46 同情でも、義務でもなく
兄上が王都から帰ってきた音を聞きつけた私は、お出迎えに玄関まで駆けつけた。
「――おかえりなさい、兄上!」
「ただいま、アリア」
兄上は満面の笑みで私を抱きしめ、頬にキスを落とした。
そして荷物を一つだけ持つと、他は使用人さんたちに預けて居間に入った。
「アリア、お土産だよ」
持ってきた荷物から、早速兄上は小箱を取り出した。
「兄上、そんな気を使ってくれなくていいのに」
「だけど、店で見つけて、アリアに似合うと思ってしまったんだ。つけてはくれないか?」
そういって、甘えるようにねだられてしまっては、嫌ともいえない。
私は兄上が買ってきてくれたネックレスを箱から取り出した。アクアマリンのついた、華奢なネックレスだった。
「ああ、俺がつけよう」
兄上が、すっと私の手からネックレスを取り上げたので、代わりに私は自分の髪をかきあげる。
兄上の手が私の首筋に触れて、ちょっとくすぐったくて首を竦めれば、背後で笑う気配があった。
「――うん、思ったとおりだ。良く似合っているよ」
「ありがとう、兄上」
満足そうな兄上の笑みに、釣られて私も笑う。
それから、お茶をしながら兄上の土産話を一通り聞いたところで、兄上が聞いてきた。
「アリアは、どうだった? 確かライラ母上と救済院の手伝いをするといっていたね?」
「え? ええ……」
連鎖的に、母上との話の内容を思い出した私の反応は、微妙なものになってしまった。
それに、兄上が気付かないはずがない。
「……アリア? どうした? 何かあったのかい?」
「……ええと、それは……」
「……俺には話せないことか?」
口ごもる私に、兄上の顔が悲しげに曇る。
う、すごい罪悪感があるんだけど……でも、正直に全てを話すのも、まだ抵抗があるというか、恥ずかしいというか……。
「……うーん……」
「……アリア」
「は、い!?」
唸っていたら、いつの間にか兄上は私の隣に来ていて、ひょいと私の体を持ち上げてしまった。
「あ、兄上!?」
で、私が座っていた場所を兄上が奪って――持ち上げられた私は、兄上の膝の上に乗せられた。
「さあ、アリア。隠さずに話してごらん」
私の顔の真ん前で、兄上が笑みを湛えてそういった。
……笑ってるけど、目は笑ってないですよ、兄上……。
しかも、片手でがっちり腰をホールドされてるし、片手で顎を捕らえられているから、顔も背けられない……。
それでも数秒、私は往生際悪く視線をあちこちに彷徨わせたけど――結局「アリア」と窘めるように呼ばれるに至って、観念した。
ちょっと聞いて見たいとも、思ってたし。
「……あのね、兄上は……もし、好きだといわれて、でも実は、昔の恋人に似てるから好きになったんだっていうことが発覚したら……どう、思う? 兄上だったら、どうする?」
「……誰かに、いわれたのか?」
瞬間、周囲の温度が急激に下がった気がした。
「あ、兄上……?」
「アリアが、誰かにそう、言われたのか? 誰にだい?」
あ、兄上の口元は微笑んでいるのに、細められた目が怖い……っ!
「ち、違うのっ。例え話! 昨日、母上と、そんな噂話があるって……」
私がなんとか言い繕うと、ふ、と空気が緩んだ。
「……なんだ、そうか。……ええと、昔の恋人に似てるから好きだといわれた、だったね? お断りしなさい」
「ん?」
実にはっきりとしたご意見を頂いたけど……あれ、ちょっと違わない?
首を傾げた私に、兄上は至極真剣に続ける。
「そんな、アリア自身を見ていない、節穴の不届き者、アリアには相応しくない」
「……いや兄上。私がどうしようかって話じゃなくて……兄上だったらどうするっていう話なわけで」
「俺だったら? ……相手による」
「相手?」
「ああ。昔の恋人に似てるから好きだと俺にいったのがアリアだったら、昔の恋人を抹殺した後、喜んでアリアを受け入れよう」
兄上は、蕩けそうな笑みを浮かべて、思わず私はそれに見入って――
「――って、抹殺!?」
思わず退けぞった私だったけれど、がっちり腰を抱えられているので、距離が開きはしなかった。逆に、兄上の胸が密着するくらい近くに引き寄せられる。
「もう一度聞くけど、」
「私の話じゃありません!」
ひたり、と目を覗き込まれて問われ、私は反射的に言っていた。
……いや、私の事なんだけど。私に、兄上がいったことなんだけど。
「そう、良かった」
兄上はにっこり笑った。
……信じたのか、誤魔化されてくれたのかはわからない。
でも、大人しく兄上の膝の上、腕の中で大人しくしていれば、兄上の纏う空気は穏やかになっていった。
「……ねえ、兄上」
「なんだい?」
「……兄上は、どうしてそこまで私に拘るの? 兄上の周りには、他にもいい人いたよね?」
魂に想いが残っていたとしても、そんな確固たるものじゃないはずだ。
魂に残る思いは漠然として、気にはなっても、他にきっかけがあれば、無視出来ちゃうはずのもの。
ネリーは断固として省くけど、シエラ様とか、後は、ブラッドさんが言ってた、学園のお嬢さん方とか。好みのタイプに告白されたら、普通、そっちに流れるはずなのに。
なのに、兄上はどうして流されなかったんだろう?
それが不思議で、訊ねた私に、兄上は甘く笑んだ。
「他のいい人、なんて最初から眼中にないよ。だって、俺は誰より先に、俺の天使に出会ったのだから」
「て、天使?」
問い返す私の頬を、兄上が優しく撫でる。
「そうだよ。俺に笑いかけてくれて、恐れることなく触れてくれて。俺の世界に色を取り戻してくれた天使。アリアがいなければ、俺の世界は色も音もなくなる。いいや、アリアがいない世界には、俺は絶対に生きていけないよ」
……愛おしさが溢れ出たって感じで……触れられた頬が熱を持つ。
「……兄上」
私の声は震えていた。
……兄上は……結界に閉じこもっていた兄上は、あの時、本当に辛かったんだ……。
もし、私の接触が少しでも遅れていたら、兄上の心は壊れてしまっていたのかもしれない。
「――ねえ、だからアリア。俺の世界から、色を奪わないで」
「…………」
兄上の瞳、声、私に触れる手。
その全てが――私と言う存在を、求めているようで。
「奪うというのなら、その前に、アリアの手で俺の命を絶ってくれ」
否といったら――今すぐ命を絶ってしまいそうな、そんな脆さが感じられて。
「……そんなこと、しません」
――そんなこと、私がするはずがない。
だって私は、兄上を幸せにするために、この世に生まれてきたのだから。
これは、同情じゃない。
これは、義務感、使命感じゃない。
幸せに笑う兄上を、一番傍で、見ていたいだけ。
「――兄上」
私は、揺れる兄上の瞳をじっと見返す。
「……なんだい?」
「……私は、兄上の傍にいる。ずっと」
兄上の目が軽く瞠られて――それから、ゆっくりと笑顔が広がった。
幸せで、とろけるように甘い、そんな笑顔に、思わず見惚れる。
兄上の腕が、ゆっくりと私に伸ばされた。
「――ありがとう、アリア」
耳元で囁かれた声は掠れていた。
ぎゅっと、痛いくらいに抱きしめられながら――私も、兄上を抱きしめかえした。




