67.もう一人の神子(side.クーヤ)
「それじゃ、フェリシアさん、しっかり食べてしっかり休んでねー」
「ありがとう、クーヤくん」
フェリシアに卵雑炊を作ったクーヤはそう言ってフェリシアの部屋を出た。そのまま自分の部屋に戻ると、視界の端にスッと人影が映りこむ。カズミヤだ。
「おかえりなさいませ、クーヤ様」
「ん。カズミヤもおかえり」
ちょっとしたお使いからカズミヤが戻ってきていた。クーヤの付き人はカズミヤしかいないので、彼女がいないと行動が制限されてしまう。それでも、フェリシアの部屋と自分の部屋を行き来するくらいはできるけど。
自室に戻ったクーヤは着ていたエプロンをぽいっと適当に放り投げた。カズミヤが床に落ちる前に掴み取る。丁寧に畳むと、彼女は洗濯籠にエプロンを置いた。
「フェリシア様の容態はいかがでしたか」
「順調に回復してるぜ。依存性の高い薬だったらヤバかったな」
クーヤはソファーにだらぁっと転がった。天井を見上げながら、フェリシアに使われていた薬のことを思う。
フェリシアに異変が起きていると気づいたクーヤは、カズミヤに命じてフェリシアの周辺を探らせた。優秀なカズミヤは、フェリシアが飲まされていた銀色の飲み物の入手に成功。さらに詳細に調べたところ、材料にはアルコールのように思考能力を鈍くさせる成分が含まれていることが分かった。でもそれだけでは、記憶喪失のような状態にはならない。
(うまい具合に調合したもんだ。胸糞悪ぃが)
あの銀色の液体を飲むと、最初に酩酊感を覚える。前後不覚になったところで、ロナルディーナの香水が効く。酩酊感を感じている間、香水の香りに過敏に反応する。あの香水には幻覚症状を引き起こす植物や茸を濃縮した成分が含まれていた。その組み合わせで上手く暗示をかけて思い込みをさせて……現実を夢のなかに閉じ込めさせた。
「胡蝶の夢だっけなー……忘れたけど」
「なんですか、それは」
「蝶になる夢を見た人が、自分が蝶になる夢を見たのか、それとも今の自分こそが蝶の夢なのか。わかんなくなるって話だったと思う」
「ほほぅ。面白い話ですね」
「だろー」
相づちを打っているカズミヤに適当に返事をして、クーヤはごろりと姿勢を変えた。クーヤが散らかした部屋を片付けるカズミヤを眺めながら、大きな欠伸をひとつする。
「それでカズミヤ。禁書庫はどうだった」
「皇太子殿下がお好きそうなものがゴロゴロありました」
「くっそいらね〜」
玄蒼国の皇太子はクーヤの腹違いの兄だ。二十も歳が離れている。今の玄蒼国は皇太子の勢力が強く、皇帝の代替わりはもはや目と鼻の先。そんな皇太子に対して、皇帝は必死に玉座に齧りついている状況だ。
そんな皇太子が好きそうなものを想像して、クーヤはげんなりする。皇太子の異名は戦狂い。力こそすべて。人を殺した数を勲章とするタイプの人間で、クーヤはあの皇太子が大嫌いだ。
「俺の好きそうなもんは?」
「クーヤ様が気に入りそうなのはテネッコンなるものでしょうか」
「なにそれ」
「神の国を覗き見る道具だそうです」
「なんだそれ!」
がばっと半身を起こしたクーヤはカズミヤを凝視した。クーヤが話を聞く体勢になったので、カズミヤが部屋の片付けを止めてお茶の支度に切り替える。
「神は月の向こうに宮殿を作ったという話があるようですが、それを見るために作られた道具だそうです。ですが、そんな不埒なことをするなと言わんばかりに禁書として封印指定されておりました」
「ほー」
お茶より先に、カズミヤがクーヤに紙を渡した。それを読もうとしたクーヤは唇を尖らせる。
「読めねぇ」
「そうでございましょうとも。のちほど翻訳したものをご用意します。それとこちらもどうぞ」
もう一つ差し出されたのは一冊の手帳だった。クーヤは中身を見て目を丸くする。
手帳は日本語で書かれていた。異世界のサンドイッチ伯爵について。米の名前の由来探し。ヤマト伝説。スパイスでたどるガムランの恋人。
読みながら、あれっと気がつく。
途中のページ。漁村で行われていたお年玉の話。そして〝クーヤくんに要確認〟という文字。
クーヤはカズミヤを見た。
「これ、どしたん」
「異端審問官の私室を物色していたところ見つけまして。クーヤ様の名前を見かけましたので。おそらくフェリシア様の持ち物ではないかと」
「あー、なる」
この手帳にはフェリシアがこれまで調べてきた転生者の足跡が書かれていた。クーヤが知っているものもあれば、知らないものもある。シンタクラースの伝説なんてあんまりにも歪曲したサンタクロースで笑ってしまった。
ところどころフェリシアの気持ちも綴られていて、まるで日記を盗み見しているような気持ちになる。
中にはクーヤが知りたかったテネッコンに関するメモもあった。テネッコンを守りたい少女のためにフェリシアが奔走したみたいで、その様子がありありと浮かぶ。
ひと通り目を通したクーヤは、手帳をカズミヤに渡した。
「こっそりフェリシアさんの荷物に戻してやって」
「承知」
「頼んだぞー」
クーヤはまたごろりとソファーに寝っ転がった。天井を見上げながら思考を巡らせる。
(テネッコンは天体望遠鏡だったか)
テネッコンが何かを知りたかったのが、またたく間に答えを手に入れることができてしまった。これもきっと日頃の行いだ。ただし、天体望遠鏡はクーヤが欲しいものとは違う。けれど、もしかしたら地球につながる何かが見つかる可能性が高いものではある。
