45 母娘のティータイム
「――アリア? どうしたの? 手が止まっているわよ?」
「……あ……ごめんなさい……」
夢で光の神様と話した翌日。私は母上と、教会が経営する救済院の手伝いに来ていた。
けれど、どうしても昨日のことを考えてしまって、手が止まってしまう。
「……体調が悪いなら、無理しなくていいのよ? あちらで休んでいなさいな」
「…………いえ、でも」
今日の私は、まだまともにお手伝いできていない。ここでリタイアするのは申し訳ない。
だから、もうちょっと頑張ってみようと思ったのだけど。
「ねえアリア、お茶にしましょう。ね?」
「……はい、母上」
母上の手が私の背中を押したので、大人しく仕事から離れることにした。
木陰に置いた椅子に座ってお茶をしながら、私は、神子云々は伏せて、母上に相談してみた。
「まあ、そうだったの……」
母上は、ざっとした説明を聞いたあと、そう嘆息した。
一つ二つ頷いて――そして、私を不思議そうに見る。
「でも、何を迷っているのかしら? 私から見た貴方たちは、もう恋人同士も同然だったわ。何も変わらないでしょう?」
「…………あれ? ……そういわれると、そのような気も……」
兄上とは王都で休日よく一緒に遊びに行った。これって、いわゆるデートだよね?
恋人たちがやるようなデートとか、手料理とか、ダンスとか、プレゼントとか……やってないことって、ない感じ……?
「……いや、でも、兄上の立場とか、貴族社会への影響とか……」
私たちは、世間的には兄妹として知られている。今更、実は血が繋がっていませんでした、といったって、信じてもらえるかどうか……。
兄上が白い目で見られるのは嫌だ。そう考えると、やっぱり、私以外の人とのほうがいいんじゃないかって思う。
「そうね、でも、世間の評判は、いずれ問題なくなると思うわ」
「え? どうして?」
「……実はキース様はね、アリアは、私とアンリの子供として、出生証明書を作ってくださっているのよ」
「え……なんで……?」
だって、キース父上と母上は、私の戸籍を操作するために結婚したはずだ。なのに、出生証明書を弄ってないんじゃ……意味なくない?
「いつか、アンリの無実が証明されたとき、私たち親子で暮らせるようにって……本当に、キース様には感謝しきれないわ」
「キース父上……」
細かいところに行き届いた配慮。気の利くキース父上に、母娘揃って脱帽です。
「だからね、フェリックス様とアリアが望むのなら、その出生証明書を公表して、問題なく結ばれるのよ」
「……」
そういって微笑む母上を見て――私は、逆の事も考えていた。
望まなければ、出生証明書は公表されない。それは、世間的には私はキース父上と母上の子供という認識が継続されるということで……そうなると母上は、アンリ父上とは一緒になれないんだ……。
でも、出生証明書を公表すれば、母上は、アンリ父上と一緒になれる――
「……アリア。貴方は私とアンリのことまで考えなくていいのよ? 私もアンリも、貴方の幸せを一番に願っているのだから」
「母上……」
私の思考を察したらしい母上が、慈愛に満ちた、まるで聖母のような顔でいった。
「――さあ、アリア。他にも、何か問題があるかしら?」
「……えーと……」
世間的には何とかなりそうだというのなら……ああ、そうだ、私の感情の問題がある。
一応、私は前世の記憶を思い出してこの方、ずっと兄上は兄だと思って生きてきた。血のつながりはないと知っていても、それでも兄と妹として生きてきたのだ。
そんなすぐに、発想の転換なんて……ちょっと無理だ。
いくら、今まででも十分恋人っぽいことをしてきたと指摘されようとも、恋人としてのふれあいは、流石にまだだ。だって兄妹してたから。
――で、じゃあ今、恋人として親密に触れ合えるかと言うと……。
「こ、心の準備というやつがね?」
出来てないな、と思うのですよ。
「そうねえ、それは大事よねえ」
母上は一つ二つ頷いて同意を示してくれた。
そして何事か考える素振りを見せながら、お茶を一口飲んで――笑った。
「――ねえ、アリア。この前のお茶会で、噂になったのよ。シエラ様の婚約者候補の話」
「あ、決まったの? でも宮廷魔道士の人でしょ?」
ちょっと唐突な話題転換だったけど、興味があるネタだったので乗る。
シエラ様とレナードさんと知り合ってから、定期的にお邪魔して、集まった封印石を処理しているけれど、その際、シエラ様とレナードさんの距離が縮まっていくのを目の当たりにしていた。素直に、お似合いの二人だと思う。
周りの評判も悪くなかったから、とうとう決まったか、とちょっと嬉しくなった。
なのに。
「……ううん。フェリックス様になりそうなんですって」
「――え?」
私は耳を疑った。
シエラ様の婚約者が――兄上?
「……な、なん、で……?」
問い返す私の声は掠れていた。震えていた。
なんだろう、胸が痛くて、耳がぐわんぐわんする。
「だって、シエラ様は……レナードさんが……」
「王族だもの。身分がつりあってないといけないでしょう?」
動揺が明らかな私に、母上が、悲しそうに目を伏せる。
身分。
確かに、レナードさんは子爵家の出。王女様の相手としては、身分が低い。
「……で、でも、それなら伯爵家じゃなくて、もっと……」
そう、身分を言うなら、伯爵家だって王女の相手に不足がないとは、いえないはずだ。身分、年齢だけで見れば、もっと相応しい人は何人もいる。
「――シエラ様は、いや?」
そっと聞かれて、私は手を握り込んだ。
「……嫌……っていうか……そんなことは……」
シエラ様は、お美しくて、お優しくて、快活でいらっしゃって――嫌だなんて、不満だなんて、あるはずがないのに。
でも……どうしてだろう、すごく……もやもやする。
兄上と並んでいるシエラ様は、とてもお似合いのはずなのに――どうしてか、すごく……悲しい、と思ってしまった。
「……ああ、ごめんなさい、アリア。そんな泣きそうな顔しないで」
「え……?」
ぎゅ、と母上に抱き込まれて、私は目を瞬いた。
「本当に、ごめんなさい。シエラ様の婚約者はまだ決まってないわ。フェリックス様といったのは、貴方が気持ちを自覚すればいいなと思っていってしまったの」
早口の謝罪、その全てをすぐに飲み込めたわけじゃないけど。
「……嘘、なの……?」
それだけは、わかって。
「ええ」
母上が、はっきりと頷いたから。
「…………」
私は――ほう、と息を吐いていた。
「……ほっと息なんかついちゃって。……もう、自覚したわね?」
そんな私を見て、母上が苦笑する。
何を、なんていうのは……流石に、聞かなくてもわかる。
私は恥ずかしさに顔を伏せながらも、認めた。
「…………うん」
「ふふ。お互い想いあって、とてもお似合いだと思うわ。これから煩わしいこともあるだろうけれど、一番大事な気持ちを、ないがしろにしては駄目よ」
そういって、母上は笑う。
「……うん」
本当は、もう一つ、ひっかかることがないでもなかったけど――……それでも、自分の気持ちがはっきりしたから、私は、次に臨む事が出来る。
「ありがとう、母上」
だから私は、清々しい気持ちでお礼を言えた。