れていくならそんな悠長なこと言っていられないね。今、答えを聞かせてほしい」
ヴィクトルの言葉をようやく脳が処理しだした。言葉の意味を理解して、心臓が全速力で走り始める。何かを言いたくても、あ、とか、う、とか、しどろもどろになる。言葉が続かない。
答えなんて、そんなの。
「……答えられない?」
耳もとで囁かないでほしい。口から心臓が飛び出しそうになる。
ヴィクトルは辛抱強く待った。一分一秒が長く感じる。心臓の鼓動をばっくんばっくんさせながら、私はヴィクトルの菫色の瞳を見上げる。
私が答えあぐねていると。
「さて、それで。仕事を辞めるって話だけど」
「今の流れで話を戻すんですか!?」
「戻すけど?」
至極当然な顔で言いますけど、脈絡なさすぎませんか!?
ヴィクトルがこの話をどこに着地させたいのかよく分からないまま、私は彼の手のひらでコロコロ転がされるばかり。私が唇を尖らせると、こてりと首を傾げられた。
「キスする?」
「しっ、しませんけどぉっ!?」
「僕はしたいけど」
なんなんですかこの男!? なんなんですかこの男! なんなんですかこの男ー!
ヴィクトルはくすくすと笑うと、ほつれていた私の横髪を耳にかけてくれる。
「僕との結婚のメリットを教えてあげようか。僕の奥さんになったら僕の出張の際には付き添いができる。出張先の夜会とかでパートナーの仕事だけしてくれたら、君はその場所で好きなだけ観光ができる」
「うっ」
「君は仕事を辞めて、テネッコンの製造や米作りに注力できるね。君が伯爵家を継げば君が伯爵から借りている土地も合法的に君のものだ」
「くっ」
「それに僕はこれでも商家の出身だからね。お金周りに困ったら、相談してくれてもいい」
「はわっ」
「僕は優秀な部下を失うけれど。まぁ、婚約期間中に君なら後進を育てて円満退職してくれると思っているよ」
ヴィクトルの怒涛のアピールタイム。私の退職の話を絡めて結婚の話に持っていくヴィクトルの話術が怖い。断る理由がない。むしろ結婚適齢期を過ぎてしまった私には垂涎の結婚相手とも言えよう。最後、ヴィクトルの本音も垣間見えたけど。
でも、それだけじゃ乗り越えられない壁がある。
貴族社会のハルウェスタ王国で、避けては通れない壁。
「……身分差、どうするんですか。外交官なのに、醜聞になっては……」
「ちょっと大きな案件があってね。三年くらいかかりそうだけど、それを完遂できたら子爵位を授かれるかもしれない。結婚適齢期を逃した伯爵令嬢なら、ギリギリ波風立たないくらいの身分差にはなれると思うよ」
ぎょっとした。そんな大きな案件、いつから引き受けていたのか。というかそれを見越して、私との結婚の申し入れをお父様にしたの? そこまでして、私との結婚を……?
「それで? 仕事辞めたら、君はどうするつもりなんだい」
繰り返される質問。
私は諸手を挙げるしかない。これはもう完敗です。私なんかより、ヴィクトルのほうが何枚も上手過ぎた。彼から逃げることなんて、もうできなくなってたんだわ。
「……ヴィクトル様の、奥さんになっても、いいですよ……?」
「意地っ張りだね。僕のこと、どう思ってる? 生まれ変わっても、好きになってくれた?」
ぶわっと顔が熱くなる。そんなぁっ! あんな恥ずかしい記憶、すぐにでも抹消したいのに! ヴィクトルの記憶力の良さに、穴を掘って埋まりたい!
「フェリシア。君の気持ちが聞きたいんだ」
ヴィクトルのおねだりに、私もとうとう陥落した。
「す、きです」
小さく、小さく。
自分の気持ちを素直に音に乗せる。
でも私の好きになった人は、ちょっぴり意地悪で。
「もう一回」
「〜〜っ、好きですって!」
ご、強欲! ヴィクトル、想像以上に強欲! 私の一世一代の告白を欲張ってきた!
恥ずかしすぎて顔を背けてしまう。ヴィクトルがくつくつと笑う気配がした。ふわりと私の頬をヴィクトルの猫毛がくすぐる。私の肩に顔を埋めて、彼は肩を震わせた。
「フェリシアって可愛いんだね」
「は、はいっ!? そんな急になんですかっ!?」
可愛いって言われるような年齢じゃないんですが!?
私が一人でわたわたしていると、ヴィクトルがいつものように私の頭を撫でてきた。ヴィクトルの身体が少し離れる。
「今度の休み、一緒にエリツィン伯爵へ挨拶に行こう。結婚のこと、退職のこと。君のこれからの人生のことは、そこでゆっくり話そう」
いつだって一直線に走り抜けようとする私を、ヴィクトルがちょっとだけ腕を引いて、休憩する場所を教えてくれる。それから進みやすい道を教えてくれる。
この人を好きになって良かったと、私はこれからの人生で何度となく思うことでしょう。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
これにて第二部完結です。ブクマ、評価、感想等、大変励みになりました〜!
また来週から定期更新に戻り、婚約者編のスタートです。大筋を転生者探しに戻してお送りしていきます。さっそく女性向け異世界転生/転移でよく見かけるあのアイテムのお話から始まる予定。お楽しみに!