「カズミヤ、リストテレスってどこだ?」
「サピエンス合衆国の都市です」
頭のなかに地図を広げた。サピエンス合衆国の名前に聞き覚えがある。たしか前に港町に寄った記憶はず。アニマソラ神樹国は神樹の大陸のうち南西寄り。サピエンス合衆国は東北のほうなので、ここからではかなりの距離がある。
でも、そんなことは些細なこと。
「よし、それならアニマソラからの帰路はそこ通るか。神湖に近いとこから帰れるし。皇都通らずにそのまま社に帰ろうぜ」
「承知しました。ハルウェスタはいかがしますか」
「あー……今回はやめとく」
本当はフェリシアともっと話をしたかったけれど。それどころじゃなくなってしまった。フェリシアにはしばらく静養してほしいと思うし、何より。
「今のフェリシアさんに、前世の話はしづれーしなー……」
クーヤの目的は変わっていない。
初めてフェリシアに出会った時に伝えた時のまま。
〝元の世界に帰る方法〟
それを探している。
「アニマソラにならあるかもって思って、神子役を引き受けたけどさ。なぁ、カズミヤー」
「残念ながら、禁書庫にはそれらしいものがありませんでした」
カズミヤがお茶をクーヤのそばのテーブルへと置いた。クーヤの好きな玄米茶。お茶菓子には米を潰して焼いた醤油せんべいだ。
クーヤは身体を起こすと、醤油せんべいをバリバリかじる。
「なかなか上手くいかねぇな。ごめん、カズミヤ」
「クーヤ様が謝られることではございません。カズミヤはクーヤ様のおそばに居られて、楽しゅうございますよ」
カズミヤが跪き、クーヤの指についた醤油のタレを丁寧に拭った。世話焼きの彼女に、クーヤはへらりと笑う。
「カズミヤ。絶対に母さんに会おうな」
クーヤが元の世界に戻る方法を探しているのは、それが理由。
――女神の化身に親はいない。
――母体は神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤに捧げよ。
地球からの生まれ変わりがあるのなら、その逆だってあり得るはず。魂という器に記憶が内包されているのなら、それらを地球からこの世界へ運ぶための道だってあるはずだ。
クーヤはそう信じている。
(人は死んだら、何グラム減るんだっけか)
前世、死者の体重が減るのは、魂が身体から抜けるからだという説があった。実際は身体の水分が蒸発したからだとか科学的に説明されていたけれど、こうして転生したクーヤは魂に重さがあるんだと信じたい。
クーヤが清められた自分の指をじっと見ていると、その手がそっと包まれた。
「もちろんでございます。そのためならどこまでもクーヤ様に着いて行きますよ」
カズミヤはクーヤの母親の乳姉妹だった。神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤを祀る一族の一人。クーヤの母親は斎宮として、一族を取りまとめる役を担っていた。
けれど皇帝に目をつけられ、クーヤを孕んだ。
斎宮の資格を失った母は一族から冷遇されたらしい。そんな中で唯一母の味方だったのがカズミヤだった。しかも産んだのがクーヤ。前世の記憶を持つクーヤは一族にとって特別な子だった。
でもそれがクーヤの母にとっての不幸だった。クーヤの目の前で、母は神湖スロイスティエ・ ロジェーニヤに生きたまま沈められた。
(この世界は残酷だ。生きづらい。優しい母さんを殺したこの世界なんて滅びてしまえばいい)
クーヤはずっとそう思って生きてきた。
でもフェリシアを見ていると、少しだけその気持ちが柔らかくなりそうだった。一族は許さないし、皇族だって大嫌いだけど、フェリシアが必死に生きようとする世界なら少しくらい許せそうだった。
だからこそ。
「カズミヤ、禁書庫のいらんやつはどしたん?」
「少し肌寒く思いましたので、暖炉に焚べておきました」
「最高! 暖炉の正しい使い方だな!」
思い切りの良いカズミヤに、クーヤは腹を抱えて笑う。
カズミヤは鼻が利く。この部屋の暖炉の裏に隠し通路があるのは、滞在を始めたその日に気がついていた。滞在も潮時だと思い、クーヤがその隠し通路を使って禁書庫にカズミヤを忍び込ませたのだけれど……カズミヤはついでとばかりに禁書を燃やしたらしい。
「ざまぁだな、神官ども。気がついた頃には神の叡智とやらは灰になってるぜ」
クーヤは喉の奥をくつくつと震わせる。笑いが止まらない。フェリシアにひどい仕打ちをしたこの国の奴らにとって、一番の痛手を与えられたのは間違いない。
ひとしきり笑ったところで、クーヤはソファーから立ち上がる。ほどよくぬるくなった玄米茶を一気に飲み干した。
「さーて、フェリシアさんがゆっくりできるように、代わりに神子の仕事をしてやるか。カズミヤ、適当な神官捕まえて、祭祀続行するよう脅しに行くぞ」
「承知」
中断された祭典をそのままにしておけば、その不満は神子だったフェリシアに向かうだろう。ここまで来たら乗りかかった船だ。最後、神樹の枝を配る儀式くらいは肩代わりしてやろう。
そうしたらフェリシアも気兼ねなく帰国できるはず。
クーヤは頭の中で算段をつけながら、都合の良い神官を捕まえるべく、カズミヤとともに部屋を出た。
カズミヤさんはたぶん忍者。




